少年探偵団 6

「それで、樋口さんと黒崎さんは一体何故、よりにもよってこんな魔窟に?」
とりあえず大人しくソファに腰を下ろした直人と恭二に、梓は不思議そうに問いかける。
その言葉に、直人と恭二は顔を見合わせると、バスの中でも先輩たちに説明したのとまったく同じ内容を口にした。
直人は説明をしながら、どうしてこんなことになったんだろうと内心ため息をつく。
そんな直人の説明を聞き終えた途端、梓は何故かこめかみのあたりを押さえると指で揉みほぐすような仕草をした。
「…そんな理由でわざわざ高等部からこんなところまで…」
よくやるわね、と梓は心底呆れた様子でため息を零す。
「いやいや梓お姉さま、私たちが言える台詞じゃないですし」
振り返りもせず、詩音があははと乾いた笑いでそう言って肩を竦めた。
「いや、むしろあたしたちだからこそ言うべきでしょ…」
何故そこまで、と梓は再びため息を零す。
「しかし、色々と納得いかないのだから調べるだろう!」
その馬鹿にしたような反応に、直人はむきになって反論してしまう。
「あ、いや、その姿勢は大いに評価するわよ?むしろ尊敬出来るレベルで」
別に馬鹿にしてるわけじゃなくて、一連の流れにちょっと思うところがあっただけで、と梓は軽く微笑みを浮かべる。
そこへお茶の用意を終えた詩音がどうぞ、と鼻孔をくすぐる香りをさせる紅茶を出してくれた。
トレイを手に持ち、音も立てずに応接テーブルの上にソーサーとカップを並べる様子はとても洗練されていて直人は正直に驚いてまじまじとその手を見てしまう。
「詩音、高校生相手なんだから、せめてジュースとか出してあげれば良かったのに。どうせ冷蔵庫に何か入ってるでしょ?」
大き目のマグカップを受け取りながら、梓は苦笑してそう言った。
「それもそうですねぇ。まぁ、入れちゃいましたし」
そう応えながら、詩音は再び戸棚を漁り始める。
何をしているのだろうかと見守っていると、彼女は可愛らしい猫のイラストがプリントされた大きな袋を取り出した。
その中からポッキーやらクッキーやらチップスターやらといくつも菓子を取り出すと、ぽいぽいっと応接テーブルの上に並べる。
「これもどうぞ~。あ、私の私物ですから気にしないで大丈夫ですよ!」
研究室の備品ではないから遠慮するなと詩音は笑顔で菓子類を指した。
「あ、詩音、あたしにはチョコチップクッキーお願い」
「は~い」
梓のオーダーに、詩音は取り出したパッケージをひょいっと投げる。
彼女は今、直人と恭二の方を向いていたのだが、梓の方を振り返りもせずに後ろ向きに投げたのだ。
「投げたら割れるでしょー?」
言葉ではそう言いながらも気にした様子は見せず、ちゃんと目の前に飛んできたパッケージを梓はあっさりキャッチした。
片手にマグカップを持ち、座ったままだというのに見事である。
「それじゃ改めて、お茶にしましょうか~」
自分の分のカップを手に応接テーブルまで戻ってきた詩音はぽすっと2人の正面に腰を下ろした。
「詩音、お茶会じゃなくてその子たちの疑問解消会だからね」
答えてあげなよ、元演劇部員、と梓は面白がるような口調で水を向ける。
「答える以前に、よく1日でソコまで調べましたねぇ…」
すごいわぁ、と心底感心した様子で詩音は笑顔を見せた。
「いや…気になったゆえ…」
褒められて悪い気はせず、直人が視線を逸らして呟く。
「でも、あらかた初代赤黒コンビが答えてくれちゃったんでしょ?まだ何か聞きたいことってある?」
先ほど一連の流れを説明した時に新田と黒島が肯定してくれた内容も付け加えていたため、梓の問いは当然のことだろう。
そもそも、実は介入されてもおかしくない人物だという結論には行きついているのだ。
そんな問いを向けられ、直人はどう言えばいいのか困惑の表情を浮かべる。
「あ、お姉さま。いっそ私たちで別の一面をさらに教えてあげるというのはどうでしょうか」
直人が言葉に迷っている間に、なんて名案とでも言いたげに詩音が可愛らしく手を打ち鳴らした。
「…いや、さすがにもう新しい発見も驚きもないと思うんだが…」
はい、と小さく挙手をして、恭二が苦笑でそう合いの手を入れる。
10年前の【コンクエスト】に遡って話をすれば、まだ恭二の知らない事実もあるかもしれないが、生憎直人はそれを教えることが出来ない。
もっと言えば他の誰にも基本的にはソレを明らかにしてはいけないという暗黙のルールが存在する。
それを差し引いて、まだ他に何か発見があるのかと考えれば、直人も恭二と同じ意見で、そんなものは存在しないだろうと思っている。
既に今の時点で、ほぼすべての情報が肯定されたとしても、ソレは現実なのかと信じがたいレベルに様々な情報があるのだ。
「あるわよ?色々と」
流石に、教えられる情報と教えられない情報があるけど。
恭二の言葉を真っ向から否定したのは梓だった。
どうやら彼女は、いや彼女たちはまだ他の情報を持っているらしい。
まだ何かあるのか。
一体本当に何者なんだ、あの教師。
「たぶんびっくりするような特技持ちですよ~瑞貴先生」
ふふふと悪戯を企むような子供っぽい笑顔を浮かべて、目の前に座る詩音が2人を交互に眺める。
「特技っていうと、ピアノとか?ソレなら今日、音楽の授業で披露してもらったけど」
恭二は特技という単語から恐らく隠し技能のことだろうと詩音に問い返す。
恐らく恭二自身が目の当たりにして驚いたからなのだろう、コレだと確信しているような口調だった。
「…何故忍足先生が音楽の授業に…?」
あの人、国語教師だったはずでは?専門は古典でしょ?何やってんの?
卒業生だと言った梓はどうやら師事していたことがあるのだろう。
恭二の言葉に、目を丸くしてそう呻いていた彼女の口調は、呆れているせいかのかどことなく冷たい響きを持っていた。
「あ、いや、ちょっとピアノ弾けるっていうか楽譜読める人間不足で…」
梓の言い方に軽く驚きながら簡単に今日あった出来事を説明する。
その説明を聞くなり梓は表情を引き攣らせ、詩音はあははとおかしそうに笑い声をあげた。
「瑞貴先生を音楽に借り出したんですか~。私もその授業受けたかったです」
でもピアノなんだ、と詩音はどこまでも楽しそうだ。
「いや、むしろピアノで正解でしょう…」
ピアノじゃなかったら別の授業になる、と梓は表情を引き攣らせたまま視線を逸らした。
「いいなぁ~。私も乱入して合奏したかったです。…あ、すみません、意味わからないですよね」
楽しそう、と詩音はひとしきり笑うと会話から置いてきぼりを食らっている高校生2人に気付いたようだ。
軽く謝罪をすると、すっと立ち上がる。
そのまま机まで歩いていくと、1台のノートパソコンを手に戻ってくる。
詩音は膝の上にノートパソコンを乗せ、カタカタと簡単に操作をするとテーブルの上に乗せて直人と恭二に見えるようにくるりとひっくり返す。
「この動画…ミリオン動画のコラボじゃないか!」
表示された動画を見たことがあるのか、恭二が驚きの声を上げた。
「ありゃ、知ってましたか~」
まぁいいや、ご覧下さい、と詩音は器用に上から再生のボタンを操作する。
表示されたのは、2つの動画を組み合わせて作られた演奏動画だ。
画面を2分するようにして、2人の演奏家が同じ曲を奏でている。
画面を2分するようにというのは、本来別々に投稿された動画を、有志が勝手に組み合わせたからだ。
最初から一緒に演奏しているのであれば、こんなコラージュ動画にはなり得ない。
片方に表示されているのは純和風の一室で和琴を奏でる狐面を被った和服の少女であり、もう片方に表示されているのは洋風の部屋と思われる場所を背景にバイオリンを奏でる大人しそうなワンピース姿の女性であった。
「狐面が紫苑、バイオリンが彩夢、コレどっちもこのジャンルの大御所じゃん。どっちも似たような曲演奏してるからこうやって組み合わせる人結構いるよな」
「恭二くん、詳しいですね」
動画を見るなり、恭二がしたり顔で言ったのを、詩音は驚いたように目を丸くして聞いていた。
「俺、どっちもファンだから。しかも最近になってこの2人、芸風広がっただろ?紫苑は踊ったりゲームプレイ動画作り始めたりしたし。彩夢はバイオリンで曲の中の効果音まで演奏するようになったし」
しかもどっちも気持ち悪いぐらい上手い、と恭二は力説する。
その説明を聞いて、詩音は何度も目を瞬かせた。
「黒崎殿…お主そういう趣味もあったのだな…」
動画そのものを見たことがないわけではないが、恭二ほど詳しくない直人も驚いたように声を上げる。
「じゃあ恭二くんのオススメ動画教えてもらっちゃいましょうか」
やたら詳しい恭二に驚いたものの、詩音はそう言って恭二の方へノートパソコンを押しやった。
それじゃあ…と恭二が動画を選び始めたのをとても興味深そうに見つめている。
「詩音、布教活動もいいけど、そろそろ準備してこないと時間なくなるわよ?」
「はっ!そうでした!ええと、恭二くん、せっかくですから梓お姉さまと直人くんに布教しておいてくださいっ!」
梓の指摘に、詩音は慌てて立ち上がるとそう言って研究室の奥の扉の方へと向かっていく。
奥の部屋に準備する何かが置いてあるのか、彼女は扉を開けるとその中へ姿を消した。
「一応言っておくと、研究室は防音だから安心して動画の布教をしててくれていいわよ?」
扉の向こうに消えていった詩音を何となく見送っていた直人と恭二に、梓はそう告げる。
「じゃあ…」
そう言って再び動画を選び始める恭二を尻目に、一体自分たちは何故ここに来たのだろうかと直人は思わずにはいれなかった。
既に脱線しすぎて最初の目的を完全に見失っている気がする。
「…あの、そういえば高宮教授殿は一体どこにおられるのか?」
自問自答を始めた直人だったが、すぐに肝心の相手に会っていないことを思い出した。
その人物に会えば、すべての謎が解けると理事長が言ったから会いに来たハズだ。
「あぁ、すーちゃんならもうすぐネタのために戻ってくるから、待ってたら会えるわよ?」
会わない方がたぶん平穏で幸せに生きられるけど。
梓は明後日の方向に視線を向けると、アンニュイな空気を纏ってそう告げた。
どうやら、彼女たちの言うすーちゃんとは高宮教授の愛称なのだろう。
愛称で呼ばれているあたり、高等部の一部の教師に通じるものがある、と直人は一瞬だけ現実逃避気味に考える。
いつの間にか恭二によって新しい動画が再生されていた。
今度の動画は先ほどの動画でバイオリンを弾いていた女性だけの動画のようだ。
繊細そうな見た目なのに、実に多彩な音を出すものだと感心しながら動画に目を向ける。
そういえば今日の6限目もバイオリンの音が聞こえていたな、とどうでもいいことを考えながら直人は深くため息をついた。
ちょうどその時、ガチャと音を立てて研究室の入口の扉が開く。
「戻ったぞー、バカ弟子ども。あっれー?弟子3号よ、弟子4号は?」
そんな能天気な声が研究室に響く。
口調は可愛らしいが、声は紛れもなく大人の男性のものだ。
艶のある人生経験の豊富さを滲ませるような深い声音と口調にギャップを感じて直人は入口を振り返った。
視線の先には、切れ長の目に明るい茶色に染められた髪をオールバックにし、カジュアルなTシャツとジーンズという出で立ちの男性が立っている。
何やら難しそうな本を数冊手にしたその男性は、男らしい精悍な笑みを浮かべていてどことなく楽しげな様子だ。
パッと見の外見年齢はおよそ30から50の間、とはっきり言ってさっぱりわからないが、表情はとても若々しかった。
「あ、すーちゃんおかえり。詩音なら、今準備中です。そちらの首尾は?」
入口に立つ、年齢不詳としか表現できない男性に梓が顔も上げずに問いかける。
「おう、今帰った。俺様の方は、アイツらに迎えに行ってもらった。んで、この高校生は誰が拉致ってきたんだ?」
すーちゃんと呼ばれ、この場所に帰ったという表現を使っていることから恐らくこの男性が高宮教授なのだろうが、ニヤリと笑う様子からは教授という雰囲気はあまり感じられない。
いや、まず服装からして、はっきり言ってチャラい印象で、こんな人間が学位を持っているとは(にわ)かに信じがたい。
「どうやらすーちゃん宛てのお客様のようですが。心当たりは?」
「俺様のストライクゾーンは年齢は問わないが女限定だ、男は知らん」
「節操のなさすぎるストライクゾーンはどうでもいいですが犯罪にだけは手を出さないでくださいね」
梓はあっさりとした口調で高宮に話しかけているが、コレが学生と教授の会話なのか、と思わず首を傾げずにはおられず直人はただただ成行きを見守ることしか出来なかった。
礼儀に適わないのでせめてお邪魔していますと言って名乗るくらいはしたいところなのだが、雰囲気に飲まれてとてもではないが話しかけられそうにない。
それは隣の恭二も同様なのか、動画を再生していることも忘れている様子で男性と梓を交互に見ている。
「あら、すーちゃんおかえりなさい、私の準備は万事OKですよ!」
研究室の奥から、詩音の楽しそうな声が聞こえた。
準備が終わったのかとそちらに視線を向ければ、彼女は瑠璃色を基調とした和服へと衣装を変えていて、思わずまじまじと見てしまう。
(たもと)は少し長めで、色鮮やかな蝶が描かれた和服は、まるで宵闇の中を舞っているように見える。
その手には、何やら白い面のようなものが見えるが横を向いているのでよくわからなかった。
「おう、弟子4号はOKか。もうすぐ赤黒が弟子1号捕まえてくるから、待ってろよ」
いきなり学生が和服で現れたコトに何の驚きも見せず、高宮と思しき人物は楽しそうな笑顔を浮かべている。
その発言を受けて、詩音はふっと口元を笑みの形に変えると、足音も立てずに応接ソファの方へと近づいた。
「直人くん、恭二くん、あそこの変質者っぽいのがお探しのすーちゃん…もとい高宮須王教授ですよ。で、すーちゃん、こっちの高校生さんたちは手前から樋口直人くんと黒崎恭二くんです。何でも、すーちゃんに、瑞貴先生のコトを聞きにはるばるこんな僻地(へきち)まで来たんだそうですよ?」
健気ですね、と詩音は紹介に余計なひと言を加える。
紹介に合わせて高宮がよろしくなーとひらひら手を振っている。
直人と恭二は顔を見合わせると慌てて頭を下げた。
「ん?今、弟子1号の事を聞きに来たつった?瑞貴がどうかしたのか?」
アイツ、ただの教師させてるくらいじゃ一応完璧だろ?
何か愉快なコトでもやらかしたのか?
ニヤニヤと面白がるような笑みを浮かべ、高宮はひょいっと直人と恭二の正面のソファに腰を下ろした。
「忍足先生は教師としても割かし面白い分類だと思うんですけどね。少なくともつっちーとセットにしておく限り、一部のコアな趣味の人間にネタを提供し続けると思います」
授業だけなら完璧かもしれませんが、と補足を添えて梓は高宮の後ろから言葉を投げて寄越す。
そんなやり取りにもめげず、高宮に視線で促された直人は、もういい加減何回目になるかわからない問いかけを口にした。
「あひゃひゃひゃひゃ」
全てを聞き終えた高宮の反応はと言えば、目の前で下品に大爆笑したのである。
「ぅゎぁ、予想通りの反応すぎてつまらないです、すーちゃん」
高宮の反応に詩音が横からそんな言葉を突き刺した。
「だって、オマエ、コレ笑うしかねーだろー?瑞貴もさー何だかんだでアレだよなぁ」
笑いを滲ませたまま、高宮が同意を求めるように詩音を振り返る。
だいたい、全部否定してやれないしなぁ、と実に楽しげだ。
「笑うしかないですけどソレじゃ面白くないじゃないですか」
そう言った詩音は、座っている高宮に近づくと何やら耳元で囁いた。
こそこそと悪巧みをするような小悪魔的な表情で何事か囁き終えると、詩音はいかがでしょう?と実に蠱惑的(こわくてき)な笑みを浮かべる。
ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべた高宮と目が合う。
ここに来て、直人は完全に、もうどうにでもなれという心境だった。
ちらりと横を見れば、恭二も同じような諦めの滲んだ達観の表情を浮かべている。
調べようと思ったのがそもそもの間違いだった、と後悔してももう遅い。
まるで開けたらあらゆる厄災が飛び出し、最後にはほん僅かな希望しか残らないという箱のように開けてしまってからでは遅いのだ。
それを悟るには、恐らく数時間ばかり遅すぎたと直人は覚悟を決めた。
そんな直人と恭二に、高宮は驚くべき内容を告げ、それを証明すると宣言する。
それに驚いた直人と恭二だったが、毒を食らわば皿まで、という気持ちでその証明に付き合うことを承諾したのだった。
作者:彩華