俺が異世界に飛ばされたらツインテールの美少女になったいた件 8

「…ちょっとぉ~…あんまり先に進まないでくださいよぉ~…」
俺たちが高台でのんびりと優雅な午後のティータイムを謳歌していると、どこからか知らない男の声が聞こえて来た。
声から察せられる年齢は、俺たちと変わらないか少し上かくらいだが、おどおどした情けない印象で、妙に嗜虐心(しぎゃくしん)(あお)られるような、たぶん青年の声だ。
口調も、何というか情けないというか、ビクビクした感じで、もしや俺同様の初心者なのだろうかと心の中で首を傾げる。
「進まないと目的地に着かないんだけど…」
そんな青年の声に応えたのは、高く澄んだ幼い少女の声だった。
俺は、その声に聞き覚えがある。
思わず、バッと勢いよく声の方に視線を向けた。
茂みがガサガサと動き、ソコから姿を見せたのは、俺の予想に違わない人物、拠点にいるとばかり思っていたアイリスだ。
最初に見かけた時と同じ、左右に青いリボンのついた真っ白な帽子とケープ付の長いドレスコート姿は、たぶん彼女の外出衣装なのだろう。
まさかアレが冒険の衣装だと言われたら、もう少し防御力の高い恰好をと言いたくならないでもないが、マナの力がすべてをカバーするこの世界では、あんな恰好でももしかすると防御力は高いのかもしれない。
とにかく、そんな街中に出かけるような恰好のアイリスが、高台の下の茂みから現れたのだった。
その後ろから、初めて見る淡いハニーブロンドの髪の青年も姿を見せる。
青年は肩よりも長い髪を無造作に後ろで1つに束ね、袖のない長いローブ風の衣装だったが、腰のベルトの下側は前開きで止められておらず、動きを(さまた)げないように造られていた。
その下はごく普通のスラックスのように見えるが、足元はデザートブーツに近い丈夫そうな靴を履いていて、アイリスと比べればまだ冒険に向かう人の恰好と言えなくもない。
「目的地は解ってるんですから~…そんなに急いだら危ないじゃないですかぁ~」
一見、ワガママで付き人を振り回すお嬢様の図に見えてしまうのは、アイリスを追いかける青年がどこまでも困った様子に見えるからだ。
それに、幼い少女に対してあの口調と表情では、あまりにも情けない様子に見えてしまう。
「着いてこなくても大丈夫って言ったのに…」
不満というワケではなさそうだが、少しだけ呆れた様子でアイリスは背後の青年を振り返って言った。
「1人でなんて、ダメに決まってますよぉっ!?何かあったらどうするんですか…」
青年は一体何を想像したのか、大きく頭を振ってアイリスの言葉を否定する。
心底、心配していますと誰の目にも明らかな表情で、そう言った。
俺は大袈裟だと思う反面、青年の言葉に同意も出来ると2人を見ながら考えてしまう。
アイリスは誰が見ても可愛いと思えるくらいの容姿だし、所作から育ちの良さも窺えるというのが俺の受けた印象だ。
それに加えて、まだ10歳にも満たないだろうという幼さなのだから、1人での外出など、少なくとも俺が保護者ならば断固拒否するに違いない。
「1人じゃないよ?クーもいるし」
アイリスがそう言った瞬間、茂みの中から黒い塊が飛び出してきた。
敵かと思わず身を乗り出しかけた俺の視線の先で、黒い塊が大きく尻尾を振っている。
立ち上がったら余裕でアイリスの身長を超えるだろう体躯の、毛並みの良い大型犬にしか見えない黒い生物が、ソコにいた。
どう見ても、犬だ。
この世界に犬がいるかはさておき、サモエドの黒版にしか見えない、優し気な目の大きな犬は笑っているような表情に見えた。
「クーさんじゃ何かあった時、どうやって知らせるんですかぁ…」
大きな犬に向けて、青年は苦笑気味に言うと肩を落とす。
言われていることを理解しているのかしていないのか、犬は青年に向けてもぱたぱたとふさふさの尻尾を振ってみせた。
「はぁ…。いいですけどね…。ぼくは無事に目的地までお送り出来ればソレでイイんですけどね…」
困った表情のまま、それでも少女を慈しむような瞳で青年は小さく溜息を零す。
「目的地に着いたら、もうイイの?」
青年の気持ちを知ってか知らずか、アイリスは悪戯っぽくからかうような口調でそう言って青年を振り返った。
俺からは表情が見えないが、たぶん、笑っているのだろう。
「着けば、ジークさんやローゲさん、ソレにニコラさんもいますからねぇ…ぼくは本部に戻りますよ~」
青年はそう言うと、俺たちのいる高台に視線を向けて眩しそうに目を細める。
その時、初めて気づいたが、青年は左右の目で色の違うオッドアイだった。
左目は真紅、右目は深緑という、正反対のような色の瞳は、改めて見るととても印象的だ。
「…あれ、アナタは初めまして、ですよね~?」
まじまじと青年の瞳を見ていた俺と、高台を見上げる青年の目が合った。
俺の姿を認めるなり、青年は目を瞬かせて一瞬だけ驚いたような表情になる。
「…あ、あぁ…」
まさか異世界からやってきてこの集団に保護されたと正直に言うわけにもいかず、かと言って中途半端に誤魔化せば、アイリスの関係者だろう青年に警戒されかねない。
そうなれば、もしかするとあの愛らしい少女と、もう一緒に居られないのでは、と俺は何と答えるべきか頭を悩ませた。
「…紹介するね。オルフェ、このマイペースで色々と残念な人は、アルトって言って、アイリスの本当の拠点で一緒に行動してる人だよ。パッと見、色々心配になるようなカンジだけど、コレでマトモな戦力だから、大丈夫」
とても気安い間柄なのだろう、1歩前に歩み出たアイリスは、傍らの青年を指して俺に向けてそう紹介する。
仲が良いのだと伝わってくる、言葉の端々の辛辣な評価も、小さな少女が甘えているようで、酷い評価だと感じるよりも微笑ましい関係だと素直に感じた。
「…アイリスさん~…そこはかとなく悪意のある紹介なのは気のせいですかぁ~…」
だから、抗議の言葉を言いながらも、どこまでも優しい目で笑う青年…アルトに、俺はあっさりと好感を持つ。
普段の俺ならウザイという一言で片づける、どこかオドオドした態度も、幼い少女の機嫌を窺いながら言葉や行動を選んでいるように見える情けなさも、幼い少女のためだと感じるくらいには、異世界補正というよりもアイリスを通してのフィルターで見てしまっている気がして、自分でも変だと感じた。
もしかすると、俺はこの世界で、あの幼い少女に一目惚れでもしたのだろうかと、自分でも驚く可能性を思いつくくらいには、あの少女が笑っていればソレでイイと思ってしまう。
たぶん、大事な人と重なる部分が多いからだ。
本当なら、俺の大事な相手にも、あんな風に年相応の笑みを見せて欲しいと思っているからだろう。
とはいえ、俺の大事な相手は同じ年なので、年相応の笑みといってもあそこまで無邪気で愛らしいものではないのだろうが。
「悪意じゃなくて、ただの客観的事実だから。…それで、アルト。あそこの可愛い人は、オルフェって言って…、アイリスが1番好きな音で演奏してくれる人だよ」
アルトの抗議をばっさりと切り捨てた後、アイリスはチラリと俺を見てから、そう紹介した。
途中で何と言うべきか迷ったのか、少しだけ考えるような間があったが、俺はその後に続けられた言葉に既視感を超える衝撃を受けて思わず目を丸くしてしまう。
1番好きな音。
彼女は、確かにそう言った。
俺が彼女の前で楽器を演奏したのは、バイオリン入手の際に請われて弾いた2曲だけだ。
それなのに、彼女は1番好きな音と言う表現をした。
その言葉に込められた想いは解らないが、幼い少女が発したとは思えない深みのある声音に、口から出まかせなどではない重みを感じる。
「…そう、ですか。ソレじゃ、大事な人なんですね。良かったです、アイリスさんの大事な人が増えるのは、大歓迎ですから」
心底嬉しそうに、アルトは破顔した。
言葉の通りに、心の底から歓迎しているのが伝わってくる、優しくて嬉しそうな笑顔は、見ていて気恥ずかしくなるくらい幸せそうでいて、同じだけ切なさを感じる。
理由は解らないが、何故だか、ふと物悲しい気持ちになった。
「いい加減2人共上に上がってきたらどうだ?アルトもここでお茶してから帰るか?」
紹介が終わったからというよりは、微妙な空気の変化を読んだのか、ニコラが高台の下にいるアルトとアイリスに声をかける。
「あ、いえ~ぼくはこのまま戻ります~。やらないといけないコトが山積みなんですよぅ、うちはマスターを含め主要メンバーの大半が本部に戻ってきませんから、色々と大変なんですけど、今、とても珍しいコトにお師匠様がお戻りになられているので~」
俺はアルトの言葉の意味の大半を理解することが出来ないが、ソレでもなにやら大変そうだと言うコトだけは理解できた。
意訳すれば、さっさと戻って仕事を片付けなければならない、だろうか。
「…あの御仁は、相変わらずなのだな…」
アルトの言葉の意味がきちんと伝わっているのだろう、ニコラが苦笑交じりにそう応じる。
「じゃあ、気を付けて帰れよ。今度、ゆっくり一緒に【オーダー】でもやろうぜ」
その横から、ジークが気さくに声をかけた。
「えぇ!?ぼくなんかがご一緒してもイイんですか…?申し訳ないというか…おこがましいというか…」
誘われたアルトは、一瞬だけ嬉しそうに目を輝かせた後、急にしゅんと気落ちして恐縮した様子でそう言う。
その反応から察するに、俺と同じで彼らのようなハイレベルの人間の手を煩わせるのは悪いとでも感じたのかもしれない。
「大勢の方が楽しいし、スムーズに進むだろう?手が空いたらぜひ拠点まで顔を出してくれ」
更に重ねて、ローゲまでもがそう誘いの言葉を口にした。
その言葉にも嬉しそうな表情になった後、再びアルトは表情を曇らせる。
しかし、今度は固辞の言葉を口にする前に、傍らのアイリスに服を引かれ、ソレが何かの合図だったのか、アルトは微かに苦笑した。
「…はい、ご迷惑じゃなければ、喜んでお邪魔させていただきますね」
少しだけ困ったような、それでいて嬉しそうな笑顔で、アルトはそう言って頭を下げる。
「ソレじゃ、今度こそ、ぼくは失礼しますね。皆さん、アイリスさんをお願いします」
アルトはそう言うと、再び深く頭を下げた。
「ああ。俺たちで責任を持ってお預かり致します、と伝えてくれ」
ローゲが自信ありげな笑みでそう請け負ったのを、アルトは微かな笑みで頷いでくるりと踵を返す。
そのまま歩き去るのかと思えば、アルトの足元から急につむじ風のような小さな竜巻が広がった。
その竜巻は、見慣れたワープのポータルと同じ燐光を放ちながら、アルトの身体を包み込んでいく。
完全に燐光に包まれ、姿が見えなくなるかという瞬間、ふっと燐光ごとアルトの姿がこの場所からかき消えた。
「何だ…今の…」
まさしく瞬間移動したような光景に、俺は驚きのあまり目を剥く。
「ぁ~…携帯用のアクセスポイント内臓式、移動用ポータルゲートの1人用ってヤツだな。1人用だし、登録してある場所にしか戻れないし、近くに侵食されたモンスターが居たら発動しないとか結構使用条件に制約のある、一応レアアイテム、かなぁ」
俺の独り言のような問いに、律儀に答えてくれたのはジークだった。
「みんな揃って、こんな場所で何してたの?」
高台の下から、アイリスは小さく首を傾げて俺たちを見上げながらそう訊いてくる。
「何って、オルフェの特訓に決まってるだろ?言っておいたじゃん」
オマエこそ何しに来たんだと、ジークが軽い口調で言い返す。
そのやりとりと聞きながら、俺は、現状ただのピクニック風景なので、アイリスが何をしてたのかと言及したくなっても仕方ないのではと考えていた。
「…特訓なんてしなくても…イイと思うけど…」
アイリスは、俺を窺うように見上げながら、少しだけ困惑気味の表情を浮かべている。
「俺が誰かを守れるようになりたいと思うのは、間違ってるのか?」
他でもないアイリスを1番守りたいと感じていた俺は、当の本人から不要だと言われた気がして、少しだけやるせなかった。
異世界生まれの俺がこの世界で生まれ育った人間相手に後れを取るのは仕方ないにせよ、真っ向から切り捨てられるのは、理由が何であれ哀しい事だ。
「そうじゃなくて…充分即戦力だと思うんだけど…」
俺の言葉をやんわりと否定したアイリスの言葉は、驚くべき内容だった。
「は…?即戦力…?」
思わず鸚鵡返(おうむがえ)しに呟いた俺だけでなく、ジークやローゲも顔を見合わせているのが視界の端に映る。
ようやくマナを繰れるようになりつつあるとは言え、ソコに至るまでにかなりの時間を要した上に、未だに敵を倒すには至っていない。
そんな俺を指して曰く、即戦力とは一体どういうコトだろうか。
「…待って…特訓て、そもそも何してたの?」
双方で認識にかなりの齟齬(そご)があると判断したらしいアイリスは、俺ではなくジークやローゲに問いを向ける。
「何って、決まってんだろ?」
問われたジークは、ローゲと顔を見合わせてから実際に朝から今までにやってきた特訓の内容を語った。
同時に、途中参加のローゲとの特訓の内容や、ニコラによる遠距離攻撃の実演なども細かく付け加える。
どうだ、完璧な特訓だろう、とでも言いたげに、自信たっぷりの様子で。
「…全員、ちょっとソコに正座しようか…」
幼い少女から発せられたのは、低く抑えられた声。
アイリスのその声には、抗い難い妙な威圧を感じて、俺は思わず言われた通りに居住まいをただした。
俺だけじゃなく、高台の上に居た4人が、大人しく揃って居住まいを正す。
「…ジーク、前衛の基本スタンスは…?」
まるで教師が生徒に初歩を尋ねるような口調で、アイリスは静かにそう問いかけた。
「ヘイト管理して敵のタゲを集めるコトと敵の数を減らす殲滅(せんめつ)作業…だっけ」
問われるままに、条件反射の勢いでジークは前衛の役割とやらを答える。
「…ローゲ、中衛の基本スタンスは…?」
正解とも間違いとも告げずに、アイリスは次なる質問を名指しでぶつけた。
「前衛の取りこぼしたタゲを管理しつつ、後衛及び支援職の護衛と補助火力だな」
淡々と聞かれたコトにローゲは答え、質問者であるアイリスに視線を向ける。
「じゃあ最後、ニコラ、後衛の基本スタンスは…?」
先程と同様に、アイリスは解答の正否を口にするのではなく次の質問を投げかけた。
「タゲを取らないような位置取りで火力支援を行うこと、攻撃支援も後衛の仕事であろうな」
模範解答を述べる学生のように淡々と、ニコラも問われた内容に答を返す。
「…ソレじゃ、最後、オルフェに問題ね。支援の役割って、何だと思う?」
にっこり、と可愛らしい笑みを浮かべながら、アイリスは矛先を俺に向けた。
表情は可愛らしい笑顔なのだが、背後に威圧的な空気を纏っているせいで、見た目が整っている分迫力が凄い。
「…ええと…回復とか補助とか、俺の知るセオリー通りならバフ…えっと増強とかそういうのがこの世界にあるのか解らんが、とにかくそういう役割…じゃないのか…?」
他の3人に比べ、俺の解答はかなり歯切れの悪い物だ。
【ユスティティア】の予科生として飛ばされてきた俺だが、本来の予科で詰め込まれているハズの知識はない。
だから聞きかじっただけのゲームやラノベの知識で、何とかそう推測して答えるしかなかった。
こんな日が来るのなら、友人に誘われた時に素直にゲームにも手を出しておけばよかったと思ってしまう。
「そうだね、ソレが支援の役割。…なのに、何でオルフェは戦う手段を覚えようとしてるの…?」
どうしてそうなったの?と相変わらず威圧感のある笑顔のまま、アイリスは口調だけは柔らかくそう問いかけて来た。
何故と言われても、俺が誰かを守れる力が欲しかったからだ、と答えかけて、よくよく考えてみれば、俺はそもそもコンダクターというクラスの特性を知らないまま、見様見真似で戦い方を学んでいたにすぎなかったと思い至る。
この流れで、もしかすると、俺のクラスは支援をメインとするクラスなのだろうかと、今更ながらに気付いた。
「…コンダクターってコトは、武器はタクトか楽器でしょ…?ソレでどうやって戦う気だったの…?…コンダクターはマナを操って周囲に支援フィールドを展開するクラスなんだよ…?」
一体何を覚える気だったのかと、アイリスは心底呆れましたという表情を作って、大袈裟に肩を竦めて見せる。
大人びた仕草というよりも、俺たちを小馬鹿にしきった仕草に見えるのだが、事実根本から方向性を間違っていた俺はソレに文句を言うコトが出来なかった。
見た目は可愛らしく幼いというのに、妙に貫禄(かんろく)のある仕草と、含蓄(がんちく)のある言葉のせいで、俺は今更ながらにアイリスの方が俺よりも余程熟練の冒険者なのだと思い知らされる。
「いくらライフル装備が基本になってるからって、ニコラも支援がメインのクラスのハズでしょ…。何で支援の役割を教えてあげてないの…?」
重ねてアイリスは大げさにため息をつきながら、チラリと他の3人に視線を向けていく。
「ジークもローゲも、大方マナの扱いについて教えるつもりで基本の戦闘を教えたんだろうけどさ…。使えるようになったなら、本来のクラスに沿った内容に変えないと意味ないと思わない?」
ここまでくると、まるで説教である。
幼い少女が、保護者役の青年たちを捕まえて正座をさせ、挙句こうやって話を聞かせている図は、俺にとって無関係ならば微笑ましい構図だっただろう。
しかし、残念ながら俺は間違いなく当事者だ。
「…俺が教えて欲しいと言ったんだ」
俺のせいで怒られている彼らを見て、俺は居た堪れなくなってしまった。
アイリスが本気で怒っているワケでも、本気で馬鹿にしているワケでもないというコトは、発せられる空気の柔らかさで解る。
それに、怒られているように見える3人も、苦笑していたりする程度で、アイリスの言葉に傷ついていたり、アイリスに対して不満を持っている様子がないのも、当然解った。
ソレでも俺のせいで彼らが悪く言われるのは嫌だったし、自分が守りたいと思った相手に戦力外扱いをされたくなくて、俺は彼らを庇う言葉を隠れ蓑にして、その言葉を言われずに済むよう話を逸らそうと考えてしまっている。
卑怯で情けないと思うが、ソレでも言われるのは嫌だという感情が勝ってしまった。
「…教えるなら、ちゃんと教えてあげなきゃ、オルフェが可哀相だよ…。それにね、コンダクターのクラスとしてなら、オルフェは誰よりも才能あると思うよ」
ふわりと、花が(ほころ)ぶようにアイリスが笑う。
さっきまでの妙な威圧感は、完全に消えていた。
ただ純粋に、無邪気な笑顔だ。
「え…」
真っ直ぐに向けられた言葉の根拠が、俺にはさっぱりわからない。
向けられる信頼の瞳が、いつかドコかで見た誰かの真っ直ぐな視線と重なる。
大丈夫、信じてイイんだよ、と言われているような、真摯な瞳に俺は言葉を失った。
「ソレは…」
どういう意味だと問いかけようとした俺の視界に、急に大きな影が落ちる。
「危ないっ」
思わず叫んで、俺は高台から勢いよく飛び降りた。
アイリスの背後の茂みが、ガサリと音を立て、中から大きな原生生物が飛び出してくる。
今からではマナを繰って戦うなんて間に合わない。
俺は咄嗟にそう判断して、アイリスを庇おうと手を伸ばす。
「…ぇ」
小さく驚いた声と共に、俺の視界が何かで塞がれた。
バシっという硬い音が聴こえて、視界が晴れる。
ソコには、消滅こそしていないが地面に崩れ落ちた原生生物の姿があった。
「無事か?」
安否を問うニコラの声に、俺はそっと飛び降りて来た高台を振り返る。
何時の間に手にしたのか、ニコラの手にはライフルが収まっていた。
恐らくあの一瞬で彼が撃ったのだろう。
「…あぁ…」
俺は大丈夫と続けようとした俺のすぐ傍で、原生生物が動く気配がした。
今度こそ庇わないとと、俺が動こうとした瞬間。
バシっという硬い音と共に、原生生物が何かに吹っ飛ばされ、今度こそ消滅した。
一体何に吹っ飛ばされたのだろうと思って、勢いよく動いた影の存在に視線を向ける。
ソレは、アイリスの小さな手にしっかりと握られていた。
彼女の身長よりもはるかに大きく、まるで天使を思わせる純白の羽根を持った、巨大な錫杖。
ハラリと数枚の羽根が淡い光と共に杖の両翼から抜け落ちて、地面に落ちる前に光と共に消えた。
「…その杖…」
昨日、俺がモニターで見かけた、世界を救った英雄の1人が所持している神器の1つと、とても酷似している。
俺が見てみたいと言った、あの武器と全く同じ形状のソレに、俺は視線を奪われた。
アイリスの纏っているケープ付のコートが純白だからか、まるで本物の天使じゃないかとすら錯覚してしまう。
「…アイリスの、武器だよ…。普段は、使わない…けど…」
視線を奪われ固まる俺に、アイリスは控えめにそう言って、武器を後ろ手に隠すようにした。
たぶん、俺の視界から少しでも隠そうとしたのだろうが、元々が幼い少女の身長よりも大きな武器だ。
上部の羽根飾りなんて、まるで天使の両翼のようで、アイリスならこの杖で飛べるんじゃないだろうかというような大きさなのである。
当然、俺の視界から隠せるハズなど無かった。
「…武器の、迷彩…だと昨日訊いたんだ。あまりにも綺麗だったから、1度見てみたいと思っていたんだ…」
俺は素直にそう言って、見せて貰えないかと控えめに問いかける。
「……少しだけ、なら…」
アイリスはほんの少しだけ考え込むような表情を見せた後、おずおずと杖を俺に差し出した。
触れるコトすら躊躇(ためら)うほど神々しく感じるその杖は、確かに元になった神器を天使武器と呼ぶ人間がいるというのも頷ける造作だ。
「…綺麗だな…。アイリスに、似合ってる…」
はらはらと舞う天使の羽根を見つめながら、俺は思ったコトをそのまま口にしていた。
今、この瞬間だけは、自分の姿が少女で良かったと思ってしまう。
素の自分がこんな言葉を言うと考えただけで、明日は大雪だと思うくらいあり得ない。
「…本当…?」
俺の感想に、アイリスは俺を覗きこむようにしてそう訊いた。
「あぁ…。他の誰よりも、たぶんアイリスが似合ってると思う…」
他の誰がこの武器の迷彩を使用していようとも、まるで本物の天使のような愛らしい少女のアイリスには絶対に敵わないと、俺は勝手に確信する。
自分がアイリスの立場でこういう褒められ方をすれば、照れるか恥ずかしがるだろうと思うが、目の前の少女はまだそんな年齢ではないだろうと思う。
素直に俺の言葉を受け取って、笑ってくれたらいいのにと、少しだけ下心を込めて笑いかける。
「…そっか…。良かった。……ありがと」
アイリスは、俺の思惑通り、笑顔を浮かべた。
俺の望んだような、はにかむような笑顔ではなく、とても透明で仄かな笑み。
笑っているのに泣いているんじゃないかと思うくらい、綺麗な笑顔だった。
弾むような声でも、恥じらうような声でもなく、僅かに安堵の混ざる静かに噛みしめるような、そんな声で。
消え入りそうなありがとうという言葉は、たぶん高台の他の3人には、届いていない。
俺はただ、笑って欲しくて、本当に綺麗だと似合っているんだと伝えたくて、口にした言葉だったハズなのに、彼女を傷つけてしまったのではないかと、後悔の念が押し寄せてくる。
こんな顔をさせたいと思ったワケじゃない。
「…ねぇ…オルフェは…本当に戦いたい…?」
俺が何と言ってアイリスの表情を変えるかと考えていると、当の本人からそう問いかけられた。
俺を見ずに、視線を地面に落とした彼女が、今、どんな表情をしているかは、解らない。
どうして、今、そんなコトを聞かれたのかも、俺は実のところ解らないのだが、ソレでも彼女にとっては何か大事なコトなんだろうという程度は察せられた。
「…俺は…」
何と言えば、イイのだろう。
戦いたいのかと聞かれれば、答えは否だ。
ソレでも、俺はこの世界で戦わなければいけないと、思う。
それに、目の前の少女を守るコトが出来るのなら、戦いたくなくても戦う方を選ぶだろう。
果たしてその想いを、素直に言ってもイイのだろうか。
「…戦うよ」
何と言っても、正解じゃない気がした。
だから俺は、そっと目の前の少女を引き寄せて、優しく抱きしめる。
別にソレで想いが伝わるなんて、思っていない。
でも、何故だろう。
今は、ただ、そうしたいと思ったのだ。
「…戦うのは…怖い、よ…」
ポツリと、俺の腕の中で小さな少女は今にも消えそうな声でそう言った。
こんな小さな子供なのだから、怖くて当然だろうと、俺は抱きしめる手に力を込める。
「俺がちゃんと覚えて、守ってやるから…」
怖い思いなど、させたくないのだ。
「…うん…そうだね…オルフェなら、きっと守ってくれるね…」
どこか(かげ)(はら)む、小さな呟き。
幼い少女に似つかわしくない、暗い笑み。
この瞬間、俺は自分自身に誓うと決めた。
絶対に、この少女だけは護ろうと。
たぶん、ソレがこの世界に俺が在る理由だ。
哀しいくらい大事な相手に似ている、幼い少女。
俺の力が及ばなくても、それでも絶対に護ってみせると、決めた。
「…2人とも、そんなところにいたら、またモンスターに襲われるぞ?」
頭上から、ジークの苦笑交じりの声が振ってくる。
そういえば、彼らもいたんだったと、俺は自分の言動を思い出し、急に恥ずかしくなった。
「煩いっ!元はと言えば、貴様らが率先して助けに降りないからだろうが!」
だから俺が動いたんだろと、八つ当たり気味に叫んで、気恥ずかしさを紛らわせる。
「別に無傷なんだから、そんな怒らなくてもイイじゃん」
俺がわざと軽口で言っていると、たぶん気付いたのだろう、ジークが明るく抗議を返す。
「怖い思いをさせたら可哀相だろうが!こんな子供なんだぞ!」
襲われる恐怖は、俺でも分かる。
何せこの世界に飛ばされたその日のうちに、侵食された【原生種】に襲われたのだから。
「…大丈夫…コレくらいなら、アイリスは怖くないよ…」
腕の中で、微かに笑う気配がして、俺は目を瞬かせると幼い少女を覗きこんだ。
ソコには、先ほどの翳を感じさせる様子は完全にない、年相応の可愛らしい笑みを見せるアイリスの姿がある。
「そうだろう。お前は躊躇いなく杖でぶん殴るくらいだからな…」
むしろその豪気さが怖いと、ローゲが苦笑で応じた。
「…サーチアンドデストロイって…先生が…言ったから…」
あははと小さく笑って、アイリスはそう言って俺の腕の中から抜け出す。
手にしていた大きな杖を一振りしたかと思えば、杖の姿が完全にかき消える。
「…消えた?」
ぱちくりと目を瞬かせ、俺は幼い少女の手をまじまじと見つめた。
そう言えば、杖は最初から持っていたモノじゃなく、原生生物に襲い掛かられた瞬間にドコからか現れたという事実に、今更ぶち当たる。
「装備切り替えて解除しただけだよ。オルフェも、慣れたら出来るようになるから、大丈夫」
消したワケではなく、収納されただけだとアイリスは笑う。
「…色々と俺の知る法則を無視してる気がするんだが…」
一体、あの大きな杖はドコに消えてドコから出てくるのかと、ただ首を捻るしかない。
青色の残念な豆ダヌキ…もとい猫型ロボットの四次元なポケットのようなモノが存在するのだろうか。
「ソレも含めて、ちゃんとレクチャーしてあげるね。あの3人じゃ、オルフェの特性を引き出すなんて無理みたいだし」
楽しそうに笑いながら、アイリスは俺の手を引いて高台へと向かっていく。
「オマエなら引き出せるって言うのかよ」
目は笑っているが、不貞腐れたような表情と声音を作ってジークがそう言った。
「出来るよ。アイリスは、オルフェの1番のファンだからね」
アイリスは、妙に自信たっぷりに、やはり俺にとっては理由の解らない信頼を向けてくれる。
「…そうか、コンダクターのクラス武器は、タクトだけではなかったからな…。確かに、それならばアイリス以外誰も教えられなかろうな…」
合点がいったと手を打ったのは、ニコラだった。
彼にはアイリスの言葉の真意が理解出来たらしい。
「やっぱり、結局、こういうオチになるんだよな…」
やれやれとため息を零しながら肩を竦めたのはローゲだった。
緑の溢れる高台、澄んだ空気に高い空。
異世界の時間は、どこか和やかにゆったりと進んでいく。
俺がちゃんとこの世界で1人前になるのは、たぶんまだまだ先なんだろう。
ソレでも、アイリスやみんなが笑っていてくれるなら。
元の世界に戻れるのは遅くなるかもしれないが、ソレでもイイかもしれないと少しだけ思った。
作者:彩華
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