Moment

「説得に必要なのは、気合と情熱だそうだ」
 唐突に降ってきたアルトの声に、アレクサスは読んでいた本から顔を上げた。断りもなく向かいの席に腰を下ろした娘を見やり、訝しげに目を細める。
「……ディーナ。唐突に何の話だ?」
「シャナンの持論だ。敵兵の説得は、気合と情熱があれば充分らしい」
 そう言うと、娘は口元に拳を当て、くつくつとひどく楽しげに笑った。肩が震えるたび、高い位置で結わえられた長い薄紫の髪が揺れる。
「なるほど、あのバカの考えそうなことだ。……それで?」
 本のページを押さえながら、頬杖をついてアレクサスが問いかける。
「そこまで言うのなら、城の一つも陥としてみせろと言ってやった」
 笑いながら告げられた言葉を、一瞬信じることが出来なかった。だが、眼前の娘は冗談の類は一切口にしない。それゆえに、余計驚いた。
 ずれ落ちた眼鏡をかけなおすこともせず、彼は溜息を漏らす。そこに滲むのは、僅かの同情と多分の呆れ。
「それはそれは。死神殿も意地の悪いことを仰ったものだ。あのバカにそんなことが出来るはずもなかろうに」
 頭を振って呟いたアレクサスに、しかしディーナは愉悦を浮かべたまま口を開いた。
「そう思うだろう? だが、実際に城を陥としてきたよ。ヤツの言うところの気合と情熱で、な」
「前々からバカだと思っていたが……よもや本物のバカだとはな。普通は冗談として流すだろうに、まさか実践するとは」
「まぁ、シャナンは賢明とは言い難いがな。だが、大物になるかもしれんぞ?」
 にやりとくちびるを吊り上げるディーナに、アレクサスは懐疑的な眼差しを送る。
「本気で言っているのか?」
「ああ、本気だとも。普通の人間ならば、口に出しても実行はしまい。お前の言ったとおり、冗談として流し、言い逃れるだろうよ。だが、ヤツはやってのけた。たとえどれほど愚かしい行為であったとしても、その功績は正当に評価せねばなるまい?」
「功績に対する正当な評価、それに異論はないがね」
 呟いて、アレクサスは大きく溜息をつく。そこで、不意に気がついた。氷の死神と称されるディーナ・ホノリウス(このむすめ)が、いつになく饒舌であることに。それほどシャナン・ウィードが為したことは彼女のお気に召したらしい。
 口角を吊り上げると、アレクサスは押さえていたページに栞を挟んで本を閉じた。シャナンが戦果を挙げたことといい、ディーナが上機嫌なことといい、普段ならば考えつかないことが起こっているのだ。それならば、いつもは時間の無駄と一蹴する雑談に興じるのも悪くはあるまい。
「……それで? 死神殿はあいつの持論を支持するのか?」
「いや、しないな」
「では、どうすると?」
 そう尋ねると、焔の色の瞳が愉悦を含んで輝いた。
「すべてを、薙ぎ払う」
 吐息と共に囁いて、指先が左から右へと空を薙いだ。その二つ名(しにがみ)の所以たる大鎌を振るうかの如く。
「立ち塞がる者すべてを斬り捨て、道を拓く」
「その答えは、流石と言うべきかな? 死神殿」
 アレクサスの呟きに、ディーナは薄く笑った。
「私は、ソレ以外の何かを知らないから」
 どこか傷ついたような響きの宿る声に目を瞠る。けれどその言葉を発した娘は、いつもと変わらぬ涼しげな面持ちで行き過ぎる人の流れを眺めていた。
「……戦場で」
 漏らされた呟きに、ディーナは眼差しだけを彼に投げる。
「戦場で、敵として君とまみえたくはないね。死神殿」
 投げられた言葉に娘は驚いたようにまばたき、やがて笑みを浮かべた。
「――私もだ。アステリアの獅子王子」
 愉悦の滲む声音で囁き、ディーナは席を立った。肩越しにアレクサスを見やり、口を開く。
「一時間後に軍議を開始する。遅れるな」
 そう言うと、高く靴音を響かせてディーナは歩き出した。


 娘の背中が完全に見えなくなってから、アレクサスはぽつりと呟く。
「【ソレ】とは何のことだろうね、死神殿? 殺戮? それとも――」

 ――命じられ、盲目的にそれに従うことかい?

 声に出さずに問いかける。彼女の胸元に揺れる神器【ヴィズル】を思い浮かべて。
 神器の所持者、それは運命に選ばれし者。けれど、それは同時に運命に囚われし者でもある。
「彼女は抗うだろうか? それとも、甘受するだろうか?」
 ――神の与え給う、運命を。
 その答えは、まだ誰にもわからない。


 それは激動の時代の中、ほんの僅かな平穏なひとときの出来事。
原文は2004年頃のモノです。
戦記モノっぽいファンタジーが書きたくて設定作ったのはいつだったのか。
コレを思いついた発端は、確かスペクトラルフォースだったかと。攻城戦で、軍師がアドバイスとも言えない一言を語るのですが、熱血系のキャラだと説得で「気合と情熱~」とか言うのです。
シャナンだとそういうこと言いそうだなーと思って。
製作者:篠宮雷歌