勇者と魔王

 それはまさに、寝耳に水の出来事だった。

「……はァ!? ちょっと待て、お前今何て言った!? もう一回言え!」
 一瞬、何を言われたのか理解出来ずに、ルシオンは大声で聞き返した。
 靄のかかったように、ハッキリとしない頭で考える。己が寝惚けて聞き間違えたのだと思いたい。――いや、きっとそうだろう。そうに違いない。
 襲いくる睡魔と戦いながら、ぼんやりとそう思う。
 そうだ、きっと聞き間違いだ。そうでないとすれば、目の前で難しい顔をしているこの男が寝惚けているのだろう。だから、あんな事を言うのだ。

「魔王の居城へ向かうから、その準備をしろと言った」
「ぎゃー! 嫌だ、俺は聞いてない! 聞きたくないーッ!!」
 眉間にシワを寄せて言った親友(ラッセル)の言葉に、ルシオンは耳を塞いで叫ぶ。
「キミが言えと言ったんだろう!? 聞け!」
 ルシオンに負けじと叫びながら、ラッセルは耳を塞いだルシオンの両手を引き剥がしにかかる。
「そんな戯言なんか聞いてられっか! 寝言は寝てから言え! 大体、魔王の居城なんてドコに……って、“魔王”?」
 引き剥がされまいと、耳を塞ぐ手に力を込めながら喚くルシオンは、ハタと我に返った。怪訝そうな面持ちでラッセルを振り返り、呟く。
「そう、“魔王”だ」
 向けられた疑惑の眼差しに、ラッセルはあっさりと頷いた。
「魔王なんていたのか!?」
「いた、と言うか……つい数日前に現れた」
「……数日前かよ」
 ジト目で突っ込み、ルシオンは考える。
 春先となり、ようやく暖かくなりだした今日この頃。変質者が沸いて出たとしてもおかしくはないが……何だってまた魔王を名乗るのか。
「――百歩譲って、魔王がいると認めてもいい。しかし、だ。だからって、何でまた俺が魔王の居城へ行かなきゃなんねーんだよ?」
「それはキミが“勇者”だからだ。ルシオン・ゼーク」
「……ラッセル君? 寝言は寝てから言いたまえよ?」
 さっきから突拍子もない発言を連発する親友の肩に手を置き、諭すようにして言い聞かせる。
「僕は寝惚けてなんかいない」
「そうか。じゃあ病院行ってこい。でなきゃ殺虫剤でも飲んどけ。頭に虫湧いてるぞ」
「失敬な。病気でもなければ、頭に虫も湧いていない。キミが勇者だというのは事実だ。本日付で、国王陛下が任命された」
 憮然として手を振り払ったラッセルの言葉に、ルシオンは頭を強く殴られたような衝撃を受けた。
(――本日付で、国王が俺を勇者に任命した!?)
「ウソだ!!」
 血を吐くような声で叫ぶ。
 国王直々による、“勇者”任命。そんなバカな事があるだろうか?
(まさか……まさかとは思うが……国王の頭にも虫が湧いているのか?)
 知られれば、不敬罪として即極刑になりそうな事を考えるルシオンの前で、ラッセルは背負っていた背嚢を下ろし、中の荷物を広げ始めた。
「これが剣で、こっちが盾。それから鎧と……」
 どこにそれだけの物が詰め込まれていたのか、と思わず問い詰めたくなるほど際限なく出てくる国王下賜の“勇者セット”に頭が痛くなってくる。
「もうイヤだ、こんな国……」
 虚ろな眼差しで空を見上げ、ルシオンがぽつりと呟いた。そんな彼の呟きに気づかぬまま、ラッセルはせっせと“勇者セット”を取り出してはその解説をしている。
 どこか普段よりもイキイキとしているラッセルを眺め、もう一度呟く。もうイヤだ、こんな国。
「……亡命、するかな……」
 考えている事がそのまま口に出ている事に気づかぬまま、ルシオンは力なく呟く。
 そうだ、亡命しよう。最近、どこぞの帝国が内部分裂で倒れて小国が多数興ったと聞くから、そのうちのどこかに。いや、いっそどこか遠い国で羊飼いになるのもいいかもしれない。
「騎士になんて、なるんじゃなかった……」
 虚ろな眼差しのまま真剣に人生再建計画を練っていると、どうやらそれで打ち止めらしい“勇者セット”をラッセルが取り出した。
「――ドラゴンだ!」
「……って、ちょっと待て――ッ!?」
「うん? どうかしたか?」
「いや、どーしたもこーしたも……」
 不思議そうな顔で聞き返すラッセルに、本気で頭痛を覚える。
「なんで、ドラゴン……?」
 どこからツッコミを入れるか迷い、とりあえず一番疑問に思った事を訊いてみる。
「乗騎だ。勇者に与える名馬がなかったため、その代わりにと陛下が」
(何故馬がなくてドラゴンがある)
 一瞬そう突っ込んでやろうかとも思ったが、ドツボにはまりそうな気がして思い直す。
 溜息をついてドラゴンを見上げると、首輪を着けられ、困りきった様子のドラゴンと目が合った。
『お互い、苦労しますね』
 そんな声が聞こえた気がして思わず泣きそうになり、ルシオンは慌てて空を見上げた。
(――遠い場所にいる、母さん)
 流れる雲を目で追いながら、心の中で語りかける。
(俺は、選択を間違えたのかもしれません)
 建国からの歴史も長い事と、ここ数十年は戦争もなく安定しているからという理由でこの国に仕官したのは間違いだったのだろうか。何が哀しゅうてドラゴンと苦悩を分かち合わねばならんのか。

「――次! どうして俺が勇者に任命された?」
 どこにいたんだとか、何で手綱じゃなくて首輪なんだとか、いやそもそもソレ今背嚢から取り出してなかったかとか。色々と突っ込んで聞いてみたい事は山ほどあるが、やっぱり聞けば後戻りは出来そうにないので無難な質問をぶつけておく。
「それは陛下に聞いてくれ。僕はただこれらの品を届けるよう命じられただけだ」
 溜息交じりのラッセルの言葉に、それも尤もだと頷く。たかが使い走りの下級騎士に詳しい事情が説明されるわけがないだろう。――尤も、年中頭がお花畑な この国の上層部の事であるから、ついうっかり重要な事を口走っていたりしそうなのだが、疑ってかかればキリがないのでそれは横に置いておく。
「えーと……それじゃあ次。魔王って誰だ? 居場所が判明してるんだし、名前くらいはわかってるんだろ?」
「……リディア。それが、魔王の名だ」
 ルシオンの問いに僅かに躊躇ったあと、ラッセルは視線を逸らして呟くようにそう答えた。
 リディア。女の名前としてはありふれたものだ。しかし、その名はルシオンにとっては忌まわしい一つの記憶を呼び起こした。忘れたいと願い、封印していた記憶。
「まさか……リディア・ハウゼンなのか!?」
 血相を変えて叫んだルシオンに、ラッセルは重々しく頷く。
「嫌だ! 断る!! 俺はあの女に二度と関わりたくはないッ!!」
「何を言う!? キミは勇者だろう! 魔王を倒しに行け!!」
「それはもっと願い下げだ! 俺は地位も名誉も妙な称号も欲しくないッ! どこか遠い国で、ひっそりと羊を飼って暮らすんだぁ――――!!」
 泣きそうな声で叫ぶルシオンを押さえつけるようにしながら、ラッセルもまた叫ぶ。
「勇者にそんな我が侭が許されると思っているのか!?」
「だから! 俺は勇者になんてなりたくはないんだよッ!!」
 大真面目にボケをかますラッセルを全力で殴り飛ばし、ルシオンは魂の叫びを放つ。
「なぜ、こんな名誉な事を嫌がる!?」
「名誉だと思うなら、お前が勇者になりやがれ――ッ!!」
 一瞬で復活したラッセルに、渾身の回し蹴りを叩き込む。今度こそ、ラッセルは地面に倒れ伏した。





「とりあえず、状況を整理しよう。なぜキミはそう頑ななまでに勇者となる事を拒む?」
 何事もなかったかのように起き上がり、ラッセルが問いかけた。
「俺は、お前のその生命力が一体ドコから来ているのかが知りたい……」
 まったくもってダメージを受けていないらしいラッセルの様子に、脱力してルシオンはその場に座り込む。
 ふとゴキブリの姿が浮かんだ。叩いても潰せない。潰しても殺せない。まさに、今のラッセルがそんな感じと言えるだろう。
「……俺としてはだな、“勇者”云々以前に、リディア・ハウゼンに関わりたくはない。だから、結果的に“勇者”になるのもお断りだ」
 ぐったりとうなだれたまま、ラッセルが納得してくれそうな理由を挙げる。本心としては、“勇者”などという厄介な二つ名を冠されるのは迷惑極まりない話だが、バカ正直にそれを言えばさっきのようにラッセルが暴れて手がつけられない(バーサーク)状態になるので黙っておく。
「……まあ、彼女のトラブルメーカーぶりを鑑みれば、キミの気持ちもわからなくはないのだが……」
 頷きながら答えたラッセルに、ルシオンはふっと遠い目をした。
(“アレ”はトラブルメーカーとかそういう次元じゃないと思うが……)
 忌まわしい記憶が脳裏をよぎる。
 リディア・ハウゼン。名家の令嬢であり、彼らの幼馴染みでもある娘。大変愛らしい外見を持つが、しかしその実態は恐るべき災厄の固まりだ。とんでもない事を思いついては、それを実行に移す。そして大概被害に遭うのはルシオン一人だった。
 瑣末な事まで数え上げたらキリがないが、軽く死にそうになった回数は両手では足りないくらいだ。
 畏怖と警戒の意味を込め、ルシオンは彼女の事をこう呼ぶ。
 ――災厄の権化、と……

 虚ろな眼差しで宙を見上げるルシオンを真っ向から見据え、ラッセルは真面目な顔つきで口を開く。
「とりあえず、これだけは言っておこう。ルシオン。キミが行かなければ、彼女の方から出向いてくる。そして……」
 そこで一度言葉を切り、ルシオンの瞳を覗き込む。

魔王討伐(これ)は、勅命だ」

「ちょく……っ!?」
 予想だにしない言葉に、ルシオンは凍りついたように動きを止めた。
 よりにもよって、勅命。拒否権はなく、逆らったならば即極刑。まさに前門の(まおう)、後門の(ちょくめい)
(やはり、亡命しかないのか……!?)
 魔王討伐に向かうフリをして脱国するか? いや、しかしこの調子だとラッセルがついてきかねない。どうすればラッセルを振り切れるだろうか……?
 蒼褪めた顔で思考をめぐらすルシオンに気づいているのかいないのか、おもむろにラッセルがルシオンの肩に手を置いた。
「そんなワケで、世界の平和はキミの双肩にかかっているんだ」
 大真面目な口調でそう言うと、思考が飽和状態に陥って立ち尽くしているルシオンに手際よく“勇者セット”を装備させていく。

 ――諦めて生贄になってくれ。そうしたら、僕には被害が及ばない。

 言外にそう言われたのだと気づいた時には最早遅く、ルシオンは竜の背に乗せられて空の上にいた。
「任せたぞ、ルシオン! 健闘を祈る!!」
「任すなッ! あとで覚えてろぉ――――!?」
 ばっさばっさと高速で飛んでいく竜の背から、眼下のラッセルに向かって絶叫する。


 そういうわけで。俺は迷惑千万な遊びを思いついたらしい幼馴染みをしばき倒しに行くハメになったのだった。
かなり前に書いた文章の改訂版。最早何も言いません。というか、何も言えません。
とりあえず、アホ度は当社比五割り増しくらいです。多分。
自分で設定しておきながらアレですが、ある日突然勇者に任命されるような国なんてイヤすぎると思います。もし自分がそういう立場に立たされたら、まず間違いなく亡命します。

思いつきのままに突っ走る令嬢と、キレると何するかわからない暴走野郎と、苦労性(貧乏くじ体質?)。一堂に会せばまず間違いなく三段オチになるであろう連中です。
機会があれば続きを書いてみたい連中ではあります。――ネタを思いついたなら。
今更気づきましたが、全員名前がラ行だ…
製作者:篠宮雷歌