鮮赤のメシア 終章

「二人とも帰ってこないね」
 テーブルに頬杖をついたスヴェンが不意にそうつぶやいた。
 彼がいるのは、討伐士協会ミロディ支部のエントランスホールだ。アルヴィーンとディーが旧坑道へ向かってからというもの、彼は一日の大半をこの場所で過ごしていた。ハンスが極度の方向音痴であることを知ったスヴェンが、旧坑道と街の行き来に案内役が必要だろうとかなり強引に押し切った形である。
「もうあれからだいぶ経つのにさ」
 どこか拗ねたようにつぶやく少年に苦笑すると、ハンスは彼の前に紅茶の入ったティーカップを置いた。自分の分を持って正面のイスに座る。
「たしかに、ちょっと遅い気はしますね」
 二人が出発してからおよそ一週間以上が経とうとしていた。探索が長期に(わた)るような場所ではなかったし、そのつもりもなかった。そもそも頭数が足りていないので長期探索ができるとは思えなかった。そのため用意した食料などは数日分の量でしかない。
 危険を感じれば即座に引き返してくる、そういう条件でハンスは二人を見送ったのだから。
「二人に何かあったわけじゃないよね……?」
 両手でカップを抱え込み、スヴェンが上目遣いにハンスを見上げて問いかけた。
「……大丈夫だと思いますよ?」
 一瞬、答えるのが遅れた。揺らいだ声に、自身の不安が現れていることに気づいてハンスは顔をしかめる。留守を任されているというのに、何という体たらくだろうか。
 しっかりしろと自分に活を入れると、大丈夫ですよ、とわざと明るく言い直した。
「アルヴィーンさんは強いですし、ディーさんだってそうです。あの二人がそんな簡単にやられるわけないですってば」
 ね? と問いかけると、少年はようやく笑みを浮かべた。
「そう……だよな……大丈夫だよな、きっと!」
 少年の言葉にうなずこうとしたその時、ドアを叩く音が響いた。吸い寄せられるように二人の視線がドアへと向かう。
「帰ってきたのかな!?」
 嬉しそうな少年の言葉に、ハンスは返す言葉をとっさに見つけられなかった。坑道の入り口は封鎖しており、そしてその鍵はハンスが持っているのだ。普通に考えれば二人であるはずがなかった。かと言って、街の人間がここを尋ねてくるとは思えない。それでは、一体誰がドアを叩いたのだろうか?
 眉を寄せ、どこか不安げにも見える顔つきでハンスがドアを見つめていると、再びドアが叩かれた。
「はーい!」
 元気よく返事をしたスヴェンが、止める間もなくドアを開けた。その向こうに並ぶ藍色のコートの集団を目にして驚いたように大きく目を見開く。意味のなさない言葉を呻きながら、じりじりとにじるようにして彼はドアの前から離れようとする。
 引き()った顔で自分を見上げる少年に一瞥(いちべつ)をくれると、金髪を撫でつけ、一分の隙もなく討伐士の制服を着こなした男がエントランスへと踏み込んだ。背負っていた集団はそのまま外に留め置き、ドアを閉める。
 男の顔を見たハンスは、驚きに思わず声を上げた。
「ヴォルターさん!? どうしてここに!」
 その声に、男がハンスの方へと顔を向けた。切れ長の黒目が(すが)められる。
「デーメルか。私は陣頭指揮に駆り出されてここにいる」
 そう答えると、男は体の後ろで腕を組み、ビシリと姿勢を正した。
「ヴォルター・リッケン特級討伐士、討伐隊並びに支部運営の人員を率い、ミロディ支部に着任する」
 それが儀礼だとでも言わんばかりに声高に宣言すると、ヴォルターは睨むようにして室内に視線を巡らせた。一周してハンスの上に視線を留めると、地を這うように低い声で問いかける。
「カルツはどうした?」
 怯えたように少年が壁に張り付くのを視界の端に捉えながら、ハンスは姿勢を正した。萎縮(いしゅく)しそうになるのを叱咤して声を出す。
「アルヴィーンさんは、異形が潜んでいると思われる坑道に調査に入っています!」
「……一人でか?」
 じろりと睨まれたハンスの喉から、ひっと情けない悲鳴が漏れる。――ウワサには聞いていたけど、この人怖い。
「ディーさん……ミロディ市長が雇った討伐士と一緒です!」
 そう言ったあとで何でも屋だったと思いだしたが、訂正することはできなかった。ハンスの言葉を聞いた瞬間、ヴォルターの顔つきが非常に険しくなっていたからだ。
 何かまずいことでも言っただろうかと慌てるハンスには取り合わず、ヴォルターは剣呑(けんのん)な目つきのまま宣言した。
「明朝、その坑道に突入する。準備を怠るな」
 それだけを告げると、ヴォルターはハンスに背を向けて歩き出した。ドアを開けて屋外へと出る。おそらく外で待たせていた討伐士たちにも同じことを言いに行ったのだろう。
 思わず床にへたり込んで大きく息をついたハンスのそばにスヴェンが近寄る。
「な、なぁ……さっきの人、ディーの名前に露骨に反応してなかった?」
 ディーってそんなに有名なのかと問いかけてきた少年に、どうなのだろうかとハンスは首を傾げる。ディーという名の討伐士なんて、協会本部でも聞いた覚えはない。ヴォルターが反応したとすれば、【市長に雇われた討伐士】というところではなかろうか。そう考えて、おや、とハンスは首を傾げた。
「そういえば、初めてディーさんに会った時、アルヴィーンさんが妙な反応してたなぁ……」
 彼女を見て、ひどく驚いていたように思う。あれは一体どういうことなのだろうか?


         ◆


 翌朝、ハンスはヴォルターが連れてきた部隊と共に旧坑道へと向かった。本音を言えばヴォルターに同行したくはなかったのだが、帰ってこない二人のことが心配で坑道へ向かうことを決めた。スヴェン少年のすがるような眼差しに負けたと言うのが正しいところなのかもしれない。
 道なりに坑道を進んでしばらくすると、一行はおびただしい数の銀狼の死骸と遭遇した。どの死骸も頭部が切断され、斧と思しき刃物で胸部を破壊されている。
 それらをうっかり直視してしまったハンスは、口元を押さえて顔を背けた。吐きそうだが、それを訴えるとヴォルターに怒られるような気がする。むしろ呆れられるだろうか。
 涙目になりながら吐き気をこらえるハンスの耳に、色めき立つ討伐士たちの声が届いた。
「何なの? この死骸の数。こんなの見たことない」
「これを二人で倒したっていうのか!?」
「――まさか、そんなことは。銀狼とは言え、この数だぞ?」
 驚愕に満ちたこれらの言葉にハンスはうなずく。確かにこの数をたった二人で倒しただなんて、にわかには信じられないことだ。
 しかし、一人離れた場所で腕を組んで死骸の海を見下ろすヴォルターの顔には、他の討伐士たちとは違って何の感情も浮かんではいなかった。それに違和感を覚え、ハンスはそっと彼に近寄った。
「……驚かないんですね」
 隣に立って囁いたハンスに一瞥をくれると、ヴォルターはまた死骸へと視線を戻す。
「あの二人ならば、できない芸当ではないからな」
 驚くに値しないとヴォルターはつぶやく。その言葉に、ハンスは思わず声を上げた。
「ディーさんを知っているんですか!?」
「私の予想が正しければな」
 そうとだけ答えると、ヴォルターは討伐士たちの元へと向かった。部隊の三分の一ほどを集めると、彼らに死骸を外へと運び出して焼却するように命じる。すでに死骸は処理されているとは言え、暫定的な処置に過ぎない。異形の二次発生を防ぐためにも、焼却して確実に処分する必要があった。
 彼らを残して更に先へと進むと、地図にはない分岐路に差し掛かった。ヴォルターは部隊を二つに分けると、正規の道の探索を部下に任せた。自身は地図に載っていない横道へと進む。何も言われなかったので、ハンスはヴォルターと共に横道へと進んだ。
「デーメル」
 足を止めぬまま唐突に名前を呼ばれ、ハンスの心臓が大きく跳ねた。上擦った声で返事をしてヴォルターへと顔を向ける。
「君の目から見て、ディーという討伐士はどんな人間だった?」
 前を見据えたまま問いかけてきたヴォルターが何を考えているのか、その横顔から推測することはできなかった。だからハンスは戸惑いながらも、ただ聞かれたことに答える。
「強い人でした」
 剣の腕が、というだけではない。意志の強い女性だと感じた。自分が正しいと感じ、信じたことは絶対に曲げない頑固さがあったと思う。
「だけど、何ていうか……すごく危なっかしい人に見えました」
 一つの物事だけをまっすぐに見つめすぎて、他のことが目に入らない。そんな危うさも感じた。
 ハンスの言葉に、なるほどとヴォルターがうなずく。
「私が知る彼女もそうだったよ」
 そう告げた横顔は、どこか優しげに笑っているように見えた。


 しばらく進むと、大きな部屋に辿り着いた。天井に設置された照明がたくさんの本棚を照らし出す。
 部屋の中央に据えられた長机の上には一冊のノートが置かれていた。その表紙にハンスは見覚えがあった。長机に近寄ってノートを手に取ると、中身を確かめる。
 予想通り、それはアルヴィーンが自身の行動を記録し、協会本部へ提出する報告書を作成するために使っていたノートだった。
 ページをめくると、ハンスは今回の案件に関する記述を探した。求めるのは、彼らが坑道に入った後の記述だ。
 目的のページはすぐに見つかった。ミロディ支部の討伐士たちは旧坑道に突入して全滅したのではないかということ、銀狼の群れに遭遇したこと、地図には記載されていない道を発見したのでそちらの探索を行うこと、脇道の奥で研究施設を発見したこと――推測を交えつつ、彼らが取った行動が二つの筆跡で記録されていた。一つは豪快で癖の強い、アルヴィーンの筆跡。もう一つは流麗な、恐らくディーの筆跡。
「……それは?」
 訝しげなヴォルターの声に、(むさぼ)るようにノートを読んでいたハンスはハッと我に返った。
「あ、えと……アルヴィーンさんの行動記録帳です」
 そう答え、今回の件に関する記述の最初のページへと戻して差し出す。ノートを受け取ったヴォルターはそこに記載された内容へと視線を落とし、その眼差しを険しくした。矢継ぎ早にページがめくられる。
 記述の最後まで目を通すと、ヴォルターはノートを閉じた。小さくうなずき、それを自身の荷物へと収める。
 部屋の調査を討伐士たちに命じると、ヴォルターはハンスと数名の討伐士を伴って奥へと向かった。
 そこには部屋を埋め尽くすほどの数のガラス製の器具が並んでいた。床にはその器具が破壊されて落ちたのだろう、ガラス片が散乱している。恐らくこれがノートにあった研究施設だと思われた。
 時折周囲に目を向けながら器具の間を歩いていたヴォルターだったが、不意に足を止めた。腰に吊ったホルスターから拳銃を引き抜き、前方へと向けて構える。彼に僅かに遅れ、闇の中にうずくまる何かの影を認めた他の者もそれぞれ武器を構えた。
 だが、当のヴォルターが構えを解いた。悠然とした足取りでそちらへと歩み寄る。
「問題ない、すでに死んでいる」
 振り返ってそう告げたヴォルターの足元には、頭部を切断された獣の死骸が横たわっていた。その横には、黒ずんだ丸い物体がいくつも転がっている。よく見ると、周囲には同じように首のない死骸が複数存在した。
「……ふむ。この部屋にある死骸は頭部が焼かれているな。例の新種とやらか?」
 しゃがみ込み、床についた(すす)を指先でなぞりながらヴォルターがつぶやく。死骸の処理のために頭部を切断することはあるが、その後頭部だけ(、、、、)を燃やすなどということはしない。焼却するのなら、死骸すべてを燃やさなければ無意味だからだ。となれば、ノートに記載があった、ここで研究されていた新種の異形であると考えるべきだろう。
「これは本部に持ち帰って研究班に引き渡す必要があるな」
 ヴォルターがそう独りごちて再び死骸に目を落としたその時、何かが転がるような音がした。質量のある物が壁などに激突したような音がそれに続く。
 何事かと思ってそちらへと視線を向けると、板状の何かを持ったハンスが床の上にひっくり返っていた。
「……何をやっている、デーメル」
 自らに向けられた冷ややかな声と刺すような眼差しに、ハンスは上げかけた悲鳴を飲み込んだ。手にしていた板を放り捨てると、慌てて立ち上がる。
「あの、奥の方を調べていたらドアみたいなのを見つけてですね……。開かないかなって引っ張っていたら、その……」
「引っこ抜けて転がった、と?」
 ヴォルターの言葉はあくまでも確認のためであり、別にハンスを責めているわけではない。それを理解はしているものの、ハンスはうつむいた。言葉に出されると、何だか自分がものすごく子どもじみたことをやっているような気がして恥ずかしくなってくる。いっそのこと、アルヴィーンのように笑い飛ばすか叱責された方がまだマシに思えた。
 地面に落とした視線が足元をさまよい、開いた穴の向こうへと辿り着く。光が差し込んでくるその向こうには青々とした草が茂っており、その中に棒状の何かが転がっているのが見えた。
 妙な不自然さを感じさせるそれに見覚えがあるような気がして、ハンスは首を傾げた。穴の前に膝をつくと、手を伸ばしてそれをこちら側に引き入れた。近くで確認したそれに、ハンスは目を見開く。
「これ、アルヴィーンさんの……!」
 それはアルヴィーンが愛用していたハルバードだった。外側から何かに結びつけていたのだろうか、柄の部分に紐のようなものが絡みついている。
「どうやらそれでドアを固定していたようだな」
 ヴォルターが拾い上げたドアの一方には、ノブのところに同じ物と思しき紐が絡んでいた。
 ヴォルターはドアを脇に置くと、口を開けた穴へと近寄った。頭を出して外を見やると、ここからさほど遠くない場所に街の外壁があった。
 背の高い草が一面に茂って海原のようになっている中、踏まれでもしたのか草が折れて一筋の道ができている箇所がある。それを目で追っていくと、どうやら街道へと続いているようだった。
 頭を引っ込めて立ち上がると、ヴォルターはハンスの方へと振り返った。
「おそらくカルツたちは異形を倒したあと、ここから外へと出てドアを封じたのだろう」
「ちょ、ちょっと待って下さい。それじゃ、二人は自分の意志で姿を消したってことですか!?」
 一体何のためにと声を荒げたハンスに、そんなものは知らんとヴォルターは素っ気なく答える。
「先に内部に突入したはずの二人はおらず、死体や異形に喰われたような痕跡もない。別働隊が何か発見していれば話は別だが、現在の状況ではそうとしか判断できん」
 混乱するハンスを見据えると、殊更(ことさら)ゆっくりとヴォルターは告げた。
「アルヴィーン・カルツはこの坑道内に巣くう異形を殲滅した後、ユーディット・ヘルマン(、、、、、、、、、、、)と共に姿を消した」
 そういうことだ、と言われても、ハンスにはちっとも理解できなかった。どうしてその名前がここで出てくるんだろう、と靄のかかったようにぼんやりした意識の中考える。ユーディット・ヘルマン――【鮮赤のメシア】の二つ名で呼ばれた討伐士の名前が。
「どういう、ことですか……? ディーさんが、ユーディット・ヘルマン……鮮赤のメシアだったんですか……?」
 混乱しすぎて頭が痛い。呼吸すらもうまくできない。ぐるぐると視界が回って気持ちが悪かった。それでも、ハンスはどうにか顔を上げてヴォルターを見る。
 問いかけるようなその眼差しに、ヴォルターが重々しくうなずいた。
「最近は丸くなったとは言え、カルツがおとなしく従うのはヘルマンくらいのものだ。カルツがヘルマンに危害を加えるようなことは絶対にないし、その逆もまた同じくだ」
 ならば、あの二人が結託したと考えるべきだろう、そうヴォルターは語った。
「どうして、そんなことを……?」
 とうとうへたり込んでしまったハンスを見下ろし、ヴォルターは小さく(かぶり)を振る。
「そんなもの、当人たちを見つけて訊くしかないだろう」
 もっとも、それができればの話であるが。言葉には出さぬまま、ヴォルターはそうつぶやいた。

この作品の原型は、覚えてないほど遥か昔に書いた同名のSSでした。
稚拙極まりない作品でしたが、不思議と思い入れだけはあったのでどうにかならないものかと叩き直した結果が当作品となっております。
好き放題やった結果、相当な鬱展開になりました。
ここまでお付き合いくださったあなたが、少しでも楽しんでいただけたならば幸いです。
製作者:篠宮雷歌