スクールウォーズ 9

「えー、今日は来月の球技大会のチームを決めたいと思います」
 その日の終わりのホームルーム、桐生がそんなことを告げた。
「競技は例年通りバレーボールとなります。クラス対抗だから各クラスから一チーム、これに加えて各学年ごとにクラスの垣根を越えて作られた学年選抜チームと、教師チームの合計十六チームでトーナメント戦を行います」
 そこまで一息に説明し、桐生はニヤリと笑みを浮かべた。バン、と教卓に手を叩きつけ、
「男女どちらかのチームが優勝できればジュース、もしも両方優勝できれば焼き肉おごってあげるわよ!」
 その言葉に、わっと歓声が上がった。マジ? 桐生先生太っ腹!
 俄然盛り上がる生徒たちを一瞥し、ただし、と桐生は付け加える。
「あたしは教師チームに加わります。このあたしを簡単に倒せるとは思わないことね」
 どこか得意げなその言葉に、教室中から一斉にブーイングが起こる。ちょっとは手加減してくれよ、先生。
「手加減してもらってご褒美もらおうだなんて、考えが甘いのよ」
 そう鼻で笑い、桐生はもう一度教卓を叩く。
「はい、それじゃ今から紙を配るから、学年選抜かクラスチームか、あるいは応援か、希望のところに名前書いてね。運動部は赤い紙、それ以外は白い紙に記入すること。それじゃ、五分経ったら回収するから、今だけは私語を許すわよ」
 言いながら紙片を配ると、桐生は教卓のところに置かれたパイプイスに腰掛けた。私語を許す、という言葉に、生徒たちがめいめい友人同士で集まって相談を始める。
 回ってきた紙に目を落とし、どうしたものかと望美が考えていると不意に影が落ちた。
「貴方はどうするの?」
 そんな問いかけが降ってきて顔を上げると、小百合がわずかに首を傾げてこちらを見下ろしていた。その横には千恵の姿もある。
「せっかくなので参加したいと考えています。お二人はどうなさるのですか?」
「私も参加の予定かな」
 小百合ちゃんは、と水を向けられた小百合は思案げに腕を組んだ。むぅ、と眉を寄せる。
「正直、面倒くさいから応援に回ろうかと思ってたんだけど……そうか、二人は参加予定なのか」
 どうしようかなぁ、と天井を見上げる。
「せっかくだから小百合ちゃんも参加しようよ。クラスチームだったら、きっと三人一緒に参加できるよ?」
「わたしも、できればお二人とご一緒したいです」
 二方向からまっすぐに見据えられ、小百合はたじろぐように瞳を揺らした。ややあって苦笑を浮かべる。
「そうね、せっかくの学校行事だし」
「じゃあ……!」
 ぱっと顔を輝かせた千恵に向かってうなずいてみせる。
「私も参加するわ。クラスチームの方に立候補するから、二人もそうしてよ?」
「うん、もちろん!」
 一も二もなく千恵がうなずき、
「はい。楽しみですね、球技大会」
 望美もそう言って笑みを浮かべたのだった。
「はい、それじゃそろそろ席についてー。紙を回収するわよー?」
 ぱんぱんと手を打ち合わせて桐生が注意を促す。それに生徒たちはあわてて自分の席へと戻ったのだった。
「――クラスチームは以上の編成となります。学年選抜チームはくじ引きで決定となるので、放課後忘れずに生徒会室に行くように」
 読み上げられたクラスチームの編成の中に望美たち三人の名前は存在した。
 球技大会のチーム編成は男女それぞれ十二人となり、このうち半数までが運動部の参加が認められる。人数制限があるのは、運動部ばかりで固めて文化部等の生徒が参加できなくなる可能性を考慮しての規定だと千恵が教えてくれた。
 学年選抜チームも、同じように運動部の人数規制が課されるらしい。
「はい、それじゃ解散!」
 桐生のその言葉を合図に、生徒たちが一斉に教室を出ていく。気迫に満ちた表情の者は、もしかしたら学年選抜チームに立候補した者なのだろうか。そんなことを考えながら、望美も帰り支度をして鞄を手に立ち上がった。


 生徒会室へと向かうと、珍しく机に向かって書類と格闘していた。廊下のところに人だかりができていたところから、もしかしたら球技大会に関するものなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、失礼しますと声をかけて机に向かう。
「……黒崎先輩と中須くんはどうされたんですか?」
 室内にいるのが詩織と薫のみであるのに気づき、望美はそう問いかけた。
 紙片を並べてその内容をA4の用紙に書き写していた薫が顔を上げ、親指でくいと扉を示す。
「あの二人なら、立候補(くじ引き)組だから外にいるよ」
 球技大会のチーム分けで、学年選抜チームに立候補したということらしい。公平を期すため、生徒会役員といえどもくじを引くまで外で待っている決まりらしい。
「在原さん、来て早々に申し訳ないのですが、一年生の分をリストにまとめていただけますか? こちらが運動部、こちらが文化部や委員会に所属する方の分です」
 ペンを置いた詩織が、A4用紙と紙片の入った二つの箱を取り出した。手招きして自分の横に望美を座らせる。
「ここに名前とクラスを記入していってください。運動部の方はこちらの用紙、それ以外の方はこちらの用紙にお願いします。くじを引いてもらった時に当たり外れを記入する欄はこちらになりますので、間違えないようにお願いしますね」
 一つ一つ指をさしながら、やや早口で説明する。わかりましたか、と問われ、うなずいてペンを取る。
 三人とも無言で書類に向かっているため、しばらくはペンを走らせる音だけが生徒会室に響いていた。
 ややあって、薫がペンを投げ出して大きく伸びをする。
「二年の分終了~」
「わたくしも終わりましたわ」
 凝った肩をほぐすように腕を前に伸ばしながら詩織もそう言う。
「在原ちゃんは?」
「すみません、もう少しだけお待ちください」
「大丈夫、急がなくってもいいからね」
「ええ、間違わないことが大事ですわ」
 二人のその言葉にうなずいて、望美は紙片と用紙を見比べながら記入を再開する。
「……終わりました」
 最後に一通り見直したあと、完成した書類を詩織に差し出す。受け取ったそれに目を通し、詩織はにっこりと笑った。
「お疲れさまです。さあ、もう一仕事いたしましょう」
 言いながら書類をバインダーに挟んで小脇に抱え、箸立てと数本だけ先が赤く塗られた竹製の割り箸を戸棚から取り出した。それがくじというわけだろう。
「わたくしがくじを引いてもらいますので、渡瀬さんは生徒の案内、在原さんは結果を記入していただけますか?」
 二人がうなずいたのを見ると、詩織は望美にバインダーと赤ペンを差し出した。自分はくじを手に取る。
 二人の用意ができたのを見計らい、薫が生徒会室のドアを開ける。
「お待たせしました~。今からくじを引いてもらいます。まずは三年生男子からです。運動部の方はこちらに集まってください」
 薫が右手を上げ、左手でメガホンを作りながら生徒を集める。その間に詩織が人数分のくじを用意し、箸立ての中に放り込んでくるくると回す。
「クラスと名前をお願いします。――はい、ではくじを引いてください」
 生徒の整列が終わると、一番前の生徒から順番にくじを引かせ、その結果を詩織が読み上げて望美が記入する。その作業を繰り返し、並んでいた全員がくじを引き終えるのにおよそ一時間がかかった。


「てゆーかさー、生徒会役員が仕事放棄してくじ引く側に回ってるとかどういうことー?」
 くじ引き作業とそのあと片づけを終えて全員が揃った生徒会室で、薫がどこか恨めしげな声を上げた。じっとりとした眼差しで恭二と悠を見据える。
 当の二人はといえば、それぞれ対照的な表情を浮かべていた。恭二は悪びれずに笑みを浮かべ、一方の悠は申し訳なさそうに顔をうつむかせる。続く言葉もひどく対照的だった。
「いや、悪い悪い。いつもはクラスチームに入るんだが、今年はちょっと魔が差してな」
「すみません、生徒会役員は学年選抜に立候補してはいけないとは知らなかったもので……」
 恭二はどこまでも悪びれず、悠はひたすらに萎縮する。その様子に詩織が大きくため息をついた。
「別に悪いとは申しませんわ。学年選抜チームに立候補してはいけない決まりもありませんし」
 ただ、あらかじめ一言ほしくはありましたけれどもね? ちくりとトゲのある詩織の言葉に、恭二と悠はこっそりと顔を見合わせた。これはもしかしてかなり怒っているのだろうか。互いの瞳に同じ結論を見つけ、彼らは小さくうなずき合う。
「「申し訳ありませんでした」」
 全面降伏とばかりに深々と頭を下げた二人に、詩織はもう一度嘆息する。
「まあ、過ぎたことですしもういいですわ。それよりもトーナメント表の作成に入りましょう」
 幾分か声音をやわらかくした詩織がそう告げ、男二人は顔を上げた。
 恭二が立ち上がり、戸棚から細長い箱を取り出す。開けてみると、中には先端が削られて平らになった竹製の割り箸が入っていた。よく見てみれば、削られた先端には【1-1】などと文字が書いてある。
「これもくじですか?」
「ええ、トーナメント用のくじですわ」
 言いながら、詩織は先ほどまで使っていたくじを元々入っていた箱に収め、ふたをした。恭二から受け取ったくじの束を箸立てに入れてシャッフルする。
「では、在原さんが引いていただけますか?」
 言葉と共にくじを向けられ、思わずまばたきする。
「よろしいのですか?」
「ええ、まずは男子の分から始めましょう」
 にっこりとうなずかれ、では、と一本手に取る。引かれたくじには【3-2】と書かれていた。そのくじを詩織が受け取り、薫の前に差し出す。薫はちらりとくじを一瞥し、広げていた用紙に記入した。
「下書きまであたしたちがやるから、パソコンで仕上げるのは副会長たちがやってよ?」
 了解、と応じる恭二の声を聞きながら、詩織が望美の耳元でささやく。クラスの分も含め、チーム編成とトーナメント表はプリントアウトして職員室前の掲示板に張り出すんですよ。
「それにしても、イベントの一週間前になって準備を始めるというのもどうかと思うのですが」
 いくら生徒の自主性に任せる校風とはいえ、間に合わなかったらどうするつもりなのだろうか。そうこぼす悠に、大丈夫だろ、と恭二が笑う。
「先代の話じゃ、イベント前日に準備が終わったって年もあるらしいからな。どうにかなるもんだよ」
「それもどうかと思いますが……」
 どこまでも気楽に言う恭二に、悠はため息をつくしかない。彼にとっては、間に合えばそれでいいという生徒側の思考も理解できなければ、間に合わなければそれも仕方ないという教師側の思考も理解できないのだ。良く悪くも自己責任、それが志貴ヶ丘学園の教育方針である。
「はいはい、それはどうでもいいから。さ、在原ちゃん次の引いちゃって。早くしないと今日中に終わらないよ」
 促すようにペンをくるくると回す薫にうなずいて、望美は次のくじに手を伸ばす。
 望美がトーナメント表作成のためのくじを引いている間に、恭二と悠が学年選抜チームの編成をパソコンで書類として体裁を整える。その作業をしていると忍足が各クラスのチーム編成の書類を持ってきたため、途中からはそちらも同時進行で作成された。


 そんなこんなで、作業が終了したのはとっぷりと日も暮れたあとであった。
「あらあら……作業に夢中で時間のことを考えていませんでしたわねぇ」
 紫どころかすっかり藍色となった空を窓から見上げ、詩織が困ったようにつぶやいた。
「こんなに暗くなってから帰るのでは、おうちの方が心配されるのではありませんか?」
 片手を頬に当てて問いかけた詩織に、薫が大きくうなずく。
「そうそう、危ないよ。送っていこうか?」
「いえ、近くですから平気です」
 ふるふるとかぶりを振った望美に、本当に大丈夫? と薫が心配そうに問いを重ねる。それに平気だと望美はうなずいてみせる。実際居候している時任家は志貴山下駅から歩いて十分ほどだから、送ってもらう必要性を感じなかった。
 だいたいそれを言うなら詩織も同じはずだった。小百合から彼女は財閥のお嬢様だと聞いた覚えがある。そんな彼女こそ、こんな遅くに一人で帰って平気なのだろうか?
 そう問いかけた望美にうなずいたのは恭二だった。
「ああ、コイツなら俺が送っていくから心配ない」
 そう言って、あ、と声を上げる恭二。
「変な誤解はすんなよ? 単に幼なじみで家が近いってだけだからな?」
「そうそう、会長のことは心配ないよ」
 問題は在原ちゃん、と薫が声を上げる。
「やっぱり心配だから送っていくよ?」
「渡瀬先輩は寮の門限があるでしょう?」
 そう告げた悠に、言葉に詰まって小さくうめく薫。
 志貴ヶ丘学園の寮は、寮とは名ばかりの大型マンションである。コンシェルジュが一括管理をしており、出かける時には必ず鍵を預け、帰宅時は学生証を提示することによって部屋の鍵を受け取るシステムとなっている。自主性を謳う校風とはいえ寮には当然門限が存在し、それを過ぎると学園の職員室と本人に連絡が行く。もしもそれで生徒の所在が確認できなかった場合、緊急連絡先――たいていは実家に連絡されるようになっているのだ。
 この門限は午後七時とやや厳しめになっており、そして現在時刻は午後六時三十分と、ギリギリ間に合うかどうかという時間であった。門限の一時間前までに教師経由で連絡すれば多少遅れても見咎められることはないが、今からではそれも難しい。
「僕が送っていきますよ」
 悠の言葉に、あら、と詩織がつぶやきをこぼし、ほう、と恭二が笑いを漏らす。おいしいところを持っていくか。
「……よろしいのですか?」
 首を傾げ、どこか遠慮がちに問いかけた望美に、かまわないと悠はうなずく。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
 このあたりの治安は悪くないと聞いてはいたが、正直こんなに暗い中を一人で帰るのも少々不安だった。送ってくれるというのなら、それに甘えてしまおうか。
 そんなことを話しながら全員で階段を下りる。灯りは煌々とついているものの、人影が少ないせいかどこかいつもの校舎とは違って見えた。自然、口数も少なくなって足が速まる。
 昇降口について靴を履き替えた時だった。不意に物陰から現れた人影に思わず望美が身を強張らせ、彼女をかばうように悠が一歩前に出る。
「……ようやく来た。遅くなるなら連絡くれればいいのに」
 ため息混じりにそんなことを言いながら、蛍光灯の下に姿を現したのは――。
「湊くん……?」
 荷物を肩にかけた湊の姿がそこにあった。それにほっとして、知らず詰めていた息を吐き出す。
 どうしてここにいるのかと言いたげな顔つきで自分を見やる望美に、
「球技大会の準備してるって宇佐見先生に聞いたから。もしかして遅くなるんじゃないかと思って待ってた」
 靴箱見たらまだ残ってるみたいだったし、との言葉に、彼はいつからいたのだろうかと申し訳ない気持ちになった。
「お待たせしたようで申し訳ありません」
 律儀に頭を下げた望美に、いいよと言って湊は笑顔を浮かべた。
「それじゃ帰ろうか。あんまり遅くなるといけないし」
 そう言って望美に近づくと、ごく自然な調子でその手を取った。
「じゃ、そういうことで」
 望美の手を引いて歩き出すその刹那、ちらりと悠にくれた一瞥には敵意めいたものが秘められていた。
「すみません、ではまた明日」
「……ええ、また明日」
 ぺこりと頭を下げて歩き出した望美にどこかぎこちなく挨拶を返した悠は、小さく嘆息してかぶりを振ると鞄をかけ直して歩き出した。
製作者:篠宮雷歌