スクールウォーズ 16

「ああ、そうそう、期末テストの点数には注意な」
 週が明けた月曜日の昼休み、思い出したかのように恭二がそう告げた。唐突な言葉を疑問に思ったのは望美だけではなかったようで、向かいに座った悠も首を傾げている。
 きょとんとした顔の二人に説明が足りていないと理解したのだろう、恭二が箸を止めて本格的な説明の様子を見せる。
「期末テストで赤点取ると、その教科の分の補習講座を受けなきゃならないってのは知ってるよな?」
 確かめるような問いかけに二人はうなずく。今朝のホームルームで桐生が説明していた内容だ。
「補習のおまけに追試もついてくるってのも当然知ってるな?」
 これもまた桐生から聞いて知っていたので、こくこくとうなずく。
「問題は、その追試で赤点を取ると【コンクエスト】関連の部活から強制退部になるってことだ」
「それは一つでも取るとアウトということでしょうか」
 問いかけた望美に、深々とうなずく恭二。
「そう、一つでも取るとアウト。だから期末テスト一週間前には【コンクエスト】は行わないことになっている」
 もっとも、とつぶやき、彼はご飯を箸ですくった。
「そもそも期末テスト一週間前は部活動や委員会活動が禁止されるから、よほどのことがない限り学校に残る連中もいないけどな」
 残っていても教師に追い出されるのが関の山だ、そう言ってすくったご飯を口の中に放り込む。
「そんなわけだから、しばらくは放課後の生徒会の業務もない。……大丈夫だとは思うが、試験勉強だけはくれぐれも怠るなよ?」
 了解、と口を揃えた二人に満足そうに笑うと、恭二はふたたび弁当を平らげることに集中する。望美と悠もまた箸を動かすことに専念した。


「あーあ、来週からテストかぁ……」
 憂鬱だわ、とつぶやいてそっぽを向いた小百合に、千恵が小さく苦笑を浮かべた。
「そうは言うけど、小百合ちゃんテストの点数悪くないでしょう?」
 私なんて中間の時も赤点ギリギリだったもん、とかぶりを振る千恵に、そうじゃない、と小百合は叫んだ。
「問題は点数じゃないのよ。テストの存在そのものが憂鬱なの!」
 なんでこの世にはテストなんてものが存在するのかしら。半ば以上本気で思っているらしいつぶやきに、望美と千恵は顔を見合わせて苦笑した。
「貴方は中間の時も余裕そうだったから、きっと今度も大丈夫でしょうね」
「そうそう、点数すごく良かったもんねぇ」
 どんな勉強してるの? と顔をのぞき込まれ、望美は考え込むように首を傾げた。
「そんなに特別なことはしてませんよ?」
 せいぜいノートと教科書を見直すくらいだ、と告げるとなぜかため息が返ってきた。
「ああ、ダメだわ。この子頭いい方に分類されるタイプだ」
「さすが生徒会入りを認められるだけのことはあるね」
 感心したように千恵がつぶやき、知ってる? と首を傾げた。
「生徒会に入るにはね、成績で上位二十位以内に入らないとダメなんだって」
 その言葉に思わずぱちりとまばたきする。そんなの今まで一度も生徒会メンバーの口から出たことはない。
「それ、本当ですか?」
「さあ? あくまでもウワサだからね、実際のところは何とも。似たようなウワサなら科学部にもあるわよ? 成績上位二十位以内に入らないと科学部への入部は認められないって」
「でも、科学部の人も生徒会の人も成績がいいのは本当なんだよね。学期ごとに成績上位十位まで職員室前の掲示板に貼り出されるんだけど、科学部と生徒会の人はほとんど毎回名前があるって話だもの」
 友人たちの口から語られる内容に、ほう、と望美はため息をついた。実際のところ成績が生徒会へ入るための条件になるとは思えないが、【世界征服部】に所属するためには最低でも赤点は(まぬが)れなければならない。加えて今までの生徒会メンバーが成績優秀者が多いとなれば、これは気合を入れて試験勉強に臨むべきかもしれない。
「図書室で勉強していく?」
「それも悪くないけど、同じこと考えて図書室に詰める人間多いでしょ? 人多いと集中できないのよね。家帰ってから勉強するわ」
 家には家で誘惑が多いんだけどねぇ、とため息をつきながら小百合が鞄をかけ直した。
「人多いかもしれないけど、駅前の図書館で勉強していこうかしら……」
「それもいいね。望美ちゃんはどうする?」
 鞄を手に立ち上がりながら千恵が水を向ける。それに首を傾げてしばらく思案し、望美はやがてうなずいた。
「お二人が図書館に寄られるのならば、わたしもお付き合いします」
「決まりね。それじゃ、帰りに図書館寄っていきましょ」
 善は急げよ、と言って小百合が廊下へと飛び出していく。顔を見合わせて笑い、二人もそのあとを追った。
 テスト一週間前の勉強期間はそうやってあっという間に過ぎていき、テスト期間もまた同様だった。


「……テスト、どうだった?」
 返された答案用紙の束を手に、近寄ってきた小百合が神妙な面持ちで問いかけた。
「えっと、私は思ってたよりは良かったかなぁ……どうにか平均か、それより少し上」
 ほっとした様子で吐息を漏らし、千恵が笑みを浮かべてつぶやく。
「そうですね、わたしも全教科平均以上でした」
 小百合たちとの勉強会が功を奏したのか、どの教科も平均点を大いに上回る点数だった。これならば誰に恥じることもないだろう。ケアレスミスで減点された箇所が多いのが今後の課題だろうか。
「あ、その表情はだいぶ良かったわね? ちょっと見せてみなさい」
 微笑を浮かべる望美の手から答案用紙をひったくって点数に視線を走らせ、小百合はがっくりと肩を落とした。何この点数、とうめき声を漏らす。
「え、そんなに良いの?」
 見せて見せて、と横からのぞき込んだ千恵もまた微妙な表情でうわあ、とつぶやいた。
「これはもしかしたら、貼り出される成績表に名前が載るかもしれないねぇ」
「そういう小百合さんはいかがでしたか?」
「……あたし? 聞かないで」
 辛うじて赤点ではなかったわ、とあさっての方に視線をさまよわせて小百合がつぶやく。哀愁漂うその背中に、二人はかける言葉を見つけられなかった。
「ま、済んだことはもう忘れることにするわ……。今日から部活も解禁されたことだし、そっちで気分転換してくる」
 はあ、と深々とため息を吐き出し、小百合は答案用紙を望美に返した。自分の分を手に己の席へと戻る。荷物を整理し、部活へと向かうのだろう。
「そうだね、私も部活に顔出してくる。望美ちゃんは生徒会、いいの?」
 ことりと首を傾げて問いかけられ、あ、と望美は声を上げた。空いた手で口元を覆う。
「忘れてました……」
 つぶやいて、あわてて答案用紙の束を鞄へと突っ込む。忘れ物がないのを確認すると、それでは、と手を振って教室を飛び出した。


 生徒会室へと向かうと、やはりと言うべきかすでにほかのメンバーは揃っていた。いつもいつも自分一人が遅れているような気がするな、と思いながら、遅くなりましたと声をかけて室内に入る。
「在原さんも来たことだし、そろそろ話を始めようかしら」
 壁際に置かれたホワイトボードの前に立っていた桐生が、望美の姿に気づいてそう声を上げた。全員が席についているのを確認すると、注目を引くように一つ咳払いをする。
「さて、答案用紙も手元に返って来てテストの点数は各々把握していると思うけど、ここで全員の分を発表したいと思います」
 あ、とはいえ点数を言うわけじゃないのよ? と思い出したように桐生が付け加える。あたしが発表するのは、あくまでも赤点か否かということだけ。
「さて、それじゃあ発表するわよ? 今学期の期末テスト、赤点の人は……」
 そこで一度言葉を切り、ぐるりと一同を見渡す。気のせいか、ドラムロールの音がどこからかしているような気がした。
「おめでとう、一人もいませんでした! それどころかみんな平均点以上!」
 これで何の心配もなく来学期も【コンクエスト】ができるわね、とほがらかに桐生が笑う。
「とりあえず、あたしはそれの通達に来ただけだから」
 それじゃあね、と手を振りながら彼女は生徒会室を出ていった。高らかなヒールの音が遠ざかっていく。
「時々、桐生センセイも台風だなって思うことない?」
 勢いよく閉まった扉に視線を注ぎながら、ぽつりと薫がつぶやいた。それにああ、と詩織がうなずく。
「たしかに。広瀬先生ほどではありませんが、桐生先生も結構人を振り回す方ですわね?」
 しみじみとしたその声に恭二もまたうなずく。うん、あの先生も相当な台風だ。
 しばらくそうやって扉を見ていたが、やがて意味がないと思ったのか彼らは視線を扉から外した。
「で、今日はどうする? と言っても、するような仕事ってなかった気もするけど」
 また検閲でもする? との薫の言葉に、三年生が視線を天井へと向ける。
「とりあえず、夏休みも近いしイベント戦闘について話すか」
 差し迫った仕事もないなら別にいいだろ、と確かめるように恭二が詩織に話を振る。視線を向けられた詩織は思案する様子を見せたあと、うなずいた。
「ええ、そうですわね。それでいいのではありません?」
 決まりだな、とつぶやくと、恭二は視線を一年生二人へと向けた。
「毎年夏休みの登校日にイベント戦闘を行うこととなっている。イベント戦闘では支配率の変動はないってのは以前に説明したと思うんだが、この夏休みのイベント戦闘だけは例外となっていて、支配率の計算に加えられる」
 そこで一度言葉を切ると、恭二は理解度を確認するかのように一年生二人に視線を向けた。しばらくうかがうように見つめていたが、やがて大丈夫だと判断したのか説明を再開する。
「夏休みのイベント戦闘にはもう一つ例外が存在する。それは戦場だ。このイベント戦闘に限り、永久中立エリアから無作為に選択される。しかし戦場となるのはそのイベント戦闘限りで、あとはまた永久中立エリアに戻される」
 ただし、と付け加え、恭二は人差し指を立てた。
「支配率の計算には、この年度中ずっと加えられる。――はい、説明は以上だが、何か質問は?」
 ゆるく握った拳を口元に添え、望美は首を傾げた。先ほど受けた説明を反復する。
 夏休みの登校日にイベント戦闘がある。この時の戦場は永久中立エリアから選ばれ、勝敗結果が支配率に影響を及ぼす。ただし戦闘後はそのエリアはまた永久中立エリアに戻されて戦闘を行うことはできないが、支配率の計算には加えられる――つまり、支配エリアとしては扱われるということだろう。たぶん、この認識で間違いはないはずだ。
 こくりとうなずくと恭二の方を向き、大丈夫ですと答える。
「中須の方は大丈夫か?」
 同じく思案する様子の悠に向け、恭二が問いかける。それに顔を上げると、悠もまた大丈夫だと言ってうなずいた。
「それじゃ実際に当日の打ち合わせに入るな? まず、今年度の登校日の戦場だが、さっき桐生先生が通達を持ってきた」
 これだ、と言って示されたのは、今までにも何度か見たことのある【コンクエスト審議会】の印が押された封筒だった。すでに封だけは切ってあるらしく、彼は封筒から中身を取り出した。便箋に目を落とし、内容を読み上げる。
「『本年度の夏期休暇登校日におけるイベント戦闘の戦場はプールに決定しました』とのことだ」
 で、どっちがやる? と水を向けられ、悠と望美はきょとんとしたように首を傾げた。やれと言われれば依存はないが、なぜ自分たちに振るのだろうか。そんな疑問が顔に出ていたのだろう、ああ、と恭二が声を上げて拳を口元に当てた。
「説明一つ飛んでたな。このイベント戦闘は大体いつも一年が担当することになってるんだよ」
 そう補足する恭二の横から、にやりと笑った薫が口を挟む。やーい、副会長ドジっ子ー。
「うるさいな、忘れてただけだろ。――で? どっちがやりたい?」
 再度の問いかけに、二人は顔を見合わせて考え込んだ。
 ややあって、遠慮がちに悠が手を挙げる。
「僕がやります」
「お、中須が行くか?」
「ええ。万が一水に落ちることを考えれば、僕がやった方がいいでしょう?」
 ですよね、と問いかけられ、望美は遠慮がちにうなずいた。
 たしかにプールとなれば水泳部が練習に使用して水が張られているだろう。場合によっては落ちるかもしれない。何しろ【コンクエスト】では何が起こるかわからないのだ。正直なところ、水に濡れるのは少し遠慮したいところである。泳げないわけではないが、服を着たまま泳いだ経験はないのだ。うっかり溺れでもしたら困るというのもある。
「お願いしてもいいですか?」
 おずおずと問いかけた望美に、悠はにっこりと笑ってうなずいた。
「ええ、任せてください」
「それじゃ中須に任せたから。忘れないうちに征服予告出しておけよ」
 その言葉を合図に、その日は解散となった。


「ただいま帰りました」
 もらった鍵でドアを開けて中に入ると、望美は室内に向けてそう声をかけた。たいていの場合がそうであるように、おかえり、と奥から湊の声が返ってくる。だが、いつもとは違って今日はその声に元気がないように感じられた。
 首を傾げながらローファーを脱いで廊下に上がると、きれいに揃えて横の方に置く。スリッパに履き替えて声のしたリビングへと向かう。
 開けっ放しのリビングのドアの前には鞄が乱雑に投げ出されていた。ソファに目を向けると、埋もれるようにして湊がうずくまっている。制服のまま着替えていないが、ブレザーだけは皺になることをおそれてかイスの背にかけられていた。
 ただいま、ともう一度声をかけると、湊はソファに埋もれたまま顔を上げた。おかえり、と言いながら座り直すも、膝を抱えて丸まった姿勢や窓の外に向けられた眼差しがどこか悄然(しょうぜん)としているように感じられる。常ならぬ様子に、何かあったのだろうということは想像に難くなかった。
 肩にかけていた鞄を邪魔にならない場所に置くと、望美はそっと湊に近寄った。空いているソファの端に腰掛け、どこか遠くを見つめているその横顔に視線を注ぐ。邪魔だと追い払われることも、湊自身が別の部屋に移動する様子もなかった。
 互いに言葉もなく、ただ同じ場所にいる。そんな時間をどれくらい過ごしたのだろうか。不意に湊が口を開いた。
「テストがさ、ものすごく点が悪くて」
 視線は窓の外へと向けたまま、ぽつりぽつりと語り出す。望美はただ、それに耳を傾けた。
「補習って言われて。それで、もし追試でも赤点取ったら……そしたら、やりたいことできなくなるって言われて。オレ、ちゃんと勉強したのにこんな点数で、だから、追試のこと考えたら不安になって、それで……」
 そこまで言って、湊はとうとう膝に顔を埋めた。小さくしゃくりあげる声がして、その肩が揺れる。
「高校生になったら、絶対それやるんだって決めてて……ずっと、夢だったのに……」
「大丈夫ですよ」
 かけられた声に、湊が顔を上げる。まるで幼子のようなその泣き顔に、もう一度大丈夫だと言ってほほえみかける。
「ちゃんと補習を受けて勉強すれば、追試ではきっと良い点が取れます。わたしも一緒に補習を受けますから、頑張りましょう?」
「……本当に?」
「ええ、努力はかならず報われます。だからきっと大丈夫」
 ね? と言って笑いかけた望美に、湊はようやく笑顔を浮かべたのだった。
製作者:篠宮雷歌