スクールウォーズ 30

「えー、本日は校外学習のしおりを作りたいと思います」
 二学期の中間考査を終え、その答案が返却された十一月始めのある日。恭二(きょうじ)のそんな一言から生徒会役員会議は開始された。
「ちなみに内容としては、一年が長野でスキー合宿、二年が岐阜の飛騨高山で校外学習――まぁ、これはほぼ観光だな。で、三年が沖縄で修学旅行だ」
 続いた恭二の説明に、示し合わせたかのように一年生二人が揃って手を挙げた。互いに譲り合うところまでいつもの光景と化した二人に、上級生たちが微笑ましそうに顔を見合わせる。
「ほい、中須(なかす)
 指名された(はるか)が、恭二の方へと向き直る。
「校外学習のしおり作成って、本来は教師の仕事なのでは?」
 じっとりとした眼差しで問うた悠に、上級生たちがどこか嘘臭い笑みを向ける。
「本来はな」
「本来はそうなのでしょうね」
「うん、本来は」
 口々に告げられる肯定の意に、悠はどこか諦めたような顔つきでうなずいた。いつものように、面倒事を押しつけられたパターンなのだろう。それがいつの世代かは不明だが、そのまま生徒会の業務の一つとして定着してしまったに違いない。
 ため息をついて口をつぐんだ悠の様子で質問は終わりと察したのか、恭二は望美(のぞみ)の方へと視線を転じた。
「ほい。それじゃ次、在原(ありはら)
 うなずいた望美は、三年生たちに顔を向けた」
「三年生の時に修学旅行に行くのですか?」
 受験の関係で、多くの学校では二年生の時に修学旅行を行うものだ。望美自身、中学の時はそうだった。この学校では違うのかと問いかければ、「ああ」と納得したようにうなずかれた。
「前にも言ったんだが、うちの生徒は大部分が付属の大学にエスカレーター進学だからな。受験対策にはそんなに力を入れないんだ」
「それはそれで、いかがなものかと思うんですが……」
 笑い飛ばした恭二に、思わずと言った様子で悠がツッコミを入れる。それに「だって志貴ヶ丘学園(うち)だし」と合いの手が入るところまでお約束だ。
「けどさー? 一年は良いけど、二、三年は班ごとに観光ルートを決めなきゃいけないから面倒くさいんだよねー」
「ああ、大体行程的に無理な場所が候補に挙がるんですよね」
 ため息混じりの(かおる)の言葉に、詩織(しおり)が苦笑を浮かべて相槌を打つ。その様子から、調整に相当難航したであろうことは想像に難くない。
「二年はまだマシだろ、三年なんて時季はずれの沖縄だぞ? 冬場にどうしろって言うんだ」
 大げさな仕草で肩をすくめて嘆いて見せた恭二に、全員が笑い声を上げた。
「来年から行き先を変更するよう、教師陣に掛け合ってみよっか?」
 どこかいたずらめいた薫の言葉に、「あら」と詩織が声を上げる。
「たしか先々代が掛け合って、盛大に撃沈したのではありませんでした?」
「えー、そうなの? だったら難しいかな」
 どこまで本気でどこからが冗談なのか判別のつかないやり取りを交わす上級生たちに向け、悠が遠慮がちに声をかけた。手にしているのは、しおりの叩き台となる年間行事予定表だ。
「すみません、このマナー講習って何ですか?」
 問われた彼らは、何とも言い難い表情を浮かべて「ああ」とつぶやきを漏らす。
「アレかぁ……」
「アレなぁ……」
 言葉を探すように宙に視線をさまよわせた恭二と薫を見やり、詩織がくすりと笑みをこぼした。悠の方へと向き直って口を開く。
「文字通りの代物ですわね」
「と、申されましても……」
 あまりにも端的すぎる説明に眉を寄せる悠。その様子を見かねたのか、あるいは自分も疑問を抱いたのか、望美が手を挙げた。
「具体的にどのようなマナーですか?」
 一口にマナーと言っても、その時の状況などによって求められるものは違ってくるだろう。
「主にテーブルマナー、食事時の作法となりますわね」
「「テーブルマナー……」」
 きれいに揃ったつぶやきには、多分に困惑の色が含まれていた。
「夕食が豪華になるよ?」
 重い雰囲気となってしまった一年生へのフォローなのか、わざと明るく薫が告げる。
「その講習、夕食時に毎回行われるんですか?」
 ズバリと核心に切り込んだ悠の問いに、上級生たちは互いに回答役を押し付け合うかのように沈黙し、視線を見交わした。
 やがて恭二が重々しくうなずき、口を開く。
「一応、校外学習だからな」
 なぐさめるかのような声音に、一年生たちはそれぞれ嘆息したのだった。


         ◆


『三階北棟廊下が【世界征服部】によって征服されました! 【正義の味方部】はただちに出動してください! 繰り返します――』
 けたたましいアラームの音と共に、【特殊報道部】による出動要請がスピーカーから流れた。間を置かず、自動的に電源の入ったテレビが戦場となった廊下を映し出す。場所を示すように手近な教室のネームプレートにフォーカスを当てながら移動させ、その場の主役へとカメラが向けられる。
 社会科準備室の付近に陣取った【青藍(せいらん)】は肩幅に足を開き、胸の前で腕組みしてまっすぐ前――美術室の方向を睨むようにしていた。
 二度目のカウントダウンが流れた直後、何かに気づいたかのように【青藍】が顔を上げた。その視線を追ってカメラがぐるりと回転する。
 画面いっぱいに映し出されたのは、こちらへ向かって駆けてくる鮮やかな緑のヒーロースーツに身を包んだ人影だ。見物の生徒たちや壁役の戦闘員たちをかき分けるようにして中央へと躍り出たその人物は、大仰な仕草でポーズを取った。
『【ジャスティスグリーン】参上! オレたちがいる限り、おまえたちの好きにはさせないぞ!』
 高らかに叫んだ【ジャスティスグリーン】は勢いよく駆け出した。一瞬でトップスピードに乗ると、スピードと体重を乗せた拳を【青藍】に向けて繰り出す。
 速度はあるが大振りなその攻撃を最小限の動きでかわした【青藍】は、剣を抜くと同時に反撃に出た。的確な動きで斬り込んでくる【青藍】に、最初の勢いはどこへやら【ジャスティスグリーン】は防戦一方となってしまう。
 このまま押し切られるのかと誰もが思った次の瞬間、【ジャスティスグリーン】の動きが目に見えて変化した。勢い任せの大振りな動きが相手の行動を読み、それに応じた必要最小限のものへと。
 防戦も間に合わないような有様であったというのが徐々に反撃へと転じていき、やがて攻防の比率は完全に逆転した。
 小さく呻いた【青藍】は、【ジャスティスグリーン】を蹴り飛ばして強引に距離を取った。【ジャスティスグリーン】が受け身を取って立ち上がるまでの僅かな間で息を整え、剣を構え直す。胸の高さで水平に――それは彼が勝負を仕掛ける時に見せる、突撃の構え。
 対する【ジャスティスグリーン】もまたボクシングのように右足を引き、両の拳を顔の前で構えて待ち受ける。
 視線が交わったその刹那、【青藍】は床を蹴った。まばたきの間に両者の距離は詰まり、激突する。
『――くっ』
 呻いて膝を突いたのは【青藍】だった。弾き飛ばされた剣がカラカラと音を立てながら廊下を滑っていく。それを視線で追い、彼は忌々(いまいま)しそうに舌打ちする。
 よろめきながらも立ち上がった【青藍】は【ジャスティスグリーン】を睨みつけた。
『仕方ありません、この場は退くとしましょう』
 そう言うと剣を拾って鞘へと納め、観衆の間を縫うようにして歩き出す。彼を追い、戦闘員たちも撤収を開始する。
 その場に残された【ジャスティスグリーン】は拳を高く突き上げると、高らかに勝利を宣言した。
『この学園の平和はオレたちが守ってみせる!』
 【正義の味方部】の勝利を告げる【特殊報道部】の声を最後に、【コンクエスト】を中継していたテレビはついた時と同じように自動的に電源を落とした。


 誰からともなく上がった落胆の声が生徒会室に響いた。
「やっぱりグリーンかぁ……」
 確認途中だったクラブの活動報告書を投げ出すようにして机に置いた薫は、天を仰いでそうつぶやいた。その声を拾った恭二が苦笑を浮かべて口を開く。
「まぁ仕方ない気もするがな。ああもお手軽にリミッター解除されたんじゃ、勝負にならないだろ」
「正直アレはないよねー、最早チートのレベルでしょ。冗談も大概にしろっての」
 お手上げとばかりにため息をついた薫に、楽しげな笑みを浮かべて詩織も会話に加わる。
「ピンクもグリーンもやる気に満ちてますものね?」
「えー? やる気とかそういう問題じゃない気がするんだけど……」
「何と言うか……むしろ【()る気】じゃないか? アレ」
 そんなことを話していると、ドアの開く音がかすかに聞こえた。そちらへと顔を向けた望美の目に映ったのは、周囲の様子を窺うようにしながら部屋へと滑り込む【青藍】の姿。【コンクエスト】から戻ってくる時は皆ああいった挙動になるものの、(はた)から見れば結構な不審人物である。
「おかえりなさい、中須くん」
 ドアが閉じられたのを確認してから望美がそう声をかけると、彼はこちらを振り向いて笑みを浮かべた。
「ただいま戻りました」
 そう言うと【青藍】はまっすぐ更衣エリアへと向かい、カーテンを引いた。
「なんか最近勝率低いよねー」
 投げ出していた活動報告書のチェックを再開しながら、誰に言うともなしに薫がつぶやいた。
「……すみませんね、勝率下げて」
 直後、カーテンの向こうからどこかふてくされたようなつぶやきが発せられる。それに「しまった」と言いたげに薫は顔をしかめた。彼にそんなつもりはなかったのだろうが、悠にしてみれば皮肉を言われたも同然だ。
「勝率の低さは今に始まったことじゃないだろ。初代を除けば、どの代も【正義の味方部】の方が優勢だったからな」
 場をとりなすように恭二が言葉を発し、「そういえば」と更衣エリアへと視線を向けた。
「おまえ、最近やたらグリーンと当たるよな」
「あ、それは薫ちゃんも思ってた。中須ちゃんてば目の(カタキ)にされてるっぽいけど、何か心当たりはある?」
 薫の問いかけに、着替えを終えて更衣エリアから出てきた悠は小さく(かぶり)を振った。
「いえ、特に何かした覚えはないのですが……」
 憂鬱(ゆううつ)そうに眉を寄せて答える姿からは戸惑いしか伝わってこない。本当に心当たりはないのだろう。
「すみません、いいですか? 前から気になってたんですが、対戦カードが妙に(かたよ)っていませんか?」
 小さく挙手しての望美の発言に全員が視線を見交わし、「ああ」とうなずいた。
「たしかに前から偏りがちではありましたが、最近は特にひどい気もいたしますわね」
 考え込むように口元に手を添えてつぶやいた詩織に同意するようにうなずきつつも、恭二が諦観の混じった笑みを浮かべる。
「まぁ、そればっかりはこっちではどうしようもないよな。対戦カードの決定権は【正義の味方部】(むこう)にあるんだから」
 恭二の言葉に、下級生たちが驚いたように小さく声を上げる。言われてみればその通りだ。防衛のために誰を出動させるかを決めるのは【正義の味方部】なのだから、対戦カードを偏らせるのもバラけさせるのも彼ら次第である。
「ってことは、下手に敵視されようものなら、毎回その相手が出てくるってこと? うわぁ……」
「すでに手遅れだろ。諦めるんだな」
 どこか楽しげに笑い声を上げる恭二に、薫と悠はじっとりとした眼差しを向けてつぶやいた。
「「他人事だと思って」」


         ◆


 期末テストの答案が返却され、大掃除をすませてしまえば、大半の生徒には終業式までは休日と同義である。しかし生徒会役員はそういうわけにもいかず、今学期中に終わらせる必要のある業務のために連日登校していた。
 どうにか終業式までには業務が片づきそうだと目処がついた頃、恭二が不意に声を上げた。
「なぁ、二年詣りに行かないか?」
 唐突な言葉に説明を求めるようにそちらへと視線を向ければ、彼はスマートフォンを操作していた。
「副会長~?」
「ちゃんと仕事してください」
 彼の眼前に積まれた書類の山に目を留め、薫と悠が声を尖らせる。責める調子の声音に、恭二があわてたように口を開いた。
「いや、これは終わってる分だから!」
「……恭二? 仕事はまだまだありますわよ?」
 表面上はにこやかに、けれども抗いがたい圧をかけながら詩織が新たな書類の山を恭二の前に築いた。無言のまま書類の処理を開始した恭二を見やり、三人は満足げにうなずくと各々に割り当てられた仕事へと戻っていく。
 紙をめくる音やペンを走らせる音が響く中、そろそろいいだろうかと望美は小さく手を挙げた。
「それで、先程の言葉はどういう意味でしょうか?」
「……ん? ああ、科学部の連中と生徒会とで初詣に行こうっていう話をしてたんだが、どうせなら大晦日(おおみそか)から集まって年越ししようぜってなってな」
 どうよ? と全員を見回しながら恭二が問いかける。
「あー……あたしは別にいいけど、会長とか在原ちゃんは大丈夫? 夜中に出かけるの、お家の人がいい顔しないんじゃない?」
 薫の言葉に、望美は考え込むように小首を傾げた。両親ならば文句を言わないだろうが、今は時任(ときとう)家に居候(いそうろう)の身である。家主であり、保護者でもある遼平(りょうへい)にお伺いを立てた方がいいだろう。
「それじゃ各自家の人に確認して、あとで結果を教えてくれ。こっちも待ち合わせの時間とか決めて連絡するから」
 じゃあそういうことで、という恭二の言葉を合図に、一同はまたそれぞれの仕事へと戻っていった。


 玄関のドアを開け、帰宅を告げようとしたところで望美は首を傾げた。いつもはきちんと揃えられている(みなと)のスニーカーが脱ぎ捨てられたかのように散らかっている。何かあったのだろうかと思いながらローファーを脱いで廊下に上がり、己の分と一緒に邪魔にならない位置に並べた。
「ただいま帰りました」
「……ああ、おかえり」
 帰宅を告げる声への返事もどこか虚ろだ。リビングの方へと目を向ければ、開けっ放しのドアの前には鞄や防寒具が乱雑に放り出されている。
前にもこんなことがあったと思いながらリビングを覗いてみると、予想通りソファの上で膝を抱えてうずくまる湊の姿があった。
「おう、帰ったか。ソレについては気にしなくていいぞ」
 コートを脱いで鞄と共にドアの横に置きながら、どう声をかけようかと考えていた望美は横合いから投げられた声にそちらへと顔を向けた。見れば遼平がキッチンで何か作業をしている。エプロンをしているところから推測すると、今日の夕食は彼が作るようだ。問いかけるような視線を向けた望美に、遼平は作業の手を止めぬまま口を開いた。
「赤点を取って補習が確定したから拗ねているだけだ。放っておけ」
 端的に事実を指摘されたからか、湊はふてくされたように膝に額を押し付けた。外界を遮断するかの如く両手で耳をふさぐが、子どもじみた仕草は遼平の笑いを誘うだけだった。
 むっつりと不機嫌そうにくちびるを引き結び、湊がまるで逃げるようにリビングを出ていく。その後を追いかけようとした望美を遼平が引き留めた。
「いい、放っておけ。あまりあいつを甘やかすな」
 ためらうように廊下へと視線を向けたものの、結局望美はその場に留まった。どんな言葉をかければいいかわからないというのもあったが、親が構うなと言っている以上余計なことはすべきではないと判断したためだ。
「それで? お前は俺に何か話があるんじゃないのか?」
 まるでこちらの思考を読んだかのような遼平の言葉に、なぜ知っているのだろうかと一瞬首を傾げたものの、そういえばと思い出した。二年詣りは科学部と合同でとのことだったので、先に湊が話をしていたのかもしれない。
 大晦日から元旦にかけて生徒会と科学部のメンバーで初詣に行こうという話があるのだが、出かけてもいいだろうかと望美が問いかけると、遼平はしばらく思案した後うなずいた。
「預かり物の娘さんだから本当はまずいんだが……あいつらと一緒なら、まぁいいだろ」
 くれぐれも一人で行動しないようにと念を押す遼平に、望美は了承と感謝とを伝えた。
 荷物を持って自室へと上がり、恭二に宛てて二年詣りの許可が出た旨をメールする。しばらくすると返信があり、待ち合わせの場所と時間とが記されていた。どうやら無事に全員の都合がついたようだ。湊の様子に一抹の不安を覚えたものの、朗報に望美は笑みを浮かべたのだった。


         ◆


 夏休みの時のように湊に付き合って補習講座を受けたり、大掃除などの年越しの準備をしているうちにあっという間に日は過ぎ去り、大晦日となった。
 細々とした仕事を片づけると、望美は「行ってきます」と告げて湊と共に家を出た。
 待ち合わせ場所である志貴山下(しきさんした)駅へと向かうと、そこにはすでに全員の姿があった。集団であることを考慮してか、改札からやや離れた図書館の前に集まっている。生徒会と科学部それぞれのグループに分かれつつも、恭二と直人(なおと)を介して会話が広がっていく。一見何の接点もなさそうなこの二組みの橋渡し役は彼らであるらしい。
 そんなことを思いながら、望美はバスロータリーにいる人々の間を縫うようにして彼らの元へと向かった。
「すみません、お待たせしました」
 そう言って頭を下げると、気にするなとの言葉が返ってきた。
「一部電車の関係もあるが、ほとんどは待ちきれずに早めに来た奴らだからな」
 恭二のその言葉に、他のメンバーたちも笑みを浮かべて同意した。
「さて、これからバスで山上の寺まで行くわけなんだが……この人数はさすがに多いか?」
「そうだね、他のお客さんたちの迷惑になるかもしれない」
 一同を見回した恭二が眉を寄せてつぶやきを漏らした。浩明(ひろあき)も同じように視線を巡らせてうなずく。
 望美たちと同じく新年を志貴寺で迎えようと考える人は多いようで、バスロータリーはたくさんの人々で溢れていた。山上方面へと向かうバスは、急な斜面を考慮してか他の路線のバスと比べて車体が小さめである。通学時のように学生ばかりという状況ならばともかく、一般客の中に学生が十人というのは少し迷惑かもしれない。どんなに気をつけたとしても、会話の音量というのは大きくなりがちだ。
「……ふむ。であれば、分乗して山上に向かうというのは如何(いかが)かの? あまり接点のない者同士で組めば周囲の迷惑にもなりにくいであろうし、交流を深める機会ともなるであろう」
 直人の提案に、恭二は考え込むように首を傾げた。やがてうなずいて口を開く。
「ビミョーに矛盾してる気もするんだが、まぁそれが一番無難なところか?」
「そうかもしれないね。三台くらいに分かれて乗れば、そんなに時間もかからないだろう」
 苦笑を浮かべながら浩明も同意を示す。初詣用に特別運行のバスが増便されていることを考えれば、さほど時間はかからないだろう。
 そんなわけで各学年から一人ずつ選出された生徒会と科学部の混成メンバーを三組作ると、一同は三台のバスに分かれて山頂にある志貴寺(しきでら)へと向かったのであった。


 山上の人の多さは、駅前のバスロータリーの比ではなかった。バスの停留所から伸びる参道は人で埋め尽くされており、一度流れに乗ったが最後、途中で抜け出すのは不可能に思える。
 あまりの人の多さに圧倒されて言葉もなく立ち尽くす望美と違い、他の面々はこの人出を経験済みなのだろう。「やっぱり混んでる」などと愚痴(ぐち)をこぼしつつも、その顔はどこか楽しげだ。人に押し流されてはぐれないように注意しながら、一同は志貴寺を目指して参道へと踏み出した。
 見た目にはそれとわからない程度の上り坂は、ゆるやかに蛇行しながら民家を縫って続いていく。
 少し道幅が広くなるのと同時に、道の両脇には夜店のテントが並び始めた。どうやら周囲の建物は商業施設の(たぐい)であるらしい。
 やがてそれらの建物もまばらになっていき、川の上に架けられた橋が左手に見える頃には参道は森の中へと入っていった。
 薄暗い森の中をゆっくりと歩いていると、しばらくして急に前方が明るくなり、開けた場所へと出た。そこは参拝客用の駐車場となっているらしく、車で来た人間が合流したために人々の歩みは更に遅くなった。周りの人たちにぶつからないよう気をつけながら前方を見やると、駐車場の右手の方に石でできた大きな鳥居が見えた。どうやらあの向こうが志貴寺となるようだ。
 鳥居をくぐると道幅は更に狭くなった。ぐねぐねと蛇行しながら上り坂と石段が続く様子は完全に山道である。人の多さで進みが遅いのが救いだと思ったのは最初だけで、だらだらとした歩みはかえって疲労を増加させた。
「マドンナもお参りッスか? 夜道は危ないから気をつけてくださいッス」
「うん、ありがとう。みんな良いお年をー」
 横合いからかけられた声に、薫が笑顔を浮かべて手を振る。
「……あ、黒崎(くろさき)君にご隠居だ。みんなでお参り行くの?」
「おう、おまえらもか?」
「うん、そう。良いお年をー」
 こんな暗がりでよく見つけられるものだと感心してしまうほど、次から次へと一行の誰かを呼ぶ声が飛んでくる。時には彼らの方から、見つけた友人へと向けて声をかけている。地元だけあって志貴ヶ丘(しきがおか)学園の生徒がお参りに来ているのかもしれないが、それにしては飛び交う声が多すぎないだろうかと首を傾げた望美だったが、生徒会も科学部も人気者が揃っていたことを思い出して納得した。学校では気後れして遠くから眺めるだけという者も、こういう場所であれば声をかけやすいのかもしれない。
 そんなことをぼんやり考えていると、不意に隣で身動(みじろ)ぎする気配がした。そちらへと視線を向けると、(うつむ)く悠の姿があった。暗闇の中でもそれとわかるほどに顔色が悪い。
「……中須くん? 大丈夫ですか?」
 望美が声をかけると、顔を上げた悠はわずかに笑みを浮かべた。
「少し、人込みに酔ってしまったようです」
 小さくそうつぶやくと、悠は参拝客の間をすり抜けて列の外へと走り去った。
「おい、中須? どこに行くんだ?」
「すみません、心配なので追いかけます」
 (いぶか)しげな恭二の声にかぶせるようにして告げると、望美もまた人の流れの中へと飛び込んだ。
「え!? ちょ、在原ちゃんまでどこ行くの!?」
「望美!?」
 慌てたような薫や湊の声を背後に聞きながら、望美は隙間を見つけてはそこに体をねじ込んでいく。迷惑そうな声を上げる人々に謝りながら人の流れを横切り、どうにか列の外へと脱出する。
 周囲を見渡すも、悠の姿は見当たらなかった。しばらく思案し、望美は駐車場の方へと向かって走り出した。
 駐車場の少し手前で右へと曲がる小道を見つけ、望美は足を止めた。人の多さと暗闇とで行きの時には気づかなかったが、この先に土産物(みやげもの)などを売っている休憩所があるらしい。いくら参拝客がいるとは言え、こんな時間に営業しているとは思えない。悠は人に酔ったと行っていたから、おそらく人気(ひとけ)のないところへと行くだろう。そう見当をつけると、望美は足下に注意しながらゆっくりと小道を歩き出した。
 申し訳程度に舗装された小道を行くと、やがて前方に休憩所と思しき建物が見えてきた。薄明かりに浮かび上がるのは、コンビニほどの大きさの古民家を思わせるシルエットだ。やはりこんな時間に営業はしていなかったようで、辺りには外灯一つない。(もっと)も、営業していたところでこちらに足を運ぶ者がいるとは思えないのだが。
 更に近づくと、暗闇に慣れた目が人影を捉えた。
 店先に置かれた長椅子に腰掛け、上体を折るようにしているのは悠だった。金髪が月光を弾いて周囲を淡く照らし出す様は、ひどく幻想的で美しかった。
 近寄りがたい雰囲気に気圧(けお)されたように立ちすくんでいた望美だったが、ふとここに来た目的を思い出して我に返った。膝に顔を押しつけるようにしたまま微動だにしない悠に向けてそっと声をかける。
「中須くん、大丈夫ですか?」
 ささやくような問いかけだったが、声は相手に届いたらしい。ゆっくりと上体を起こした悠がこちらへと顔を向けた。驚いたようにその目が大きく見開かれる。
「……在原さん? どうしてここに」
 こぼされたつぶやきに拒絶の色がないのに安堵し、望美は悠の方へと近づいた。
「具合が悪いと言っていたので、心配になって」
「それでわざわざ追いかけてきたんですか?」
 望美の言葉に、信じられないといった様子で悠は(かぶり)を振った。
「ご迷惑なようでしたら戻りますが」
 弱っているところを他人に見られたくないという人間もいるだろう。声を聞く限り体調不良はさほど深刻なものではなさそうだと判断した望美がそう問いかけると、悠は慌てた様子で首を横に振った。
「あ、いえ、違うんです、そういう意味じゃなくて……驚いてしまっただけで。心配してくれて、ありがとうございます」
 はにかむように小さく笑った悠に笑みを返すと、望美は彼の隣に腰を下ろした。
 しばらく二人共何も言わずにただ並んで座っていたが、ややあって悠が口を開いた。
「……人に酔ったというのは、半分は言い訳なんです。あの場所から逃げ出すための」
 ぽつりとこぼされたつぶやきに目を向けると、悠は膝の上で祈るように手を組み合わせて足下へと視線を落としていた。まるで懺悔(ざんげ)するかのように、ぽつぽつと話し始める。
「学校でもないのに、黒崎先輩も時任くんも知り合いを見つけては声をかけたり、かけられたり……。交友関係が広いから当然のことですし、あの二人に限らずみんなそうなんですけど……でも、そういうのが見ていて少し辛くて……」
 そこで言葉を途切れさせた悠は、何かを(こら)えるかのごとく強く手を握りしめた。しばらくそうやってじっと(うつむ)いていたが、やがて大きく息を吐き出した。(かぶり)を振って望美の方へと視線を向けると、己の前髪を一房指でつまんで引っ張った。
「これ、染めてるわけじゃなくて地毛なんですよ。母方の祖母がイギリス人だそうで、隔世遺伝なんです。けど、幼い頃ってそういうのが理解できないでしょう? みんなと違うからって理由でずっといじめられてて……さすがに今はそんなことはないんですけど、僕の方が身構えてしまってうまく周りに溶け込むことができなくて。だから、何でもないことのように人の輪の中に入っていける彼らが(うらや)ましい……いえ、正直に言うと(ねた)ましいんです。だからつい、こんな所まで逃げてきてしまった」
 自嘲(じちょう)するように小さく笑い、けれども悠はすぐにその顔を(うつむ)けた。再度祈るように膝の上で手を組み合わせる。裁きを待つかのごとくじっと地面を見つめる悠の横顔を眺めながら、望美はかける言葉を見つけられずにいた。
 彼の気持ちは理解できるが、安易な同情は拒絶されるだろう。いじめられていた苦痛も、人の輪に加わりたくてもそれを避けてしまう葛藤(かっとう)も、本人以外には本当の意味で理解することなど不可能なのだから。
 だから望美は声をかけずに、ただ寄り添うように悠の隣に座って空に浮かぶ月を見上げていた。何となく、彼は今の自分の姿を見られたくないのではないかと思ったから。
 時折吹く風が木々を揺らす音を聞くともなしに聞きながら、「そう言えばみんなはどうしたのだろうか」と望美は考えた。悠が心配で追いかけてきてしまったが、見事なまでに団体行動を乱す行為である。彼らのことだから怒られはしないだろうが、そもそもこの人出で合流できるのだろうか?
 無理かもしれない、と考えた時、小さく声を上げて悠がうずくまった。上体を折るようにして顔を手で覆っている。
「中須くん? どうしました?」
 具合でも悪くなったかと腰を浮かせた望美に向け、悠は大丈夫と言いたげに左手を挙げた。
「いえ、少し目が……」
 小さくつぶやいて、悠は右手の甲を目に押しつけるようにする。それを見て、望美は慌てて声を上げた。
「目に何か入ったのなら、こすらない方がいいです。見せてください」
 そう言って近寄った望美が身を(かが)めるのと、悠が顔を仰向けるのとは同時だった。
 ふわりと、やわらかなものがくちびるに触れる。驚いたように目を見開く悠の顔が視界いっぱいに映った刹那――。
「おま……っ!! 何やってるんだよ!?」
 驚愕(きょうがく)に満ちた湊の叫び声が辺りに響き渡った。その声に打たれたかのように望美と悠は互いに一歩後ずさり、それから声のした方へと顔を向けた。
 そこには夜目にもわかるほど顔を真っ赤にして身を震わせる湊と、その背後でどこか気まずそうに視線を逸らしている生徒会と科学部の面々の姿があった。
「何って、事故ですが」
「……は?」
 望美の言葉に、間抜けな表情を浮かべて湊がつぶやきを漏らす。その様子に、望美は再度同じ言葉を繰り返した。
「事故です。中須くんが目に何か入ったと言うので様子を見ようとしたのですが、あまりにも暗いので距離を見誤ったようです」
「……ええ、そうですね……。事故です……」
 望美の言葉に続け、どこか意図的に感情を抑えたような声音で悠も告げる。
 二人の言葉に生徒会メンバーはそっと目を伏せ、科学部メンバーはどよめいた。
「今のを事故の一言で片づけた、だと……!?」
「何という高性能スルースキル……在原嬢、恐るべし」
「うむ、見事なまでに動じぬな。天晴(あっぱ)れな胆力である」
「あれは何て言うか……辛いね」
 驚愕(きょうがく)に突き動かされるまま科学部の面々が好き勝手に言う一方、生徒会メンバーもまた言いたい放題であった。
「自分で立てたフラグを自分でへし折るとか、高等芸すぎんだろ……」
「ふふっ。さすがの中須くん(フラグメーカー)も、在原さん(フラグブレイカー)の前では形無しですわね?」
「……在原ちゃんてさ、かわいいのに時々すごーく残念だよね」
「残念とか言ってやるな……かわいそうだろ」
 遠くを見るような眼差しでつぶやいた薫に、自分の発言は棚に上げて恭二がツッコミを入れる。
 湊が衝撃から立ち直るまで、外野たちの好き放題なコメントは続いたのであった。


「そう言えば、もう体調は大丈夫なのか?」
「……え?」
 恭二の問いかけに小さく声を上げてまばたきした悠は、自分が体調不良を言い訳にして逃げ出したことを思い出し、慌ててうなずいた。
「あ、はい。もう大丈夫です。すみませんでした」
「いや、それならいいんだ。よし、そんじゃもう一回並ぶか!」
 笑みを浮かべると、恭二は片手を挙げて一同に合図すると歩き出した。それに続いて他の面々も参道へと向かって歩き出す。望美も彼らのあとについて歩き出したが、立ち尽くしたままの悠に気づいて彼の方へと足を向けた。
「わたしたちも行きましょうか」
 顔をのぞき込むようにしてそう声をかけると、悠は驚いたように目を見開いたものの、はにかむように小さく笑みを浮かべた。
「……はい」
 応えるように微笑んでうなずくと、望美は悠と共に先を行く一同を追って参道へと歩を進めた。
 参拝の列に並び直した一同だったが、やはり参拝客は多いようですぐに彼らのうしろにも長い列ができた。相変わらず列の進みはゆっくりで、亀の歩みよりも遅いのではないかと思えるほどだ。
 時折思い出したように進む参道を歩いていると、前方から鐘の音が聞こえてきた。ゆったりとした間隔で打たれる除夜の鐘は(おごそ)かに響き渡り、喧噪に満ちていた参道を静寂へと導いていく。
 足音や抑えられたひそやかな話し声が時折する以外は風に揺れる木々の葉擦れの音だけが響く参道に、不意にけたたましくアラームが鳴り響いた。思わず誰もが己のスマートフォンを確認し、音の出所が自分でなかったことに胸をなで下ろす。
 そんな光景の広がる中、遠くから音の出所と思しき男の謝る声と、その連れであるらしい男の責める声とが風に乗って聞こえてきた。酒でも入っているのか、双方共に呂律(ろれつ)が怪しい。
「まぁ、カウントダウンをしたいという気持ちはわからないでもないのだけれども、ねぇ……?」
 切れ切れに届く言い訳に、浩明が困ったように微苦笑を浮かべてつぶやきを漏らした。それに同意するように、小林と鈴村が揃ってうなずく。
「TPOをわきまえろという話だな」
“参道で騒ぐのはさすがに非常識かと”
 手厳しい両者のコメントに、一行のみならず周囲の人間までもが苦笑しながら「ごもっとも」とうなずく。
「それにしても待ち時間長いよな。……まぁ、予想通りではあるんだけどさ」
 一向に進む気配のない参拝客の列を見やり、待ちくたびれたと言いたげに頭のうしろで手を組んだ湊がぼやいた。その声を拾った悠がいたたまれなさそうに顔を伏せる。
「……すみません。僕のせいで列を抜けたからですよね」
 消え入りそうなつぶやきに、「しまった」と湊が口元を押さえるのと、小林と鈴村がその後頭部を叩くのとは同時だった。
「気に病まれることはないぞ、中須殿」
「直人の言う通りだよ。具合が悪かったのだから、仕方のないことだよ」
 樋口兄弟がすかさず後輩の失言のフォローに回る。
「過ぎたことだからな、あんま気にすんな」
「そうそう。中須ちゃんてば、ちょっと神経質すぎるよねー?」
 恭二がそうなぐさめ、薫もまたわざと茶化すようにしてみせる。彼らの気遣いに、悠は顔を上げて小さく笑った。
「先輩たちがガサツなだけではないですか?」
「……お? 言ったな、コイツ」
 乗ってきた悠に、恭二はニヤリと笑った。悠を捕まえると、ワシワシと乱暴な仕草でその頭をかき混ぜる。恭二の手から逃れようとする悠を挟むようにして、恭二の反対側から薫も手を伸ばす。団子になって笑い合う三人を見やり、鈴村はため息をついてタブレット端末を掲げた。
“だから参道では騒ぐなと”
 しかし、じゃれ合う三人がそれに気づいた様子はない。くすりと笑みをこぼすと、望美は彼らに向けて声をかけた。
「参道で騒ぐと、他の方のご迷惑となりますよ」
 望美の言葉に、三者三様に返事をして彼らはじゃれ合いをやめた。どこか微笑ましそうな表情で彼らを見やっていた周囲の人々に向けて「すみませんでした」と頭を下げる。
 そうこうする内に列は進み、無事に参拝をすませた一同はバスで志貴山下駅まで戻り、そこで解散したのだった。 
製作者:篠宮雷歌