スクールウォーズ 3

 定員以上に乗り込んだバスの車内で生徒に潰されるなんて冗談じゃないし、あの坂を歩いて上るなんてもっと嫌だ。ゆえに皆川小百合の登校時間は予鈴が鳴るよりも三十分以上早かった。あのすし詰めバスに乗ることを考えれば少々早起きするくらい何てことはない。今日も今日とて彼女は優雅にバス通学し、教室に一番乗りする――はずだった。
「あれ、望美? ずいぶんと早いのね」
 引き戸を開けて中に入れば、教室には友人の姿があった。小百合の声に望美は伏せていた顔を上げる。笑みを浮かべ、おはようございますと挨拶した彼女におはようと返しながら近寄ると、机の上に電話帳のような分厚い冊子が広げられているのに気がついた。
「何を見ているの?」
 問いながらのぞき込めば、細かい文字が紙面をびっしりと埋め尽くしている。まさに電話帳のようだ。
「クラブと委員会の一覧表です」
 言われて納得した。そういえば一ヶ月ほど前に同じ物をもらった覚えがある。鈍器もかくやという厚さと重さ、間違っても角を補強してはいけない。
「どういうのに入るの? クラブ? それとも委員会?」
 まだ来ていないのをいいことに、前の席に勝手に座った。もうそろそろ千恵もやってくる頃だろう。三人で望美が入るクラブについて話すのも楽しそうだと小百合は考える。
「まだ全然決まっていないんですよ。ずいぶんと数が多くて、全部に目を通せてもいないんです」
「この学園、同好会も認めてるからクラブの数は無駄に多いのよねぇ」
 肘をつき、組んだ手にあごを乗せる。反対側から一覧表をのぞき込んでいると、軽い足音が廊下から響いてきた。顔を上げて振り返ると、ガラリと勢いよく扉が開かれるのが目に入った。ひょっこりと顔を出したのは千恵だ。
 彼女は二人に気づき、おはようと挨拶した。ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「望美ちゃん、ずいぶん早いんだね」
 そう言って机に鞄を置いたところで、望美の手元に広げられた冊子に気づいた。
「あ、クラブの一覧表だ。そっか、どっかには入らないといけないもんねぇ」
「入部届の提出締め切り、いつまで?」
 自分のイスを引っ張ってきた千恵のために場所を空けてやりながら小百合が問いかける。
「来週末だと言われました」
 視線を一覧表に向けたまま平然と答えた望美に、二人は揃って声を上げた。来週!?
「ちょっと、何よそれ。教師陣もずいぶんと無茶言うわね」
 憤慨したように小百合が声を上げ、
「あんまり時間がないから、見学に行くのも難しいよね」
 心配そうに千恵が眉を寄せてつぶやいた。
「何かおすすめはありますか?」
 目が疲れたのか、紙面から顔を上げてかぶりを振りながら望美が問いかけた。おすすめねぇ、と首を傾げ、小百合が問い返す。文化部? それとも運動部?
「特に考えていませんが、入る以上ちゃんと活動できるものがいいです」
 望美の答えに小百合は嘆息する。また難しいことを言う。
「部活だけでも星の数ほどあるからねぇ……なかなかこれって言いづらいかなぁ」
 千恵も口元に拳を寄せて首をひねっている。しばらく無言で考えていたが、やがて小百合が口を開いた。
「とりあえず同好会の類は避けた方がいいわね、変なのが多いから」
 あとは、と視線を天井にやり、眉をしかめた。
「所属してるあたしが言うのも何だけど、文芸部だけはやめておきなさい」
 あのテンションにはついていけない、と盛大にため息をついてぼやく。その言いぐさに、何がどうすごいのだろうと逆に興味が湧いたが追求するのはやめておいた。小百合の横顔が聞いてくれるなと語っている。
「放送部とかはどう? 千恵が所属してるけど、いっつも楽しそうに走り回ってるわよ?」
「え、放送部!?」
 急に話を振られて驚いたのか、千恵が大きく声を上げた。
「えっと、うん、楽しいけど、その……体力的にキツいから、あんまりオススメはできないかなぁ……」
 不自然なまでに視線をさまよわせ、千恵がぼそぼそとつぶやく。それを聞き、ああ、と小百合は大きくうなずいた。
「たしかにキツそうよね、あれは。校舎中走り回ってるし」
「うん、そう、大変なの! だから、望美ちゃんにはもっと別のがいいんじゃないかな?」
 うんうんと何度もうなずき、千恵は力説する。
「まぁ、やっぱりこればっかりは本人の趣味だからねぇ……。一覧表からめぼしい物をリストアップして、実際に見学に行くことを強く勧めるわ」
 そう言うと、小百合は鞄を手に立ち上がった。
 話し込んでいるうちに教室には生徒たちの姿が多くなっていた。そろそろ予鈴が鳴る頃合いだろう。千恵も自分の席へとイスを引きずっていく。
 桐生が教室に入ってくるまで、望美は一覧表を眺めていた。


 そうして数日が経ち、望美が休み時間になるたびに一覧表を取り出しては一心に読みふける姿も日常の風景となりつつあったある日。
「望美ー? 次は移動教室だから、そろそろ用意しないと遅れるわよー?」
 呆れたような小百合の声に、望美はハッと我に返って顔を上げた。周りを見やれば教室内にクラスメイトの姿はなく、ドアのところで友人たちが苦笑しながらこちらを見ている。
「すみません、すぐに行きます!」
 叫びながら教科書類をひとまとめに抱えて立ち上がり、教室を飛び出した。
 次の授業が行われる社会科教室は、渡り廊下を挟んで向かい側の北棟の三階にあるとのことだった。
 高等部の校舎は北棟と南棟に分かれ、それぞれ西と東にある二つの渡り廊下で接続されている。
「しっかし、毎日毎日よく飽きもせずにあんな電話帳もどきを見てられるわねぇ」
 あたしなんて一ページ目で挫折した、と小百合がため息をつく。
「情報源がほかにないですからね。それに、見てると案外面白いものですよ?」
「えー、ほんとにー?」
 疑わしげに声を上げた小百合に、千恵がくすくすと笑い声をこぼす。
「それで何か良さそうなのは見つかった?」
 千恵の問いかけに、望美はかぶりを振った。
「いえ、数が多すぎて、正直どうしようかと悩んでいるところです」
 ため息をついて視線を抱えた荷物に落とす。おや、とその首が傾げられた。何か足りない気がする。
 首を傾げたまま、望美は指さして確認する。一覧表、ノート、資料集、ペンケース――肝心の教科書がない。
「すみません、教科書を忘れたので取ってきます」
 足を止めた望美に、ええ、と小百合が大げさに声を上げた。
「一覧表は持ってきてるくせに、何で教科書を忘れるのよ?」
「私も一緒に行こうか?」
「いえ、大丈夫です。遅れるといけませんから、お二人は先に行ってください」
 心配そうに問いかけた千恵にかぶりを振ってそう言うと、くるりと身をひるがえす。
「あ、ちょっと、望美!? 本当に大丈夫なのー?」
 追いかけてくる声を背中に受けながら、望美は教室目指して駆けだした。


 教科書を荷物に加え、ほっと一息つきながら教室を出たのも束の間、はたと望美は立ち止まった。社会科教室はどこにあるのだっただろうか?
 不安感から、ようやく見慣れたはずの教室付近の風景がまったく見知らぬ場所のように感じる。どうしよう、やっぱりついてきてもらえばよかったのだろうか?
「……どうかしたんですか?」
 おろおろと周囲を見渡していると、背後からそう声をかけられた。振り返ると、白いブレザーを着た少年がどこか心配そうな面持ちでこちらを見ている。
 何も答えない望美に、彼は不思議そうに首を傾げた。その拍子に、一つにまとめられた長めの金髪がサラリと肩をすべる。整った顔立ちや白のブレザーも相まって、ひどく華やかな雰囲気の少年だった。
「その制服、転入生ですよね? 何か困りごとですか?」
 もう一度問われ、望美はようやく我に返った。
「あの、教室の場所がわからなくて……」
 友人には大丈夫だと言ったのに迷ってしまった恥ずかしさから、消え入るような声で望美はそう答えた。それに少年は納得したようにうなずいた。
「どこの教室ですか?」
「社会科教室です」
「わかりました、案内しましょう」
 何でもないことのように告げられた言葉に、あわてたのは望美だった。申し出はありがたいが、そんなことをすれば彼が授業に遅れてしまう。だが、それを言う前に少年はもう歩きだしていた。
「……どうかしましたか?」
 ついてこない望美を不審に思ったのだろうか、少し離れた場所で足を止め、少年が問いかける。
「いえ……何でもないです。案内、お願いします」
 一人で教室まで移動できないのも事実だし、こうやっている間にも時間は刻一刻と過ぎていく。少しためらったあと、望美はそう言って彼の背中を追いかけた。
 西側の廊下を渡って階段を上ると、すぐに社会科教室と書かれたプレートが目に飛び込んできた。少年はわざわざ教室の扉の前まで望美を案内し、では、と言って背を向けた。
「あの……!」
 うっかりそのまま見送りかけ、望美はあわてて呼び止めた。物問いたげに振り向いた少年に向け、丁寧に頭を下げる。
「どうもありがとうございました」
 少年は驚いたように一瞬目を瞠り、ふっと口元をゆるめた。
「いいえ、どういたしまして」
 会釈を返すと、少年は軽い足取りで階段を下りていく。少年の背中が完全に見えなくなるまで見送ると、望美は教室へと足を向けた。
 教室に入ると、友人たちが名前を呼びながら駆け寄ってきた。
「よかった……いつまで経っても来ないから、もしかして迷ってるんじゃないかと思ったわ」
「ごめんね、やっぱり私も一緒に行けばよかったね」
 ほっとした様子で言われ、ずいぶんと心配をかけてしまったのだとわかった。申し訳ないと思うと同時に、少しだけ嬉しくなる。自分の友人はこんなにも優しい人たちだ。
「すみません、ご心配をおかけしました。場所がわからなくて困っていたら、親切な人がここまで案内してくださったんです」
 望美の言葉に、千恵が目元を和らげる。
「自分も遅刻するかもしれないのに、わざわざ案内してくれたんだ。いい人だね」
「ほんとにね。どういう人だった? 男子? 女子?」
「えっと、男の人です。金髪で、白のブレザーを着ていました」
 そう告げると、二人は互いに顔を見合わせた。
「それって……」
「ええ、たぶんアイツね」
 納得したようにうなずく二人に首を傾げる。まるで見知った人物であるかのような言葉だ。知り合いかとたずねると、名前と顔くらいは知っていると返された。
「それ、四組の中須(なかす)(はるか)よ。間違いないわ」
「四組の、中須くん……」
 繰り返しつぶやいたところでチャイムが鳴った。準備室の扉を開けて教師が教室に入ってくる。着席をうながされ、三人はあわてて各自の席へと散っていった。


「あれ、まだ帰ってなかったんだ?」
 教室に入ってくるや否や、小百合が意外そうに声を上げた。そのうしろには同じように驚いた顔の千恵がいる。ホームルームも終わってかなり経つというのに、望美はまだ自分の席でクラブの一覧表とにらめっこをしていた。
 かけられた声に、望美は紙面から顔を上げる。
「ええ、湊くんを待っているんです」
「一組の時任? ああ、そういやイトコなんだっけ?」
 勝手に望美の前の席に座りながら、小百合がそう声を上げた。
「はい、今日は部活動があるとのことで。先に帰ってもいいと言われたんですが、家に帰ってもどうせこれを見ているだけですから」
 そう言って一覧表を持ち上げてみせる。
「そういうお二人はなぜ教室に?」
 それぞれ部活動があると言って、ホームルームが終わるなり教室を飛び出していったのを覚えている。もう終わったのかと問うと首を横に振られた。
「あたしは一時休憩――ていうか、逃げてきたって感じ? 会議がもめちゃって、部活どころじゃなくなったのよ」
 ややオーバーリアクション気味に肩をすくめて小百合が苦笑する。彼女の所属する文芸部は定期的に部誌を作成するのだが、その方向性を決める会議はいつも派手にもめるのだ。一週間くらいぶっ通しで議論してもまとまらないなんてことも多かった。
「私は忘れ物を取りに。部活が終わってからでもよかったんだけど、それだと忘れちゃいそうで」
 小さく舌を出しながら、千恵は机の中からプリントを取り出した。来週が提出期限の宿題だ。
「で、相変わらず難航してるの?」
 一覧表を指さして問われ、望美は苦笑した。今日は金曜日だから、期限まであと一週間しかない。決めるどころか、候補のリストアップすらできていない状態だ。もしかしたら、クラブではなく委員会に候補を絞って探すべきなのかもしれない。
 そう言おうと口を開きかけた時、ガラリと勢いよく教室の扉が開け放たれた。
 室内になだれ込んできたのは黒い全身タイツを身にまとった集団だった。テレビのヒーローモノに出てくるような下っ端戦闘員にとてもよく似ている。
 彼らは口々に奇声を発しながら教室の四方へと散ると、一部の机を壁際に押しやり、積み上げた。作った空間を取り囲むようにして立つ。
 各々のポジションにつくと、それぞれ右手を高く掲げたり、握った拳を左胸に当てたりと様々な敬礼ポーズを取る。もう一度、声を揃えて奇声を上げた。
 それが合図だったのだろうか。高く靴音を響かせ、一人の人物が教室に入ってきた。鮮やかな藍色の詰め襟制服を身にまとい、肩からは白い懸章をかけている。顔の上半分を白い仮面で覆ったその人物は、望美と同じくらいの年齢の少年のようだった。
 彼は教壇のあたりまで歩いてくるとそこで足を止め、ぐるりと教室内を見渡した。どこか芝居がかった様子で右手を伸ばし、
「これより征服を開始する」
 声高にそう宣言した。周囲の全身タイツたちが敬礼ポーズを取り直して奇声を上げる。
 その一部始終を望美は唖然として見守っていた。何だろう、この集団。コスプレ?
 呆気にとられる望美とは対照的に、教室に残っていた生徒たちから歓声が上がる。小百合も嬉しそうに手を打ち合わせた。
「【コンクエスト】だ! 遭遇するなんて運がいいわよ」
 小百合の声に合わせるように、教室前方に設置されたスピーカーからけたたましいアラーム音が鳴り響く。それこそアニメや特撮の効果音として出てくるような警報音である。
『一年三組の教室が【世界征服部】によって征服されました! 【正義の味方部】はただちに出動してください! 繰り返します、一年三組の教室が征服されました! 【正義の味方部】はただちに出動してください! なお、この放送の終了と共に出動判定が開始されます。――征服完了まで、残り十分!』
 せっぱ詰まったような声がスピーカーから流れる。それが終わるや否や、軍服めいたデザインの衣装をまとった一団が教室に飛び込んできた。それぞれデザインは異なるが、一様に仮面で顔を隠している。彼らはその手にカメラや集音マイクなどの放送機材を抱えており、先頭にいる者は首からテーブルのような大きな板を吊り下げ、手にはマイクを握りしめていた。板の上には【実況席】と書かれたプレートが設置されている。
 【実況席】を抱えた者が教壇に背を向けて立ち、機材を持った者たちがそれを取り囲む。何名かが空いている席に座り、ノートパソコンを広げた。
 彼らの布陣が完了すると同時に、黒板の左上に設置されたテレビに自動的に電源が入った。映し出されたのはこの教室だ。
「こちら【特殊報道部】、ただいま現場となった一年三組の教室に到着しました。これより中継を開始します」
 リポーター役なのだろう、【実況席】を装備した少女がカメラに向かって叫んでいる。カメラがぐるりと動き、それに併せてテレビの中の映像が教室内をなめるように移動する。望美たち三人がアップで映し出された。
「うふふ。一度アレやってみたかったのよね~。さぁ、準備はいい?」
 にやにやとしまりのない顔で笑いながら、小百合がせーの、と音頭を取る。口の前でメガホンのように両手を揃え、
「「助けてー、【正義の味方部】ー!」」
 ひどく楽しげに、小百合と千恵は声を揃えてそう叫んだ。教室のあちらこちらから同じような唱和が起こる。気づけば、いつの間にか廊下には人だかりができていた。そこからもきゃあきゃあと歓声が上がっている。
 望美には何が起こっているのかサッパリわからない。できるのは現状を見ていることだけだ。
 再びアラームが鳴り響き、スピーカーから悲鳴じみた声が上がる。征服完了まで、残り九分!
「あの……これ、何ですか……?」
 ようやく疑問を口にする。何これ、何が起こっているの?
「何って、【コンクエスト】じゃないの。この学園の名物よ?」
 こんくえすと? とオウム返しにつぶやく。
「うん。【世界征服部】と【正義の味方部】による、高等部校舎の争奪戦のことだよ」
 そう千恵が説明してくれるが、いま一つ理解が追いつかない。【世界征服部】? 【正義の味方部】? 部ってつくことは、クラブ活動の一環なのだろうか?
 疑問符を頭に浮かべる望美の横で、リポーターがまたカメラに向かって叫んでいる。
「【正義の味方部】は未だ現れておりません! このまま【世界征服部】によって征服されてしまうのでしょうか!? 教室には巻き込まれた生徒の姿もあります!」
 カメラが向けられたのをいいことに、きゃー、とわざとらしく悲鳴を上げる小百合。
 とりあえず状況を把握しようと、望美は周囲に視線を向けた。隣で報道機材を抱えている連中が【特殊報道部】というらしい。最初に教室に入ってきたのが【世界征服部】。たぶん、まわりの黒い全身タイツの集団はいわゆる【戦闘員】というヤツで、あの目立つ詰め襟制服の少年が指揮官なのではなかろうか。
 一つ一つ指さして確認する。うん、きっとそうだ。
 詰め襟制服の少年は腕を組み、教卓に背を向けて立っていた。時折確認するように教室内に視線を向ける以外は壁に視線を注いでいる。何か気になったのか肩からかけた懸章を直し、また腕組みする。
 肩幅に足を開き、まったくブレることのない綺麗な立ち姿に思わず見とれた。望美の視線に気づいたのか、少年がこちらに目を向けた。束の間見つめ合い、気まずくなって望美は目をそらす。
 スピーカーがまた叫んだ。征服完了まで、残り五分!
「しっかし今回は遅いわね。いつもならもうそろそろ出動してる頃合いなのに」
 じれたような小百合の言葉に千恵がうなずく。
「まさかこのまま不戦勝なのかなぁ」
 時計と開け放たれたままの扉とを見比べ、残念そうにつぶやく。隣に立つ【特殊報道部】も、どこか焦ったような声で【正義の味方部】の到着を待つ旨を叫んでいる。
「我々に恐れをなしましたか、【正義の味方部】。ならば正義を語るなどやめてしまえばよいのです」
 あざけるように少年が言い放つ。それにかぶさるようにスピーカーが告げる。征服完了まで、残り三分!
「ああ、このまま征服されてしまうのでしょうか!? 【正義の味方部】の助けを待つ者はここにいるというのに!! 正義がこの世に存在するのならば、今こそそれを体現すべき時ッ! 【正義の味方部】の到着を我々は信じて待っています!」
 握り拳でリポーターが叫ぶ。興奮からか、そのまなじりにはうっすらと涙が光っている。
『征服完了まで、残り六十秒ですッ!!』
 スピーカーの声はますます悲壮感を帯びてくる。【特殊報道部】や友人たちもひどく不安そうな顔をしていた。
 その時、遠くから音が聞こえてきた。猛スピードで廊下を駆けているような、そんな音。廊下にたかっていた生徒たちが道を空けるように左右に分かれる。
『征服完了まで、残り三十秒!』
 何度目かのカウントダウンと同時に教室内に人の形をした青い影が飛び込んできた。一回転して器用に立ち上がる。
 光沢のある青いスーツ、肘と膝まで届く純白のグローブとブーツに、頭部を覆うフルフェイスのヘルメット――まるで戦隊モノで見るようなヒーロースーツに身を包んだその人物は、抱えていた大きなスケッチブックを頭上に掲げた。
“【ジャスティスブルー】ただいま参上!”
 用紙一面に黒のマジックでそう書かれている。体型からして男だと推測されるその人物は一度スケッチブックを下ろしてページをめくった。ふたたび頭上に掲げる。
“我々【正義の味方部】がいる限り、お前たちの好きにはさせないぞ、【世界征服部】!”
「【正義の味方部】です! 正義の体現者がついに現れましたッ!」
 リポーターが握った拳を吊り下げたボードに叩きつける。感極まった、まさにそんな声音だった。スピーカーからも【正義の味方部】が出動したことが叫ばれる。
「もう、冷や冷やさせるんだから!」
 小百合もどこかほっとしたようにそう声を上げた。
 歓喜に包まれる一角を冷めた眼差しで見やり、少年は鼻で笑った。
「ようやく来ましたか。遅刻寸前の学生でもあるまいに、正義の味方が滑り込みというのもいかがなものかと思いますがね?」
 腕組みを解いて教室中央へと足を進める。くるりと反転し、少年は男を見やった。
「この【青藍(せいらん)】が引導を渡してあげましょう、【ジャスティスブルー】」
 かかとを鳴らすと、腰に佩いた剣を抜いて前方に突き出した。さすがに本物ではないだろうが、ギラリと光る刀身は迫力があった。
 それに一瞥をくれ、【ジャスティスブルー】と呼ばれた男はスケッチブックを手元に引き戻した。また一枚ページをめくる。呆然と成り行きを見守っていた望美の前に立つと、彼はスケッチブックを差し出した。
“しばらく持っていて”
 望美が文字を読んだのを確認すると、問いかけるように首を傾げる。
「こんな役割を与えられるなんて、まずないわよ! はい、って言いなさい!」
 呆気にとられたように見上げる望美を肘で突き、小百合が小声で叫んだ。問うように千恵を見やれば、彼女も笑顔でうなずいている。もう一度【ジャスティスブルー】を見上げ、望美はかすかに、だがしっかりとうなずいた。
 スケッチブックを預けた【ジャスティスブルー】がゆっくりとした足取りで教室の中央へと向かった。【青藍】と名乗った少年と対峙する。
 睨み合う両者を緊張した面持ちで周囲が見守る。ごくりと誰かの喉が鳴ったのを合図に、両者は動いた。
 鋭い踏み込みから跳ね上げるように切っ先が踊った。だがそれはスーツをわずかに掠めたのみで【ジャスティスブルー】には届かない。
 回避運動で身を沈めた体勢から【ジャスティスブルー】が足払いをかける。飛びすさった【青藍】を追い、低い姿勢から伸び上がるようなアッパーカット。身をのけぞらせて【青藍】はその一撃をかわした。そのまま背中から倒れ込むと思われたが、床を蹴り、左手を支点に一回転して着地した。
 攻守が逆転する。
 胸の位置で水平に剣を構えた【青藍】が床を蹴った。踏み込みの勢いそのままに、体当たりするかのような突撃。
 当たれば無傷ではすまないその一撃だが、見切るのは容易だ。ひょいと一歩横に動く、それだけで回避は完了する。すれ違いざまに半円を描くような動きで左腕を伸ばして【ジャスティスブルー】は手刀を叩き込む。前方に上体を倒し、【青藍】はそれをかわした。
 めまぐるしく攻守は入れ替わり、だが互いに致命的な一撃を与えることができない。


 興奮しきったリポーターの実況解説を聞きながら、望美は呆然とその戦いを見つめていた。何だこれは、いったい何が起こっている? わけがわからない。これが部活動の一環だというのなら、あの二人は高校生ということになる。だが、はたして高校生ごときにあれほどの動きができるのだろうか? まるでテレビの中の殺陣(たて)のような、あんな動きが。
 混乱しながら、けれども食い入るように彼らの戦いを見つめる。ふと違和感を覚えた。
 【青藍】の動きに併せて激しく揺れる金糸の髪。カツラという可能性もあったが、あの色艶は人工的なものではないと確信があった。まさか、あれは――。
「中須くん……?」
 こぼされたつぶやきは、誰の耳に拾われることもなく喧噪に溶けて消えた。


 何度目かの激突の末、【ジャスティスブルー】が攻撃を捌きそこねて弾き飛ばされた。戦闘員を巻き込みながら机の山に突っ込む。
 油断なく構えたまま相手の様子をうかがっていた【青藍】だったが、立ち上がってくる気配がないのがわかると剣を一振りして鞘へと納めた。乱れた衣服を整え、右手を前方に差し伸べる。
「この教室は【青藍】が征服した!」
 勝ち名乗りに、戦闘員たちが敬礼して奇声を発する。
 【青藍】は最後にぐるりと教室を一瞥すると、来た時と同じように靴音を高く響かせて出ていった。元のように机を並べ直した戦闘員たちがそのあとに続く。
「【ジャスティスブルー】破れたりッ! 一年三組は【世界征服部】によって征服されました!!」
 カメラに向かって叫ぶリポーターの声を聞きながら、望美は立ち上がった。未だ倒れたままの【ジャスティスブルー】に近づいてその胸にスケッチブックを押しつけると、くるりと身をひるがえして廊下へと飛び出す。
 視線を巡らせると、左手に戦闘員たちに囲まれた【青藍】の姿が見えた。そちらに向かって駆け出す。
「あ、ちょっと、望美!?」
「どこに行くの!?」
 あわてたような友人たちの声が追いかけてくるが、足を止めるわけにはいかない。
 廊下の端まで追いかけたところで藍色の背中を見失った。渡り廊下にその姿がないところをみると、階段を上ったのか、あるいは降りたのか。
 階段の前で周囲を見渡していると、友人たちが追いついた。
「急に飛び出して、いったいどうしたって言うのよ?」
「何かあったの?」
 心配そうに顔をのぞき込まれた望美はかぶりを振った。
「いえ……何でもありません」
 本当に? と何度も問いつめられたが、何でもないと言い張る。納得できないような顔をしていたが、二人はやがてうなずくとそれぞれ抜け出した部活動へと戻っていった。
 教室へと戻ると、【特殊報道部】も撤収したのか、先ほどの騒ぎが嘘のような静けさだった。望美も何事もなかったかのように自分の席に座り、元のようにクラブの一覧表を開き直す。
 しばらくすると、息を切らせて湊が教室に飛び込んできた。
「ごめん、お待たせ!」
 顔の前で手を合わせた湊に、小さく笑う。
「いいえ、大丈夫ですよ?」
 答えながら、鞄に一覧表をしまう。帰ろうか、という言葉にうなずくと、二人で教室をあとにした。


「今日の【コンクエスト】、望美のところの教室だったんだな」
 茜色に染まる坂道を歩きながら、びっくりしたんじゃないかと湊が問いかける。
「そうですね。すごくびっくりしました」
 望美の言葉に、やっぱりと湊が苦笑する。
「なんて言うか、全体的に派手なんだよなぁ。やりすぎって言うか。まぁ、あれがいいって言うヤツも多いけど」
 わずかに眉を寄せたその表情に、おや、と首を傾げた。あまり歓迎していないかのような言いぐさだ。そう問いかけると、湊は微妙な表情でうなずいた。
「たしかに面白い方がいいんだろうけど……オレはもうちょっと控えめでもいいんじゃないかって思うな。放送とか、わかってても心臓に悪いし」
 思い出したのか、げんなりとした顔で湊は心臓のあたりを押さえた。たしかに、あのアラームは心臓に悪いことこの上ない。一分おきに鳴るあたり、特に。
「でも、案外気に入ってるんじゃないですか?」
 ふっと笑って問いかけた望美に、湊は驚いたように目を瞠った。
 何だかんだ言いつつも、【コンクエスト】について語る彼の顔はとても楽しそうだ。本当に迷惑だと思っているのなら、きっとあんな風には笑わない。
 そう指摘され、湊ははにかむように笑った。
「……うん、そうだな。やりすぎ感はあるけど、楽しいから好きだよ」
 心からの言葉だとわかる笑顔に、望美も笑みを浮かべる。
「あの、月曜日なんですが、用事があるので少し早めに登校しようと思うんです」
 会話に区切りがついたのを見計らい、望美は口を開いた。
「どれくらい早く出るんだ?」
「いつもより三十分くらい早く出るつもりです」
 望美の答えに、了解と湊はうなずいた。
「じゃあ、それにあわせて朝食と弁当を用意するな」
 平然と言われ、思わず間抜けな声が出た。
「あの、悪いですよ。自分で用意しますから」
 むしろ遼平と湊の分も作って置いておくつもりだったので面食らった。そう訴えるも、湊は譲る気配がない。一緒に行こうかとまで言われた。
 しばらく押し問答を続けた結果、湊の同行は断れたものの、朝食と弁当は二人で一緒に作るということで落ち着いたのだった。
製作者:篠宮雷歌