学園都市シュルトバルト 10

 専門課程の終了許可を得られたのは、さらに一ヶ月経ってからのことだった。予科課程終了までに七ヶ月かかったことになるが、これが早いのか遅いのかはよくわからない。
 (もっと)も、すぐに本科生として遺跡の探索ができるわけではない。本科生に上がるための昇格試験を受けなければならず、そしてそれは合格するまで毎月繰り返されるのだ。


 月初めは教師陣が忙しいためか、本科課程昇格試験が行われたのは第二週の月曜日だった。
 試験の説明のためだろう、集合場所に指定されたのは講義室の一つだった。
 特に席順の指定があるわけでもないらしく、生徒たちは各々(おのおの)好きな場所に陣取っている。少し考え、結局いつものように前の方の席に座ることにした。
 始業の鐘が鳴ると同時にガラリと音を立てて教室の扉が開かれ、複数の教師が入ってくる。バーンズ先生を筆頭に、なぜか全員探査術式(ソナー)学科の教師だ。たまたま彼らが手透(てす)きだったという可能性もあるが、あえて集められたと考えた方が自然だろう。
 教壇に向かったバーンズ先生以外の教師は、手にした書類を生徒たちの前に配り始める。まるで筆記試験が始まるかのような光景だが、今日行われるのは遺跡での実地試験のはずである。
「では本科課程昇格試験について説明を行いますので、よく聞いてください。これより転送術によって遺跡内に移動させますので、地図を作製しつつ遺跡を踏破して学園へと戻ってきてください。転移先は複数設定されており、誰がどこに移動するかは我々にも把握できません」
 想定外の発言だったのだろう、生徒たちから戸惑いの声が上がった。一部落ち着き払った面々が見受けられるが、おそらく彼らはこれが初回ではないのだろう。
 どよめく生徒たちを静めると、バーンズ先生は説明を再開した。以下は質問タイムでの質疑応答も含めた概要である。

・転送術によって遺跡に移動させられる。転移先(スタート地点)は複数あり、どこに飛ばされるかは不明。同一地点で複数人がスタートという可能性もある。

・スタート地点からの地図を作製しつつ、遺跡を踏破して学園に帰還すれば無事合格。評価対象は地図の精度と帰還の成否。いかに危険を避けて遺跡を踏破できるかを見るのが試験の趣旨であり、戦闘力は加味されない。遺跡内で即席のパーティを結成することは可能だが、地図はそれぞれで作製・提出すること。

・試験の対象となるエリアは事前に魔物の討伐が済んでいる。また安全確保のために黄色の腕章をつけた冒険者がエリア内を巡回しているので、救助を求めれば学園まで送り届けてくれる。ただし救助申請すると試験には落第となる。

「では、これより修練場へと向かいます」
 衝撃覚めやらぬ者も多い中、バーンズ先生の言葉を合図に無情にも試験は開始されたのであった。


         ◆


 一瞬の無重力感の後、遺跡内への転送は完了した。体質によっては乗り物酔いに似た症状も出る、などと脅されたりもしたがどうやら大丈夫だったらしい。
 しばらくすると暗闇に目が慣れたのか辺りの様子がうっすらと見えるようになってきたが、やはり地図を書いたりするには暗すぎるので、配布されたランタンを()けることにする。これは内部に術式(フォーミュラ)が仕込まれた特別製で、触れても火傷(やけど)することはなく、また破損したりしない限り水に沈めても明かりが消えないらしい。図書館のランプと同じ仕組みだろうか?
 ランタンを手に周囲へと視線を巡らせると、どうやらこの場所は石を積み上げて作られた建物の内部のようだった。通路部分に該当するのか、前後にまっすぐ道が続いている。一部崩れている場所も見受けられるが、それを除けば特に劣化している様子はない。こういった点も、この遺跡が古代都市アルフリーゼであるとされた根拠の一つなのだろう。
 どうやらこの場所に転移されたのはわたし一人らしく、周囲に人影は見当たらなかった。
「そういえばゲームでも単独スタートだったっけ」
 くすりと笑いながらつぶやくと、わたしは邪魔にならないようにランタンを腰のベルトから吊り下げた。壁際に背中を向けると、探索用の陣を描いて目を閉じる。
 光の輪が広がっていき、わたしを中心とした周辺の地形が白く浮かび上がる。それによると左手側は行き止まりとなっているらしい。一方の右手側はまっすぐに道が続いている。
 とりあえずこの場所を地図に起こしてから移動しようと用紙を取り出し、ハタとわたしは動きを止めた。
 さすがにゲームと違って術式(フォーミュラ)での地形探査時に現在地の座標なんてものも表示されなければ、常に北が上ということもない。与えられた用紙はそれなりに大きいが、書き込む場所を間違えるとスペースが足りなくなる可能性もあった。
 さてどの場所に書き込むか、と考えることしばし。ふと引っかかりを覚え、わたしは再度探索術を起動した。先ほどよりも広い範囲を探るよう意識すると、下側の大部分は壁か何かであるようだった。
「壁が多いってことは、こっち側はマップの端になるはず……。で、あっちは行き止まり……」
 通路を指さしてつぶやきながら、記憶の中のゲームの知識を引っ張り出す。たしか、この階層は一番外側がぐるっと一周大通路で取り巻かれ、そこから内部に向けて小部屋や大部屋が通路で繋がるという構造だったと記憶している。しかし大通路の一角が崩落しているため、そこだけ通行不能となっていたはずだ。
「外周南東に下層への階段があって、たしかそこから北側()に行く通路が途中で崩落してたはずだから……ここは外周通路の北東辺り?」
 記憶を前提とした推測なので間違っている可能性もあるが、その時はその時である。用紙の裏側にでも地図を書き直せば済むことだ。周辺の地形を地図に書き記すと、わたしは杖を手に歩き出した。
 一定歩数ごとに地図を記しながら進んでいると、前方に扉を見つけた。中央の大広間が地上部に繋がる場所であるため、迷わず扉を開けて部屋の中へと入る。
 室内の様子を地図に記そうと周囲を見渡し、わたしは小さく苦笑した。
「構造的にわかってたけど、いきなり三方向に扉かぁ……」
 下手したら迷うヤツ、とつぶやきながら何気なく背後へと視線をやり……。
「そして一方通行扉ですか」
 そこに、今し方入ってきたはずの扉は存在せず、ただ石壁だけが続いていた。DRPGではトラップの一環としてよくある構造だが、実際目にすると戸惑うことこの上ない。どういう造りなんだ、コレ。
 物珍しさも手伝ってしばらくペタペタと扉があったはずの壁を触っていたものの、不意に我に返った。こんなことをやっている暇はない。
 気持ちを改め、室内へと視線を巡らせる。
 扉は三つ。最終的には中央の広間に辿り着くはずなのでどの道を進んでもいいのだが、運が悪いと外周通路に逆戻りということもあり得る。迷路攻略法の定番である、【右か左の壁沿いにずっと進む】という方法は使えないだろう。
 考えていると、不意に頭上で物音がした。弾かれたようにそちらを見上げるが、特に何も見当たらない。
「オオサンショウウオとか降ってきそうでヤだなぁ……」
 オオサンショウウオは足の吸盤で天井や壁に張り付き、暗がりから急に飛びかかってくる習性がある。そうやって餌を取るのだと言われているが、高いところを好むが体重を支えきれずに落っこちる鈍くさいヤツだという説もある。個人的に、かわいいので後者の説を採りたい。

 ――話がそれたので戻そう。
 事前に試験エリアの魔物の討伐は済んでいるとの話だし、安全確保のために大勢の冒険者が動員されて巡回している。そう言われても暗がりで一人というのは、やはりどうにも不安だった。ランタンに揺らめく己の影や足音の反響にすら、魔物ではないかと身構えてしまうことがある。
「……誰かと合流したいな」
 つぶやいて、わたしは探索用の陣を描く。
 目を閉じてゆっくりと意識を広げていくと、右前方にオレンジ色の光点が一つ浮かんでいるのが見えた。幸いなことにさほど遠くはなさそうなので、そちらを目指して進むことにした。
 新たな部屋に入るごとに地図を記し、術式(フォーミュラ)で周辺を探る。出口から若干離れていっているのが不安要素であるものの、追っている生体反応にはかなり近づいている。うまく行けば次の部屋辺りで合流できるかもしれない、と考えたところで、ふとあることに気づいてしまった。
「え、ちょっと待って。コレ、もし魔物の反応を追ってたりしたらマズイんじゃ……?」
 そう。生体反応ではあるが、()()()()()()()()のである。今になって危険性に気づいて血の気が引いていく。
 思い起こせば、ゲーム中ではこの術式(フォーミュラ)索敵用(、、、)のものだった。
「……詰んだ」
 思わず天を仰いで呻く。どう考えてもアウトだ、コレ。巡回中の冒険者が、戦闘不能となったわたしを早めに発見してくれることを祈るばかりである。
 若干現実逃避気味にそんなことを考えていると、扉が開く音がした。
「あれ、ルーシャ?」
 聞き覚えのある声に顔を向けると、そこにいたのはアイザックだった。あからさまにホッとした様子のわたしに首を傾げつつ、彼は背後を指で示した。
「この先に進んでも行き止まりだぜ。部屋に入ったらドアが消えてしまったからな」
 いや驚いた、とどこか冗談めかしたその言葉に、わたしはどうにか笑みを返す。
「で、きみはこんなところで立ち尽くして何やってるんだ?」
 首を傾げて問いかけたアイザックだったが、不意にニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「そう言えば前も都市部で迷子になってたよな。探査術式(ソナー)学科のくせに方向音痴か?」
「学科と方向音痴か否かは関係ないと思うよ?」
「いや、方向音痴だからこそ探査術式(ソナー)学科を主学科(メイン)に選んだ、とか」
「違います!」
 ムキになって否定した後、二人揃って笑い出す。他の生徒と合流して緊張がほぐれたのは、もしかするとアイザックも一緒だったのかもしれない。
 ひとしきり笑った後、わたしは合流目的で生体反応のある方向に来たことを説明した。けれどもそれを聞いたアイザックは眉をひそめて口を開く。
「それ、人間と魔物との区別はつくのか?」
 痛いところをツッコまれ、わたしは思わず明後日の方向に視線をそらす。
「……ほら、事前に魔物の掃討は済んでるって説明されてたじゃない? だから、よっぽど運が悪くない限りは大丈夫かなって」
「つまり区別はつかないんだな?」
 ジト目で追及してくるアイザックに、わたしは目をそらしたままうなずいた。盛大なため息が聞こえてくる。
「まったく、きみは本当に危なっかしいな」
 呆れたと言いたげな声に、わたしはぐうの音も出ない。正に彼が指摘するとおりだったからである。
「ここで会ったのも何かの縁だし、僕も一緒に行こう」
「ほんとに!?」
 ぱっと顔を上げて聞き返すと、アイザックはまた人の悪い笑みを浮かべてうなずいた。
「きみを放っておくと、何をしでかすかわからないからな」


         ◆


 部屋の出入りのたびに地図を書き、道が分岐していれば周囲の地形を術式(フォーミュラ)で探る。今までとやっていることは同じはずなのだが、一人ではないというだけで不安は解消された。我ながらずいぶんと単純なものである。
「こっちの方が中央に近づくはずだから、この道にしよう」
 術式(フォーミュラ)での周囲の探査を終えてわたしがそう言うと、アイザックはふと眉を寄せた。わずかに首を傾げ、何かを探るように周囲へと視線を向ける。
「……アイザック? どうかしたの?」
「足音が聞こえた」
 わたしの問いに短くそう答えると、背負っていた大盾を下ろして構える。どうも彼が武器として選択したのは盾らしい。ちなみに学科は主学科(メイン)医術式(メディック)副学科(サブ)が前衛である。武器ともども、なぜそうなったのかじっくり聞いてみたいところだが、今はそれどころではない。無事に学園に戻ったら追及しようと心に決め、わたしもアイザックの後ろで武器を構える。ちなみにわたしの武器は杖とは名ばかりの棒――所謂(いわゆる)(こん)である。
 しばらくすると、わたしの耳にもかすかな足音が聞き取れた。周囲を探りながら歩いているような、ゆっくりとした間隔。どこか軽さのある音から、体格が小柄なのか、あるいは軽装なのかもしれない。
 相手の持つランタンであろう小さな光が見えたところで不意に足音が途絶え、そして駆け出したのか早いものへと変わる。
「よかった! ようやく人に会えたよ」
 闇の中からかけられた声には安堵の色が滲んでいる。どこか中性的で甘い響きのその声に、わたしは聞き覚えがあった。
「……メルヴィン?」
 首を傾げてつぶやくのとほぼ同時に、相手の姿がランタンの淡い光の中に浮かび上がった。
 柔らかそうな金茶の髪に、大きな深緑の瞳。いつもは満面の笑みを浮かべているその顔は今にも泣き出しそうにゆがんでいるが、けして彼の美貌を損なうことはない。身に纏う攻性術式(アサルト)学科を表す赤色の制服の下衣がスカートであるのは、さすが女装男子と言うべきか。
 そんなどうでもいいことを考えていると、わたしのつぶやきを拾ったのかメルヴィンがこちらを向いた。その目が大きく見開かれる。
「うわーん、ルーシャ! 会いたかったよー!」
 彼もまた孤独から多少の混乱を来しているのか、そう叫んで飛びついてきた。すがるようにしがみついてくるメルヴィンの背中に腕を回し、安心させるように抱き返す。
「……知り合いか?」
 どう反応すべきかわからないと言いたげな顔つきで問いかけてくるアイザックに、わたしはうなずいた。
「うん、友達。入学試験の時に仲良くなったの」
「……そうか」
 そうつぶやいて、アイザックは構えていた大盾を地面に突いた。どこか戸惑いの残る顔で、警戒するように周囲へと視線を投げている。
「ほら、メルヴィン。いい加減落ち着いた?」
 ぽんぽんと背中を叩いて問いかけると、「うん」と耳元でうなずく声がしてメルヴィンの手が離れていった。わずかに湿ったその声に、よほど不安だったのだろうと想像する。
「ねぇ、何かあったの?」
 あまりの取り乱しように魔物でも出たのかと問いかけるも、メルヴィンは小さく(かぶり)を振った。
「ううん、別に何もないよ。ただ、ボク暗いところも一人でいるのも苦手だから、それで不安になっちゃっただけ」
 ごまかすようにわざとらしく笑ってみせたメルヴィンは、「ねぇ」と言ってわたしの顔を覗き込んだ。
「折角会えたんだから、ボクも一緒に行っていいよね? ダメって言われてもついて行くけど」
「すでに確定事項か」
 呆れの混じった声でアイザックがつぶやくも、その顔は仕方ないと言いたげに苦笑を浮かべている。
「……えっと、いいかな?」
「きみがそれでいいなら、僕は構わないさ」
 ほぼ意味のないわたしの問いかけに、アイザックは笑ってうなずいた。それにわたしはほっと吐息を漏らす。難色を示された場合、アイザックかメルヴィンのどちらかと別れなければならないからだ。
「ねぇねぇ、地図ってこんな感じの書き方でいいのかな。ついでにどっちに行けば外に出られるんだと思う? もう暗いところはヤだよぉ、早くお日様の光を浴びたい」
 矢継ぎ早のメルヴィンの言葉にわたしとアイザックは顔を見合わせて小さく笑い、それぞれの地図を取り出した。


 互いの地図を突き合わせて確認してわかったことは、第一にスタート地点の違いだった。わたしが外周部北東、アイザックが外周部の北側中央辺り、メルヴィンが外周部西側の辺りにそれぞれ転送されたらしい。このことから、スタート地点はすべて外周部に設置されているのだろうと推測する。わたしのゲーム知識が確かならば地上への出入り口は中央広間にあるはずなので、ほぼ間違いないだろう。
 次にわかったのは、アイザックとメルヴィンの地図が非常に大ざっぱであるということだ。たしかに与えられた用紙は方眼も何もない完全なる白紙なのだが、それにしてもちょっといい加減すぎないだろうかと思ってしまう。これは下手したら減点されるのではなかろうか?
「わぁ、ルーシャの地図スゴい細かいね! 売り物みたい」
「確かに。さすがは探査術式(ソナー)学科の面目躍如(めんもくやくじょ)と言ったところか?」
 わたしの地図を覗き込んで口々に褒めた後、彼らは揃って顔をこちらに向けた。
「写させて?」
「写してもいいか?」
 きれいにハモったその内容に、わたしはため息をつく。
「ダメです。地図は自分で書くことって言われてたでしょ?」
 試験開始前の注意事項を口にすると、二人は小さく舌打ちして拗ねたように顔を背けた。
 なるほど、バーンズ先生が口を酸っぱくして「地図は自分で書くように」と言っていたわけである。おそらくこうやって仲間内で出来のいい地図を写して提出する(やから)が多かったため、説明時に注意するようになったのだろう。……まぁ、地図を写したくなる気持ちはわからないでもない。わたしだって探索術使用時のイメージがなければ、地図の出来は惨憺(さんたん)たるものだったであろうから。
「そういえば、さっきこっちの道が中央に向かうとか言ってたよな、ルーシャ。あれはどういう意味だ?」
 渋々ながらも地図複製(カンニング)を諦めたらしいアイザックが、自分の地図をしまいながらそう問いかけた。その言葉を耳にしたメルヴィンもきょとんとした様子で首を傾げてこちらを見やる。
「ん? うん、そっちが出口だから。……たぶん」
 うっかり断言してしまったあと、怪しまれるかもしれないと思って言葉を付け加える。そもそもわたしの記憶違いという可能性もあるのだし。
「ホント!? でもどうしてわかったの?」
 ぱっと顔を輝かせて手を打ち合わせたメルヴィンが、抱いて当然の疑問に思い当たって首を傾げた。アイザックも信用しないとまではいかないもののやはり疑問には思っているらしく、わずかに眉を寄せて問いかけるような眼差しを投げかけている。
「今まで何度か術式(フォーミュラ)で周囲の地形を探っていたから、それで何となくそうじゃないかなって。さっき二人の地図を見せてもらって、ほぼ間違いはないかと思ってる」
「……気を悪くしないでもらいたいんだが、そう考えた理由を聞いてもいいか?」
 小さく手を挙げたアイザックが、ためらう様子も見せながらもそう問いを投げた。まぁ、普通はこういう反応になるだろう。わたしだって彼らの立場ならば疑問に思う。
「とりあえずこのフロアの構造なんだけど、一番外側を大きな通路が一周ぐるっと回っていて、その内側に大部屋や小部屋が通路で繋がった迷路のようなフロアがある。ここまでは納得してもらえる?」
 わたしは自分の書いた地図を取り出し、指で示しながらそう説明する。二人もまた自分たちの地図を取り出し、再度三枚の地図を突き合わせて確認がなされた。
「……確かに、言われてみるとそういう構造だな」
 スタート地点が北側に寄っているためマップの上半分ではあるものの、三枚の地図を重ねて一枚として見た場合、空白の下側も同じだろうと思わせる構図だ。
「で、探索術で周辺知識を確認した時、この迷路部屋エリアの内側に広間のようなものが見えたから、出口じゃないかと思ったのが理由の一つ。二つ目は、それぞれのスタート地点が外周通路だったっていうこと。普通に考えれば、スタート地点はゴールから離すものだよね?」
 わたしの言葉に二人はそれぞれ地図を見やり、考え込むように首を傾げた。
 実のところ、わたしの説明には致命的なまでに説得力がない。理由の一つ目は二人には確認のしようもないし、二つ目は統計と言うには母数が少なすぎる。今回試験に参加しているのは三十名ほどで、ここにいるのはそのうちの一割なのだ。残り九割の中に、外周通路以外の場所からスタートしている者がいないとは言い切れない。その点を追及された場合にどう答えれば、不審感を拭えるだろうか。
「んー、正直、ボクにはよくわかんない。ルーシャがそう言うのなら信じるよ」
 思考を放棄するかのようなメルヴィンの発言に、アイザックが眉を寄せた。彼の性格や人格形成に至る事情などの、所謂(いわゆる)【設定】を知っている身から見れば、まず理由の一つ目で突っぱねられる可能性が高い。彼は自分自身で確かめたことしか信じない主義だからだ。
 これは詰んだだろうか、と遠い目をして天井を見つめる。まぁ、ダメだったらアイザックの言う通りの道に進めばいいだけの話だ。どのルートを通っても、そのうち出口に辿り着くだろうし。……問題は時間(タイムリミット)との戦いであるということだけか。
 そう、この試験にはタイムリミットが設けられている。たとえ学園に帰還できたとしても、指定された時間を過ぎていれば容赦なく落第となってしまうのだ。とは言え、猶予はそれなりにある。よほどの方向音痴か不運な人間でもない限り、タイムリミットを過ぎるということはないだろう。
 アイザックは目を閉じると、そのまま己の思考に沈むかのように動きを止めた。やがて彼は大きくため息を吐き出すと目を開け、まっすぐにわたしを見つめた。
「わかった、きみの言葉を信じよう」
 静かに告げられた言葉に、わたしは驚いて小さく声を上げる。
「……いいの?」
 掠れたわたしのつぶやきに、アイザックはうなずいて口を開く。
「ああ。そもそもどの道を行けば出口に繋がるかわからないってのもあるしな。探査術式(ソナー)学科が示す道を行くのが効率的だろ。仮にダメだったとしても、そのうち出口に辿り着くさ」
 冗談めかした口調と笑みだが、どこか硬いのはそれが彼にとってギリギリの妥協点であるためだろうか。
「ありがとう」
 おそらく相当の葛藤があったであろうアイザックに向け、わたしは笑みを浮かべて感謝を告げた。


         ◆


 扉をくぐるごとに地図を書き、術式(フォーミュラ)で周囲の地形を探って中央に近づく道を選んで進む。そんなことを繰り返して進んでいると、不意にアイザックが足を止めた。それに気づかず彼の背中――厳密には背負われた大盾――にマトモにぶつかってしまったメルヴィンが小さく悲鳴を上げ、抗議する。けれどもアイザックは取り合わず、険しい眼差しを前方へと投げている。
「もう、何だって言うのさ」
 ぶつぶつと文句を言うメルヴィンに向け、わたしはくちびるの前に人差し指を立てて静かにするようにと合図を送った。不服そうな顔で首を傾げながらもメルヴィンはおとなしく口を閉ざす。
 アイザックを見やれば、彼は相変わらず前方の闇を睨みつけるようにしている。おそらくメルヴィンと合流した時のように何かを感じ取ったのだろう。医術式(メディック)で視覚や聴覚を強化すれば、常ならば聞き取れないような小さな物音なども感知できる。周辺を探っているアイザックの邪魔にならないように一歩下がると、わたしはそっと杖を地面に当てて陣を描いた。
 術式(フォーミュラ)が起動し、閉ざした瞼の裏側に白く地図が描き出された。まっすぐ続いた通路の先に、生体を示すオレンジの光点が多数(またた)いている。まるでそれぞれの陣営に別れるかのごとく、数個ずつ光が固まって対峙している構図。
「……まさか、誰か戦ってるの?」
「ああ。これはたぶん、戦闘音だ」
 無意識のうちにこぼれたつぶやきに答えが返り、思わず目を開けた。顔を上げると、険しい表情を浮かべたアイザックがこちらを見て小さくうなずく。
「え? 何、どういうこと?」
 一人状況を理解できていないメルヴィンが、戸惑ったように瞳を揺らして問いかけてくる。
 前方の通路に誰かがいて、何か――おそらくは魔物と戦っているようだと説明すると、メルヴィンは大きく目を見開いた。
「なんで!? 魔物の討伐は済んでるはずじゃなかったの!?」
「完全に掃討できたわけじゃないだろうからな。運が悪ければ遭遇することもあるだろ」
 何を当たり前のことをと言いたげな様子で吐き捨てたアイザックに、メルヴィンがむっと眉を寄せる。
「それでどうする? おそらくこの先は一本道……このまま進むと面倒なことに巻き込まれると思うが」
 胸の前で腕を組んだアイザックがわたしを見てそう問いを投げた。メルヴィンもどこか不安そうな様子でこちらに視線を向けてくる。
「アイザックの言うことも(もっと)もなんだけど、現状ほかの道はないよ」
 現在地――外周通路と広間との間に広がる部屋のエリアをプレイヤーたちが【迷路部屋】の通称で呼んでいたのは、文字通りの意味で迷路だからである。一方通行扉が多く配置されて引き返すことができない、あるいは無駄に遠回りを強いられる。現にわたしたちが先ほどくぐった扉は跡形もなく消え失せており、前方に続く道以外の選択肢はない。
 そのことを失念していたらしく、アイザックは大きく顔をゆがめた。
「相手が行ってしまうまでここで待ってるという選択肢もあるけど……」
「えー!? こんな真っ暗なとこにいつまでもいたくないよぉ!」
 妥協案を挙げるも、それにメルヴィンが悲鳴じみた声で異を唱えた。本気で嫌がるその様子に、アイザックは自分が折れるしかないと判断したのだろう。諦めたようにため息をついてつぶやいた。
「……わかった、進もう」


 何が起こるかわからないということで、大盾を構えたアイザックを先頭に、わたしメルヴィンという並びで進む。
 時折曲がり角はあるものの、まったく扉がない。これまでとは違う構造に、もしかしたら出口は近いのかもしれないと考えていた時だった。
 すぐ傍で金属が噛み合うような音が高く響き、わたしは思考の海から現実へと引き戻された。ハッとして顔を上げると、大盾を掲げたアイザックの姿。
 わずかによろめいたアイザックの向こうで何かが光を弾いた。それは円を描くような軌道でアイザックへと落ちていく。
 再びの金属音。
 舌打ちしたアイザックが大盾を横に振るようにして落ちてきた何かを弾き飛ばす。薄闇の中に見えたソレは猫のように身軽に一回転し、音もなく地面に降り立つ――寸前で派手に転んだ。呻きながら起きあがったその人物の右側頭部で一つに結われた髪が、まるで猫のしっぽのように揺れる。
「あれ~? もしかして魔物じゃないです?」
 ひどく意外そうな響きの宿る、間延びした甲高い少女の声。
「そのようですね。てっきり魔物かと思いましたが」
 先ほどの声と似てはいるものの、氷の如く冷ややかな響きの声が同意する。
 そちらへと視線を向けると、少女のものと思しき影が二つ闇の中に浮かんでいた。その後ろにさらに一つ、やはり少女のシルエット。
「ちょっと! 戦闘行動に入る前に、相手が魔物かどうか確認しろって授業で習ったでしょ!?」
 相手が人間――同じ本科生への昇格試験を受けている生徒だとわかったメルヴィンが憤慨したように叫ぶ。
「それは申し訳ありませんでした。ですが、悠長にそんなことをしていてお嬢様が怪我でもされたらいけませんので」
 冷ややかな声がどこか嘲笑の響きを(もっ)て告げる。声の感じもそうだが、言葉からして謝罪する気が一切ない。
 少女の三人組――字面だけ見ればどこにでもいそうな組み合わせなのだが、それが【慇懃無礼(いんぎんぶれい)】と【ドジっ子】をお供に従える【お嬢様】とくれば話は別である。そんな取り合わせ、ユーフェミア一行以外にいるはずがない。
 予想通り、ランタンの光の中に浮かび上がったのは焦げ茶色の髪をサイドテールに結った黒い制服に白の腕章の少女と、目つき以外は先の少女とまったく同じ顔立ちの、髪を二つ結びにした赤色の制服と白の腕章の少女だ。サイドテールの方がターラ・スウィフトで、二つ結びの方がフィリス・スウィフト。同じ家名やよく似た顔立ちから推測できる通り、双子の姉妹である。
 そして彼女らの後ろで守られるようにして立っているのは、鮮やかなピンクの髪をハーフアップにした白色の制服を身に纏った少女だった。彼女こそが【お嬢様】――ユーフェミア・アーサーズである。
 ああ、これは厄介な連中と遭遇してしまったと内心で嘆くも、最早時すでに遅しだ。
 とは言え、ぽわっとした見た目の印象通り、ユーフェミア自身に問題はない。厄介なのはお供――それもフィリスの方なのだ。
 フィリスはその紫紺の瞳に冷ややかな色を浮かべ、まるで品定めするかのようにわたしたちを眺めている。やがて彼女は小さくうなずくと口を開いた。
「ここで会ったのも何かの縁でしょう。頭数は多いほど良いです、合流してはいかがです?」
 一応疑問系ではあるものの、その提案はほぼ命令と言うべき上から目線なものだった。アイザックとメルヴィンが不機嫌そうに眉をひそめたのも無理からぬことだろう。
「試験の内容は地図の作製。戦闘をするわけでもなし、頭数が必要とも思えないが?」
「そうそう、別にボクたち困ってないし。それにキミたちと一緒に行きたいとも思わないね」
 相手に言い分にカチンと来ていたのは二人共なのだろう。アイザックが不機嫌そうに吐き捨て、メルヴィンもまた舌を出すという子どもじみた仕草をして煽っている。
 そんな二人の対応に、フィリスもまたその瞳に剣呑な色を浮かべた。
 一触即発の緊迫した空気を漂わせて睨み合う三者を遮るように、わたしはその間に割って入った。
「まぁまぁ、二人共。どうせ目的地は一緒なんだし、別にいいんじゃない? ……最終的にパーティ登録するかどうかは、また別の話だよ」
 最後の一言だけフィリスたちに聞こえないように声を潜めて告げたわたしに、二人は揃って「お人好し」とつぶやいた。
「きみはわかっているのか? アレは世界が自分の望むようにできていると思い込んでいるタイプだぞ?」
 眉をひそめ、蔑むようにユーフェミアを見据えてアイザックが吐き捨てる。それにうなずいて同意を示し、メルヴィンも口を開いた。
「むしろ厄介なのはお供の方だからね? お嬢様の望み通り(そういう風)にお膳立てする(やから)だから、甘い顔しちゃダメだよ。つけ上がらせるだけだから」
 あとあと絶対に厄介なことになる、と口を揃えた二人に、わたしは内心で同意する。まったく(もっ)て二人の言う通りなのだ。そしてすでに手遅れでもある。彼女らと出会ったが最後、その申し出を断る術はないのだ。――そう、これは強制イベントなのである。
 とは言え、そんなゲームシステム的なことを口にするわけにはいかない。わたしは二人を(なだ)(すか)し、拝み倒し、どうにかユーフェミア一行と同行することを納得させたのであった。


 ギスギスした空気であることを除けば、特段トラブルらしいものは起こらなかった。時折扉は見受けられたものの分岐点はほぼなく、わたしたちは中央に位置する広間へと辿り着いた。
 予想というか記憶通り、広間の天井部分は一部が崩落して外の光が射し込んでおり、地上からかけられた梯子が光の中に浮かび上がっていた。
「やった、出口だ!」
 ばんざい、と両手を挙げてメルヴィンが叫ぶ。彼は梯子へと駆け寄ると踊るようにその周りをくるくると回った。出口に辿り着いてよほど嬉しかったのだろう。ユーフェミアもまた、ほっとしたように表情をゆるめて梯子を見上げている。
「まったく期待していませんでしたが、意外と役に立ちましたね」
 相変わらずの冷ややかな眼差しと声音で、こちらを見やったフィリスがつぶやく。それがわたしに向けられたものであると考えるのは、別に被害妄想というわけでもないだろう。主学科(メイン)探査術式(ソナー)だからと嘲笑されるのは今回が初めてではない。
「戦闘ではなく、探索と帰還が主目的なら探査術式(ソナー)学科が主力となって当然だろう」
 こっそりとため息をついていたわたしは、擁護するようなアイザックの言葉に目を見開いた。顔を上げると、不機嫌そうに口を引き結んだアイザックがフィリスを睨みつけている。
 フィリスはわずかに片目を(すが)めてアイザックの視線を受け止めていたが、何も言うことなくふいと視線を外した。そのままユーフェミアの元へと向かうと、彼女を助けて梯子を登り始める。
「何なんだ、あの態度は」
「ほらほら、気にしない気にしない。わたしたちも地上に戻ろう?」
 宥めるようにアイザックの肩を叩くと、わたしはそう言って歩き出した。
「あのなぁ、きみがバカにされたんだぞ!? そもそもあいつらが勝手についてきたくせに!」
 なおも苛立ちが収まらないのか、そう吐き捨てるアイザックを振り返る。
「庇ってくれたのもそうだけど、わたしの言葉を信じてくれて嬉しかった。ありがとう」
 笑みを浮かべて最大限の謝辞を告げると、彼は呆気に取られたように目を(みは)り、それから眉をひそめて顔を背けた。ぽつりとつぶやく。
「……お人好し。だからきみは危なっかしくて……放っておけないと言うんだ」


 梯子を上った先は四方を頑丈そうな壁で囲まれた広間となっていた。そのうちの一面に扉が(しつら)えられている。あの扉の向こうが遺跡入口となっているはずだ。
 扉をくぐると、予想通りそこは各種カウンターの設けられた遺跡入口だった。扉のすぐ傍にあり、一番規模の大きなカウンターが入出管理用の窓口のはずなのだが、常ならば茶色の制服を着た事務員がいるその場所には、なぜか探査術式(ソナー)学科の教師が多数待機していた。
「本科昇格試験の受験生ですね。手形と地図を提出してください」
 わたしたちに気づいた教師の一人がそう告げる。その求めに応じ、わたしたちはカウンターに近づくとそれぞれ手形と地図とを取り出し、渡した。
 氏名を確認すると、教師は採点用であろう用紙から一枚を抜き取ってそれにチェックを入れ、こちらに手形を返却した。真剣な眼差しで地図の見聞を始める。
「……確認しますが、地図は本当に自分で書きましたか?」
 不意に(いぶか)しげな教師の声が聞こえてきて顔を上げると、ユーフェミア一行が教師から詰問(きつもん)されているようだった。内容から察するに、地図の複製疑惑をかけられているらしい。そういえばあの三人の地図を書いていたのはフィリスだった。
 当然ながら教師とフィリスのやり取りはアイザックとメルヴィンの耳にも入っていたのだろう。危うかったと言いたげな顔つきをしている。
「はい、結構です。こちらの書類を持って事務棟へ行ってください」
 わたしたちもとばっちりで妙な嫌疑でもかけられたのか、しばらく教師間で協議がなされていたものの結果が出たらしい。そんな言葉と共に一枚の封書がそれぞれに提示された。
 微妙に距離があいてはいるものの、目的地は一緒なためユーフェミア一行に続く形でわたしたちは事務棟へと向かった。
 試験の対応で人手が必要なせいか、常はガランとしている事務棟にはめずらしく多数の事務職員が待機していた。促されるまま、それぞれ事務職員に封書と手形を提出する。
「おめでとうございます。これであなたの本科生への昇格が認められたのです」
 あまりめでたくはないボソボソとした口調で事務職員の女性が祝辞を告げる。……うん? 一瞬聞き流しかけたけど、今、本科生昇格って言ったよね?
 聞き直すと、事務職員はうなずいて再度同じ言葉を繰り返した。続けて本科課程における授業のシステムについて説明を始める。
 彼女の説明を以下に箇条書きに纏める。

・本科生の授業は遺跡での実地訓練――探索が主となる。本科生同士で最大六名までのパーティを組むことが可能だが、その場合は事務棟で登録する必要がある。編成内容に変化があった場合は、そのたびに申請すること。

・事務棟内部に設置された掲示板に課題が貼り出されており、それぞれ指定された内容をこなせば単位が与えられる。課題をこなす場合は課題が書かれた紙片をカウンターに持って行き、登録手続きをすること。

・遺跡は進入許可が与えられた階層にのみ立ち入ることが可能。遺跡深部への進入許可は取得単位数に応じて随時与えられる。――進入許可のない階層に踏み込むのは勝手だが、その場合何があろうと学園側は関与しないのでそのつもりで。

「……ああ、これが一番重要なのですが、本科生になると生活費納入の義務が毎月課されることとなります。三回連続で滞納すると強制退学となりますので、ご注意ください。生活費は学園事務局経理部――遺跡入口の三階にて納入をお願いします」
 くれぐれもお忘れなく、と念を押すと、彼女は一枚の書類をこちらに差し出した。見れば支給される制服に関する申請書のようだった。
 そういえば、と思い出す。予科生の制服は基礎課程や学科で色の違いこそあれブレザーで統一されているのだが、本科生の制服はトレンチコートなのである。副学科(サブ)の腕章や学科に応じた色指定などは共通しているが、丈の長さや肩の部分にケープを取り付けるか否かというオプションを個人の好みで選ぶことができる。ちなみに女子制服の場合はこれにスカート丈の選択が加わるのだ。
 ざっと目を通し、希望のオプションにチェックを入れて書類を返す。事務職員は記入漏れがないか確認した後、了承の旨を告げた。
「本科生の制服は新たな手形と共に寮までお届けいたします。それが登録変更が終了した証ですので、その翌日から課題を受けることが可能となります。それでは、本日はお疲れさまでした」
 再度の祝辞と共に事務職員に送り出されたわたしは、待ちかまえていたユーフェミア一行に捕まった。アイザックとメルヴィンも同様のようで、迷惑そうな顔をしている。
 やはり来たかと諦観を抱いていると、当然のように彼女らとパーティを組むことを求められた。
「……だから言っただろう」
「ごめん。本当にごめんなさい」
 フィリスには聞こえないように吐き捨てるアイザックに向け、ひたすらに謝る。だが彼女らに遭遇してしまった以上、諦めるよりほかにはないのだ。なぜならば……。
「このメンツでパーティを組むということでよろしいですね?」
「断る」
「このメンツでパーティを組むということでよろしいですね?」
「だからイヤだって言ってるでしょ」
「このメンツでパーティを組むということでよろしいですね?」
「……人の話を聞いているか?」
 そう、彼女らの申し出(命令)を受諾しない限り、同じ選択肢がループし続ける仕様だからである。
「アイザック、メルヴィン、諦めよう……ずっと続くよ、これ」
 諦観の滲んだわたしの言葉に、二人はそろってため息をつくと天を仰いだ。


「本当にごめんね、二人共。わたしのせいで迷惑かけて……」
 嬉々とした様子のユーフェミアたちを見送ると、わたしはアイザックとメルヴィンに向けて頭を下げた。強制イベントだと初めからわかっていたわたしはともかく、二人にとってこの状況は想定外のはずである。何を言われるのも覚悟の上で二人の言葉を待っていると、ため息が揃って吐き出された。
「別にルーシャが悪いわけじゃないでしょ?」
「そうだな、主にあのお供のせいだな」
 意外な言葉におそるおそる顔を上げると、苦笑を浮かべる二人と目が合った。
「……怒ってないの?」
 そう問いかけると、「ルーシャには」という言葉が返ってきて戸惑う。どうしてだろう、どう考えてもここは怒られるところのハズなんだが。
「こうなるだろうなとは思ってたよ」
 そうため息混じりにアイザックがつぶやき、
「むしろルーシャを止められなかったボクらに非があるよねー」
 同意を求めるような調子のメルヴィンが首を傾げる。それにアイザックが苦笑いしながら首肯した。
「起きてしまったことはどうしようもないからな。ただ、次からは連中に甘い顔をするなよ?」
 今回のことでよくわかっただろう、と言うアイザックに向けて何度もうなずく。
「絶対だからね? ルーシャは押しに弱そうだから心配だなぁ」
 そう言ってメルヴィンも釘を差してくる。彼らの中でわたしはどういう認識をされているのだろうと思ったりもしたが、追及するのも怖いのでやめておこう。世の中知らない方がいいこともある。


 気晴らしに都市部に遊びに行くという二人と別れると、わたしは寮へと向かって歩き出した。
 教職員寮近くの雑木林に差し掛かったところで、道の端に立つ人影に気づいてわたしは足を止める。暗色のローブを身に纏い、顔を隠すかのように深くフードを下ろしているものの、その眼差しは間違いなくわたしへと向けられていた。
 一歩そちらへと近づくと、わたしは会釈して声をかける。
「こんにちは、ウォーロック先生」
 わたしの言葉に、その人は(いぶか)しげな声を上げた。フードから覗く三つ編みにされた白銀の髪が小さく揺れる。
「ウォーロック? ……もしかして、君は私のことをトレイシー・ウォーロックだと思っているのかい?」
 問いかける声には戸惑いと、その奥にわずかな嫌悪の色が潜んでいた。その反応に戸惑い、わたしは首を傾げる。
「……え? あの、すみません、違うんですか?」
 フード付きの暗色のローブという服装と教師しか知らないであろう情報を持っていたことから、てっきり医術式(メディック)学科の学科長であるトレイシー・ウォーロックだと思い込んでいたのだが違うのだろうか? だが彼女でないとしたら、この人は一体誰だ? まだわたしが遭遇していないキャラだというのだろうか? それとも覚えていないだけ?
 必死になって記憶を探っていると、その人は小さくため息をついて(かぶり)を振った。
「私はトレイシーではないよ。……そうだね、私のことはライルとでも呼んでくれればいい」
 先ほどの険しさは鳴りを潜め、以前会った時のような穏やかな声でその人は告げた。ライル……覚えのない名前だ。やはりわたしが遭遇していないキャラの可能性が高そうである。
「ライルさんですね。すみません、服装や先生方しか知らないようなことをご存じだったので、てっきりウォーロック先生だと思い込んでしまったんです」
「いや、気にする必要はないよ。名乗っていなかった私にも非はある」
 そう言って(かぶり)を振ると、ライルさんは口元に笑みを刻んだ。
「本科課程の昇格試験合格おめでとう。これで君も本科生だね」
 異様なまでの情報の早さを見せられたのはこれで三度目。最早驚くよりも、やっぱりかという納得の方が大きい。
「だけどこれからが本番だ。シュルトバルトの学生としての生活も、君を待ち受ける運命も。――ルーシャ、君は何を求めてこの街に来たんだい?」
 わずかに首を傾け、わたしの目を覗き込むようにしてライルさんが問いかける。その問いに、わたしはギクリと身を強張らせた。
 わたしがここにいる理由。それはずっと、わたしが見ない振りをして目を背けていたことだ。
 ゲームの主人公(ルーシャ・ティアニー)として転生したことは知って(、、、)いる。だけど彼女が何者であったのか、何を思ってこの場所に来たのか、それをわたし(、、、)は知らない。厳密に言うならば、おそらくこれは転生ではなく置き換えなのだ。主人公のポジションに置かれた、だからその役割を演じている。ただそれだけのことで、そこにわたしの意志はない。
 制服の胸元を握りしめて黙り込むわたしの不自然さには気づかないのか、それとも最初から答えなど求めてはいなかったのか。ふわりと笑みを浮かべると、ライルさんはどこか祈るような調子でささやいた。
「君は遺跡の探索に注力してもいいし、それ以外のことに情熱を傾けてもいい。ここで何をするのも君の自由だ。――願わくはどうか、君の願いが叶いますように」
 そう言ってもう一度私の目を覗き込むと、ライルさんはくるりと身をひるがえして歩き出した。
製作者:篠宮雷歌
《Back Menu Next》