スクールウォーズ 4

 午前七時三十分。早朝の学園は人の気配が希薄だった。混み合うバスを厭う生徒の登校時間にはまだ早いと見えて、遠くから朝練をしている運動部のかけ声が聞こえてくるくらいである。
 そんな学園の門をくぐり、望美は昇降口へと向かった。自分のクラスの三組ではなく、四組の靴箱がある場所だ。
 一番端からネームプレートを確認していく。【中須悠】と書かれた靴箱を見つけると、その扉を開けた。中に上履きが納められているのを確認して元のように扉を閉じる。くるりと背を向け、昇降口の外へと向かった。登校してくる生徒の邪魔にならない位置に陣取ると、ガラス戸に背を預けて校門へと視線を投げた。
 およそ二十分あまりそうしていると、ちらほらと人影が見えてきた。バス通学組の第一陣がやってきたらしい。
「あれ、望美? こんなところで何やってるの?」
 昇降口脇にたたずむ望美に気づいたのだろう、やや小走りで小百合がやってきた。いぶかしげな表情でそう問いかける。
「人を待っているんです」
「ふーん? まぁ、校門か昇降口で待ち構えてるのが一番確実かもしれないけど……相手が学校休むって可能性もあるからね? 遅刻しないように、適当なところで切り上げなさいよ?」
 何を考えているのか、ニヤリと笑った小百合はそう言った。がんばりなさいよ、とわけのわからないことを言って望美の肩を叩く。そのまま彼女は自分の靴箱へと向かった。
 その後千恵とも同じようなやりとりをかわしながら、さらに待つこと十分。ようやく目的の人物が登校してきたようだった。
 紺とえんじの制服の群れの中、ひときわ目立つ白いブレザー。陽光を受けて輝く金の髪を颯爽となびかせながら、彼はまっすぐに前を見据えて歩いていた。
 気合いを入れるように拳を握って小さくうなずくと、望美は足を踏み出した。


「中須悠くん、ですよね?」
 人の流れに逆行して近づいてきた少女に開口一番名前を確認され、悠は驚いたように目をまたたかせた。思わずまじまじと相手を観察する。
 黒いセーラー服と白いハイソックス、学生鞄を肩から提げ、伸ばした髪をきっちりと二つに編んでいる。丸縁の眼鏡の向こうにのぞく瞳からは、彼女が何を考えているのか読み取ることはできなかった。真剣な面持ちでまっすぐにこちらを見上げてくる。鞄を握る手は緊張からかかすかに震えているようだった。
 足を止めて見つめ合う二人に、周囲の生徒はあるいは邪魔そうな、あるいは好奇心に満ちた視線を投げて通り過ぎていく。居心地の悪さを感じながら悠は小さくうなずいた。
 目の前の少女には見覚えがあった。先週、社会科教室まで案内した転入生だ。あの時彼女に名乗った覚えはないが、あとから誰かに聞いたのだろう。
「そうですが、何か用ですか?」
「三組の在原望美と申します。少しお話があるのですがよろしいでしょうか?」
 問いかけに、ちらりと腕時計に視線を落とす。遅刻する心配はないが、あまりゆっくりもしていられない時間である。だが、それは相手も同じ条件だ。こんな時間に待ち構えていたということは長話ではないだろう。かまわないとうなずくと、相手はほっとしたように少しだけ表情をゆるめた。だがすぐにその顔を引き締める。

「【世界征服部】の【青藍】というのは、あなたのことですよね?」

 言われた内容に、全身の血が音を立てて引いていくのがわかった。思わず周囲を確認する。偶然人の流れが途絶えていたようで、今の言葉を聞いている者はいないようだった。
 安堵のため息をつくと視線を目の前の少女に戻す。目つきが険しくなるのを自覚しながら彼女を見据えた。いったい何を考えているのだろうか?
「こっちへ」
 低くささやくと、少女の手首を掴んで強引に歩き出す。周囲の好奇の視線が一層突き刺さるのを感じたが、外野にかまっている暇はない。
 校舎の横に回ると、少女を壁際に押し込むようにして立った。
「どういうつもりですか?」
 怒気を孕んだ声音に、少女が不思議そうに首を傾げる。その様子がさらに感情を逆撫でした。
「いくら転入して間がないとは言え、【コンクエスト】に関するルールは知っているでしょう? 正体に関しては言及しない――校則にすらなっているんですから!」
 悠の言葉に、少女は何を言われているかわからないと言いたげにまばたきした。
「すみません、それは今初めて聞きました」
 予期せぬ返答に悠は凍りついたように動きを止めた。知らない? そんなバカな!
「だって、生徒手帳くらいもらっているでしょう!?」
 生徒手帳と学生証は転入手続きを行ってすぐに交付されてしかるべきものだ。だが彼女は首を横に振った。
「もらっていません。制服と共に後ほど交付されると聞いています」
 きっぱりと断言する。
「つけ加えるなら、【コンクエスト】というのも先週の金曜日に初めて知りました」
 頭を殴られたような衝撃を受けて、実際よろめいた。【コンクエスト】なんて、この学園の高等部に通う以上絶対に知っていなければいけないものだ。それなのに、知らない?
 右手で額を押さえながら、もう一度少女を見やる。こちらを見上げる眼差しはどこまでもまっすぐだ。都合の悪いことを知らないと言ってごまかしているわけではないのだと思えた。ならば彼女は本当に何も知らないのだ。
 混乱のあまり頭痛がしてきた。こんなこと、自分では対処のしようがない。
 ため息をつき、わかりましたとつぶやく。
「きみが嘘を言っているようには見えませんが、僕ではどうしようもありません。この件は後ほどもう一度話し合う――そういうことでかまいませんか?」
 こくりとうなずいた少女にほっと息を吐き出したが、すぐにまた表情を硬くした。これだけは言っておかなければならない。
「それと、この件に関しては一切口外無用でお願いします。いいですね?」
「それはあなたが【青藍】だということも含めてですか?」
 問い返した少女にうなずく。むしろそれこそを口止めしたいのだ。
「そうです。今までの会話すべて、誰にも言わないと約束していただけますか?」
 少女は探るように悠を見つめていたが、やがてうなずいた。
「わかりました、お約束します」
 その言葉に胸を撫で下ろす。これでしばらくはどうにかなるだろう。あとは仲間たちを含めて対処を考えるだけだ。
 それこそが頭痛の種だと考えながら、とりあえず悠は少女と共に昇降口へと向かったのであった。


「在原望美さんはいますか」
 一時間目の授業が終了し、教師と入れ替わるように教室にやってきた悠の言葉にクラスメイトたちがぎょっとして顔を上げた。入り口にいる悠と、教室後方の望美とを見比べる。
 その視線を追ったのだろう、席に座っている望美を見つけた悠は小さく手招きした。それにまたクラスメイトたちがどよめく。
 周囲の反応に首を傾げながら、望美は立ち上がって悠の元へと向かった。廊下に出て何か用かと問いかけると、悠は渋い顔でうなずいた。
「今朝の件についてです」
 その言葉に納得する。たしかに、それ以外で彼が望美を名指しで呼ぶ必要はないだろう。
「今日の昼休みに、仲間も含めて話し合うことになりました。お時間をいただけますか?」
「それは昼食をとったあとでしょうか?」
 そう問いかけると、彼はどこか申し訳なさそうにかぶりを振った。
「それだと時間が足りなくなるおそれがあるので、昼食をとりながらということになります」
 かまいませんか、と問われて少し考え込んだ。昼食はいつも小百合たちと一緒だ。急に断れば何かあったかと心配されるに違いない。だが昼休みに話し合いの場を持たねばならない原因は望美にあるとも言えた。ならば断る権利などないだろう。
「わかりました、大丈夫です」
 うなずくと、悠はほっとしたように笑みを浮かべた。
「では昼休みに迎えに来ますので、準備をしておいてください」
 それでは、と言い置いて彼は自分の教室へと戻っていった。それを見送り、望美も教室へと戻る。
「ちょっと、どういうこと?」
「何かあったの? 大丈夫だった?」
 席に戻るや否や、なぜか友人たちに取り囲まれた。好奇心の多分に含まれたクラスメイトたちの視線もグサグサと突き刺さってくる。正直、なぜこうなっているのかさっぱりわからない。
「何もないですよ?」
 首を傾げながらそう言うと、バン、と机を叩かれた。思わず肩が跳ねる。
「何もないわけないでしょう!? 朝のこともあるんだから!」
 朝のこと? と尋ねると、千恵が声を抑えながら答えてくれた。
「今朝、中須くんに話しかけてたでしょ? その時、ちょっともめてた感じに見えたから……」
 無理やりどこかに連れて行かれてたし、とさらに声を潜めて告げる。
「まさかとは思うけど、何かされたわけじゃないでしょうね?」
 小百合も声を抑えてそう問いかける。心配、と大きく顔に書いてあった。
「本当に何もないんですよ」
 笑みを浮かべてそう答えるも、二人の顔は晴れない。
「本当に、本当?」
「今朝のを見た奴らが変なことウワサしてるから、心配なのよ……。本当に、何もないのね?」
 念を押され、もう一度うなずいた。本当に、心配されるようなことは何もないのだ。
 それならよかった、とほっと息を吐き出した二人に、そう言えばと思い出した。昼休みのことを伝えなければならない。
「すみません、今日のお昼なんですが、ちょっと用事があってお二人とはご一緒できないんです」
 そう言うと、なぜかじっとりとした視線が向けられた。
「まさか中須と一緒じゃないでしょうね?」
「そうですが……何か問題があるのですか?」
 きょとんとして首を傾げた望美に、小百合は物言いたげに口を開いた。だが結局何も言わず、ため息だけを吐き出す。
「別に問題はないんだけど……くれぐれも気をつけなさいよ?」
 両肩に手を置かれ、言い含めるように告げられる。意味がわからない望美は曖昧にうなずくことしかできなかった。


「なあ、時任。三組の転入生って、おまえのイトコなんだよな?」
 同じ時刻、自分の教室で次の授業の準備をしていた湊はクラスメイトの言葉に顔を上げた。そうだけど、とうなずくと、彼は周囲を確認し、少し声を抑えて問いかけた。
「ちょっと変なウワサ聞いたんだけど、おまえ知ってるか?」
 ウワサ? と首を傾げた湊に、彼はどこか心配そうな顔つきでうなずく。
「今朝、転入生が四組の中須を待ち伏せて告白したらしいって」
 意外すぎる言葉に、思わず教科書を取り落とした。
「はぁ!? 何だそれ!」
「いや、それに続きがあってだな……中須が、転入生を物陰に連れ込んだらしい、と」
「――――ッ!?」
 言葉を失う、とはこのことだろうか。一瞬息をすることすらできなかった。何だそれ、どういう意味だ。
 四組の中須悠のことは知っていた。直接の交友関係はないが、真面目な性格だと聞いている。色々とおかしなウワサを耳にすることもあるが、あくまでウワサだと湊は思っていた。素行に問題があるならば、生徒のお手本となるべき生徒会に所属することなどできないだろう。そう思っているのに否定の言葉が出てこなかった。
 ぐるぐると頭の中で言葉が回る。望美が中須に告白した? しかも物陰に連れ込まれた? そんなバカな。
 急に立ち上がった湊に、クラスメイトたちが驚いたように一斉に視線を向ける。
「――確かめてくる」
 それだけを告げて教室を飛び出そうとしたところで思い切り人にぶつかった。顔を上げると、相手は担任の宇佐見(うさみ)明良(あきら)だった。次は彼が担当する現代文だったと思い出す。
「どこへ行くんです? もう授業を始めますよ」
 その言葉と共にチャイムが鳴った。席に着きなさいと促され、湊は渋々自分の席へと戻ったのだった。


 気が急いているせいか、ひどく時間が流れるのが遅く感じた。時計を見やれば、四時間目の終了まで残り五分である。だが担当する世界史の教師は今日は病欠とのことで、代理を勤めているのは授業が長いことで有名な男性教師だった。今も非常に熱の入った様子で解説しているが、生徒の大半は聞き流しモードに入っている。さもあらん、彼が熱弁しているのは授業とはまったく関係のないことなのだから。この様子では確実に長引くだろうと予想し、湊はこっそりとため息をついた。
 予想通り、授業が終わったのはチャイムが鳴ってから十分近く経った頃だった。クラスメイトの誰もがようやく解放されたというような顔をしている。購買に走る男子生徒たちに混ざり、湊は全力で教室を飛び出した。


 三組の教室に飛び込んで望美の姿を探すが見当たらなかった。いつも彼女と一緒にいる女子生徒たちの姿を見つけ、そちらへと近寄る。
「望美は? どこに行ったか知らないか?」
 いきなりそう問いかけられた少女たちは戸惑ったように身を引いた。
「望美ちゃんなら、用事があるからって出ていったけど……」
「どこに!?」
 食いつくように問い返した湊に、少女は小さく悲鳴を上げた。隣にいた気の強そうな少女がかばうように前に出る。ちょっと落ち着きなさいと湊をなだめ、確証はないけれど、と前置きした。
「中須に呼ばれて行ったから、たぶん生徒会室じゃないかしら」
 その名前に一気に目の前が暗くなる。一番聞きたくなかった名前だ。
 ふらふらしながら、じゃあ、と言って歩きだした湊を少女が引き止めた。
「ちょっと、まさかとは思うけど生徒会室に行く気?」
「だったら何だよ、アンタには関係ないだろ」
 そう言うと今度は制服を掴まれた。仕方なく湊は足を止める。
「生徒会室は、用がない限り一般生徒の立ち入りは禁止されてるわよ。何しに行く気……って、聞くまでもなさそうね」
 湊の制服を掴んだまま、少女は呆れたようにため息をついた。
「望美ちゃんのウワサに関する確認、だよね?」
「……そうだよ」
 問いかけに渋々うなずく。彼女らに言ったところで無意味なのだから、放っておいてくれればいいものを。
「えっとね、それ、答えられると思うよ?」
 少女の言葉に耳を疑った。何だって?
「いい、落ち着いて聞きなさいよ?」
 期待半分疑い半分で振り返った湊に、少女はため息混じりにそう前置きした。ことさらゆっくりと口を開く。
「おおむね合ってる、あの子はそう言ってたわ」


「どこへ行くのですか?」
 悠について廊下を歩きながら望美は問いかけた。午前の授業が終わってすぐに迎えに来た悠は、どこに行くとは言わなかったのだ。
「生徒会室です」
 問われて今思い出したと言いたげに視線をこちらに向け、悠はそう答えた。また視線を前へと戻して歩を進める。望美も黙ったままそのあとに続いた。
 階段を上ると、西側の渡り廊下に隣合うように部屋がいくつか並んでいるのが目に入った。一番手前の部屋には生徒会室とプレートが掲げられている。
 小さくノックすると、返事を待たずに悠はドアを開けた。その瞬間、
「ちょっとー、朝のラインのアレってどういう意味よー?」
 明らかに作ったとわかる、かわいらしい声が非難した。
「文面通りです」
 最初からその反応を予想していたのだろうか、非難をものともせずにそう返すと悠は室内へと入った。視線で促され、望美も会釈しながら中へと入る。
 部屋の真ん中には長机が二つ並べて置かれ、三人の人間が席に着いていた。少女が二人、少年が一人、それぞれ身にまとう制服の色は悠と同じ白色だ。
「まあまあ、渡瀬(わたらせ)さん。それを今から聞くんですから、落ち着いてくださいな」
 長机の一番奥に座った少女がおっとりとした口調でなだめるようにそう言った。言葉をかけられた少女は、不満そうな顔でツインテールに結い上げた髪をいじりながら口をつぐんだ。
「あれは気にしなくていいから、とりあえず適当なところに座ってくれ」
 苦笑を浮かべながら、左奥に座っていた少年が手で長机を示した。うかがうように悠を見やれば彼もうなずく。悠が少年の座っているのと同じ並びの席についたので、望美もその横に座ることにした。
 全員が席についたのを確認すると、悠は小さく咳払いした。
「とりあえず、紹介します。あちらに座っているのが生徒会長の都築(つづき)先輩、三年生です」
 そう言って望美の斜め向かいに座っていた少女を示す。
「はじめまして、都築詩織(しおり)です」
 にこやかにほほえみ、彼女は優雅な仕草で一礼した。切り揃えられた豊かな黒髪や、抜けるように白い肌が日本人形を思わせた。和服を着せればさぞや似合うことだろう。
 続いて悠は手を自分の隣へと移動させる。
「副会長の黒崎(くろさき)先輩、同じく三年生です」
「黒崎恭二(きょうじ)だ、よろしく」
 片手を上げて少年が挨拶する。穏やかな声音とは裏腹に、どこかやんちゃそうな笑顔が印象的だった。
「渡瀬(かおる)、二年だよ。よろしくね」
 紹介される前に、詩織の隣に座っていた少女が笑顔でそう言った。小首を傾げ、立てた人差し指を口元に寄せてウィンクしてみせる。そういった作った仕草が様になるような美少女だった。
「あー……念のため言うけど、ソレ、男だから」
 げんなりとした恭二のつぶやきに望美は目を瞠った。思わず観察するような視線が薫の上を移動する。
 たしかに胸は控えめどころか真っ平らだが、それでも魅力を損なうことはない。着ていた制服も女子用だったし、どこからどう見ても完璧な美少女だというのに、男?
「もー、副会長ってば、なんでバラしちゃうかなぁ?」
 疑わしげな望美の視線を受け、薫は不服そうに声を上げた。いやいやとかぶりを振るその仕草も大変かわいらしい。だが否定しないところを見ると、その性別は男で間違いないようだった。
「ややこしい格好してるヤツが言うセリフじゃねーよ」
「校則違反はしてないもん」
 呆れたような恭二の言葉に、薫はツンとそっぽを向いた。
「……校則?」
 望美のつぶやきを拾ったのか、薫は大きくうなずいた。
「そう、校則は守ってるよ? だって【制服着用】とは書いてるけど、【男子が女子の制服を着てはいけない】なんてどこにも書いてないもん」
 えっへんと胸を張って薫は言うが、どう考えても屁理屈である。異性の制服を着たがる者が現れるなど、校則を作る側としては想定もしていないだろう。
「無理が通れば何とやら、だな。面白がった理事長がオーケー出しちまったらしい」
 苦笑しながらつぶやいた恭二の言葉に、なるほどと納得する。この学園でもっとも権力を持つ者がお墨付きを出したのであれば、ほかの教師たちは何も言えないだろう。
「こちら、転入生の在原さんです」
 放置していればどこまでも横道にそれていくことを危惧したのだろうか、区切りがついたそのタイミングに悠が言葉を差し込んできた。それにあわてて会釈する。
「在原望美です、よろしくお願いします」
「ではお互いに挨拶もすんだところで本題に入りましょうか? お昼ご飯も食べないといけませんしね」
 にっこりと笑い、詩織がお弁当箱を持ち上げてみせた。たしかに時間は限られている。うなずいて、それぞれ自分の弁当箱を広げた。
「それで内容について詳しく説明をいただけますか? 中須さん」
 箸を動かしながらの詩織の問いかけに、悠はため息をついた。正直、文面通りだとしか言えないのだ。
「こちらの在原さんに正体を言い当てられました」
 苦虫を噛み潰したような顔で告げた悠の言葉に恭二が吹き出した。
「転入早々校則破りとは、おとなしそうな顔してなかなか豪気なお嬢さんだな」
 呆れ半分感心半分と言った様子でつぶやく。だがその顔はどこか楽しげだ。
「知らぬこととは言え、盛大な粗相をしでかしたようで申し訳ありません」
 深々と頭を下げた望美の言葉に、上級生らが揃って箸を止めた。唖然としたように望美を見つめる。
「知らないって……どういうこと?」
 一早く衝撃から立ち直った薫が問いかける。それに答えたのは悠だった。
「彼女は【コンクエスト】に関する一切を知らなかったようです」
 その言葉は更なる衝撃を生んだ。三者三様に悲鳴じみた声を上げる。【コンクエスト】を知らない!?
 あらあらと口元を覆う詩織の横で、薫が長机を叩いて叫ぶ。
「【コンクエスト】知らないとか、そんなのありえないでしょ!?」
「ないな、それは。志貴ヶ丘学園高等部(うち)の生徒やってくのに【コンクエスト】知らなかったら無理だろう」
 恭二も頭を抱えてうめいている。どうやったらそんなことになるんだよ。
「……そんなに大事(おおごと)なんですか?」
 衝撃にのたうち回る上級生たちを見やり、望美は思わずつぶやいた。正直、ここまで大騒ぎするようなことだとは思っていなかったのだが。
「ええ、大変大事ですわね。【コンクエスト】は高等部においては誰もが知るイベントです。むしろ、なくてはならないものと言えるかもしれません」
 沈痛な面持ちでうなずいた詩織に、望美は首を傾げる。そうまで言うものならば、なぜ自分には説明されなかったのだろうか?
 望美の疑問にほかの面々も一様に首をひねる。彼らにも理由は思い当たらないようだった。【コンクエスト】は高等部を代表するイベント、何を置いても真っ先に説明すべきもののはずなのだ。
「おい、どうする? さすがに俺らだけではどうにもならんだろ」
「だよね。桐生センセイ呼ぶ? それとも【コンクエスト】関連だから理事長の方がいいかな?」
 上級生らが顔をつき合わせて相談していると、唐突に生徒会室のドアが開け放たれた。
「呼びましたか?」
 体の後ろで手を組み、上体を傾げるようにして室内をのぞき込んだのは志貴ヶ丘学園理事長・小笠原(おがさわら)哲蔵(てつぞう)その人であった。
「あらあら、理事長。あいかわらず神出鬼没ですわね?」
 呆気にとられる一同の中、詩織だけがころころと楽しげに笑った。
「まだお呼びしていませんが、ちょうどいいのでお尋ねしますね? 転入生の在原さん、彼女に【コンクエスト】に関する説明がなかったのはどうしてです?」
 表情だけはにこやかに、だがその声音と眼差しはひどく冷ややかだった。そんな詩織の追求に、小笠原は笑顔でうなずくと顔の横で人差し指を立ててみせた。
「お約束もいいですけど、こういうハプニングもたまには楽しいでしょう?」
「わざと説明なさらなかった、とおっしゃいますの?」
 笑顔だけはそのままに、詩織の態度はますます冷ややかになっていく。まるでこの一室だけブリザードが吹き荒れているかのように寒々しい。
「だってほら、校則にしちゃったせいか、みんなわかってもツッコまないでしょう? あれ、つまらなくありません?」
「つまるつまらないの問題ではありません。関わる者全員が詳細なルールを知っているからこそ成り立つ、いわば壮大なごっこ遊び――それが【コンクエスト】のはずです。そこに何も知らぬ者を加えれば、すべてが破綻してもおかしくはないのですよ?」
「そうやって停滞を望みますか? それこそ、貴方がたの()()はいつまで経っても叶わないでしょうねぇ?」
 意味ありげな含み笑いをして、小笠原があごに手を当てる。その物言いに望美は違和感を覚えた。
 いや、むしろ()()()()()()()()()()()と言える。一時間目終了後の休み時間、教室に来た悠はこう言った。仲間も含めて話し合う、と。それはもしかして、生徒会の仲間という意味ではなくて、【世界征服部】の仲間という意味なのではなかろうか? つまり――。
「生徒会が、【世界征服部】?」
 ぽつりとこぼした望美のつぶやきに、生徒会メンバーらがぎょっとして身を引いた。小笠原だけが笑顔で手を打ち鳴らす。
「はい、正解です。よくできました」
 出来のいい生徒を褒めるようなその言葉に、ほかのメンバーらが一斉に非難じみた声で理事長と声を上げた。
「おい、コラ、ジジイ! 何あっさり認めてやがんだテメエ!」
 今にも掴みかからんばかりの勢いで立ち上がり、薫が怒鳴りつけた。先ほどまでの作った声はどこへやら、ひどくドスの利いた声である。子どもが全力で泣いて逃げ出すような、そんな恐ろしい顔つきで小笠原をねめつける。
「渡瀬さん、猫が脱走してますわよ?」
 詩織の指摘に、ハッと我に返った薫はあわてて表情を取り繕った。
「やだぁ、あたしったら、ついうっかり。理事長が変なこと言うから~」
 ごまかすようにかわいこぶってみせるが、もう遅い。変貌する瞬間を望美はバッチリ目撃してしまった。
「とにかく、この落とし前をどうやってつけてくれるつもりなんですか理事長――って、アレ?」
 ドアの方を振り向いた薫が目をまたたかせる。先ほどまでそこにいたはずの小笠原の姿はどこにもなかった。
「あのクソジジイ、逃げやがったな!?」
 ふたたび猫をかなぐり捨てて薫が吼える。作っている時と素の時とで恐るべき落差である。
「理事長は、もうこの際置いておこう」
 あの愉快犯にまともにつき合うだけバカを見る、とため息混じりに恭二がつぶやく。
「問題は在原をどうするかだ」
「そうですわね。我々の正体を知られてしまった以上、一般生徒でいられるのは困ります」
 詩織の言葉に薫と悠が視線を向ける。それを受け、詩織は大きくうなずいた。
「彼女には生徒会ならびに【世界征服部】に入ってもらいます」
 そういうことでよろしいですね、と視線を向けられた望美はうなずく。彼女に否やを唱える権利はなかった。


 残り少なくなった昼休みにあわてて弁当をかき込み、また悠に伴われて教室へと戻った望美は友人たちに引きずられるようにして席へと連行された。
「念のために聞いておくけど、何もなかったでしょうね?」
 ずい、と顔を寄せて問いつめてくる小百合に、やや戸惑いながらうなずく。何もないと答えると、二人は安心したように息を吐き出した。いったい何を心配していたのだろうか、と望美は首をひねるばかりである。
「昼休み、望美ちゃんが出ていったあとに時任くんが来たんだよ」
「湊くんが?」
 意外そうに目をまたたかせる望美にうなずき、
「ええ、貴方に関するウワサを聞いて来たみたいよ」
 呆れたようにため息をつき、小百合がそう告げた。
「放課後、話があるから教室で待っていてほしい、ですって」
 どうせウワサに関してなんでしょうけど、と小百合が吐き捨てる。それとほぼ同時に予鈴が鳴った。


 ホームルームが終了し、生徒が思い思いに教室を飛び出していく。ある者は部活動に、ある者は委員会、ある者は早々に帰宅するために。
 そんな中、望美は自分の席に座ったままだった。いつもと違うのは、その机の上にあるのがクラブの一覧表ではなく、一枚のプリントだということである。
「あれ、入部届?」
 横からそのプリントをのぞき込んだ千恵が驚いたように声を上げた。それに小百合も寄ってくる。
「何、とうとうどこに入るか決めたの?」
「はい、生徒会に」
 望美の答えに、ええ、と大げさに二人は声を上げた。
「いいの? 生徒会はかけ持ち禁止だからほかのクラブには入れないわよ?」
 確かめるように小百合が問いかけ、
「あ、もしかして昼間呼び出されてたのって、説明のため?」
 納得したように千恵が手を打ち合わせて声を上げた。実際は違うのだが、口止めされているので曖昧にうなずいておく。
「今まで検討対象がクラブだったのに、何だってまた委員会に方向転換したのよ?」
 望美の前の席に座り、小百合は肘をついて身を乗り出した。千恵も自分のイスを引っ張ってきて隣へと座る。その瞳は好奇心で輝いていた。
「……部活動があるのでは?」
 いつも真っ先に教室を飛び出していく二人なだけに、望美は首を傾げてそう問いかけた。
「「いいの!」」
 声を揃えて一蹴され、そうですか、とおとなしく引っ込む。
「で、どうして急に委員会に決めたわけよ?」
「急に、というわけではないですよ。選択肢として考えてはいたんですが、クラブの方が楽しそうだったからそちらを優先していただけです」
「委員会もいくつもあるのに、その中で生徒会にしたのはどうして?」
 千恵の問いかけに、一瞬答えに詰まった。
「……ご縁があったから、でしょうか?」
 考えた末、ひどく曖昧な言葉でごまかした。嘘ではないが、真実でもない。
「縁って、具体的にどんなよ?」
 小百合がさらなる追及の手を伸ばした時、教室の扉が開け放たれた。息を切らせながら飛び込んできたのは湊だ。
 その姿を確認すると、小百合と千恵は立ち上がった。
「時任も来たようだし、あたしたちはクラブに顔出してくるわ」
「それじゃ、また明日ね」
 望美に向かってひらひらと手を振りながら二人は教室を出ていく。入れ替わりに湊が近づいてきた。
「クラブはよろしかったのですか?」
 湊の所属する科学部は、基本的に毎日活動していると聞いていた。
 望美の問いかけに、湊はうなずく。
「今日は休むって言ってきたから大丈夫」
 望美が転入してすぐの頃にも何度か抜けていたようだが問題ないのだろうか、と内心首を傾げたが口には出さなかった。そうですか、とだけ言ってうなずく。
「お話というのは、今朝のウワサに関するものですか?」
 何度も口を開いては閉ざし、を繰り返している湊を見かね、望美はそう水を向けた。湊が首肯したのを見ると、先ほどまで小百合がかけていた前の席を示して座るように勧める。
「質問に答えますよ、どうぞお尋ねください」
 ためらうように望美を見つめたあと、湊は小さくうなずいた。イスを引いて腰を下ろす。
「……四組の中須に告白したって、聞いた」
 気まずいのか、湊は視線を床に落としたままぼそぼそとそうつぶやいた。言われた望美はきょとんとした顔でまばたきを繰り返す。告白というと、好意を告げるという意味でのあの告白だろうか?
「違いますよ」
 どこからそんなウワサが出てきたのだろうと内心首を傾げながら、望美はきっぱりと否定した。その答えに、安心したように湊は大きく息を吐き出した。だが、まだどこか落ち着かぬ様子で視線をさまよわせている。膝の上で両手を握りしめ、思い切ったように口を開く。
「そのあと、も、物陰に連れ込まれたって……」
 口にするのもはばかられるのか、聞こえるかどうかというような声量だった。わずかに頬が赤い。
「何ですか、それ」
 ますますもって望美は理解できない。本当に、どうやったらそんなウワサが出てくるのだろうかと首をひねる。はたから見れば、そういう風にしかとらえられない状況だと理解していないのである。
 誤解だと告げれば、じゃあどういうことなのかと問い返された。ふむ、と考え込む。あの時交わした会話は口外してはならないと言われている。
「話をしていただけですよ。あの場所では邪魔になるので、場所を移しただけです」
「……本当に?」
 不安そうに確認され、しっかりとうなずく。それを見て、湊は膝に乗せた手に額をつけるようにして上体を折った。口から安堵の息がこぼれる。
「よかった……そんなはずないと思ってはいたけど、心配で」
 そうつぶやく湊を眺めながら、同じような光景を朝も見たと望美は考えていた。小百合たちもそうだが、いったい何を心配されていたのだろうか。
 やれやれとかぶりを振った湊が、机の上に広げられた入部届に気がついた。
「どこに入るか決めたのか?」
「はい、生徒会に」
 そう答えると、なぜかひどく難しい顔をされた。
「何でまた生徒会に?」
 どこか不機嫌そうにも聞こえる声音で問われる。生徒会というのはそれほどまでに嫌厭(けんえん)されるような組織なのだろうかと、少しばかり不安になる。
「生徒会では何か問題があるのですか?」
 逆に問い返せば、湊は困ったように眉を寄せて視線をそらした。そういうわけじゃないけど、とぼそぼそとつぶやく。
「ただ、その……そう、わざわざ大変なとこを選ぶのもどうかなって思って」
「クラブであれ委員会であれ、所属する以上大なり小なり大変なことはあると思いますが?」
 正論で返されて黙り込む湊。言葉を探すように視線をさまよわせていたが、何か思いついたのか望美の方へと向き直る。
「クラブだって委員会だってほかにたくさんあるのに、何でわざわざ生徒会なんだ?」
 何だろう、彼らは口裏でも揃えているんだろうかと疑いたくなるくらいに同じことを聞かれる。
 まっすぐにこちらを見つめる湊の眼差しは真剣だ。これは適当な言葉ではごまかされてくれないだろう。どうしたものかと考えていると、昼休みに詩織に言われた言葉を思い出した。
「学園に早く慣れるためにも、運営サイドに回った方がいいのではないかと言われたからですよ」
 生徒会はたいがいの学園行事に関わるから、学園をよく知るためには打ってつけでしょう、と。後付けの理由ではあるがと苦笑を浮かべつつ、彼女はそう言ったのだ。
 そうして、その言い訳はてきめんに効力を発揮した。
「まあ、たしかにそうかもしれないけど……」
 ひどく不服そうではあったが、そう言って湊は追及の手をゆるめたのである。
 顔を両手で覆い、湊は気を落ち着かせるように大きく深呼吸した。手を膝の上に置き、小さく笑う。
「何にせよ、望美が決めたのなら俺にどうこういう資格はないと思うし、いいんじゃないかな」
 むしろ自分を納得させるかのような湊の言葉を聞きながら、望美は内心首を傾げる。結局、彼は生徒会のどこにひっかかりを覚えていたのだろうか、と。
「入部届、もう今日中に出してしまうのか?」
 それなら待ってるけど、と言われて望美はうなずいた。期限は今週中だが、早いに越したことはないだろう。
「すみません、すぐに書いてしまいますから、少しだけ待っていただけますか?」
 そう言うと、望美は書きかけの入部届を仕上げてしまうべくペンを握った。


 職員室へと向かうと、桐生は用事があってもう帰ったと言われた。仕方ないから明日にしようと帰りかけたところで、二人は遼平に呼び止められた。
「よう、わざわざ職員室まで来たってことは、何かあったんじゃないのか?」
 校舎外から、窓枠に身をもたせかけるようにして遼平がのぞき込んでいた。
「そんなとこで何やってるんだよ、父さん」
 呆れたような湊のつぶやきに、サボリだよ、と遼平は平然と答えてタバコを挟んだ右手を掲げてみせる。
「職員室とはいえ、校舎内で吸うとうるさく言われるからな」
 外ならば問題あるまい、と豪快に笑うが、遼平の背後には中等部の校舎が見えている。それはそれでマズいだろう、と声に出さずに湊はツッコミを入れた。
「で? 用もないのに職員室に来たりはせんだろう?」
 言ってみろ、と促され、望美は入部届を提出しに来たものの、桐生がいないので出直そうと思っていたことを告げた。
「ああ、だったら俺が預かっといてやるよ」
「よろしいのですか?」
 本来は担任の桐生に渡すべきものだろう。そもそも諸々の説明を桐生からされていなかったりもするのだが、そこはそれ、世の中形式は重要である。
「ああ、かまわん。どうせ手続きなんぞ誰がやったって同じだからな」
 だから貸せ、と空いた左手を突きつけられた。いいのだろうかと思いながらも、望美は促されるままに入部届を差し出した。
 受け取って書面に視線を落とした遼平が、へえ、とつぶやいて笑った。
「なるほどな。わかった、あとの手続きはしておくから、帰ってもいいぞ」
 タバコをくわえ、追い立てるように手を振る。その様子に首を傾げながらも、二人は職員室をあとにしたのだった。
作者:宵月