スクールウォーズ 7
休み時間をはじめとした、【学校にいながら授業のない時間】というのは私語が許される数少ない時間である。したがって教室や廊下などで固まっておしゃべりに興じる者もいるために少なからずざわついた空気が生まれるものだが、その日の朝は何だかいつもよりも騒がしいような気がした。ホームルームが始まるまで、いつものように望美の席に集まってしゃべっていた望美たちだったが、いつもと違う空気にふとおしゃべりをやめた。
「妙に騒がしいわね……何かあったのかしら」
そうつぶやいて小百合が首を傾げた時だった。
「在原望美くんはいるかな」
涼やかな声が教室に響き渡った。
声のした方、教室の前方へと目を向けた小百合と千恵が、え、と小さく声を上げてそのまま動きを止めた。二人に倣ってそちらに目を向ければ、扉からえんじ色の制服を着た少年が顔を出して人を捜すように教室の中を見回している。やや髪が長く、優しげな表情が印象的な整った顔立ちの少年だった。上履きの色から彼が三年生なのだとわかる。
明らかに様子のおかしい二人も心配だが、呼ばれた以上無視をするわけにもいかない。しばらく二人と少年とを見比べ思案したあと、望美は席を立った。未だ扉から教室の中へと視線を注ぐ少年へと近寄る。
「在原はわたしですが、何かご用でしょうか?」
そう声をかけると、少年は優しげに笑って朝早くからすまない、と謝罪の言葉を口にした。
「はじめまして、僕は
かまわないと望美がうなずくと、彼はちょっと場所を変えたいと言って歩き出した。
東側の階段へと向かうと、壁にもたれていたえんじ色の制服の少年が二人に気づいて片手を上げた。短く刈り込まれた髪やどこか幼げな表情をのぞけば、その顔立ちは隣にいる少年とひどく似通っていた。上履きや制服の襟につけた校章の色から、こちらも三年生なのだと知れる。
「お主が在原殿だな、わざわざお呼び立てして申し訳ない」
それがしは樋口
樋口と同じ名字を名乗ったことや、よく似た顔立ちから兄弟――おそらく双子なのだろうと望美はあたりをつける。
「昨日、うちの部員が迷惑をかけたようだから謝りたくてね」
何を言われているのか理解できず、きょとんとした様子で望美は二人を見上げる。その様子から言葉が足りないと察したのだろう、
「小林殿が在原殿に迷惑をかけたと話しておったのだが、心当たりはおありかな?」
直人にそう言われ、ようやく昨日の昼休みの一件を言われているのだと理解した。思い返してみれば、薫と言い争いをしていた少女はたしか小林と名乗っていた。
「小林くんと渡瀬くんが言い争いをするのはよくあることだけど、あの二人はああ見えてほかの人間を巻き込むことはほとんどないんだよ。だからきみを巻き込んでしまったことを小林くんが大変気にしていてね」
「そのことでしたら、どうぞお気になさらずに。巻き込まれたと言っても、実際何かされたわけでもありませんから」
それに小林本人からも謝罪の言葉はもらっている。そう告げたのだが、彼らは同じ動作でかぶりを振った。
「それでも、部員が人様に迷惑をかけた以上、謝るのが部長の勤めだと思うから」
「いかにも。後輩のしでかしたことは先輩が責任を取るのが当然であろう」
そう言って、彼らは勢いよく頭を下げた。それにあわてたのは望美だった。男二人、それも上級生に揃って頭を下げられては目立つことこの上ない。実際少ないながらも廊下に人影はあり、彼らは皆一様に驚いたように望美たちを見つめていた。
「頭を上げてください。本当に、謝っていただくようなことは何もないんです」
集めてしまった視線が突き刺さるのを感じながら、望美はあわててそう言った。
望美のその言葉に、二人はようやく頭を上げる。
「もし何か困ったことがあればいつでも頼ってほしい。放課後は化学室にいるから」
「浩明は一組、それがしは四組であるから、何か用があれば遠慮なく来られよ」
にかりと笑うと、直人は肩にかけていたスポーツバッグからスナック菓子が入っているような大袋を取り出して望美に持たせた。パッケージを見ればカレー煎餅と書いてある。
「お詫びの品ゆえ、遠慮なく持って行かれよ」
言葉と共に二つ目の袋が重ねて置かれる。ぼんやりしていれば顔の高さまで積み上げられそうな気がして、望美はあわててお礼を言って袋を胸元に抱えた。
「それじゃあ、僕たちはこれで。朝からお騒がせしてすまなかった」
さわやかな笑顔を残し、手を振りながら樋口兄弟が階段を上っていく。その姿が完全に見えなくなるまで立ち尽くす。望美が我に返ったのは、予鈴が鳴ってからだった。
教室へと戻ると、多分に嫉妬の含まれた羨望の眼差しが突き刺さった。視線を巡らせれば、その眼差しの主は大半が女子生徒である。
首を傾げながら自分の席へと向かえば、望美を待っていたのだろう友人二人に迎えられた。
「気のせいでしょうか、大変視線が痛いのですが」
背中にザクザクと突き刺さる視線で、なんだかハリネズミにでもなったような気分である。
「安心なさい、気のせいじゃないから」
ため息混じりに全然安心できないセリフを小百合が吐いた。それに千恵が苦笑を浮かべる。
「仕方ないよ、樋口先輩の呼び出しを受けたんじゃあね」
言外にあきらめろと言いたげなその言葉に、望美は首を傾げる。そんなに有名な人なのだろうか?
表情から望美の考えていることを察したのだろう、小百合がうなずいて口を開く。
「学園で一、二を争う有名人よ? ていうか、何でカレー煎餅なんか持ってるのよ、貴方」
「いただきました。お詫びの品だそうです」
お詫び? と小百合と千恵が揃って首を傾げる。
「カレー煎餅ってことは、ご隠居もいたんだ?」
そりゃあ廊下が騒がしいわけだ、と小百合はため息をつく。
「すごいね、生徒会だけじゃなくって、科学部のメンバーとも全員面識ができるなんて」
「そんなにすごいことですか?」
望美の問いに、もちろん、と揃って友人たちがうなずく。
「樋口浩明先輩は科学部の部長でね、さわやかな好青年だけどちょっとズレたところがあって、ルールと名の付くものは守るタイプなの。彼に注意された人の多くが毒気を抜かれておとなしく従うっていうわ。そんな様子からついたあだ名が【王子】」
王子様っぽい見た目もその一因なんでしょうね、と小百合はそう締めくくった。
「樋口直人先輩は浩明先輩の双子の弟なの。科学部の副部長なんだよ。直人先輩はカレー系の食品が大好物でね、いつも持ち歩いて食べてるんだよ。ホントかどうかはわからないんだけど、学食を一人で食べ尽くしたって言われてるの。【鞄の中は四次元に繋がっている】とか【腹ぺこの呪いにかかっていて、食料が尽きると行動不能になる】とかウワサされてるよ。語り口調がお年寄りっぽいから、【ご隠居】って呼ばれてる」
「科学部の紅一点、小林麻衣先輩は見目良し、成績良し、運動神経良しと三拍子揃った男装の麗人ね。言葉遣いなんかも男性じみているから、凛々しくて素敵と一部の女子に大人気よ。小林先輩とよく一緒にいるのが
ホントかどうかは知らないけどね、と呆れたように肩をすくめる小百合。ああ、と思い出したように声を上げ、
「あと、この人は爆発魔としても有名ね」
「爆発魔?」
ひどく物騒な単語に望美は眉をひそめた。いったいどういうことだろうか。そんな物騒な人間にはとてもではないが見えなかったのだが。
「飴を作っては爆発させるのよ。水と砂糖を煮詰めてどうして爆発するのかは永遠の謎ね。一部生徒の間では学園七不思議の一つとして数えられているわ」
余談だがと前置きし、飴以外を作った場合は爆発しないらしいと小百合は語った。
「あとは時任くんだね。気さくな性格だし、見た目もいいし、結構狙ってる女の子は多いらしいって聞くね」
交互に語る友人らの説明を聞き、なるほど、と望美はうなずいた。
「時任だけじゃなく、科学部も生徒会も結構見た目のいい人揃ってるからね。そんな人たちと転入早々お近づきになった貴方は【フラグ建築士】の名を欲しいままにしてるってわけよ」
にやりといたずらっぽく笑った小百合に、望美はぱちりとまばたきした。
「……なんですか、それ」
「貴方のあだ名よ。今のところはうちのクラスでのみ呼ばれてるけど、そのうち全校生徒に呼ばれるようになるかもね?」
くすくすと笑って小百合は言うが、望美には意味がさっぱり理解できない。どういう意味だというのだろうか。
「さっきも言った通り、生徒会の人たちも科学部の人たちも高等部の有名人なんだよ。そういう人たちとはなかなか接点が持てないものでしょ? だけど、望美ちゃんはあっという間に全員と知り合いになっちゃったから」
そう千恵が説明してくれたものの、わかるようなわからないような微妙な感じである。
首をひねっていると、本鈴が鳴って桐生が教室へと入ってきた。めいめい好き勝手にしゃべっていた生徒たちはあわてて自分の席へと戻っていく。小百合や千恵もその例に漏れることはなかった。
昼休み、水曜日であるその日は生徒会の活動日であるため、望美は友人たちと別れて生徒会室へと向かった。室内にはすでにほかのメンバーの姿があり、どうやら自分が一番最後であったらしいと悟った望美は軽く頭を下げる。
「すみません、お待たせしてしまいましたか?」
「ううん、全然。あたしたちも今来たところだから、気にしなくっていいよ」
にっこりと満面の笑顔でそう言った薫に、望美も笑顔を返す。こっちこっち、と手招きされるままに薫の隣の席へと腰を下ろした。
いただきます、と全員で唱和したあと弁当に箸をつける。今日のお弁当のメインはオムレツらしい。箸で切ってみれば中の具材は炒めた挽き肉とジャガイモで、カレー風味の味付けがなされていた。そのほかにはタコの形に切られたウインナーや野菜のベーコン巻きなど、毎度ながら手が込んでいる。毎回手伝うと言っているものの結局押し負けて作ってもらう立場に甘んじているが、やはり女子としては自分が作る立場であるべきなのかもしれない。
そんなことを考えながら食べていたせいだろうか、
「在原ちゃん、難しい顔してどうしたの?」
具合でも悪い? と問いかけながら薫がのぞき込んできた。それに我に返り、ふるふるとかぶりを振る。
「いえ、そういうわけではないのですが」
「じゃあどうしたの? お弁当の味付けでも失敗した?」
重ねて問われ、む、と押し黙った。原因が弁当だけに、眉間に皺が寄る。お弁当は大変おいしい。おいしいのだが、望美の胸中は複雑だ。だがそれを薫に言うわけにもいかず、結局何でもないと言ってごまかした。薫はなおも気にしているようだったが、それ以上追求してくることもなかった。
「で、そろそろ本題に入ってもいいかねぇ?」
行儀悪く箸をくわえながら、恭二がそう問いかけた。本題? と視線で問いかけるとうなずかれる。
「基本的に昼に集まる時は【コンクエスト】関連の話をするのがほとんどなんだよ」
生徒会としての通常業務は主に放課後にやるんだ、と恭二。
「衣装ができあがるまで、在原には勉強会と称して実際の【コンクエスト】を見学してもらおうかと思ってな」
「見学、ですか?」
問い返すと、そうだ、とうなずきが返された。
「自分がやると仮定して、【コンクエスト】の一部始終を見学してくれ。登場シーンから実際の戦闘、退場までの全部をだ」
つまるところ、イメージトレーニングというわけである。一度実際の【コンクエスト】を見てはいるものの、それは完全にギャラリーとしてだ。観客ではなく役者として立つ場合に、自分ならばどう振る舞うのかを考えておけということだろう。
勉強というのであれば今までに撮り溜められたDVDを見るのでもかまわないだろうが、正直急に【コンクエスト】のDVDを持ち帰ったのでは家人にあやしまれる可能性もあるし、かと言って生徒会室で見るのでは時間がない。実際の空気に触れて学んでこい、という恭二の考えも理解できた。
「了解しました」
うなずいた望美におうと答え、恭二は視線をほかのメンバーへと巡らせた。
「とりあえず、予定としては月曜日の放課後に俺が仕掛けようかと思ってるんだが」
その言葉が完全に発せられる前だった。
「「「却下」」」
望美を除く三人の口から、深いため息と共に投げられる否定の言葉。
「恭二はダメですわ。だって、ねぇ?」
右手を頬に当てた詩織が困ったように小首を傾げ、
「結果が見えていますからね、黒崎先輩の場合」
「そうそう、副会長は絶対負けるんだからダメだよ」
口々に告げ、またこぼされるため息。
「……そんなに勝率が低いのですか?」
思わずと言った様子で投げられた望美の問いかけがダメ押しだった。
「「「勝率五分」」」
「二割ぐらいは勝ってるって!」
通夜か何かかと言いたげな顔つきで告げられた言葉に、恭二が即座に反論する。
「ブルーには常勝だぞ!?」
「それみんなそうだし」
必死な面持ちの訴えに冷ややかに返したのは薫だ。
「ブルーにしか勝てない、とも言いますわね?」
それに追い打ちをかける詩織の言葉。
「いいところまで持ち込むのに、最後の一手で仕損じて勝ちを逃すのが黒崎先輩のパターンですよね」
「ねー、あれはもはや呪いだよね~」
悠のつぶやきに薫がうなずき、だが詩織がかぶりを振る。
「いいえ、あれは仕様ですわ」
にっこりと笑顔で言い放たれた辛辣な一言に恭二は撃沈した。
しばらくそのまま床にうずくまってめそめそと泣いていたが、やがて立ち直ったのかイスに座り直した。咳払いをして一言。
「わかった、俺はおとなしく傍観者に徹する。というわけで、希望者挙手」
「はいはいはーい、あたしやります!」
在原ちゃんが見てるなら
「ほかに希望者はなしか? じゃあ渡瀬で決まりな。渡瀬、征服予告の出し方からレクチャー頼むわ」
一同へと視線を向けた恭二は、ほかに挙がる手がないことを見るとそう告げた。
「んじゃ、通達は以上。食べ終わったらあとはもう好きにしていいから」
言うと、ぱん、と手を合わせて食べ終わったらしい弁当箱にふたをする。
「征服予告って何ですか?」
すっかり手が止まっていた望美は、行儀が悪いと知りつつ箸を動かしながら隣の薫に問いかけた。
「文字通りだよ。【特殊報道部】側にも準備が必要でしょ? DVDを見てわかったと思うけど、登場シーンから撮るためにはカメラを仕込んだりとか色々しなくちゃいけないから。だから、【コンクエスト】を起こすためにはまず【特殊報道部】に、いつ、どこを征服しますよーって、征服する前日正午までに予告を出すの」
あとでやり方教えるから先にご飯食べちゃおう、と笑顔で言われ、望美はそれ以上問いを重ねることはあきらめて箸を動かすことに集中した。
「「ごちそうさまでした」」
手を合わせて唱和し、望美と薫は弁当箱にふたをして鞄の中に片づける。
ほかの面々はといえば、恭二はクラスメイトらとバスケットボールをやるとかで体育館へと向かい、詩織と悠はまったりと食後のお茶を飲んでいる。
片づけを終えた二人はパソコンの前へと移動した。電源を入れて立ち上がるのを待つことしばし。
「【特殊報道部】が管理している、【コンクエスト】特設サイトは知ってる?」
画面を眺めているうちにパソコンは起動したらしく、薫がマウスを操作していた。ディスプレイに映し出されているのは、今望美が手にしたスマートフォンの画面と同じものだった。
「これが【コンクエスト】特設サイト。現在の支配率とか、部員の紹介とか、色々載ってるの」
言いながら、薫は【部員紹介】と書かれた文字列をクリックした。画面が切り替わり、顔写真とその下に紹介文らしき文字列が羅列されている。写真の一つをクリックすると全身像が表示された。
「そのうち在原ちゃんのもここに掲載されるよ」
言いながら薫はマウスを操作し、トップページへと画面を戻した。スクロールさせ、最下部に表示されている【ログイン】をクリックする。IDとパスワードを打ち込むと、画面に表示されたのは征服予告の文字だった。
「IDはローマ字で【征服】、パスワードは同じくローマ字で【生徒会】。入力するとこの征服予告のページに移行するから覚えておいてね。――あ、メモ取るのも、クッキーに記憶させるのも禁止だから、そのへんよろしく」
了解しました、とうなずいた望美に、薫が満足そうに笑みを浮かべる。
「このプルダウンメニューから自分の部員名と征服する場所、日付と時間を選択したら送信をクリック。これで征服予告が完了するから、あとは忘れずに当日に出向くだけ」
ね、簡単でしょう? と笑いかけた薫を見ながら、望美は頭の中で手順を反復した。特設サイトを開いたら、ログインをクリックしてIDとパスワードを入力。征服予告の画面で己の部員名と征服場所、日付と時間を選択したら送信。おそらく問題ないだろう。
大丈夫だとうなずいた望美に対し、薫はとびっきりの笑顔を返したのだった。
そうして週が明け、月曜日の放課後がやってきた。もちろん、望美もただその日が来るのを待っていたわけではない。
【コンクエスト】の基本は陣取り合戦、ならば取れる【陣】がどこであるのかは把握していてしかるべきだ。よって、彼女が真っ先に開いたページは配置エリアを解説したページだった。例によって進行役の師弟のゆるいコントが繰り広げられていたのだが、そこは割愛する。
征服不可能となる永久中立エリアは、主に職員室をはじめとする職員関連施設。グラウンドや体育館など運動部の活動場所となる運動施設。食堂や購買部などの公共施設。化学室や調理室、保健室など薬品やガス、刃物といった危険物がある教室。放送室や視聴覚室、コンピュータールームなどの高額な備品がある教室。それらに加えてトイレや更衣室、屋上に階段などがここに含まれる理由は、単純に【コンクエスト】を起こされては困る場所や危険であるためだろう。
征服可能なエリアのうち、初期配置エリアは各学年の教室が該当し、初期中立エリアは各階の廊下と渡り廊下、昇降口、中庭、規制されていない各種特別教室であるようだった。
文章での説明に加えて各エリアごとに色分けされた校内見取り図が添付されており、理解の一助となると同時に、望美にとっては校内の場所の把握に役立った。
中庭のベンチに座ってガイドブックを読んでいた望美は顔を上げて周囲へと目を向けた。コの字型となった校舎の中央に位置するこの場所は、昇降口のある西側とグラウンドへ続く階段がある東側の二ヶ所の渡り廊下から出入りが可能となっている。
地面には一面芝生が敷き詰められ、壁沿いには等間隔にベンチが設置されている。今望美が座っているベンチは食堂がある北棟側の中央あたりに据え付けられており、周りのベンチには読書やおしゃべりに興じる者、寝ころんで昼寝を決め込む者の姿があった。
風通しがよく、適度に日差しが遮られるこの場所は生徒に人気があると千恵が語っていたことを思い出す。昼休みなどはここで昼食をとる者が多く、中には芝生に直接座り込む者もいるという話だった。
中央に設置された時計を見上げるとホームルームが終了してからおよそ二十分あまりが経過しており、もうそろそろ薫が行動を起こしてもいい頃合いだと思われた。
そんなことを考えていた時だった。バタバタと騒々しい足音がして、昇降口側から複数の人影が踊り込んできた。もはや語らずともおわかりだろう、戦闘員である全身タイツの集団である。
戦闘員たちはいつものようにその場にいた生徒たちの前に壁を作るように一列に並ぶと、思い思いの敬礼ポーズをとって奇声を発した。
さく、と芝生を踏みしめるかすかな足音が響いて、望美はそちらへと視線を向ける。
マントをなびかせながら中庭に入ってくるのは薫扮する【若苗】だ。いつもは高い位置でツインテールに結われている髪は、今はうなじのあたりで一つに束ねられている。仮面に覆われた顔は強くくちびるが引き結ばれ、どこか近寄り難い雰囲気が醸し出されている。腰から下げられた剣によって、孤高の少年剣士といった
彼はぐるりと中庭を一瞥し、周囲を取り囲む戦闘員、そしてその場に居合わせた生徒たちに向けて宣言した。
「さあ、征服を始めよう」
その言葉が終わるや否や、スピーカーがけたたましくアラームを響かせる。
『中庭が【世界征服部】によって征服されました! 【正義の味方部】はただちに出動してください! 繰り返します――』
【正義の味方部】の出動要請のアナウンスが鳴り響き、どかどかと足音を立てながら放送機材を抱えた一団――【特殊報道部】が中庭に飛び込んでくる。
前回と同じように【実況席】を持参したリポーターがカメラに向かって中継開始を叫ぶ。おそらく各教室では今頃テレビにこの場面が映し出されているのだろう。
ぐるりと中庭全体を撮影していたカメラが、なぜか望美の上で止まった。仮面越しにもわかる、どこか期待するようなカメラマンの視線。これはもしかして、アレだろうか。
正直、征服する側の人間が言うセリフではない気がするが、期待された以上は仕方がない。薫も言っていたではないか、
覚悟を決め、口の前で両手をメガホンのように揃える。
「助けてー、【正義の味方部】ー」
少々――いや、かなりの棒読みだったが、カメラマンをはじめとした【特殊報道部】の面々が満足そうにうなずいて笑みを浮かべた。ナイス適応力、転入生。そんな声が聞こえた気がした。
【若苗】はそんな望美にちらりと視線をくれ、胸の前で腕を組んだ。そのくちびるが不機嫌そうにわずかにへの字になったのは望美の気のせいだろうか。
アラームが鳴り、カウントダウンが叫ばれる。征服完了まで、残り七分!
そのアナウンスを追うようにして中庭に人影が
「【ジャスティスピンク】参上! お前たちの好きにはさせんぞ、【世界征服部】!」
その名乗りに、中庭を臨む窓に鈴なりになった生徒たちから歓声が上がった。待ってました、【正義の味方部】!
己を指さして宣言した【ジャスティスピンク】の視線を真っ向から受け止め、【若苗】はわずかにくちびるの端を持ち上げた。腕組みを解き、己の姿を誇示するようにマントを払う。
「貴様ごときがぼくに敵うと本気で思っているのか?」
その仕草といい、物言いといい、表情といい、ひどく挑発的だった。
「正義の味方の名にかけて、負けるわけにはいかない!」
それがお約束だからか、あるいは彼女自身の性格からか、【ジャスティスピンク】はわかりやすく挑発に乗った。それにどこか満足げに【若苗】はほほえむ。
「いいだろう、正義など存在しないことをこの
言葉と共にスラリと抜き放たれたのは、細身で反りのある片刃の剣――サーベルだった。突きつけた刀身越しに【ジャスティスピンク】を見やる【若苗】の眼差しは自信に満ちていた。
「どこからでもかかってくるがいい、相手をしてやる」
「私を甘く見たこと、後悔させてやるッ!」
叫ぶと同時に【ジャスティスピンク】は駆けだした。揃えた指先を剣のごとく突き出す。だがそれは【若苗】の仮面をかすめただけでむなしく空を切った。
蹴り、手刀による突きと息つく暇なく繰り出される攻撃を、しかし【若苗】はダンスでもしているかのような軽やかなステップですべて避けていく。それでも【ジャスティスピンク】はムキになったかのように攻撃を続ける。
そして猛攻は功を奏し、【若苗】は壁際へと追い込まれた。
「これで終わりだ……ッ!」
叫びと共に繰り出されるのは渾身の回し蹴り。確実に捉えたはずのその攻撃を、けれど【若苗】は絶妙のタイミングでかいくぐり【ジャスティスピンク】の背後へと回る。
「チェックメイト」
ピタリと首筋にサーベルを突きつけ、【若苗】が宣言する。顔だけで振り返った【ジャスティスピンク】が刃越しに【若苗】を見据え、悔しげにうめき声を漏らす。その両腕が力を失いだらりと垂らされた。
「いつもながら鮮やかな身のこなし! 【若苗】、あっという間に勝利をもぎ取りました! 【ジャスティスピンク】破れたりッ!!」
興奮したリポーターの叫びにわずかに笑むと、【若苗】はサーベルを己の方へと引き寄せた。ヒュン、と血糊を払うかのように振って鞘へと納める。
「征服完了」
勝利宣言のはずのその言葉は、だがどこか憂いを秘めていた。もう一度中庭を一瞥し、【若苗】はマントをひるがえして歩き出した。奇声を発しながら、戦闘員たちがそのあとに従う。残されたのは敗北に震える【ジャスティスピンク】と【特殊報道部】の一団、そしてギャラリーである生徒たちだ。
「次こそは勝つ! ひとときの勝利に酔いしれるがいい、【若苗】!」
どう聞いても負け惜しみにしか聞こえないセリフを残し、【ジャスティスピンク】が【若苗】とは逆の方向へと去る。
それが合図だったのか、【特殊報道部】も機材を片づけて撤収し、生徒たちも三々五々散っていく。
最後まで中庭に残っていた望美も、ガイドブックをしまうと鞄を肩にかけて立ち上がった。
作者:宵月