少年探偵団 8

研究室の中で、そこだけ異質な空間となっているディスプレイが置かれた机周辺。
少し離れたらコードが床を這っていたり、難しそうな本が積み上がっていたり、何台ものパソコンが並んでいたりするのだが、そこだけは完全に別世界だった。
(たと)えるなら、洋館の一室のような雰囲気とでも言えばいいだろうか。
そんな中で、狐面の少女紫苑とバイオリンを手にした彩夢の姿は、その特異な空間にとてもよく馴染んで見えた。
「彩夢センセ~リハ兼ねて1回適当なのプレイしますね~?」
狐面のまま紫苑がすぐ側にやってきた彩夢を振り返る。
去年の卒業生である詩音は元々演劇部だったせいか、特に忍足と仲が良かったという事実は割と知れ渡っている。
しかしそれとは別に紫苑と彩夢というこんな接点もあったのか、と驚きと僅かな納得で直人は隣の部屋を見守った。
呼称を変えているのは何故だろうと思わないでもないが、深い意味はないのかもしれない。
「紫苑さんの好きな物をどうぞ?」
楽器を手にした彩夢は、おっとりとした口調で言うと画面が見える位置に移動する。
こちらも呼称を動画投稿者としての呼び名に合わせたのは、相手に合わせてのことなのだろうか。
カメラの前の黒島がファインダーを覗き、その立ち位置を確認している。
問題ないと判断したらしい黒島が、片手を挙げて周囲のメンバーにOKと合図を送った。
「リハーサル、いきますよー」
いつの間にかカメラ付近に移動した梓が、どこからか取り出したのは映画撮影シーンでよく見られるカチンコだ。
10秒前…5、4、3、2、1、スタート。
梓は掛け声に合わせて、カチンコをカメラの前でカチっと鳴らした。
シン…と静まり返った研究室、いや舞台の中で、紫苑がゲームを操作する。
ピッっという機械的な音を立てて、選択画面が進んでいき、画面が切り替わった。
GetReady?という文字が点滅したかと見えた次の瞬間、ゲームプレイが始まった。
すぐさま飛んでくる弾幕をものともせず、紫苑は余裕っぽくゲームをプレイする。
それに合わせるかのように、彩夢がそっと音を奏で始めた。
かなり早いテンポのBGMに合わせて淀みなく奏でられる旋律は美しく伸びやかでいて繊細。
始めての生演奏に、無意識に直人と恭二は目を瞬かせて顔を見合わせた。
「…すげぇ…」
恭二の口から、感嘆の言葉が零れ落ちる。
その言葉に直人も同意だった。
本当にレベルの高い演奏なのだと本能のレベルで理解出来てしまう。
演奏している曲そのものはゲームのBGMなのに、それを忘れさせてしまうだけの確かな技術と表現力である。
表情も変えず簡単そうに奏でている姿は余裕を感じさせるが、驚くべき速さで動く指がその難易度を示していた。
原曲を知っているからこそ、ソコも弾くの!?と思わず口にしたくなるようなパートまで全部きっちり拾っていくから驚きだ。
そして、見惚れ聞き惚れている間にステージがクリアされる。
Congratulations!と画面に表示されたところで、紫苑はコントローラーから手を離し、彩夢は楽器をそっと下ろす。
「…オマエらなぁ…せっかくの初コラボなのに、なんでそんな普通なんだよ」
苦笑交じりにそう感想を述べたのは、高宮だった。
その言葉に彩夢と紫苑がチラリと視線を交わす。
何を言われているのかわからないとでも言いたげに、2人は軽く首を傾げてみせた。
「まぁいいや、問題ないな?」
高宮は確認のために2人に問いかける。
問われた2人の演じ手は、それぞれ軽く頷くことで問題ないことを示した。
技量の高さに驚いているのは、どうやらマジックミラー越しの2人だけのようだ。
他の誰もが驚きを見せず、一様に当然だろうというような表情で見守っている。
「それじゃ本番いきますー。レディ?」
悪戯っぽく問いかけた梓の言葉に、2人は再びそれぞれの役割に準じるべく構えた。
その様子を確認した黒島が、ファインダーを覗きながらカメラの録画ボタンを押すのが見える。
10秒前…5、4、3、2、1、スタート。
先ほどと同じ掛け声と共に、カチッとカチンコが鳴らされる。
今度は先ほどのようにいきなり操作を始めるでなく、紫苑がカメラを振り返って軽くブイサインを見せた。
そして画面に向き直る直前に、軽く彩夢を目配せする。
彩夢はといえば、僅かに楽しそうな笑みを浮かべて画面に視線を向けた。
暗譜しているはずなのに、タイミングを合わせるかのように画面を見つめている。
その向こうで、紫苑が驚くべき操作を行った。
彼女はコントローラーを片手に持ったまま、ディスプレイそのものを操作する。
実行中のソフトに関係なく、ディスプレイの操作によって大きく文字が浮かんだ。
スピーカー、オフ。
コレでBGMはおろか効果音も何も聞こえなくなってしまう。
弾幕シューティングゲームは、弾幕が発射される音も重要な攻略ファクターだ。
それなのに、紫苑は自らその難易度を大きく上げた。
「では、始めます…」
カメラを意識しての紫苑の声は難易度を上げたところだと言うのにとても楽しそうだ。
再びコントローラーを両手に持った紫苑が操作を始める。
操作は先ほどと比べたらややゆっくりかもしれない。
見ている人間がいることを意識した、見せるための操作。
リハーサルとして行われた時と同じように、自機を選択する。
ピッとスピーカーをオフにしたはずなのに選択を確認する音が鳴った。
それを気にした様子もなく紫苑はステージを選択する。
再び鳴る、選択を確認する音。
そして、画面が切り替わるのに合わせて、紫苑はカメラを振り返った。
「では行きます。…ゲット、レディ?」
画面を見ていないはずなのに、表示されたタイミングと同時にそう言って片手でカメラを打ち抜くように人差し指を向ける。
次の瞬間、当然聞こえてこないハズのBGMが原曲と全く同じタイミングで始まった。
テンポの速い、高揚感を煽るような曲調が、原曲よりもよほど臨場感に溢れる音色で響く。
音源は1つだけだが、低音、高音、そして和音までが綺麗に奏でられ、本来のBGMが聞こえなくともなんの不自由もない。
むしろ初めからこの美しい旋律が専用のBGMだと言われても納得出来てしまう。
その音を奏でているのは、当然彩夢のバイオリン。
彩夢は微かな笑みを口元に浮かべたまま完璧なリズム感で寸分の狂いもなく曲を奏でている。
そればかりか、メロディーの合間に全く異なる種類の音が挟まれていた。
弾幕が打ち出される、効果音。
その音は一体どこからどうやって紡がれているのか。
目まぐるしく動く弦を押さえる指は楽器の上を滑らかに休むことなく動き続けている。
あらゆる音がすべてたった1台の楽器から奏でられているのである。
思えば、最初の選択の際に響いてきたピッという音もその楽器から紡がれたのであろう。
どうやって音を出しているのかは不明だが、彩夢はありとあらゆる音をたった1台の楽器から紡ぎ出しているのだ。
まさに神業としか言いようがなく、確かな技術と才覚それに遊び心とセンスによって創り上げられた芸術だった。
そして本来の効果音が一切鳴らない弾幕シューティングゲームをプレイしている紫苑の方も恐ろしい技術と反射神経、そして恐らくリズム感などの音楽的センスも備えているだろう。
まるで彩夢の奏でる曲に溶け込むように全身で音を感じ、感覚だけで精緻な操作を繰り返している。
操作の合間に余裕を見つけてはカメラを振り返ったりするだけでなく、攻撃のボタンを押す手を放して片手で弾幕を避けながら自機の位置を正確に指さしたりもしていた。
そういう時は決まって弾幕が画面中を完全に埋め尽くしている時で、よくそんな余裕があると感心せざるを得ない。
「…何やってんだ…あの人たち…」
すごいけど、すごすぎるけど、もうここまで行くと何がしたいのかわからない。
人間業とは思えない技術を有する2人は何でもないようにそれぞれの役割を演じている。
弾幕の切れ目にカメラを振り返って余裕のブイサインをする紫苑に、効果音まで奏でる彩夢。
才能やら技術やらあらゆる要素を超越し、クオリティの高すぎる出来栄えを惜しげもなく披露しているが、断じて誰にでも真似できることではない。
いや真似できる人間などいないかもしれない。
どちらか一方の技術だけならばまだ辛うじて真似できる人間もいるかもしれないが、こうやって一緒になって出来る人間は恐らくいないだろう。
彩夢は紫苑の操作に合わせてBGMである曲の合間に効果音まで奏でているし、紫苑は紫苑で他の人間が目で追える程度の最小限の動きしかしないように心がけて操作しているように見える。
目で追うのが難しい時には片手で画面を指すことも忘れていない。
そして、最後、弾幕の嵐をすべて避けきり、ステージクリアの瞬間。
ボスとして現れた弾幕の元に攻撃を叩きこむ刹那、紫苑はチラリと彩夢に視線を向けた。
画面が切り替わる瞬間、ステージクリアを示すファンファーレまでが1台の楽器で再現される。
恐らくこのタイミングを計るために紫苑は彩夢を振り向いたのだろう。
コントローラーを机の上に置き、紫苑が振り返る。
被っていた狐面をはずすと、にっこりと笑顔を浮かべた。
その隣では、彩夢が楽器をおろし同じようにして画面に向き直る。
2人で軽く目配せをしたかと思えば、ぺこりと頭を下げた。
「ご視聴、ありがとうございました」
紫苑の声と共に、ファインダーを覗いていた黒島も顔を上げると停止のボタンを押して収録を完了する。
「ノーミスか」
その言葉は、紫苑に向けられたものなのか彩夢に向けられたものなのか。
当然とでも言いたげな様子で、高宮はやれやれと肩を竦める。
まるでノーミスなのが面白くないとでも言いたげだ。
「梓お姉さま、約束ですよっ!ジュース奢ってくださいね~」
狐面を完全に外した紫苑はそう言って梓に駆け寄っている。
「しょうがないわね。っていうか、よく音なしで出来たわね」
「音、ありましたよ?先生が演奏してくれましたし」
梓の言葉に、紫苑は軽い口調であっさりと応える。
撮影という重圧の上にかなりの高難易度の作業を終えたばかりだというのに達成感すら感じさせない様子で紫苑は梓に満面の笑みを向けていた。
「そもそも、ソレがおかしいと思うんだけど…?」
最後に付け加えられた梓の言葉に、隣の部屋にいた直人と恭二は大きく頷いて同意を表していた。
何故あんな難しい操作を、さらに難易度上げて、そんなに平気なのか。
不思議を通り越して、軽く戦慄(せんりつ)するレベルであった。
その向こうでは、曲そのものはさておき全体として激しする上にただ暗譜したどころではない演奏を終えた彩夢が何の感慨もない様子で佇んでいる姿が見える。
そんな彩夢に、足取り軽く新田が近づいていった。
「新しい特技増えてないか、お前…」
楽器を仕舞おうと机に向かった彩夢に、すぐ隣までやってきた新田がそんなことを問いかけている。
「特技…?」
何を指しているのかわからないのか、彩夢が不思議そうに小首を傾げた。
「SEまで弾くと思わなかったから。ソレ、絶対音感の無駄遣いって言わね?」
苦笑交じりに言う新田に、そう?と何でもないように応えると彩夢は再び楽器を仕舞う作業に戻る。
丁寧に楽器を仕舞い終わった彩夢はケースを閉め、留め具で固定すると再び新田に向き直った。
「…須王先生が、なんでそんな普通って言うから、少し意表をついたほうがいいのかと思って」
微かな笑みを浮かべると、彩夢はポツリとそう告げる。
意訳すれば、その方が面白かったから、ということだろうか。
僅かに恥ずかしそうにも見えるその様子は、中の人が誰かということを思わず忘れてしまうくらい反則級に可愛らしかった。
「…瑞貴ちゃんそんなキャラじゃないだろ…」
放心状態に近い状態で、恭二が呟く。
確かに、直人の知る忍足瑞貴という人物像からは大きくかけ離れている。
もうあれは別の人だと言われた方がよっぽど素直に納得できるレベルに。
しかし、ここまで来るまでに知った事実と、目の当たりにした光景が間違いなく本人だと如実に告げている。
そしてマジックミラー越しの隣の部屋が舞台設備が撤収され始めた頃、高宮が直人と恭二の元を訪れた。
高宮は、クラスのみんなには内緒だぞ、と言って笑顔を見せる。
たとえクラスのみんなに教えたところで目の当たりにしていない人間は誰も信じないと思うが、それでも直人と恭二はしっかりと頷く。
はじめから口外しないことが条件で教えてもらったのだ。
こうして、直人の些細な疑念から始まった探偵劇は大きな驚きと納得、そして新しく沸いた僅かな親しみを持って幕を降ろした。
知らない方がいいことってあるんだな、という教訓と共に。
その日の夜、直人は収録現場を目の当たりにした動画が既に投稿されているのを見つけた。
調べて分かったことを教えろという双子の兄に、僅かな悪戯心と共に事の顛末を語って動画を見せたが、彼はなかなかそれを信じてはくれずに納得させるのに実に1時間以上も費やしたのだった。
しかし、それはまた別の物語である。  

製作者:月森彩葉