俺が異世界に飛ばされたらツインテールの美少女になっていた件 1

「…おい。なぁ、起きてるか?話聞いてるか?」
どこか遠いような近いような場所から、声が聴こえる。
「おーい。怒られんぞー、起きろって。なぁ」
明るく元気のある声に、俺は煩いと思いながら首を巡らせた。
そこで気付いたが、声の主が指摘した通り、どうやら俺は軽く寝落ちていたようだ。
全く覚えていないが、白昼夢でも見ていたのだろうか。
立ったまま意識だけを飛ばすなど、我ながら器用だと思うが、人の話を聞かずに堂々と寝ているのは俺の専売特許じゃないと言い返そうと顔を上げる。
「…煩いな。ちゃんと聴こえてる」
言い返しながら、ようやく重い瞼を上げた。
言い返した自分の声が、妙に反響して、普段と全然違う声に聞こえる。
「お、起きてたな。良かった良かった。そろそろ、初任務だぜ?」
耳に馴染まない単語に、俺は思い切り胡乱げな視線を向けた。
今、『任務』などという、おおよそ日常生活では耳にしない単語が含まれていた気がするのだが。
ソコで、俺はある事実に気付いた。
俺の目の前に立って、俺を覗きこむようにしている見慣れない同世代くらいの男に全く見覚えがない。
そればかりか、その男の背後に広がっている背景にすら、全く見覚えがなかった。
よくSF映画か何かで見るような、ガラス窓の向こうに無限に広がる星空と、燐光を放つ機器類、何もない空中に浮かぶ深緑色に光る文字やら記号やらすら見える。
最新鋭の超薄型ディスプレイですら、こんな風に何もない空間に文字が浮かんで見えるような薄さには程遠いだろう。
「…何だ…夢か…」
俺は、あっさりと結論付けた。
どう考えても、夢だろう。
夢の中で寝ていたというのも妙な話だが、明らかに現実の光景ではないのだし、他に結論の出しようがない。
「おいおい、何寝惚けてるんだよ~。ちゃんと起きてくれよ~」
よくよく見れば、俺に飽きれたような視線を向けて苦笑を浮かべている男も、現実離れした服装をしている。
SFという夢の世界観にはよく合っていると思うが、そもそもアニメやゲームの世界のような明るい黄色の髪に、綺麗な翡翠の目というだけで、明らかに現実ではない。
さらに、材質の不明な硬いのか柔らかいのか判らないビニールのような光沢を放つ服のデザインも、やはりゲームやマンガの世界観に近いように見える。
さらに恐らくインカムだろうものまで装備しているのだから、浮世離れもいいところだ。
SF系のゲームで見かけるテンプレな戦闘服のようにも見えるし、同時に何かの制服のようにも見える恰好に、俺はますますコレは夢だと確信するしかない。
「…そうだな。ちゃんと起きるために、俺は寝ることにする…」
結論として、俺は正しく覚醒するために夢の世界を脱出すべく再び眠ることを選択した。
「だから寝るなっての~!ソレにしても、お前、変わってるよな。その外見で俺とか、似合わないだろ」
目の前のやたら明るい色彩の男は、可笑しそうに笑って俺を見る。
「…どういう意味だ?」
一体、あの男の目には俺がどういう雰囲気に見えているのだろうかと少しばかり疑問だが、そもそも男子高校生に俺以外の一人称が似合う方が違和感じゃないだろうかと思い直す。
思い直したところで、そういえば別の一人称が似合いすぎて逆に俺とか言われたら正気を疑うレベルの外見の知り合いがいる事実に思い至ったのだが、アレは例外中の例外だとさっさと思考の隅に追いやった。
「いや、だってさ、客観的に見て、お前、割と美少女の分類だろ?」
「…はぁっ!!!??」
しょうがないなとでも言いたげに苦笑を浮かべ、とんでもない内容を口走った男の台詞に、俺は言葉の内容を理解するなり思い切り素っ頓狂な声で応えていた。
その形容詞が当てはまる男子高校生は、間違っても俺じゃない。
そう言い返そうとした瞬間、男はやれやれといった表情で、親指を立ててクイっとドコかを指した。
その指の向いた方向に視線を向けると、ガラス張りの星空が視界いっぱいに飛び込んでくる。
けれど、重要なのは、そのガラスに映った自分がいる場所に見える人影だった。
高い位置で左右に結い上げられた長い金の髪と、深い湖を思わせる紺碧の瞳を持った、高校生くらいの少女の姿。
気の強そうな少しキツめの目が印象的な、はっきり言って美少女の部類に入るだろうその人物に、当然ながら俺は見覚えがなかった。
強いて挙げるのなら、ツインテールの美少女という外見の知り合いなら思い至らないでもないが、そもそもこんな気の強そうな目はしていないし、まず何より断じて金髪碧眼などではない。
ガラスに映る人影の近くに見慣れた自分の姿を探すが、やたらと明るい色彩の男と、見慣れない少女と、少し離れた場所に何やら偉そうな服装の壮年の男性がいるだけで、どれだけ目を凝らしても、擦ってみても、やはり自分らしき姿は見つからなかった。
代わりに、俺の動きに合わせて動いているのは、少女だ。
一体これはどういうコトなのかと、首を傾げればサラリとした感触で肩から長い髪が滑り落ちた。
どうやら、俺は今、客観的に見て美少女というカテゴリに分類される姿になっているらしい。
「…まぁ、夢だしな…」
目が覚めればすべて解決だと、考える事を放棄した俺は勝手にそう結論付けて、改めて現在の自分の姿を確認する。
ガラスに映った自分らしき美少女の姿に、少しだけ思うところがあって俺は小さく苦笑した。
気の強そうな表情と色彩は流石に全くの別物だが、左右で高く結われた長い髪といい、大体の背格好といい、どうやら俺は無意識レベルでも大事な相手を想っているらしい。
脳裏にチラつくのは、軍服を模したような詰襟の燕尾に膝丈のプリーツスカートをはためかせながら、腰に佩いた細剣を閃かせる少女の姿。
誰が見ても絶対に美少女だと言い切るレベルに整った顔立ちに、優雅で穏やかな佇まいでありながら支配者の余裕を覗かせる悠然とした微笑み。
それから、決して声を荒げることがないのに、よく通る涼やかな声。
夢の中でありながら、俺は大切な相手の姿を鮮明に思い浮かべるコトが出来た。
蝶のように舞い、蜂のように刺すという表現がしっくりくるような、実に鮮やかで洗練された動きで対戦相手をいつだって圧倒しているその少女が動くたびに、ふわりと長い髪が宙を踊っているようで、何度か触れようと手を伸ばし、そしていつも触れる直前で目の前を掠めていくだけだ。
今の恐らく自分と思われる姿は、間違いなくその少女の面影に影響を受けているのだと確信出来てしまう程度には、特徴的な髪型といい、どことなく近い体型といい、自分でも呆れるくらいに連想出来る部分が多い。
強いて明らかに違うという点を挙げれば、敢えて見ないようにしている胸元のボリュームくらいだろう。
少女らしいを少しばかり通り過ぎた程度に存在を主張する胸元は、コレが自分なんだと納得出来ない俺からすれば目の毒以外の何でもなかった。
そこを考えないようにしようと、俺は自分の服装の方に意識を向ける。
服装はこのSFじみた夢の世界観固定の制服か何かだろう、光沢のある丈夫そうな素材の動きやすさを重視した短めのジャケットに膝上丈のショートパンツ、それにブーツに実用性よりも見た目を重視しているようなインカムといった出で立ちだ。
試しに引っ張ってみると、光沢のある素材は伸縮性に富んでいて、見た目よりも余程耐久力がありそうに感じられる。
「…ぉーぃ、気は済んだか?」
ひとしきり衣服を弄ったり、引っ張ったりをして確認していた俺に、控えめに声が掛けられた。
インカムを装着している割には、周囲の音がクリアに聞こえるから不思議だが、夢の世界なのでその辺はご都合主義の一言で片づけられたのだろう。
声の主は、当然やたらと明るい色彩の男だ。
「…まぁ、一応な…」
どうせ目が覚めれば忘れる程度の夢なのだし、深く考えても仕方ない。
俺は軽く肩を竦めて見せると、視線を相手に向けた。
「まぁ、今から初任務なんだし、緊張するのも解るけどさ。あ、俺、アイオンって言うんだけどさ、何て呼べばいいの?」
目の前の男は、見た目の明るさ通りの軽さで、あっさりと自己紹介をし、そう問いかけてくる。
「…俺は…」
目の前の男に、果たしてこの外見で名乗って爆笑されないかと考えて、軽く言葉を捜す。
そんな俺の眼前に、何の前触れもなくメールのアイコンのようなものが浮かび上がった。
ピコンという可愛らしい効果音と共に現れたソレは、虚空に並ぶ文字列と同じ深緑色の淡い燐光を放っていて、存在を主張するように点滅を繰り返している。
一体どういう仕組みだろうと思いながら、俺はそっとその宙に浮かぶアイコンに触れた。
『貴方の登録名は【オルフェ】です。名前を聞かれたら【オルフェ】と名乗ってください。また、今後、貴方の呼び名も【オルフェ】で統一されます。登録名を変更したい場合は、専用端末から申請してください』
アイコンに触れた瞬間、メッセージボードのような画面が宙に展開し、こんなメッセージを表示する。
なんてよく出来た夢だろうと自分の想像力を評価すべきか、それともどうしてこんな内容を夢に見たのか真剣に悩むべきか判断に迷うが、とりあえず俺の名前はオルフェらしい。
「…オルフェ、と呼べ」
名前を聞かれている以上、恐らく答えなければ次に進まないのだろう。
気は進まないが、妙な夢からはさっさと醒めたいと急いている俺は、物語を進めてしまおうと適当に名乗りを上げた。
「へぇ。オルフェか。よろしくな、相棒!」
アイオンと名乗ったやたら明るく馴れ馴れしい男は、その印象通りに軽い調子で片手を挙げる。
「何で俺が貴様の相棒呼ばわりされるんだ」
夢の中の登場人物に文句を言っても仕方がないと解ってはいるが、いきなり初対面で相棒呼ばわりという図々しさに思わすそう呟く。
「またまた~。だって、俺たち、今からペアで初任務に行くわけじゃん!だったら相棒ってことだろ?」
茶目っ気たっぷりのオーバーアクション気味に、アイオンはそうのたまった。
そうか、そういう設定なのかとどこか冷めた思考で俺は適当に状況を把握する。
どうやら、夢の中の俺は、今から何らかの任務に就くらしい。
「…そろそろいいか?ヒヨッコども」
俺とアイオンの会話がひと段落するのを待っていたのか、不意に少し離れた場所にいた壮年の男が呆れたような声でそう言った。
「あ、すみません、教官」
そう言ったのはアイオンで、彼の言葉から推理すると、壮年の少し偉そうな男が俺たちの教官だか監督役、俺とアイオンはこれから初任務とやらに赴く生徒か何かなのだろう。
壮年の教官役は一瞬だけアイオンにやれやれとでも言いたげな視線を向けた後、一つ咳ばらいをしてから表情を険しくした。
「では、君たちにはこれから惑星ネビロスで簡単な探索任務をこなして貰う。その任務を完了することで、晴れて正式にユスティーの意志を継ぐ者【ユスティティア】として認められることとなる」
厳かにそう告げられるのとほぼ同時に、ガタンと小さな衝撃が足元を襲う。
教官役の横辺りの床が円形に少しだけせり上がり、何もない虚空に赤い光が点滅していた。
その赤い光が、急に緑色に変わる。
「どうやら転送ポイントに到着したようだな。では、諸君、通信をオンにしたまえ。これより、予科卒業試験及び本科進級試験を開始する」
教官役がそう告げるなり、眼前にワープポイントのような燐光を放つ筒状の空間が浮かび上がった。
「よし。それじゃ、行こうぜ、相棒」
行こうと腕を上げて合図をすると、アイオンは燐光を放つ筒状の空間に飛び込んでいく。
どうせ夢だと解っているので、俺は特に深く考えずにその後を追って、ワープポイントへ飛び込んだ。
光の舞う筒状の空間をぐるぐると回るような、何もない空間を漂うような妙な感覚に襲われ、目を閉じた。
すぐにその感覚は消え、自分を取り巻く空気が変わったのを感じる。
濃密な、深い空気とでも言えばいいだろうか。
例えば深い森の中や、大きな湖の畔、高い山の上などを思わせるような、ギュっと凝縮されたような、水分を含んだような重い空気。
さっきまでのどこか乾いたて希薄な空気とは違って、生を感じさせる空気の密度に、俺は閉じていた目を開けた。
「…ドコだ、ココ…」
思わずそう呟いてしまう程には、全く見覚えのない光景が眼前に広がっている。
亜熱帯の植物を思わせる大きな葉の背の低い植物と、太い幹の常緑樹を思わせる木々が混在し、地面に咲いている花も色んな地域の花の特徴が混ざっているようだ。
一体自分の夢はどうなっているのかと首を傾げなくもないが、とりあえず早く起きるために夢の中の時間を進めるしかない。
「ドコって、惑星ネビロスだろ?俺たちの初任務は【惑星ネビロス】で【原生種10体】の【討伐】っていう内容なんだから。ちゃんと通信はオンになってるか?」
自称同僚のくせに先輩風を吹かせながら、アイオンはそう言って目の前の虚空に向かって手を振り下ろすような仕草を見せた。
その瞬間、まるで何かのメニュー画面のような表示が、宙に現れる。
「…」
試しに仕草を真似て手を振り下ろしてみたら、同じような表示が宙に浮かび上がった。
その中で通信状態という項目が点滅していたので、指先でそっと触れてみる。
ピッという小さな電子音と共に、画面が展開し、通信状態【オン】【良好】という表示が浮かび上がった。
「大丈夫みたいだな。ソレじゃ、さっそく任務開始しようぜ」
俺の画面を覗きこむようにして顔を近づけていたアイオンは軽く笑ってみせるとまるで俺に手本でも見せるかのように少し先を歩き出す。
たぶん、俺のことを女だと思ってるせいなんだろう。
見慣れない植物だらけの場所を道なりに進みながら、俺は自分の夢が一体どういう仕組みなのかをのんびりと考えていた。
「あ、おいっ!」
不意に、驚いたようなアイオンの悲鳴に近い声がして、俺は思考の海から意識を戻す。
ほぼ同時に、横の茂みから俺目掛けて何かが飛び掛かってくる。
ギャァともキシャァとも聞こえる独特の奇声を発しながら襲い掛かってくるソレを、俺は寸でのところで辛うじて躱すことが出来た。
思い切り身を捩って地面を回転することで避けただけなので、即座に追撃されれば間違いなく攻撃を喰らうだろうが、それは仕方がないだろう。
条件反射で避けた俺は、その瞬間は次の攻撃のことなど頭に浮かべることすらなかった。
自分でも驚くくらいの身軽さで地面を転がってすぐに、あっさりと立ち上がることが出来たが、生憎襲い掛かってきた何かに対して背後を見せる形になってしまう。
俺が振り返った時、目に飛び込んできたのはアイオンがドコからか出した柄の左右に刃のついた変わった武器で、襲い掛かってきた何かを地に沈めた光景だった。
「…大丈夫か?」
ホッとしたような表情を浮かべ、アイオンが俺を覗きこむ。
「…あ、あぁ」
俺は一瞬だけ面食らいながらも、取りあえず無事をアピールした。
大丈夫だと、礼を述べようとした瞬間、ピピッという電子音が耳元で聞こえ、思わず手を当てる。
『緊急警報発令です。惑星ネビロスにて、解析不能のエネルギー反応を感知しました。付近の【ユスティティア】予科生及び本科生は直ちにアクセスポイントからポータルを起動し、帰還してください』
耳元でそんな通信が聞こえ、俺は思わずアイオンに視線を向けた。
アイオンも同じ通信を受けたらしく、驚きの中に少しだけ恐怖を混ぜたような表情で俺を見返している。
「…なぁ、どうすれば…」
「とりあえず、アクセスポイントを探すしかない。行こうぜ、相棒」
問いかける俺の言葉をさえぎるように、アイオンは口早にそう言って周囲を見渡しながら俺を手招く。
よくわからないが、切迫した状況なのだろう。
先を歩くアイオンの背中を見ながら、俺は今の自分が置かれた状況にただただ首を捻るしか出来なかった。
ガサリと茂みが音を立て、先ほどと変わらない何かが飛び出してくる。
「今は【原生種】なんかの相手をしてる場合じゃないっての!」
そんな言葉を吐き捨てながら、アイオンが一刀の元に飛び出してきた生物らしき何かを地に沈めた。
薄茶色の体毛に、ハイエナやライオン、ヒョウなどの様々な生物の特徴が混ざったような外見の大型の獣のようなソレが、どうやら当初の討伐目的だった【原生種】らしい。
そんなことを考えていた俺の視界に、この地表に降り立つ前の、戦艦や宇宙船の艦橋を思わせた場所にあったワープポイントのような円形にせり上がった地面に、赤い点滅の光が見える。
「良かった、アクセスポイントだ。あそこのアクセスポイントから帰還用のポータルが起動出来るぞ」
明らかに安堵した様子で、アイオンが赤い色を明滅させている部分を指し示し、駆けだした。
俺はその後を追いかけ、アクセスポイントとやらに足を向ける。
その時、視界の端で何かが動いたような気がして、くるりとそちらを振り向いた。
「…な…」
振り向いた先の光景が、あまりにも場違いなように感じられ、俺は思わずまじまじとその光景を見つめてしまう。
【原生種】と呼ばれる凶悪そうな生物が存在するハズの場所で、静かに横たわる幼い少女の姿がどこにあった。
まだほんの10歳にも満たないのではないかという幼い容姿は、とてつもなくこの場にそぐわない気がしてならない。
俺は、小さく息を飲むと、その少女に近づく。
実に穏やかで倖せそうな表情の少女は、どう見ても事切れた後には見えない。
微かな風に長い髪がふわりと舞っている。
光りの加減で淡い紫色にも銀にも見える髪に、真っ白な肌、それに仄かに上気したような頬。
目を閉じたままでも分かる、文句のつけようのない美少女だと解る幼いながらも整った顔立ち。
まるで眠り姫を思わせるような少女だが、一体、何故こんな場所にという疑問しか浮かばなかった。
「おい!何やってんだよ、相棒!早く戻らないと、アクセスポイントすら起動しなくなる可能性があるんだぞ!」
一足先にアクセスポイントへと向かっていたハズのアイオンが、慌てたような声を上げながら俺を追いかけてくる。
「一体、何を見つけたってい…」
何をやっているのかと文句を続けようとしたアイオンだったが、俺が少し身体の位置を変えたせいで視界に飛び込んできた光景に、言葉を失ってしまったようだ。
「…女の子…?」
独り言ちるようにポツリと呟くと、アイオンは勢いよく地面に膝をついた。
「おい!大丈夫か!?怪我とかしてないか!!?…あ、いや、頭とか打ってるかもしれないから、揺すっちゃ駄目か…!なあ、相棒、この子、大丈夫かな…」
少女を揺すり起こして安否を確認しようと小さく細い身体に触れかけ、アイオンは慌てて思いとどまると、心配そうな表情で俺をふり仰ぐ。
「…大丈夫そうには、見えるんだがな…」
俺はそう言うと、アイオンと同じように地面に膝をついてから、そっとガラス細工を扱うよりも気を使いながら小さな少女を抱き上げた。
いくら夢とはいえ、こんな場所にこんな小さな子供を置いておくなど、いくらなんでも寝ざめが悪すぎる。
それに、穏やかに眠っているようにしか見えない表情が、大切な相手を連想させて、どうしても放っておけないのだ。
「そっと、そーっと運んでやれよ…」
アイオンはその少女の安否が相当心配なのか、俺が抱き上げた少女の顔を覗きこむようにしながらそわそわとした様子でそう言った。
今度こそアクセスポイントに向かおうと、立ち上がった瞬間。
赤黒い、禍々しいという表現がピッタリな渦が周囲に幾つも立ち上る。
「な…何だ…?まさか…コレが【侵食】された【原生種】なのか…?」
その渦の中から姿を見せたのは、禍々しい赤と黒を基調とした、先程の原生生物と大差ない外見の何かで、アイオンの独り言のようなどこか茫然とした呟きに、俺は軽く成程、とだけ感じた。
「ヤバイぞ、相棒。【侵食】された奴らは、アクセスポイントからのアクセスを妨害してくるんだ。全部倒すか逃げ切るしかないんだけど、俺たちのレベルじゃまだ無理だ。俺が何とか時間を稼ぐから急いでアクセスポイントを起動させてくれ」
アイオンの切羽詰まった声に、俺は今の状況が切迫しているのだと理解する。
「…わかった」
いくら夢とはいっても、痛い思いをするのは困る。
俺は腕に抱えた幼い少女をもう1度しっかり抱き直すと、アクセスポイントへ出来るだけ足早に向かう。
アクセスポイントの明滅している赤い光に手を伸ばそうとした瞬間、ビーッっという警告音のようなエラー音のような音が響いた。
「…何だ…?」
この夢の世界のルールなど何もわからない俺には、何が起こっているのか既にさっぱりだ。
「嘘だろっ!?」
代わりに、アイオンの、この世の終わりのような絶望の滲む悲痛な声が状況を物語ってくれているらしい。
「アクセスポイントとシップとの接続に障害が生じてるって、俺たち戻れないじゃん!!」
悲鳴のような声でそう言うなり、アイオンは自暴自棄にでもなったのか、手あたり次第襲い掛かってくる何かに向けて武器を振り回し始めた。
「うわぁぁああぁああぁぁぁ!」
死にもの狂いとでもがむしゃらとでも言えばいいのか、とにかく切って切って切りまくる様は、鬼気迫るを通り越して正直心配になってしまう。
俺にとっては単なる夢の世界だからいいものの、この世界に生きている彼からすれば、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際なのだろう。
そう思えば、自分が如何に必死になっていないかが、よく解る。
俺の視界の中で、全ての赤黒い何かを倒しきったアイオンが肩で大きく息をしていた。
「無事か?」
少しだけ息を整えた後、アイオンが俺を振り返る。
「…あ、あぁ…おかげで……」
助かったと続けようとした俺の言葉は、再び現れた赤黒い渦によって遮られた。
今度は、俺のすぐ目の前。
赤黒い渦はすぐに形を変え、先ほどの凶悪な生き物の姿をより凶悪にしたような、もっと大きなサイズへと育っていく。
「…ぁ…」
俺はただ、茫然とソレが成長して形を作っていく様を、無様に眺めているしか出来なかった。
巨大な二足歩行のカマキリのような姿になったソレは、死神の鎌のような手を大きく振り上げる。
そのまま、俺目掛けて振り下ろされる兇刃を、俺はスローモーション映像でも見ているような気持ちで眺めていた。
否、動くことが出来ずにただ見ているしか出来ないまま、佇んでいるだけだ。
「危ないっ!」
だから、そんな悲鳴と共に、自分の身体が宙を跳んだ時、コレでようやく目が覚める、と考えていた。
きつく目を閉じて襲ってくるはずの衝撃に身構えながら、抱いたままの少女だけは守ろうとぐっと力を込める。
それでも、いつまで待っても衝撃は襲ってこず、代わりに鈍い音が聞こえて俺は閉じていた目を開いた。
視界を埋める程大きな影が、宙を舞っている。
一瞬だけその影の正体がわからず、俺は茫然と放物線を描くソレを眺めていた。
ソレは、ヒトのカタチをしていて、鮮やかな赤を撒き散らせながら、まるでスローモーション映像のようにキレイに飛んでいく。
「…な…」
ゆっくりと地面に落ちていくソレは、つい先ほどまで言葉を交わしていた相手の姿をしていた。
俺の代わりに宙を舞ったのは、危ないと声を掛けてくれた相手。
飛び跳ねた赤が頬を伝うのが感覚で分かった。
夢のくせに、随分と生々しい。
手の甲で拭えば、ドロリとした感触と共に、鼻につく錆びた鉄の臭いがした。
夢なら早く醒めて欲しい。
もし、夢でないなら、あまりにも非日常で残酷で、アリエナイ光景だ。
「…大丈夫…か…?」
地面に叩きつけられたまま、ピクリとも動かないアイオンに恐る恐る問いかける俺の声は、滑稽なくらい震えていた。
夢のくせに、自分は恐怖を感じているのかと思うと、何だか情けない。
そして、夢のくせに、目の前で消えていきそうな命の灯を救うコトすら出来ないのかと、現実と同じ無力感に苛まれる。
目の前で起こった光景に衝撃を受けすぎたせいで、俺は忘れていた。
自分が、今、まさに襲われようとしていたのだというコトを。
二足歩行の、赤黒いカマキリのような巨大なナニカ。
俺の身長よりも大きく、腕の中に抱いた少女の倍はあろうかという体躯。
再び振り上げられる大鎌の無機質な音で、俺は我に返った。
今度こそ、確実に殺される。
夢だろうが何だろうが、その状況は俺を絶望させるのじ充分だった。
けれど、せめて、大切な相手と同じようにあどけなく眠る少女だけは護りたいと思う。
こんな絶体絶命な状況でも目を覚ます気配がないところまで、大切な相手に似ている。
そう思うと、ほんの少しだけ温かな気持ちになれた。
今度こそ、夢は終わるだろう。
夢の世界での、俺の死をもって。
夢の中なのに確かに感じる温もりを強く抱きながら、兇刃を受ける覚悟をした。
「そうはさせるかぁぁぁっ!!」
しかし、次の瞬間、やたら威勢のイイ声と共に風を切る音が響く。
日常では耳にするコトのない、ザシュっという何かを切り裂くような音がして、俺は閉じていた目を開いた。
目を開けば、ソコには恐らく巨大カマキリのようなバケモノを一刀の元に切り捨てたであろう体勢で立つ、大きな剣を携えた燃えるように赤い髪の青年の姿。
正義の味方の決めポーズのような立ち方で、地に沈めた巨大カマキリを見下ろすように佇む青年の後ろ姿に、俺はどことなく既視感を覚え、これで大丈夫だと理由もなく安心した。
「オマエ、新人だよな?大丈夫か?ケガないか?」
既に切り伏せた敵には目もくれず、青年はくるりと振り返るなり、俺を上から下までしっかりと無事を確認するように見ながら声を掛けてくる。
軽快な雰囲気でありながら、軽薄さを感じさせない不思議な明るさのせいで、俺はすっかり緊張を解いてしまった。
「…俺は…大丈夫だ…」
人懐っこい表情の中に温かさと気安さを滲ませたような青年の雰囲気が、普段から行動を共にしている友人に似ている気がして、俺はそう言って軽く頷いてみせる。
「そっか。良かった」
ニカっと明るく笑うと、青年はようやく手にしていた武器を収めた。
太陽を思わせる金の瞳が、光を弾いてイキイキと輝いて見える。
同性でさえなければ、思わずカッコイイと思ってしまうような、そんな野性味あふれる魅力の青年だと思う。
ちょうど、年恰好も、今の見た目の性別を差し置けば俺と大して変わらないだろう。
高校生か、せいぜい大学の1回生くらいの年齢に見える。
「…良かったわけじゃないと思うけどな…。俺はともかく…コイツとか…そっちの…」
ほっと一息つきそうになった俺だが、未だに目を覚まさない腕の中の少女や、俺の代わりに兇刃に斃れたアイオンを思うと素直に無事を喜べない。
地面に転がったまま、赤い色に包まれてピクリとも動かないアイオンを視界の隅に入れた時、何とも言えない心が締め付けられるような、言葉を詰まらせてしまうような、そんな感覚に陥った。
「まずは、オマエが無事で良かった。悪ぃ、もうちょっとだけ待っててくれ」
青年は優しい笑みを浮かべると、俺を安心させるようにそう言ってくるりと踵を返す。
俺の視界からアイオンを隠すような位置で背を向けながら、地に伏せたアイオンに近づいてその場に片膝をついた。
後ろ姿しか見えない俺は、恐らく生死の確認をしているのだろうという程度しか分からない。
何にせよ、本来ならば、今、あの場にああやって転がっていたのは俺だったということ。
アイオンは、俺を庇って、代わりの攻撃を受けたということ。
その事実が、重い。
視線を逸らしたくて、けれど逸らしてはいけない気がして、俺は黙って青年の背中を見つめていた。
夢だろうが、夢じゃなかろうが、自分の代わりに誰かが傷つくというのは、気持ちのイイものではない。
たとえ、以前の俺が、周囲を一切省みない種類の人間であったとしても、心から親友と呼べる相手を、大切だと想える相手を得た今となっては、もうそんな生き方を選べるはずがなかった。
「………コレで、よしっと」
程なくして、青年はひとり言のようにそう呟くと、何やら宙に浮かぶ端末のような物を操作し始める。
何をしているのかさっぱり分からなかったが、結果として彼が何をしていたのかはすぐに理解できた。
この場所に来る時に、艦橋のような場所で展開されたワープゲートのような光りの筒が、アイオンの身体を包み込んで、ココではないドコかへ飛ばしたようだ。
「…助かるかは、まぁ、本人の生命力次第だろうけど。今の時点では、まだ生きてる。オレの知り合いの中で1番優秀な治療者のところに送ったから、まだ可能性はあるぞ」
青年は俺を振り返るなり、俺が聞きたかったことを教えてくれた。
アイオンは、まだ生きている。
その言葉に、俺は今度こそホッと息をついた。
良かった…。
少なくとも、助かる見込みが全くないワケじゃない。
それだけで、ほんの少しだけでも救われた気がした。
「…悪いな。ソイツ、庇ってくれたんだろ?だから、さっきのヤツが怪我することになっちまったんだよな」
俺の様子を見て、青年はバツが悪そうな表情を浮かべると、俺の腕の中の少女を指す。
どうやら、この青年と少女は、既知の間柄らしい。
俺が少女を抱いているせいか、青年は俺たちが襲われた時に、この少女を庇ったせいで窮地に陥ったと思ったようだった。
実際には、たぶん、この少女がいても、いなくても、何も状況は変わらなかったのだろうが、傍目にはそう見えるのだろう。
「…でも…全然、目を覚まさなくて…」
果たして庇ったと言えるのかは定かではないが、身柄を保護しておきながら、未だに目を覚まさないということが気がかりでならない。
巨大なカマキリに襲われる以前にも、アイオンは赤黒い渦から現れた不気味なモンスターとしか思えない変容したナニカと戦っていた。
その時だって、武器を振り回す音や、ナニカの奇声のせいでそれなりに騒がしかったはずだ。
それに、刺すような殺気と緊迫感が周囲を包んでいたのだから、それで起きないとなれば、ただ眠っているだけとは考え辛い。
この場はとりあえず安全だと判断した俺は、きちんと少女の安否を確認しようと、そっと地面に膝をついた。
覗きこむように抱き直すと、そっと頬に触れてみる。
せめて、この少女だけでも、無事であってほしい。
伝わってくる温もりは、コレが夢の世界だと忘れさせてくれるくらいに現実感があって、確かに生きている存在なのだという錯覚に陥った。
「とりあえず、もちっと安全な場所に行こうぜ。コレでオマエにまで何かあったら、オレが助けに来た意味なくなるしさ」
俺の行動を見守っていた青年は、安心させるような、見た目の若さの割には深みのある温かな笑顔を浮かべてそう言う。
そんなところまで、友人に似ている気がして、普段は問題児扱いしているムードメーカーの友人の笑顔と青年の笑顔が一瞬重なって見えた。
「…だが、アクセスの妨害がどうとか、アイオンが言っていた…。起動、出来るのか…?」
チラリと未だに起動していないアクセスポイントに視線を向け、俺は青年にそう問いかける。
そもそも、アイオンが俺の身代わりになった原因はといえば、アクセスポイントとシップの接続が妨害されているからだとか何とか言っていたはずだ。
詳細に状況を理解する事は困難だが、要約すれば、要するにワープポイントだかゲートだかを起動できないということなのだろう。
「もう妨害してくる【侵食】された【原生種】は全部倒したからさ。起動、するハズだぜ」
だから、大丈夫だと、青年は促すようにアクセスポイントを指した。
「…やってみる…」
操作を促されているような気になった俺は、素直にアクセスポイントに近づくと、宙に浮かぶディスプレイのような面に触れる。
またしてもエラー音が鳴るのではないかという懸念はあったが、ピッという軽快な電子音と共に拍子抜けするくらいあっさりとゲートが起動した。
最初にいた、宇宙船の中のような場所に出現した、ワープゲートのような光の筒が浮かび上がる。
「ほらな?ちゃんと起動しただろ?それじゃ、さっさと戻ろうぜ」
早く移動しろとばかりに、青年は明るい笑顔で俺を急かす。
「…あ、あぁ…」
話は移動してからということだろう。
急かされるままに、俺は光りの筒に足を踏み入れようとして、そこでふと思い出した。
「…そういえば、まだ名前も聞いてなかった…」
片足をゲートに乗せようとした不恰好な体勢で、俺は青年を上体だけで振り返る。
更に言えば、俺はまだ、助けて貰ったというのにきちんと礼すら言っていないのではないだろうか。
「そういうのも、まとめて安全な場所に戻ってからな」
けれど、青年は気にするなとでも言うように快活に笑って、さっさと移動しろとジェスチャーで示している。
恐らく、移動した先で、あの青年は俺と何らかの交流を持つつもりなのだろう。
…それにしても、一体いつになったら目が覚めるのだろうか。
出来ることなら、もう少しだけ。
抱いたままの少女の無事を確認し、あの青年にきちんと礼を言うまでは…。
そして、可能ならばアイオンの安否を確かめてから。
俺は、普通ならばこのタイミングで目が覚めるんだろうと思いながら、それでもまだ覚めないで欲しいと考えながら、今度こそゲートに足を踏み入れた。
製作者:月森彩葉