俺が異世界に飛ばされたらツインテールの美少女になっていた件 2

光の奔流の中を漂うような感覚に包まれ、徐々に自分と世界の境界線すら曖昧になっていく。
あぁ、コレでようやく目が覚めるのかと安心する反面、もう少しだけ、夢の世界での成り行きを見守っていたかったと思う自分に心の中だけで苦笑する。
これ以上、夢の世界に留まっていたら、恐らく学校に遅刻するだろう。
そんなことを考えながら、次第に鮮明になっていく感覚と、瞼越しの眩しさに俺は安堵した。
変な夢だった、と思う。
どうしてあんな夢を見たのか、強いて心当たりを挙げるなら、友人が暇潰し用にと貸してくれたライトノベルくらいしか思い至らない。
そういえば、純文学や専門書、洋書など難しそうな本ばかり読んでいると思っていた友人が、そんな軽い読み物まで読んでいたという雑食っぷりに少しだけ驚いたものの、見た目に反して意外と面白い物好きな愉快犯気質だったなと思い返して納得したのはつい数時間前のハズだ。
眩しくなった瞼の向こう側に僅かな抵抗を感じながら、俺は朝日を拝もうと閉じていた瞼を開いた。
「…は…?」
目の前に飛び込んできた光景に、俺は思わず間抜けな声を上げる。
驚きのあまり、未だに自分の腕の中に抱いた少女を落としてしまわなくて良かったと、割と真剣に思うくらいには、目の前の光景に驚いていた。
夢は、まだ終わっていなかったからだ。
見慣れた寮の天井が飛び込んでくるハズの視界に広がっていたのは、見慣れないSF映画のような薄い青緑色の燐光を放つ壁と天井。
金属なのか、プラスチックなのか、それともガラスなのかすら判別出来ない材質の、要するに夢の始まりに見た宇宙船の中を思わせる空間を覆っていた材質と同じような物に囲まれた広い空間。
視界の中を行き交う人々は如何にもSF映画の登場人物然とした服装をしている人もいれば、ごく普通の日常で見かける服装のような人もいるが、何よりも俺の目を引くのは、明らかに人外、現代の科学ではまだ実現していない完全に人型で人と同じ動きをしているロボットだった。
背丈は成人男性と変わらないか少し大きいくらいで、一口にロボットと言ってもカラーリングやフォルムは個々に違っていて、ごく普通に人と対等に会話したりしている。
ロボットというよりは、機械の身体の人という表現の方が恐らくしっくりくるだろう。
果ては行き交う人たちの全てが、恐らく武器と思われる何かを背負っているときている。
そんな光景に、俺は唖然とするばかりだった。
一体、このトンデモな夢は何時まで続くんだろうか。
「あぁ、もしかして、オマエ、こんな広い場所に来るの初めてか?予科生じゃ、普通来ないもんなぁ…中枢のシップ【ゲーティア】にはさ。学都の【レメゲトン】ばっかだろ?あ、まさかそれぞれのシップに名前が付いてるコトすら知らないとか、ないよな?」
当然のように俺の隣に立っているのは、窮地を救ってくれた赤い髪の青年だった。
彼は明るく気さくな様子で、さも当然のように俺に話しかけながらも俺の知らない情報を語ってくれる。
「…ココは【ゲーティア】という名前なのか…。広いな…。ソレに…人が多い」
俺は自分が夢の世界の世界観を壊してしまわないように言葉を選びながら当たり障りのない内容を口にした。
この夢の世界では、俺は異端者だろう。
自分の夢なのだからそんなところに気を遣うのも変な話だが、俺はこの世界の住人ではない。
けれど、この世界で生きる彼らにとっては、当たり前の常識やルールというものがあるはずだ。
今は登場人物に組み込まれてしまっている俺、つまり【オルフェ】という人間が、ソレを壊してしまうのは、何故だか躊躇(ためら)われた。
「さて、色々と教えながら移動したいのも山々なんだけどさ、とりあえずソイツが目を覚ましてくれないことにはオマエも困るだろ?ってワケだから、まずはオレたちの拠点に向かうけど、構わないよな?」
俺の様子に何かしら思うところがあったのか、赤い髪の青年は1人勝手になにやら納得したようで、いきなりそう話題を振ってくる。
欠片も目を覚ます気配のない少女を指してソイツと言っているのだから、やはり既知の間柄なのだろう。
見た目の年齢差が10歳くらいは離れているように見える2人の接点が気にならないでもないが、夢が続いて機会があった時にでも聞くとして、俺は了解だと頷いて見せた。
「…つーかさ、オレが運ぼうか?」
今更ながらに、青年はいつまでも俺が少女を抱いているコトに違和感でも覚えたのか、控えめにそう問いかけてくる。
「別に構わないが…、俺が抱いていてはいけないのか?」
青年を信用できないワケでもないし、むしろ顔見知り以上の間柄ならば少女を青年に託すのが筋だとは、解っていた。
ソレでも、理由もなく少しでも傍に置いておきたいと思ってしまった。
何故だろう。
明確な理由など何もないのに、俺はこの名前も知らない、言葉すら交わしていない少女を大切だと感じているらしい。
「まぁ、オマエがイイならそれでイイけどさ。たぶん、ソイツも気にしないしさ」
青年は一瞬だけ面食らったような表情を見せたが、すぐに明るい笑顔を浮かべてそう言った。
「むしろ、オレみたいな男に抱えられるより、オマエみたいな可愛い女の子に抱かれる方が嬉しいかもしれないしな」
青年は屈託のない笑顔を浮かべると、軽くからかうような口調でそう続ける。
その言葉で、俺は何故青年が控えめに代わろうと申し出てくれたのかを理解した。
中身はともかく、今の俺の見た目は、そういえば客観的に見れば美少女だったと、今の今まですっかり忘れていた認めたくない事実を思い出す。
確かに、青年と連れだって歩いている少女が、幼い少女を抱いている図というのは、何となく青年が居た堪れないというのは、実際には少女ではない俺自身よく理解出来る図だった。
そういう意味では青年に少しばかり申し訳ないコトをした気がしないでもないのだが、だからと言って少女を託す気にもなれず、俺は気付かなかったコトにしようと勝手に結論付ける。
「ソレじゃ、こっちだから」
ついてきてとでも言うように、青年は迷いのない足取りで俺を先導し始めた。
恐らく意識してゆっくり歩いているんだろうと察せられるのは、俺がちゃんと後ろについてきているかを確認するように、何度も振り返っているからだ。
別に、他にアテがあるわけでもないので、このまま少女を誘拐して青年の前から消えたりはしないのだが、逆の立場なら俺も恐らくチラチラと確認しただろう。
少なくとも、少女の保護者を自負している立場なら、見ず知らずの人間に託すなんてマネは、俺ならしたくない。
そういう意味では、俺を先導する青年は、なかなかに豪気と言えるだろう。
「ソレじゃ、この先だから。何もしないし、心配せず入ってくれ」
青年に先導されるまま連れてこられた場所は、如何にもSF宇宙船な雰囲気の重厚な自動ドアの向こう、既に何度も見たワープポイントだった。
渦巻くような燐光を放つ筒状のソレが移動用のモノだと完全に理解するくらいには、既にこのワープゲートの世話になっている。
「別に、何かされるなんて思ってないから大丈夫だ。そっちだって俺を信用してこの少女を託してくれてるんだろ?」
お互い様だと軽く笑いながら、俺はワープゲートに足を踏み入れた。
まだほんの数回しか足を踏み入れていないワープゲートだが、既に馴染みの感覚となりつつある浮遊感に包まれ、光の奔流に身を任せる。
独特の意識が遠のく感覚の後、眩しさに目を開ければ、ソコは先ほどまでとは違う場所だった。
「あぁ、戻った…か…?」
ゲートのすぐ傍に居ただろう人物が、よく知った相手に声を掛けるような軽い調子で話しかけてきたが、俺の姿を認めた瞬間に戸惑ったのか言葉を不自然に途切れさせる。
俺を見て微かに驚いたように目を瞠った人物は、俺をココに導いた青年と同じくらいの年恰好だったが、纏う空気のせいで僅かに年上に見えなくもない。
漆黒の真っ直ぐな黒髪が片目を隠しているが、陰湿な印象は受けず、むしろどこか物憂げで女性ウケしそうなクールさと甘さを同居させたような顔立ちの青年だ。
今は少しばかり驚きに見開かれた目は、濃い赤ワインを思わせるボルドーで、俺をココに連れて来た青年とは好対照の落ち着いて大人びて見える。
「…ええと…どういうコトだ…?」
最初の衝撃から少しばかり立ち直った様子の青年は、少しばかり警戒の色を瞳に滲ませながら俺と、俺が抱えている少女に交互に視線を向けた。
「おいおい、そんな怖い顔すんじゃねーよ。オレが連れて来たんだってば」
さて何と答えたものかと考える俺の頭上から、明るい声が降ってくる。
軽く首だけで振り返ると、助けてくれた赤い髪の青年が笑顔で立っていた。
「別に怖い顔なんてしていないだろう?それで、そこのお嬢さんは誰で、どうしてこういう状況なんだ?」
目の前の黒髪の青年は、俺に向けていたのよりもさらに険しい表情を浮かべ、俺の背後に向けて声を掛ける。
「んー、まぁ、ザックリ言うと、オレが追い付いた時には、うちの眠り姫はそこのお嬢さんに保護された後だったワケで。で、敵がわらわらいたから退治して、そのままご同行願ったワケだ」
再び俺の頭上から軽い調子でそんな内容が放たれた。
いくら何でもザックリすぎるだろうと思うが、どう見ても親しい間柄の彼らの中ではソレで通じるのかもしれないと、俺は成り行きを見守るしか出来ない。
「説明を省きすぎな感は否めないんだが、つまりそのお嬢さんにはお礼を言わなければいけないというコトで間違いないか?というか、そもそもお前たちが先を競って出て行った当初の目的はどうしたんだ…?」
若干呆れを滲ませた声で、黒髪の青年は念のため確認だと言わんばかりに嘆息交じりにそんなことを口にした。
どことなく親近感の沸くやりとりに思わず表情を緩めそうになったが、後半の言葉で自分という足手まといのせいで本来の目的が達せなかったのではという疑問が浮かんだ。
夢の世界とはいえ、自分の存在が誰かの枷になっているというのは、とても心苦しく感じる。
そもそも日常からして、何かしら友人たちの助けになれているより負担を掛けている方が大きいのではと思うような立ち位置なのに、夢の世界で無関係の人間にまで迷惑を掛けているのかと思うと何だか無性に情けなかった。
それが夢補正での、この美少女外見のせいで放っておけなかったという理由があるのなら、尚更だ。
何せ、俺は少女などではないのだから。
「…何か目的があったのなら、邪魔をしてしまったな。悪かった」
普段の俺ならば、こんな素直に謝罪の言葉を口にすることはないのだろう。
けれど、ここは夢の世界だ。
いつも素直になれずに憎まれ口を叩いてしまう俺だが、気心が知れていない相手だからこそ、普段は言えない事を言ってみようという気になった。
本当は、普段、友人たちに言いたい言葉だ。
もっとも、恥ずかしくて、今更彼らに面と向かって言えるわけがないので、目が覚めたら忘れてしまうくらいの気紛れでしかない。
「あ、いや、大丈夫だ。オマエは気にするな。つーか、気にして欲しいのは、オマエの腕の中のヤツなんだけどな」
本当に気にしていないというか、気にしなくていい内容だと思ってしまうような明るい調子で背後から笑い飛ばされてしまう。
「…いや、お前も少しくらい気にして欲しいところなんだが。まぁ、お前に言うだけ無駄なのは承知だ。…ところで、きちんと礼をしたいんだが、名前を教えて貰ってもいいか?」
深く溜息をついた後、黒髪の青年は前半を俺の背後に険しい視線を添えて、後半を俺に向けて人当りの良い笑顔と共に口にした。
「あ。そーいや名前聞いてなかったっけ。つーかオレも名乗ってねーや」
黒髪の青年の言葉に、俺の背後から悪びれた様子もない言葉が降ってくる。
確かに、俺も助けて貰ったくせにまだ名乗ってすらいなかった。
「…改めて、助けて貰ったのに礼も言ってなかったな。俺は…オルフェというんだ」
俺はくるりと振り返ると、赤髪の青年に向けてそう名乗る。
そして、再び振り返ると、黒髪の青年にも軽く目礼した。
普段の自分なら、相手の名を尋ねるならまず自分が名乗れと言うところなのだが、この世界の右も左もわからない中で敵を作るのも得策じゃない。
それに、今、ここで彼らに敵視されてしまうと、未だに目を覚まさない少女ともこのまま引き離されてしまうかもしれないと思った。
ここまで一緒に来ておいて、無事すら確認できないのは、とても辛いコトのように感じられて、俺は自分史上でかなりの譲歩だと思うくらい素直に名乗ったのだ。
「ぁー…オレもちゃんと名乗ってないよな。ジークって言うんだ、よろしく」
背後から、赤髪の青年が一瞬だけ驚いたようなそぶりを見せた後、軽い調子で、それこそ友人と軽く言葉を交わすような雰囲気であっさりと名乗りを上げる。
ジークという名前から連想出来るのは、神話の英雄のジークフリートくらいのものだが、恐らくそんな由来ではないだろう。
そもそも、この夢の世界に神話や伝承があるのかも不明なので、深く考えるのはやめておく。
「…この流れで俺だけ名乗らないのも変だろうな。俺の名はローゲだ。もし初対面で俺たちを信用してもいいと思えるのなら、奥へ来ないか?いつまでも入口で話しているのも妙だし、そいつをきちんとした場所で休ませたい」
目の前の黒髪の青年は、ほんの一瞬だけ考え込むような素振りを見せたが、居住まいを正して名乗った後、俺の腕の中の少女を指した。
俺としてはここまでついてきた以上、結果的には彼らを信用する以外の選択肢はない。
それに、ジークと名乗った青年が、俺を助けてくれただけでなく、目を覚まさないままの幼い少女の身柄を預けてくれているくらいには信用を態度で示してくれているのに、恩を仇で返すような真似は流石に出来ないだろう。
「俺が中に入ってもいいのか?」
むしろ逆に、警戒を露わにしていたローゲと名乗った青年に対して、俺は素直な感想を口にした。
恐らく、この先は彼らのプライベートスペースのような場所なのだろう。
完全に部外者である俺が立ち入ってもいいものか、彼の最初の態度からして歓迎されていないのではないだろうか、と思ってしまうのだ。
「ジークが信用して連れて来たんだろう?だったら、素直に歓迎だ。何もない殺風景な場所だが、オルフェさんさえ良ければ中へどうぞ」
俺の予想を裏切るような、裏のない微笑を浮かべてローゲはあっさりとそう言って俺に奥へと続く道を示す。
割と小さい頃から周囲と比べられ、周囲の顔色を窺って生きて来た自負のある俺は、自慢できることではないが本心とまでは言わなくても建前と本音くらいの区別は自然とつくようになっていた。
だから、ローゲが俺に対して敵意や隔意を持っていないことは、表情を見れば明らかだ。
「何もないことはないだろ、せめてお茶くらい出せるだろ?」
俺の横をすり抜けるようにして、先導するような足取りでジークがすり抜けていく。
「俺やお前が淹れたところで美味しいお茶なんて出せるワケないだろう?」
ジークの言葉に軽く呆れたように肩を竦めて見せると、ローゲはそう言ってから俺を見て、軽く手招くような仕草を見せた。
「…それじゃ、遠慮なく」
何故、初対面でこんなに信用されているのか全く不明なのだが、俺は2人の後について奥へと向かう。
通された先は、彼らの言葉に反して、落ち着いた佇まいの、少しばかり中世を思わせるアンティーク調部屋だった。
本来の用途は団欒(だんらん)か、会議か、はたまた晩餐(ばんさん)か不明だが、広い洋館の応接室と談話室を足したような造りの部屋で、上品な造りのダイニングテーブルのセットと、ローテーブルにソファが置かれている。
「何か用意してくるから、ちょっと待ってろよ」
ジークは俺に向けてそう言うと、ローゲを手招いてさらに奥へと進んで行く。
ここに眠ったままの少女と2人きりで残された俺は、どうしていいのかわからないまま、とりあえず柔らかそうなソファの上に少女を横たえた。
重いと感じたわけではないのだが、いつまでも抱きかかえているのもどうかと思ったからだ。
それに、少女が目を覚ました時、見ず知らずの人間に抱かれていたら、さすがに驚くだろうとも思った。
同じ年齢くらいの青年とも少年とも言い難い2人組のうち、せめて片方だけでも部屋に残ってくれていれば良かったのだが、信用されているのから少女と残されたのか、それとも逆だから密談をするための2人で消えたのか、どちらにしても俺はただ黙って少女が目を覚ますか、彼らが戻ってくるのを待つしか出来ない。
「…それにしても、いくら何でも無防備すぎないか…」
完全に手持無沙汰というか、1人きりの時間を持て余し、俺は改めて未だ目を覚ます気配のない少女に視線を向けた。
少女の服装は、今までに見かけた人の中で、最も馴染みのあると言える現代日本の普通の服装に近いように見える。
ほとんど周囲を確認する時間もなかったが、原生林に近いような場所に赴くとは思えない柔らかそうな純白のコートを羽織った幼い少女の姿は、街中で見かけても違和感を覚えることはないくらいだろう。
むしろ、どちらかと言えば熱帯に近いような原生林の中でコートという方が違和感を覚えるくらいだ。
「…なんでこんな子供があんな場所に…」
本当に今更ではあるのだが、危険のある場所にたった1人で訪れていたとしか思えない少女の行動を疑問に感じていた。
ジークが探しに来たのは、恐らくこの少女だったのだろうが、それにしたって1人で一体何のためにあんな危険な場所へ赴いたのだろうか。
「………ん…?」
不意に、少女の唇が震えて、小さな声が聴こえた。
ぱちり、と音を立てたように錯覚するくらいの勢いで、少女の閉じられていた瞳が開く。
その大きな紫水晶の瞳に、俺の姿が映った。
「………あれ?」
少女は、周囲を見渡すでもなく、瞬きすらせずに真っ直ぐに俺を見つめる。
吸い込まれそうな程、深い瞳に覗かれて、俺は身動きすら出来なかった。
もし、少しでも脅かすような真似をすれば、目の前の少女の無垢な瞳が、恐怖に歪むかもしれないと、心の奥で何かが警鐘を鳴らしている。
「………誰…?」
俺の内心の葛藤を他所に、少女はゆっくりと起き上がると、小さく首を傾げた。
視線は真っ直ぐと俺に向けたまま、誰何を発する。
「…………」
まだ状況を理解していないのか、それとも見た目よりも豪胆なのか、少女は不思議そうに俺を見上げるばかりだ。
初対面の少女相手に、俺は何を言えば警戒されずに済むかを考え、結局何も言うことが出来なかった。
「……ええと…。はじめまして…?」
少女は相変わらず疑問符を浮かべたまま、ほわほわとした口調で俺に向けてそう言う。
普通、初対面の人間を目の前に、もう少し警戒するものじゃないだろうかと、むしろ俺の方が警戒に似た心境になってしまった。
「…普通、初対面の人間相手に暢気に挨拶しないで、少しくらい警戒するものじゃないか…?」
だから、つい、ポロっと素で呆れた声で言ってしまう。
俺は端からこの少女を保護したいという気持ちでココまで来たのだから、本人に伝わらなくとも安全だと声を大にして主張出来るが、この警戒心の無さではいけない。
これでは、うっかり誘拐されても文句は言えないレベルだ。
自称保護者のジークたちは、そういう自衛について教えていないのではないかと思うと、実に嘆かわしい。
将来が楽しみというより、既にかなり完成された種類の美少女と言っても過言ではないのだから、少なくとも現代日本なんかに連れて行けば、魔が刺さなくてもお持ち帰りしたくなる人間が多いと確信出来る。
俺がいつまでこの世界に留まるのかは不明だが、万が一しばらく留まるのであれば、せめて自衛くらい教えてやろうと柄にもなく思ってしまう。
「……警戒…?」
俺に何を言われたのか、全く理解出来ていないだろう少女は鸚鵡返(おうむがえ)しにそう言って、ぱちくりと大きく目を瞬かせた。
「知らない人間に無防備すぎると言っているんだ。怖い目に遭ったり、危ない目に遭ったりするかもしれないんだぞ」
初対面のくせに何をと自分でも思うのだが、よく知る友人を彷彿させる危なっかしさで、つい口を出してしまう。
逆に変な人だと思われたり、警戒される可能性もあるのだが、ソレならソレで構わないと思うくらいには、苦言を呈したくなるような危うさに感じられた。
「…えっと…。大丈夫…、怖い人じゃないと、思うから」
少女はほんの少しだけ考え込むような素振りを見せた後、そう言ってぱっと笑顔を見せる。
どうやら初対面なりに、何故だか信用を勝ち取れたらしいが、やはり初対面の相手をあっさり無害判定してしまうこの少女の将来が心配になってしまう。
「…いや、だから、初対面だろう。俺の見た目が無害っぽいからといって無害とは限らないんだぞ…」
先が思いやられるという心境で、俺は無関係であるはずなのに思わず頭を抱えたくなって、そう言った。
「…初対面でも、危険かどうかくらいわかるよ?だって、何かするつもりなら、目を覚ます前にとっくにやってるでしょ?」
俺の危惧を他所に、少女は外見年齢に似合わない大人びた微笑みを浮かべそう指摘する。
その微笑みが、誰よりも身近に感じている友人と、何故だか重なった。
年齢も性別も異なるのに、そもそもココは俺の夢の中の世界だというのに、その笑顔は懐かしくもあって愛おしくもあるような気持ちを呼び起こす。
「………ソレは…」
実際、俺は目の前の少女を守りたいとは思うが、害を為そうとは思わない。
出逢いからして、無防備に倖せそうに眠る姿に大事な相手を重ねたというのに、害を為せるはずもないだろう。
誰よりも大切な相手と、一瞬だけでも重ねてしまったのだから。
けれど、それを相手に告げたワケでもなければ、信用されるようなことも、まだ何もしていないはずだった。
それなのに、目の前の少女は、まるで既知のように柔らかく笑っている。
「まだ、名乗ってもいなかったよね。…ええと…アイリスって呼んでください。アイリスが寝てたから、ココに連れてきてくれたんでしょ?」
それで、アナタは何ていうの?とでも言いたげに、少女は長椅子から飛び降りると、きちんと頭を下げてそう名乗って俺を覗きこんだ。
全く警戒をしていないだけでなく、自分の置かれている状況を瞬時に分析したらしい少女は、推測で正解を引き当て、俺の応えを待っていた。
「…俺は…オルフェだ。…何故、そう思ったんだ…?」
俺がアイリスと名乗った少女をココに連れて来たと、まるで確信しているような物言いに、今度は俺が首を傾げる番だ。
明らかに初対面で、今の今までアイリスは眠っていたハズなのに、一体何故、あたかも見ていたかのように断言出来たのだろうか。
「だって、ココに入れてるってコトは、アイリスを追いかけてきたジークかローゲに連れてこられたってコトだよね。あの2人が安全だって判断したから、今、オルフェはココにいるの」
絶対の信頼を寄せているかのような、ソレが事実だと確信している揺らぎのない真っ直ぐな瞳で、アイリスは俺に笑顔を向ける。
「…随分と、その2人を信頼してるんだな…」
真っ直ぐな信頼の言葉を、俺は何故だか羨ましいと感じていた。
同時に、あの青年たちが安全だと判断したから自分が無害判定をされたのかと思うと、何故だか少しだけ淋しいような哀しいような気持ちになる。
アイリスは、俺を自分の目で見て無害判定をしたのではないのだと、ただ単に信頼を寄せる相手の判断を信じただけなのだという事実は、当然だと理解していても、自分を信じて貰えたワケではないと距離を置かれた気がしたのだ。
「一応、アイリスの保護者でもあるから。それに、大事な友達だから、信じてるよ」
当然だと、眩しい笑顔を浮かべるアイリスが、遠く感じられる。
ソレは当たり前のコトなのに、何故、俺はこんな傷ついた気持ちになっているのだろうか。
たぶん、目の前の初対面の少女に、大事な相手の面影を一瞬だけでも感じたからだろう。
「それにね?オルフェ自身も、信じて大丈夫って思えるから。普通、名乗るよりも、事情を説明するよりも先に、苦言を呈してくるような相手が、アイリスにとって危険なワケ、ないでしょ?」
そして、アイリスは可笑しそうに笑って見せた。
俯きかけた俺を真っ直ぐに見て。
しょうがないとでも言いたげな、外見年齢に見合わない大人びた思慮深さを感じさせる柔らかな笑顔で、それでも可笑しそうに。
「…そうやって、騙すのが俺の目的かもしれないだろ…」
真っ直ぐに向けられた、親愛を込めた笑顔に、俺は何故かとても気恥ずかしくなって、思わず憎まれ口のようにそう言った。
何故だか、初対面の、それも年下の少女に、心の(うち)を見透かされたような気がして、無性に恥ずかしくなる。
「オルフェじゃなかったら、もう少し警戒するよ?それに、アイリスは強いから心配してくれなくても大丈夫だよ」
まるで、俺だから信じたのだと、俺の為人(ひととなり)を知っているかのようなを知っているかのような口ぶりでアイリスは笑う。
よく知る誰かに似た、余裕すら感じさせる笑顔で。
「…危なっかしいヤツだな…貴様…」
だから、つい、俺の口から零れ落ちたのは、普段、友人に向けているような、本心を覆う憎まれ口のような言葉。
心底呆れた声に乗せた、本当は心配なんだという本音を隠すような言葉だ。
俺の言葉に、アイリスはさらに可笑しそうに笑っていた。
俺の本心などお見通しだとでも言いたげな、余裕の笑みが無性に腹が立つような、嬉しいような。
初対面だというのに、こうやって言葉を交わす間柄が当たり前のようにすら感じられる。
流石は夢だと、俺はあまりにも都合の良い展開に、内心で苦笑してしまう。
「ほらな?大丈夫だったろ?」
不意に、背後から底抜けに明るい声が聞こえて、俺は振り返る。
「…うちの眠り姫は、相変わらずの通常運転か…」
ソコには、銀のトレーに何やら乗せて明るく笑うジークと、同じくトレーを持って苦笑交じりに肩を竦めるローゲの姿があった。
「だから、言ったじゃん。アイリスだぞ?この程度のコトで動じると思うか?」
「…動じるとか動じないじゃなくて、俺たちは一応曲がりなりにも護衛兼保護者みたいな立場なんだけどな…」
持ってきた銀のトレーをテーブルの上に置きながら、ジークとローゲは俺たちを見てそんな会話を交わしている。
どうやら、彼らの、とりわけジークの推理では、目を覚ましたらいきなり初対面の人間が目の前にいるような状況であっても、アイリスは動じたりしないと思っていたらしい。
ローゲの発言も、驚く以前に、立場上放っておくのはまずかったのではという諫言(かんげん)のようで、要するに彼らは俺たちの邂逅が何事も起こらないだろうと初めから解っていたようだ。
「…変な夢だな…」
何だか、日常の一幕と変わらないように思えて、俺は知らず苦笑していた。
見ず知らずの彼らが、何故か身近な存在に感じられるのが、不思議で仕方がないと思うし、同時に俺の夢なのだから、それもあり得ると思ってしまう。
「…夢?」
俺の独り言が届いたのか、アイリスが不思議そうな表情で首を傾げた。
「…あ…いや…」
何でもないと言おうとした俺に、何故かアイリスはそっと手を伸ばす。
軽く背伸びをするようにして、俺の顔に手を伸ばそうとしたので、俺は何だろうと思いながらも少しだけ身を屈めた。
そっと頬に触れられた小さな手は、ほんの少しだけひやりと感じる。
どうしたのだろうかと、俺は真っ直ぐに覗きこんでくるアイリスと視線を合わせた。
「いっ!!?」
次の瞬間。
俺は、思わず間抜けな悲鳴をあげた。
頬に触れた手が、ぐいっと俺の頬を抓ったのだ。
「いきなり何をするんだ、貴様はっ!!?」
やはり子供かと、何を思ってそんなことをしたのか不明なアイリスに、俺は素になって怒鳴っていた。
怒鳴ってから、しまったと思ったが、もう遅い。
怖がらせて、泣かせてしまったらどうしようかと、不安が(よぎ)る。
「…えっと…」
だが、アイリスは俺の心配とは裏腹に、1度だけぱちりと大きく瞬きをした後、少しだけ楽しそうな笑顔を見せた。
「ちゃんと痛かったでしょ?」
そして、楽しそうな笑顔のまま、アタリマエのことを訊いてくる。
抓ったら痛みを感じるなんて、アタリマエじゃないか。
「普通に考えて、抓られて痛くない人間なんて、いると思うのか!?」
だから、俺はコイツは馬鹿なのかと、一瞬だけ思った。
元々、俺は子供は苦手のハズだ。
それなのに、目の前の少女にだけ、何故苦手意識を持たなかったのか。
やはり子供には関わらないに限る。
「夢じゃないよ」
苛立ち紛れに睨み付けようとした瞬間、それを見越して先手を打つように、楽しそうなアイリスの声がそう告げた。
「…は…?」
一瞬、何を言われたのか、俺は理解出来ずに首を捻る。
「ちゃんと痛かったでしょ?だから、夢じゃないよ」
種明かしだとでも言うように、アイリスは奇行の訳を笑顔と共に告げた。
俺が発した、変な夢だという言葉に対する、アイリスなりの答らしい。
確かに、夢で痛覚があるなんて聞いたコトがなかった。
むしろ、夢かどうかを見極めるのに、頬を抓るというのはこれまでに使い古された手段だろう。
「…夢じゃ…ない…!?」
ソコで、ようやく俺の頭はアイリスの言葉を正しく理解した。
ちょっと待て。
コレが、夢じゃないのなら一体何だと言うのだろうか。
「…オルフェは、コレが夢だと思ってたの…?」
心底可笑しそうに、無慈悲な事実を俺に突き付けた少女が笑っている。
「どう考えても夢だと思うだろ!?」
俺は、日本の男子高校生なワケで。
ソレが一体どうして、どうなったら、こんなSFファンタジーのような世界に居るというのだ。
夢でないのなら、コレが現実だと言うのなら。
それこそ、本当にラノベかマンガの世界ではないだろうか。
「…オルフェ、大丈夫か?」
背後から、ポンと肩に手が置かれた。
ジークが俺を案じるように顔を覗きこんでくる。
置かれた手の温かさを感じる事が出来て、俺はますます夢じゃないのかという疑念を膨らませた。
「…とりあえず、事情を聴いてやるから、落ち着け…」
俺の様子を見て、ローゲまでもが同情するような、妙に温かい視線を向けてくる。
「コレが、落ち着いていられる状況かぁっ!」
夢だと思ったから、落ち着いて状況分析が出来たのだ。
ソレが夢じゃないのなら、落ち着いてなどいられるものか。
俺は、あらん限りの音量で、思い切り叫んだ。
もしコレが夢ならば、今すぐ醒めてくれという思いを込めて。
製作者:月森彩葉