Thought

「シャナン・ウィード! 貴方、説得で開城させたという話、本当ですの!?」
 叩きつけるような勢いで飛んできたソプラノの声に、青年は素振りをやめて背後へと視線を投げた。この場では滅多に見られない顔に、剣を下ろして笑みを浮かべる。
「あれ? 訓練場に来るなんて珍しいね、エカテ」
「わたくしの名はエカテリーナ・カーマインですわ。何度も申しますが、妙な呼び方をしないでいただけませんこと?」
 すみれ色の瞳を怒りにきらめかせ、長い銀髪を背中に払いながら娘が捲くし立てた。しかしその剣幕を欠片も気にせず、シャナンはきょとんとした面持ちで首を傾げる。
「エカテでいいじゃない。エカテリーナって長いよ」
 シャナンの言葉にエカテリーナは何か言いたげに口を開いたが、諦めたように溜息をついただけだった。
「……好きになさい。そんなことよりもわたくしの質問に答えなさい、シャナン・ウィード」
 頭痛でも堪えるかのように右手で目元を覆うエカテリーナに、シャナンはぱちりとまばたきしたあと、小さく声を上げた。
「説得で城を陥としたかって話だったっけ? 本当のことだけど、情報早いね。誰から聞いたの?」
「……ホノリウスが」
 低い呟きに、シャナンは再びまばたきする。
「ディーナが?」
 驚いたように跳ね上がる声音に、エカテリーナは小さく頷く。
「ええ、珍しく上機嫌で話しかけてきたと思ったら、貴方のことでしたわ。あの様子では、あちこちで吹聴して回っているのではないかしら」
 胸の前で腕を組み、不機嫌そうに顔を背けて言い放ったあと、エカテリーナは眉をひそめてシャナンを見やった。
「でも、どうしましたの? 貴方が進んで戦功を立てるなんて、今までなかったでしょう? 敵味方問わず、死者が出ることをあれほど嫌がっていましたのに」
「……うん」
 かすかに頷き、シャナンは足元に視線を落とした。
「血が流されるのはイヤだよ。戦争だから仕方ないってわかってるつもりだけど、でもイヤなんだ。たとえ敵でも、誰かが傷ついたり、ましてや死んだりするのなんて……見たくない」
「ならば、なぜ兵を出したのです? 今までのように拒否することは可能だったはずですわ。ホノリウスは、ああ見えて無理強いはしない人。嫌だと言えば、別の誰かに命じたでしょう」
 刃のように鋭いエカテリーナの問いに、シャナンは空を仰いだ。何かを求めるかのように、空へと右手を伸ばす。
「……ディーナがね、言ったんだ」
 ぽつりと呟いて、眩しげに目を細める。
「無用な流血を厭うのならば、それを避けてみせろ、と……いつも言っているように、気合と情熱とで敵兵を投降させてみろって。もしそれが出来たのならば、今後極力その方向で戦略を立ててもいいって、そう言ったんだ」
 伸ばした手を胸元に引き戻し、シャナンは自嘲気味な笑みを浮かべてエカテリーナの方へと顔を向けた。
「バカみたいだよね。こんな、自分自身いつ死ぬかもわからないような状況の中で、敵のことを気遣うなんて。たとえ僕がどれほど戦功を立てようと、ディーナがそんな約束を守るわけないってわかりきってるのにね」
 いつものように辛辣な言葉が飛んでくるかと思いきや、意外なことに彼女は考え込むように目を伏せていた。
「……エカテ? どうかしたの?」
 不審に思って声をかけると、真っ直ぐな眼差しが彼を射抜いた。
「貴方、本気ですの?」
「やっぱり、バカなことだよね……」
「違いますわ」
 苦笑いを浮かべたシャナンの言葉を、エカテリーナがぴしゃりと遮る。
「ホノリウスが言ったから、貴方は兵を出した。――そうですわね?」
「う、うん……」
 エカテリーナの強い瞳に気圧されるようにシャナンが頷く。
「彼女の言葉に信憑性などないと知りながら貴方は戦場に出て、そして城を陥とした。自らの信念を捨ててまで、ホノリウスの言葉に従う――貴方はそこまで彼女のことを想っていますの?」
 びくりとシャナンの肩が跳ね上がった。服の襟元を掴み、逃げるように顔を背ける。そんなシャナンをエカテリーナはじっと見据える。
「正直なところ、わたくしは今まで貴方がホノリウスに対して抱く感情はただの憧れだと思っていましたわ。彼女が持つ、比類なき強さへの憧れなのだと。けれど、違った。――そうですわね?」
 半ば以上断定の形を取る彼女の問いに答えかね、シャナンは強く拳を握り締める。その様を見て、エカテリーナは大きく溜息をついた。
「まぁ、そんなことわたくしにはどうだっていいことですわ。せいぜい無茶をして死なないようになさいな」
 諦めたようにそう呟くと、一時間後に軍議だと告げてエカテリーナは踵を返した。徐々に小さくなっていくその後ろ姿を見送りながら、シャナンは剣を握りなおした。頭上に振りかぶり、けれども躊躇うように再び下ろす。
「死なないように、か……」
 ぽつりと一人ごち、空を仰ぎ見る。
「この世界は、どこにいくのかな……僕は、どこまでいけるかな……」
 ――常に戦場の先を独り駆け、鎌を振るう藍色の衣のあの(ひと)の傍らにあと何度立てるのだろうかと、祈るような気持ちでそう考える。


 戦渦に包まれたこの世界がどこへ向かうのか、そして彼がどこまで往けるのか。それはまだ、誰にもわからない――
原文は2004年の半ば頃のもの。
Momentとリンクというか、同一時間軸のお話。
製作者:篠宮雷歌