鮮赤のメシア 二章

 討伐士協会のミロディ支部は、本部に次ぐ規模を持つと言われていた。敷地面積や建物はもちろんのこと、常駐する討伐士の数やその質も理由の一つである。
 そのミロディ支部の建物の前で、茶髪の青年がうわぁ、と声を上げた。建物の規模に驚いて、ではない。
「空き巣にでもあったんですか? コレ……」
 困惑したようなつぶやきも無理はない。開け放たれたドアから見える室内は、これでもかとばかりに荒らされていたのだから。
「ある意味、そうだろうな」
 青年に向けて答えながら、銀髪の男は藍色のコートをひるがえして建物の中へと踏み入った。ぐるりと室内を見渡し、大きくため息をつく。
 受付として使われていたはずのエントランスホールは、外から窺える以上に荒れていた。見える端から手当たり次第に引っ掻き回したのか、戸棚や引き出しは開けっ放し、それらの中にしまわれていたであろう物はそこらに放り出されたまま、と足の踏み場もないほどだ。テーブルやイスすらもひっくり返され、無事と言えるのは作り付けのカウンターくらいのものである。目につく範囲でこれなのだから、おそらく他の部屋も似たような有様だろうと容易に想像がついた。
 額に手を当てて入口の方を振り返った男は、そこにぽかんと大口を開けたまま立ち尽くしている青年の姿を見つけて再びため息をついた。
「いつまでそうやって間抜け面をさらしているつもりだ? ハンス」
 呆れたような男のつぶやきに、ハンスと呼ばれた青年はハッと我に返った。
「す、すみません、アルヴィーンさん!」
 青年がそう叫びながら慌てて屋内へと駆けこむ。その拍子に積もっていた埃が一斉に舞い上がり、彼らの視界を白く染めた。
「……バカが」
 コートの袖口で鼻と口とを覆ったアルヴィーンが、呆れたように半眼になってつぶやく。
 埃の向こう側から、盛大にくしゃみを連発しながら謝罪するハンスの声がどうにか聞き取れた。


 一旦外へと避難した二人は、舞い上がった埃が落ち着いたのを見計らってから再び屋内へと入った。先ほどのことがあるからか、恐る恐るといった様子でハンスがアルヴィーンのあとを追う。
「何て言うか……【跡地】って感じですよね、完全に」
 埃が付くのが気になるのか、脛まであるコートの裾を持ち上げながら周囲を見渡していたハンスがぽつりとつぶやいた。
「こりゃあ夜逃げしたとか言われても無理はないな」
 やれやれと|頭《かぶり》を振りながらアルヴィーンがぼやく。
 ミロディで異形が発生し、その処理に失敗して手配書が作られたことは聞き及んでいた。その後、手配異形専門の討伐士たちを送り込んだものの、派遣した討伐隊はおろかミロディ支部とも連絡がつかなくなっているらしいとも。どういう状況になっているのか現地に行って確かめてこい、というのが今回彼らに与えられた命令だ。
 ミロディに到着し、場所の確認がてら住民に話を聞いてみれば、彼らは皆一様に口を揃えてこう言った。協会の連中は逃げ出した、と――。半信半疑のまま支部へと足を運んでみれば、この有様である。しかも、肝心の異形は未だ健在と言うではないか。
 ため息をついてもう一度周囲に視線を巡らせた時、アルヴィーンはそれに気づいた。
 カウンターの上に置かれた封筒。一つだけではなく、いくつもが無造作に積まれて山のようになっている。
 近づいて手に取ってみれば、未開封のそれらはすべて討伐士協会本部からの手紙だった。おそらくは状況報告を求めたものだろう。
 手にした封筒をぐしゃりと握り潰すと、面倒くさいとつぶやいてアルヴィーンはそれを放り出した。立ち尽くしたまま途方に暮れたように辺りを見渡しているハンスへと目を向け、声をかける。
「連絡がつかない時点で、こうなっていることは予想できていただろうが」
 ついでに、命令内容にはこういう状況を想定した指示もあったのだが、ハンスの記憶からは綺麗サッパリ洗い流されているようだ。きょとんとした顔でこちらを見返すハンスの顔からそれらを読み取り、アルヴィーンは今日何度目になるかわからないため息をついた。ただでさえ頭の痛い任務だというのに、連れがこの様子では到底当てにできそうもない。
「おまえなぁ……いったい何を聞いていたんだ?」
 たぶん何も聞いていないだろうことは想像に難くなかったが、思わず皮肉が口をついて出た。
 アルヴィーンは嘆息しながら受付として使われていたであろうカウンターの中に入ると、ひっくり返ったイスを直して腰を下ろした。近づいてきたハンスの鼻先に人差し指を突き付ける。
「確認するぞ? 俺たちの目的は何だった?」
「討伐士協会ミロディ支部と連絡がつかなくなったため、状況を確認して本部に報告すること、です」
 ピシリと直立不動の姿勢でハンスが答える。口を開く直前、考え込むように視線がさまよったのをアルヴィーンは見逃さなかった。頭痛をこらえるようにこめかみを揉みながら、彼は言葉を続ける。
「連絡がつかないということは、すでに支部が壊滅している可能性もあったわけだ。その場合に採るべき行動は?」
 問いかけにハンスが視線を泳がせる。その仕草が何よりも雄弁に物語っていた。
「おまえな……見習いですら、命令内容の復唱くらいしてみせるぞ?」
 呆れた様子のアルヴィーンの眼差しから逃げるように顔をそむけ、ハンスは消え入りそうな声で謝罪した。
「とりあえず、本部への状況報告。異形はまだ討伐されてないって話だから、最低限市街地とその周辺の哨戒。もしも異形と遭遇したならば、その処理」
 いずれ支部再建のために本部から人員が送られてくるはずだから、それまでは自分たちがこの街に留まる必要があるとアルヴィーンは語った。
 もっとも、と彼は内心で付け加える。数え上げた行動の内、実践可能なのは状況報告くらいのものであろうが。
「それは理解できましたが……さっきから何を書いてるんですか? アルヴィーンさん」
 説明をしながら無事な戸棚や引き出しを確認していたアルヴィーンだったが、途中から見つけ出した紙と筆記用具で何事か記していたのだった。アルヴィーンの字がやや癖が強いこともあって、反対側からのぞき込んでいるハンスには何と書かれているのかサッパリ読めない。
 不思議そうなハンスの声にアルヴィーンは半眼で顔を上げた。心外だとでも言いたげに嘆息し、大きな動作で(かぶり)を振る。
「バカなのか、おまえ? 報告書に決まってるだろ」
 もう一回見習いからやり直してこい。叩きつけられた辛辣な言葉に、ハンスは思わず首をすくめた。すみません……と口の中で小さくつぶやく。
「とにかくだ。しばらくは俺たち二人でどうにかしなくちゃならないってことだよ。今度はちゃんと理解したか?」
 再びハンスの鼻先に指を突き付けてアルヴィーンは告げる。嘆息交じりのその言葉に、ハンスは慌てて何度もうなずいた。
「了解です」
 なおも疑わしげにしばらくハンスを見つめていたアルヴィーンだったが、納得したのかそれともあきらめたのか、やがて小さくうなずいた。書き上げた報告書の内容を確認するように読み返してから折りたたみ、これまた見つけ出した封筒に入れて封をする。
「とりあえずはこの支部を拠点に行動する。支部内の備品は好きに使っても問題ないだろ」
 もっとも、この様子ではろくな物が残っているとは思えないが。そう考えながら、封筒を手にアルヴィーンは立ち上がった。
「情報収集と報告を兼ねて、この街のお偉いさんと話をしてくる。夕方には戻ってくるから、それまでに支部内の片づけと直近の討伐記録を見つけ出しておくように」
 そう言い残して外に出ようとしたアルヴィーンを見て、ハンスは慌てて声を上げた。
「僕一人でやるんですか!?」
 悲鳴じみたその声に、アルヴィーンは足を止めて振り返る。
「別に俺が片付けてもいいんだがなぁ……。おまえ、ちゃんと帰ってくるか?」
 疑わしげなその言葉に、普段温厚なハンスもさすがに声を荒らげる。
「僕が任務を放り出して逃げるって、そう言いたいんですか!?」
 戦力として当てにされていないということは、最初からわかっていた。アルヴィーンに比べれば、確かに自分は未熟だ。コンビを組んでいるとはいえ、周囲からは彼の付き人としてしか扱われていないことも理解している。それでも、アルヴィーン本人からそんな風に言われるだなんて思ってもいなかった。
 僕だって討伐士です。そう反論しようとした矢先――。
「迷子になっても、探しには行かないからな?」
 本当に面倒くさそうな声音でアルヴィーンはそう言ったのだ。
「おまえ一人で出かけたら、迷子になるのがオチだろう?」
 握り拳のまま体勢を崩したハンスは、(したた)かに壁に頭を打ち付けた。頭を押さえてうずくまるハンスを、半眼でアルヴィーンが見下ろす。
「何をやっているんだ、おまえ」
「何でもないです……」
 片付け、了解しました。半泣きでうめいたハンスに胡乱(うろん)な眼差しを向け、けれども何も言わないままアルヴィーンは外へと出た。


 外に出ると、暗がりに慣れた目を強い日差しが刺した。アルヴィーンは手でひさしを作って何度もまばたきする。
 高く鳴り響く警笛に顔を上げると、ちょうど列車が街に入ってくるところだった。
「あれに乗って帰れたら楽なんだがなぁ」
 徐々にスピードを緩めていく列車を目で追いながら、半ば本気でつぶやく。何もかも知らないふりをして、異常はありませんでしたと報告して帰れたならばどれほど楽だろうか。だが、そういうわけにはいかないのだ。
 後ろ髪を引かれながらも列車から目をそらすと、アルヴィーンは街の中心部を目指して歩き出した。


 街の中央にある市場に向かうと、まずは配達屋を探して協会本部への手紙を預けた。これで状況報告という最低限の任務は果たしたこととなり、少しだけ軽くなった肩の荷にアルヴィーンは両腕を伸ばした。
 着任報告もあるためこの街の市長の元へ向かうのは当然なのだが、できれば住民たちからも情報を得たいところである。さて、どちらから向かおうかと考えていると、不意に横合いから声をかけられた。伸びの姿勢のまま、アルヴィーンはそちらへと顔を向ける。
「おお、やっぱりさっきの兄ちゃんじゃないか」
 アルヴィーンの視線の先、そう言って笑みを浮かべるのは先ほど支部の場所について尋ねた老人だった。それに気づき、アルヴィーンも相好を崩す。
「じいさん! さっきは助かったよ、ありがとうな」
「なぁに、困ったときはお互い様よ。で、どうだった。おらんかっただろ?」
 カラカラと笑う老人に、アルヴィーンは困ったように眉を寄せて曖昧な笑みを浮かべた。まさか、ああも見事にもぬけの殻だとは思いもしなかったのだ。
「わざわざあんなところまで行くとは、依頼でもするつもりだったのかね?」
「いや、俺たちは討伐士でね。この街にある支部と連絡が取れなくなったから、様子を見に来たんだよ」
 しかし、ああなってるとは思ってもみなかった、とため息をついてアルヴィーンは(かぶり)を振る。それを見て、老人はさらに楽しげに笑った。
「まさかなぁ、討伐士協会が夜逃げするとは、わしらも夢にも思わんかったよ。長いこと生きてきたが、初めて聞いたわ」
 笑いながら言われた言葉に、アルヴィーンは何とも言えぬ表情を浮かべて内心つぶやいた。――うん、普通、そういうことは予想もしないよな。
「まぁ、そういうわけでだ。しばらくの間、俺たちがこの街に駐留することになったんだよ。だから、今この街で何が起こっているのか教えてくれないか?」
 そう問いかけたアルヴィーンに、ふむ、と老人がうなずいた。
「かまわんよ。わしの知っていることでよければ教えよう」
 その言葉に、アルヴィーンは笑みを浮かべて心から礼を言った。


 宣言通り夕方になってアルヴィーンが支部に戻ってくると、エントランスホールは乱雑ではあるものの見違えるほどに片付いていた。部屋の真ん中にはテーブルが置かれており、力尽きたのだろう、ハンスがそこに突っ伏すように伸びている。その様子に小さく笑うと、アルヴィーンは手にした紙袋の一つをテーブルの上に置いた。
 その物音で気がついたのか、ハンスが顔を上げる。彼はぼんやりとした顔でまばたきを繰り返し、口を開いた。
「お帰りなさい、アルヴィーンさん」
 それに今戻ったと返しながら今日の成果を尋ねると、部屋の片隅を示された。指先を追ってそちらに視線を向ければ、とりあえず突っ込んでみたと言わんばかりに荷物が山盛りとなった箱が一つ。わずかに眉を寄せると、もう一つの紙袋を手にアルヴィーンはそちらへと向かった。
 近寄って見てみれば、積み上げられたそれらは武器の類のようであった。
「おまえなぁ……もうちょっとどうにかならなかったのか?」
 あまりと言えばあまりの状態に、アルヴィーンの口からため息が零れ落ちる。見つかった物から手当たり次第に放り込んでいったのだろうことが想像に難くない、そんな有様だった。
「すいません~」
 非難じみた声に謝ったハンスが、べしゃりと顔からテーブルに崩れ落ちた。それきりピクリとも動かなくなる。どう見ても使い物にならなさそうなその様子に、アルヴィーンは再び嘆息した。
 紙袋の中から買ってきたサンドイッチを取り出すと、それを食べながら箱の中身の検分を始める。大半は使わないような物ばかりであったが、中には救急箱や弾薬など、利用価値のある物も見つかった。
「ギリギリで及第点、だな」
 そうつぶやいて、ハンスの方を振り返る。討伐記録は、とアルヴィーンが問いかければ、うつぶせのまま頭上でバツ印が作られた。見つからなかったという意味らしい。
「よし、じゃあ明日も引き続き支部内の片付けと、資料の探索だ」
 アルヴィーンの宣言に、もはや言うだけ無駄だと悟ったのかハンスは異議を唱えなかった。代わりに問いを投げる。
「アルヴィーンさんはどうするんですか?」
「俺か? 市長が明日帰ってくる予定らしいから、話をつけてくるわ」
 そう言って、彼は一言付け加えた。
「資料が見つからなかったらどうなるか、わかってるよな」
 どこか脅しめいた響きの宿るその言葉に、テーブルに突っ伏したままハンスはうめいた。
「鬼だ、この人……」
製作者:篠宮雷歌