鮮赤のメシア 五章

 今回は少数な上に寄せ集めのメンバーでの討伐ということもあり、探索の準備は日数をかけて念入りに行われた。途中何度か諦めの悪いハンスが見張り役の交代を訴えていたものの、それはことごとく無視された。
 そんなある日、ディーは途中経過を報告するためにダニエルの元を訪れていた。
「――以上が、現状で判明していることです。討伐が完了するまで、旧坑道への立ち入りは引き続き禁じていただいた方がよいでしょう」
 ディーの提案にそのように手配するとうなずくと、ダニエルは改まった表情で頭を下げた。
「先日はうちのスヴェンがご迷惑をおかけしたようで、どうも申し訳ありませんでした」
 突然のことに驚いたように目を瞬か(またた)せ、ディーは(かぶり)を振る。
「いえ、それに関してはこちらの不手際です。どうかお気になさらないでください」
 対処を間違え、スヴェンを危険な目に遭わせてしまったのだ。頭を下げられる(いわ)れはないとディーは感じていた。
 そんなディーの考えを悟ったのか、小さく笑ってダニエルは頭を上げた。
「いつ討伐に向かわれるのですか?」
「三日後を予定しています。有事に備えて一人残しておきますので、何かあればそちらへお願いします」
 その言葉に、ダニエルは不安そうに眉を寄せた。協会の討伐士たちは、いつだってもっと大勢で行動している。それなのに僅か二人で大丈夫なのだろうか? 前途ある若者たちをみすみす死地へと追いやっているようで胸が痛んだ。
 ダニエルの憂慮(ゆうりょ)を察したのか、ディーはそっと(かぶり)を振った。
「どうぞご心配なく」
 依頼は必ず果たすと告げたディーに、それ以上何も言えなくなったダニエルは自分の足元へと視線を落としたのだった。


 そうして、その日はやってきた。
 用意した荷物を手にディーたち三人が旧坑道へと向かうと、鉄扉の前にはダニエルとスヴェンの姿があった。彼らはこちらに気づくと深々と頭を下げる。
「すみません、ご迷惑になるかと思ったんですが、この子がどうしても見送りに行くと言って聞かなくて」
 申し訳なさそうに告げたダニエルの横を飛び出し、スヴェンはディーの前に立った。何か言いたげに口を開き、けれども言葉を見つけられないのか視線をさまよわせる。しばらくそうしていたが、やがてスヴェンは強く拳を握った。まっすぐにディーを見上げる。
「オレ、待ってるから。だから絶対に帰ってきて」
 約束してと懇願した少年に、ディーは僅かに微笑んだ。
「わかりました」
「絶対だからな!?」
 念を押され、もう一度わかったと答えてうなずく。
 どこか泣きそうに顔を歪めた息子の頭に手を置き、ダニエルがその隣に立つ。
「こんなことを言っていいのかわかりませんが……どうか、街を救ってください」
 ためらいがちにそう告げて、ダニエルが頭を下げた。それに三人はそれぞれの面持ちでうなずく。アルヴィーンは自信に満ちた表情で笑って、ハンスは緊張した様子で、そしてディーは真摯に。
「「「必ず異形は討伐します」」」
 声を揃えて宣言した三人に、ダニエルはもう一度深く頭を下げた。
 街へ戻る親子の姿が見えなくなるまで見送ると、三人は坑道へと向き直った。その顔つきには、それぞれ度合いこそ違うものの緊張が浮かんでいる。
「扉を開けた瞬間に異形が襲ってくる可能性もあります。準備はよろしいですか?」
 そう問いかけると、ディーは二人の顔を順番に見つめた。それぞれがうなずいて武器を構えたのを見ると、ディーは鍵を開けて封鎖を解いた。
 視線で合図をして扉を開くと、ディーは素早く距離を取った。彼女をかばうように、アルヴィーンとハンスが前に出る。
 しかし三人の予想に反し、異形の襲撃はなかった。油断なく武器を構えたままアルヴィーンが扉へと近づき、中の様子を窺う。近くに異形がいるような気配は感じられなかった。
「じゃあ行ってくるわ」
 軽い調子でそう告げると、ひらりと片手を振りながらアルヴィーンが坑道の中へと姿を消した。それを見送り、ディーはハンスの方へと近寄る。
「この場はお任せします」
 まっすぐに瞳を見据えてそう告げると、ハンスに鍵を渡す。
 異形の討伐が二人では難しいように、見張りの任も一人では厳しいものがある。故に基本的には封鎖して、日に一度扉を開けて様子を見ることにしようと話し合って決めていた。
 受け取った鍵を両手で握りしめると、ハンスはディーを見返してしっかりとうなずいた。
「ディーさんもどうかお気をつけて!」
 激励を背に受けると、ディーはアルヴィーンを追って坑道内部へと足を踏み入れた。


         ◆


 光石(こうせき)を軽く壁にぶつけ、網状に編まれた袋の中へと落とし込む。その表面に淡く光が浮かんできたのを確認すると、ディーは袋をベルトに結びつけた。
 坑道内に入り込んだ陽光で眼前の地面に己の影が長く伸びている。しばらく待ってみたが、扉が閉ざされる気配は一向になかった。
「まったく、あいつも変な風に責任感じる必要はないってのにな」
 横から投げられた苦笑混じりの声にそちらへと視線を向けると、ディーを待っていたのだろう、壁にもたれかかるようにしてアルヴィーンが立っていた。肩をすくめて近寄ってくる。
「俺らだけに厄介事を押しつけたって、そう考えて自分を責めてるんだよ、あいつ」
 そんな風に考える必要なんてないのに、とつぶやいて彼は苦く笑う。
「たぶん、今日は一日ああやってるつもりなんじゃないか?」
「封鎖するようにと打ち合わせていても?」
「変なところで頑固だからな、あいつ」
 呆れたような、けれどもどこか好ましいものを見るようなそんな目をして、仕方がないと言ってアルヴィーンは笑った。それに不可解だと言いたげにディーは(かぶり)を振る。
「無意味でしょう。異形を街に放つ危険性が上がるだけだと言うのに、なぜわざわざそんなことを?」
「ま、そのへんは男の見栄だか意地だかってヤツだよ。お嬢さんには理解できないかもな」
「……そうですか」
 呆れたのか、それとも納得したのか、どちらとも取れる表情でディーはうなずいた。左手で剣の鞘に触れ、アルヴィーンを追い越して歩き出す。
「行きましょう、無駄話をしている時間が惜しいです」


 周囲を警戒しながらしばらく進んだが、異形と遭遇するどころかその気配を感じることすらできなかった。足を止め、担いだハルバードに腕を絡めるようにしながらアルヴィーンが首を傾げる。
「この間の銀狼は、たまたま入り込んでいただけなのか?」
「その可能性は否定できません」
 希望的観測ではあるものの、こうも異形の気配を感じられないのでは討伐対象以外に存在しないという可能性も考えられた。
「ですが、メシュニア・アイビーの習性を考えれば、他に何かいると考えておいたほうがいいでしょう」
 異形討伐においては何が起きても不思議はない。やや神経質なくらいが丁度いいとも言えた。
「ハンスも連れてきた方がよかったと思っているか?」
「……なぜです?」
 元々見張り役を置くことを提案したのはディーだ。なぜ今更そんなことを聞かれるのかが理解できず、ディーは眉を寄せた。
「何か気がかりなことでもありますか?」
 そう問いかけながら、ディーは答えを察してもいた。顔を合わせてから十日足らずの人間に背中を預けるのだ、不安にならない方がおかしいだろう。
 だがディーの予想とは裏腹に、アルヴィーンは息を漏らすように笑った。
「それはあんたの方じゃないのか?」
 予想外の言葉にディーは目を見開く。何を言われているのか理解できないといった様子のディーを見て、
「思考に沈みすぎると、何かあった時に動けなくなるぞ」
 人差し指で深く皺の刻まれた彼女の眉間をトンとつつき、妹を見守る兄のような眼差しでアルヴィーンは微笑んだ。
「そんなに注意力散漫でしたか?」
「そこまでひどくはないが、背中を預けるにはやや不安があったな」
 ニヤリといたずらっぽく笑い、彼は付け加える。
「まぁ、俺はハンスと組んでいるから少々のことでは平気だが」
「それは……申し訳ありませんでした」
 難しい顔つきで律儀に謝罪したディーに、アルヴィーンは笑みを引っ込めた。困ったように眉を寄せる。
「今のは笑うところなんだがな」
 冗談の通じないディーにため息をつくと、それはさておき、とつぶやく。
「で、実際のところ、何が気になっているんだ?」
 問いかけに一瞬ためらうように視線を伏せてから、ディーはそっと口を開いた。
「この依頼を請けた時から、ずっと気になっていたことがあります。ミロディ支部の討伐士たちは、本当に逃げ出したのでしょうか?」
 ディーの言葉に、アルヴィーンは真面目な顔つきとなる。
 その問いかけは、ディーのみならずアルヴィーン、そしてハンスもが抱いていた疑問だった。守るべき市民を放り出し、討伐士が己の身の安全を優先しただなんて協会始まって依頼の失態だ。それを信じたくないという気持ちはアルヴィーンにも理解できた。だがしかし――。
「討伐士だって人間なんだ。そういうこともあるんじゃないのか?」
「たしかに、討伐士となって日の浅い新人や、末端の人間ならばそういうこともあり得るのでしょう。ですが、支部の運営を任されるような人間までもが逃げ出すでしょうか?」
「上層部の人間だからこそ、保身にかまけたって可能性はないか?」
 討伐士を志した時に抱いていた情熱や正義感、それらをいつまでも持ち続けていられる人間ばかりとは限らない。むしろ、そういった感情を持たず、得られるであろう名声や金銭を目的に討伐士となる者も少なくはない。そんな者たちであれば、使命よりも己の保身を優先するだろう。
 そう語ったアルヴィーンに、ディーは嘆くように小さく(かぶり)を振った。
「残念ながら、中にはそんな人もいるのでしょう」
「……ここの責任者はそうじゃないと?」
「ミロディ支部を任されていた人をご存知ですか?」
 問いに問いで返され、アルヴィーンは腕を組んだ。ミロディ支部の責任者について彼が知っていることと言えば、ヨハン・シュタルクという名前の男であること、そしてベテランの討伐士だということくらいだ。与えられた資料以上の知識はない。
「ヨハンは大変優秀な討伐士でした。年齢を理由に第一線を退きましたが、討伐士という仕事に対して誰よりも強い熱意と使命感を持ち、そして増える一方の異形の被害を(うれ)えていました」
 もう何年も会っていないが、彼に限って己の保身にかまけるなどありえない、そうディーは断言した。
「随分と、その男のことを買っているんだな」
「わたしにとって師匠に当たる方です」
 そう語るディーは、過去を懐かしむような顔で微笑んでいた。彼女とそのヨハンという男はよほど親しい間柄だったのだろう、それが容易に想像できる笑顔だった。
 ディーの言葉に、ふむとうなずいてアルヴィーンは考え込む。本部でもヨハン・シュタルクは高く評価されていた。あの評価や信頼は一朝一夕(いっちょういっせき)で築かれるものではないだろう。ならば、それなりの実績と人格を備えているということになる。
「たしかに、俺も支部の人間の総員退避というのは信じられなかった」
 一部が逃げ出すならばともかく、揃って全員が逃げ出すなんてあり得ないのだ。だが、彼らが逃げたのではないとすれば、残った仮定はあまりよろしいものではない。
「仮にだ。支部の討伐士たちが逃げたんじゃないとしたら……連中に何があったんだと思う?」
 ためらいがちなアルヴィーンの問いに、ディーは僅かに目を伏せた。
「逃げたのでなければ、きっともう死んでいるのでしょう」
 答えはそれだった。ミロディ支部の討伐士たちは本部からの応援を待たずにこの旧坑道に突入し、そして全滅した。なぜそのような短慮を起こしたのか、それは二人には想像すらできない。ただ、何らかの理由があったであろうことだけはわかる。
 しばらくの間二人とも黙ったまま立ち尽くしていたが、やがてディーが口を開いた。
「すべては憶測に過ぎません。今わたしたちがすべきことは、この奥に潜む異形を討伐することです」
「……それでいいのか?」
 気遣わしげな問いかけに、ディーはうなずきを返す。
「どのような選択であれ、それが彼の決めたことならわたしが口出しすべきではありません。それに、余計なことを考えている暇はないようです」
 そうつぶやいて視線を前方へと投げると、剣を抜いた。
「そうみたいだな」
 アルヴィーンもハルバードを握り直し、身構える。
 暗闇の中に光るものがあった。低い唸り声と獣の息遣いが空気を揺らす。
 それは異形の瞳だった。爛々(らんらん)と輝いて己の存在を誇示し、数え切れないほどにその数を増やして闇を埋める。
「これはまた、随分と熱烈なお出迎えだ」
 楽しげな笑みを浮かべ、アルヴィーンは冗談めかしたつぶやきを漏らす。
「……来ますよ」
 そうディーが囁くのと、高く吠えて銀狼の群れが飛びかかってくるのとは同時だった。


 個々の強さはさほどではないものの、敵は数に任せて押し寄せてくる獣の群れだ。互いに背中合わせとなり、二人は周りを取り囲む銀狼に相対する。
 不用意に飛びかかってきた一頭を打ち払い、アルヴィーンは横目でディーを見やった。
「一旦退くか?」
 囲まれてはいるものの、突破する方法がないわけではなかった。入り口にはハンスもいる、三人でかかればこの数もどうにかなるだろう。
 だがディーは(かぶり)を振った。
「ここで退けば、銀狼が街まで押し寄せる可能性があります」
「……ま、そっちの方が問題だな」
 この数で街へ向かわれでもすれば確実に大惨事だ。下手をすれば街が滅ぶだろう。そんなリスクを犯すわけにはいかなかった。
「爆弾使うと早いぞ?」
 アルヴィーンの荷物の中には、本部から実験協力の名目で持ち出した高火力の手榴弾がいくつかある。さすがに全滅とまではいかないが、数を大幅に減らせるだろう。
「やめてください」
 本気とも冗談とも取れるアルヴィーンの提案に、ディーは彼女にしては珍しく強い語調で拒絶した。横目で睨みつける。
「崩落でも起きたらどうするつもりです?」
 生き埋めになるのはお断りです、そう言ってディーは剣を振るった。横合いからアルヴィーンに飛びかかろうとしていた銀狼が喉を裂かれて地に伏せる。
「やっぱり地道にやるしかないかねぇ?」
 やれやれとため息をつくと、アルヴィーンはハルバードを勢い良く振り回すようにして薙ぎ払った。まとめて数頭が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「っらあああぁぁぁぁ――――ッ!!」
 どこか楽しげに雄叫びを上げてアルヴィーンは銀狼の群れの中へと突っ込んだ。デタラメにも見える動きでハルバードを振り回す。周りを巻き込みながら、多数の銀狼が吹き飛ばされた。
 派手に暴れるアルヴィーンを見やってため息をつくと、ディーは眼前の銀狼にナイフを投げた。怯んだところを斬り込んでとどめを刺す。何はともあれ、この群れをすべて倒さないことにはどうしようもなかった。


         ◆


「これで打ち止めか……?」
 地面についたハルバードに体重を預け、アルヴィーンは大きく息をついた。
 辺りには累々と銀狼の死骸が横たわっている。どれだけあるのか、正直数えたくもない。
 周囲の気配を探っていたディーがうなずいた。
「そうですね。少なくとも、この近くにはいないようです」
 彼女の言葉に、アルヴィーンはもう一度ため息をつく。
「さすがにこれだけの量を相手にするとキツイな」
 そのつぶやきを拾い、銀狼の死骸から投げたナイフを回収していたディーが顔を上げ、お疲れ様ですとねぎらった。それに片手を挙げて応え、あんたもな、と返す。
「で、結局これはどうしたもんかねぇ?」
 一面に広がる死骸を眺め、アルヴィーンはつぶやいた。
 確実にとどめを刺すというのも目的の一つだが、倒した異形の死骸を苗床に植物型の異形が発生することもあるため、死骸は速やかに処理するのが望ましい。
「焼き払うのが一番簡単だし、確実なんだが……」
「こんな閉鎖空間でこれだけの量を焼却処分しようとすれば、最悪酸欠で死にますよ」
 アルヴィーンが濁した言葉を引き継ぎ、ディーがため息をついた。さっきからのアルヴィーンの発言は、確実な方法ではあるものの少々短絡的である。
「そうなると、一頭ずつ頭を落として心臓を潰す必要があるわけだ」
 上体を持ち上げ、アルヴィーンはハルバードを握り直した。変な種が落ちていないことを祈る、と誰にともなくつぶやく。
「二人でやれば、少しは早く終わるでしょう」
「やめとけ、下手をすれば剣が折れるぞ」
 剣に手をかけたディーを止める。彼女の剣は細身だ。そんなもので頚椎(けいつい)を叩き斬れば、折れはせずとも確実に刃毀(はこぼ)れして切れ味は鈍るだろう。代わりとなる武器はあるのだろうが、わざわざ主武装を潰すような真似は避けるのが賢明だ。
「新手が来ると困るから、見張りを頼む」
 そう言うと、アルヴィーンは返事を待たずに銀狼の死骸へと向かった。頸部(けいぶ)と胸部、それぞれに刃を落とす。
 ハルバードを通して伝わってくる、肉と骨を叩き潰す感触にぞっとした。何度経験しても、これにだけは慣れることができない。
「ハンスを置いてきて正解だったな」
 零されたつぶやきを拾い、ディーはそちらへと目を向けた。意味を問いかける。
「あいつ、こういう血腥(ちなまぐさ)いのはダメだからな。吐くか気絶するかして、使い物にならない」
 機械的に処理を続けながら、軽く聞こえるように意識してしゃべる。そうしないと、惨憺(さんたん)たるこの状況に彼自身が呑まれそうだった。
「見てりゃわかるだろうけど、あいつ討伐士には向いてないんだよ、性格的にな。本来なら後方支援か事務方にでも回されたんだろうが、何を血迷ったか自分から手配異形専門に志願しやがって」
「それはまた、何と言うか……物好きな人ですね」
 ため息混じりにディーがつぶやく。
 ハンスは善良でお人好しな青年だが、優しさや善良さだけでは討伐士は務まらない。時に非情さも求められるのが討伐士という職種なのだ。
 何とも言えぬ表情を浮かべていたディーだったが、不意にあることに気がついて(いぶか)しげに声を上げた。
「彼は二級討伐士でしたよね?」
 本来ハンスの階級では手配異形と交戦できないはずだ。それなのに手配異形専門?
「ああ、特例でな。……むしろ、俺が無茶をしないようにってことか?」
 たぶん、その意味合いが強いのだろう。何かにつけて無茶をするアルヴィーンを危ぶみ、上層部はハンスをつけた。公的には共に任務に当たる相棒として、実際は適度に足を引っ張る重石として。
「彼はなぜ、わざわざ自分から危険に身を投じるような真似をするんです?」
 自嘲じみたアルヴィーンの声音に後半の言葉は聞かなかったことにしたのだろう、ディーが呆れたように問いかけた。だから、アルヴィーンもあえて軽く答える。
「鮮赤のメシアを探したいんだと」
「……鮮赤のメシアは、もう死んでいるでしょう?」
 ディーのつぶやきに思わず手が止まった。けれど何事もなかったかのように、アルヴィーンは再びハルバードを振り上げる。
「状況から死んだと判断されただけで、誰も死体は見ていない」
 答える声は、自分でもひどく硬い声音に聞こえた。――そう、死体は確認されていない。だから彼女が死んだという確証はない。
「あいつは、まだ鮮赤のメシアが生きていると信じてるんだよ」
「……そうですか」
 そうとだけつぶやいて、ディーはそれきり口を閉ざした。アルヴィーンもまた無言で死骸の処理を続ける。


 しばらくは刃物が肉を叩く音だけが響いていたが、不意にアルヴィーンが手を止めた。ため息をついて呻く。
「久々にコレやると、なかなかキツイな」
「変わりましょうか?」
「いや、大丈夫だ」
 お嬢さんにやらせるような仕事じゃないと嘯うそぶいて、アルヴィーンはもう一度ハルバードを振り上げる。
「そうだな。気が紛れるように、何かしゃべってくれよ」
「……何かって、何をです?」
 驚いたように聞き返すディーに、何でもいいさと答える。意識が他のことに向けば何だってよかった。
 考え込むように顎に手を添え、ディーは首をかしげる。ややあって口を開いた。
「質問があります」
「おう、何でも聞いてくれていいぜ?」
「あなた方に本来言い渡された任務は異形の討伐ではなく、ミロディ支部の現状確認だったのではありませんか?」
 手を止めると、アルヴィーンは窺うようにディーを見上げた。彼女は壁に背を預けて前方の暗闇を見つめている。
「どうしてそんな風に思った?」
 再び視線を足元の死骸へと落とし、作業を再開しながらアルヴィーンは問いかける。
「理由はいくつかありますが、人数が少なすぎます」
 ミロディ支部が用意した調査隊に討伐隊、そして手配書作成後に本部が派遣した討伐隊。都合三部隊が壊滅しているのだから、討伐が目的ならばもっと大規模の討伐隊が派遣されてしかるべきだった。
 ディーの指摘に、アルヴィーンは薄く笑う。
「普通に考えたらそうなるんだろうけどな。だが、半分正解で半分間違いだ」
 支部の現状確認と手配異形の討伐、どちらもが正規に命じられた任務だった。淡々とした調子でアルヴィーンがそう告げると、ディーは勢い良く振り返った。
「それでは死ねと命じられたも同然ではないですか!」
「……ある意味ではそうなのかもな」
 声を荒らげたディーとは対照的に、ひどく落ち着いた声で彼はつぶやく。
「こういう案件は大概俺に回されるんだよ」
 協会上層部は、明らかにアルヴィーンを扱いあぐねている様子だった。厄介払いできるものならばそうしたい、そんな彼らの考えがありありと伝わってくる。だが、それでも構わない。
「これは、俺の望みでもあるんだから」
 暗い声音に、思わずディーは息を呑んだ。
「あなたは……自殺願望でもあるんですか!?」
 叩きつけるような言葉を否定すると、彼は自嘲気味に笑ってつぶやいた。
「自殺願望があるなら、わざわざこんなまだるっこしいことをせずに一思いにやっているさ」
「ならばなぜ!」
 らしくもなく感情を露わにする彼女に、アルヴィーンは小さく笑った。
「これから話すことは、絶対にハンスには言うなよ?」
 念を押し、ディーがうなずいたのを確認してから口を開く。
「こういう危険な任務を渡り歩いていれば、いつか見つけられる気がするんだ」
「誰を、です……?」
 かすれた問いかけにうなずき、彼は淡く笑みを浮かべる。まるで過去を懐かしむかのように、吐息に乗せて囁いた。
「鮮赤のメシア」
 ひどく幸福そうにその名を呼んで。
「彼女が異形ごときに殺されるものか」
 強く、確信のこもった言葉だった。
 どこか狂気すら孕んだその声音に、ディーがそっと目を伏せる。
「いくら英雄と呼ばれようが、鮮赤のメシアも人間ですよ。死ぬ時は死ぬでしょう」
 酷薄な言葉にアルヴィーンが目を剥いた。噛みつくように叫ぶ。
「死体はなかった!」
「喰われたのかもしれませんよ」
「討伐対象の異形はキッチリ狩っておいてか!?」
 今も鮮やかに脳裏に浮かぶのは、炎に消えた少女の後ろ姿。残酷なまでに任務にだけ忠実な彼女は、彼の制止を聞かずに異形を追った。
「異形の死骸と愛用の剣だけを残して彼女は姿を消した。だから、きっとどこかで生きているはずだ!」
 激昂するアルヴィーンを冷ややかな眼差しで見据え、ディーは問いかけた。
「随分と執着しますが、鮮赤のメシアはあなたにとって何なのです?」
 それにアルヴィーンは動きを止めた。急に冷静さを取り戻した目が虚空を泳ぐ。彼は顔をしかめてディーを見やり、
「……ハンスには言うなよ? 絶対だぞ?」
 まるで子どものように念押しした。それにややたじろぎながらも、ディーはうなずいて了承の意を示す。
「憧れだったさ」
 どこか遠くを見つめてつぶやくアルヴィーンの口元には、淡く笑みが浮かんでいた。
「彼女に出会う前、俺は自分が腕の立つ方だと自負していたし、実際同期の連中よりも階級は上だった。だけど彼女は俺なんかよりも遥かに腕が立って、あっという間に特級まで上り詰めた。それでも(おご)ることなく腕を磨く彼女に俺は憧れた」
 語る声が段々と熱を帯びる。いつしか死骸の処理という最初の目的すら忘れ、拳を握ってアルヴィーンは語っていた。
「けれど彼女が見ているのは異形か、自分よりも強い奴だけ。視界に入ろうと思えば、彼女と同等以上の力をつけるか、あるいは難癖をつけて絡むか――バカだった俺は後者を選んで、彼女に挑んだ。内心どう思っていたのかはわからないが、彼女は文句一つ言わずに俺の挑戦を受け、そして簡単に下した」
 それも一度や二度の話ではなかった。数え切れないほどアルヴィーンは挑み、そのたびに彼女はあっさりと返り討ちにしたのだ。彼女の強さは身に染みてわかっている。だからこそ、言える。
「彼女が異形ごときに殺されるはずはない。俺はそう信じているし、異形に殺されただなんて認めたくはない、決して」
 そのままアルヴィーンは黙り込み、ハルバードを握るとまた死骸の処理を再開した。ディーもアルヴィーンに背を向け、口を閉ざす。
 すべての銀狼の死骸を処理し終えるまで、二人とも口を開くことはなかった。


         ◆


 体力の消耗が激しいのと、銀狼の死骸の処理に思わぬ時間を食ったのもあり、その日は休息を取ることとなった。地図によれば、この近くに行き止まりとなる分かれ道が存在するようなので、そこを野営地点に選んだ。
 野営の準備を整えたディーは見張りを申し出たが、それにアルヴィーンが渋った。
「お嬢さんを差し置いて、男の俺が先に休むわけにはいかないだろ」
 そう軽口を叩いたアルヴィーンを、ディーは半眼で睨む。
「異形の死骸の後処理は重労働ですし、何よりも精神的な負担が大きいです。そんな状態で見張りを任せるほうが心配です」
 辛辣な言葉と共に携帯食料の入った荷物を投げつけられ、アルヴィーンは苦笑を浮かべた。
「それじゃ、お言葉に甘えることにするよ」


 音を立てて焚き火が燃える。視界の確保は光石の明かりで(まかな)えるため、炎はさほど大きくはない。
 時折燃料を放り込んで火勢を維持するディーを見上げ、寝転がったままアルヴィーンは声をかけた。ディーが僅かに顔を動かし、彼へと視線を向ける。
「眠れませんか?」
 心なしかやわらかく聞こえた問いかけにうなずく。
「あの惨状の直後だと、さすがにな」
 僅かに震える右手を握りしめ、更に左手で押さえる。焼却以外の方法で異形の死骸を処理したのは、何もこれが初めてではない。それでも、肉を――死骸を叩き潰すあの感触には怖気(おぞけ)を震う。
 アルヴィーンは瞼を閉ざし、深呼吸して脳裏に浮かぶ光景を振り払った。再び瞼を開けると、どこか労るような眼差しでこちらを見やるディーと目が合った。それに大丈夫だと笑ってみせる。
「質問があるんだが、いいか?」
 問いかけると、どうぞとディーはうなずいた。
「今回の件、ディーは市長から直接依頼されたんだよな?」
「ええ、そうなります」
「協会を通さないで依頼を請けるのは、違反行為じゃなかったか?」
 討伐士が個人で異形討伐に関する契約を取り交わすのは、服務規程に抵触する。この規則を犯し、討伐士資格を剥奪(はくだつ)された者は多い。
 アルヴィーンの問いかけに考え込むように目を伏せ、ディーはうなずいた。
「そうですね、服務規程違反です。ですが討伐士はやめるつもりでいましたから、別にかまわないんですよ」
 長い間協会には顔を出していないから、すでに除籍されている可能性もあるとディーは語った。だから、どちらにしろ同じことなのだと。
 その言葉に、アルヴィーンの胸に別の疑問が浮かぶ。
「それなら、どうして依頼を請けたんだ?」
 最初に会った時、ディーは言っていた。今の自分は何でも屋だ、と。討伐士ではない生き方を選んだのなら、なぜ今更異形に関わったのだろうか?
「……どうしてでしょうね?」
 自嘲するように小さく笑って、彼女は炎へと視線を戻した。
「異形を捨て置くことができなかったというのも理由の一つです。ですが……」
 ためらうように言葉を濁し、ディーは手の届く場所に置いていた固形燃料を手に取った。目を細めてつぶやく。
「きっと、未練があったのでしょう」
 何に、とは言わなかった。問いかけたところで、きっと彼女は答えないだろう。そう思ったから、そうか、とだけアルヴィーンは言葉を返す。
「おやすみ」
 小さくつぶやいて、アルヴィーンは目を閉じる。それに、ディーはおやすみなさいと囁いた。
 今度は眠りにつくことができたのか穏やかな寝息を立てるアルヴィーンを横目で見やり、ディーはぽつりとつぶやいた。
「未練、か……」
 ずっと見ないようにしていたのに、アルヴィーンの追及で自覚してしまった。この一件に関わったのは、未練があったからだ。
 手で(もてあそ)んでいた燃料を炎の中に放り込むと、ディーは服の下から認定証を引っ張り出した。
 あの日捨てて、逃げ出した討伐士としての日々。いつだって死と隣り合わせの戦いの連続だったけれど、辛いと思ったことは一度もなかった。それはきっと、すぐそばに大切な人がいたから。
「今更、もう戻れはしないのに……」
 呻くようにつぶやいて、ディーは両手で握りしめた認定証を額に押し当てた。
 気づいたってどうしようもない。彼女はもう、あの日々に戻ることなど叶わないのだから。
製作者:篠宮雷歌