スクールウォーズ 14

 あのにぎやかな球技大会から数日後、しばらくは学校行事もないからゆっくりできると話していたある日の昼休み、それは薫の一言から始まった――。
「副会長ってさ、ここ一番で失敗するけど、やろうと思えばやれるじゃん?」
 こないだの球技大会みたいにさ、との言葉に脳裏をよぎったのは男子決勝戦の試合だった。たしかにほかのチームメンバーのフォローもあったかもしれないが、何だかんだで恭二は勝ちを拾った。やればできる、と言えなくもない。
「そこで薫ちゃんいいこと考えちゃいました」
 ひどく得意げに笑って高く天井を指した薫に全員の視線が突き刺さる。何を言い出すんだろう、という期待と不安の入り混じった視線を受け止め、もったいぶるように薫はくちびるに人差し指を当てた。
「副会長、昼休みに【コンクエスト】やればいいんじゃないかな?」
 唐突な言葉に思わず顔を見合わせる。本当に何を言い出したんだろう、この人。そんな空気が流れる中、全員が抱いていた疑問を口に出したのは望美だった。
「それはどういう意味でしょう?」
 もう少し詳しくご説明願えますかとの言葉に、薫は大きくうなずく。
「副会長が最後の最後でポカやって勝ちを逃すっていうのは、もはやいつものことだよね?」
 そう言って、薫は順番に一同を見やった。
「いつものことで悪かったな」
 ふん、とふてくされたように腕を組んでそっぽを向く恭二には構わず、薫は言葉を続ける。
「けど、ケリがつく一歩手前まではいつも優勢。ついでに、その気になればやれるってのはこの間の球技大会で証明された」
「……それと昼休みに【コンクエスト】をやることの関連性はどこにあるんです?」
 言うことは理解できますが、と声を上げた悠に、ふふん、と笑みを浮かべる薫。
「ズバリ、副会長は追い詰められないとダメな人だと見ました」
 人差し指を立て、それを恭二の鼻先へと向ける。向けられた恭二はうるさそうにその指を払いのけた。
「おまえに好き放題言われたくはねーよ」
「あ、不機嫌になったー」
 図星でしょーとはしゃぐ薫とは対照的に、恭二は苦虫を噛み潰したような顔をしている。それが薫の言うように事実を指摘されたからなのか、それとも好き勝手言われて腹を立てているのかはわからない。
「まあ、渡瀬のたわごとはさておいてだ。もう一回くらい【コンクエスト】仕掛けるのもアリだろうな。詩織の時は職員会議で中断されただろう?」
「それは、まぁ……」
 あいまいにつぶやいて悠が首を傾げ、
「たしかに中途半端でしたものね。参考にはならなかったかもしれませんわ」
 納得がいったというように詩織がうなずく。
 考え込むような仕草を見せる二人を見やり、恭二はさらに言葉を紡ぐ。
「あと、久々に昼休みに【コンクエスト】仕掛けるのも悪くはないと思うんだ。最近は放課後ばっかりで、昼にやるのはイベント戦闘くらいだろう?」
 その言葉に思い当たるところがあるのか、詩織は何度もうなずいた。
「そうですわね……。どうしても勝率を考えて昼休みは避けていたところがありますわ」
 時間制限のある昼休みは、予鈴が鳴れば強制的に【正義の味方部】の勝利となる。勝つことを第一として考えれば、不利な条件を抱えることとなる昼休みを避けるのも道理と言えた。だが【コンクエスト】はあくまでもエンターテイメント。観客を楽しませることもまた一つの目的ではなかろうか?
「異論は出ないようだし、次は昼休みに仕掛けるってことでいいな?」
 最終確認を取る恭二に、二人はうなずいてみせた。
「で、どうする? 本当に俺がやっていいのか?」
 問われ、詩織と悠は互いに目を見交わした。勝率を度外視して行うなら、いいか? 互いに相手の目にそんな思考(いろ)を見出し、うなずく。
「ええ、いいのではありませんか?」
「あとは黒崎先輩しか残ってないというのもありますしね」
 悠の言葉に消去法かい、とジト目でつぶやいたものの、おおむね満足のいく返答だったのか恭二は笑みを浮かべた。
「それじゃ、今週末にでも仕掛けるとしますかね」
 そう言って彼はパソコンへと向かったのだった。


 そして週末の昼休み。いつもよりも早くに昼食をすませた恭二はロッカーのある一角へと向かうと、天井から吊り下げられたカーテンで仕切りを作った。保健室でベッドを個々に仕切るようなあれである。ロッカーが存在することもあって、その空間はどこか更衣室のようにも見えた。
 なぜ生徒会室にロッカーと簡易更衣室があるかと言えば、それはもう【コンクエスト】のためにほかならない。ロッカーは強化スーツの収納のため、簡易更衣室はそれに着替えるためだ。それは理解できるが、漂う違和感を拭うことはできなかった。時間が経てば慣れるのだろうかと考えながら、望美は空になった弁当箱を包み直す。
 不意にシャッと音がしてカーテンが開かれた。
「在原、飯食い終わったか?」
 その声に顔を上げると、強化スーツに身を包んだ恭二が立っていた。ふくらはぎまで届くほど裾長の山吹色の詰め襟制服。前は留められておらず、下に着たカッターシャツがのぞいている。そのためだろう、ほかの部員が共通して身につけている懸章はなかった。白い仮面はつけられておらず、その手の内にある。
「はい、大丈夫です」
 うなずきながら、望美は弁当箱の入った巾着袋を鞄に収めた。彼女の言葉によしと答えると、恭二はもてあそんでいた仮面を装着した。それで彼は生徒会役員の黒崎恭二から【世界征服部】の【山吹】へと変わる。穏やかさとやんちゃさが違和感なく同居したその笑みも、どこか粗野で好戦的なものへと変貌した。
 あっという間の変わり身に拍手を送ると、彼は右手の人差し指と中指を立て、敬礼するようにこめかみへと当てた。
「恭二、外は大丈夫ですわよ?」
 今なら人がいませんわ、との詩織の言葉にうなずくと、
「さァて、それじゃ出陣と行くか?」
 ばさりと上着をひるがえして宣言し、彼は颯爽と歩きだした。
 生徒会室を出て渡り廊下を行く【山吹】の少しあとをついて歩く。北棟側の階段前へと来ると、そこには戦闘員の集団が待っていた。彼らもまた高等部の生徒なのだと聞かされたが、どこで着替えているのだろうかと素朴な疑問を覚える。あと、あの全身タイツはどこでどうやって管理しているのだろう。
「よし、行くぜ野郎ども!」
 【山吹】のかけ声に応え、戦闘員らが奇声を発する。それに望美は我に返った。戦闘員たちが勢いよく駆けていく。
 今日の戦場は作法室だ。室内に彼らが飛び込んでいってしばらくはガタゴトと物音がしていたが、やがてそれがぴたりと収まる。そして幾重にも重なる奇声が聞こえてきた。
 【山吹】は一瞬望美に視線をくれ、にやりと笑みを浮かべた。
「行ってくる」
 どこかキザな仕草で敬礼をして駆けていく【山吹】を見送る。
 さすがに作法室などという普段は人の寄りつかない教室が戦場となるため、望美は【特殊報道部】によるアナウンスが入ってから作法室に駆けつけたという風を装うことになっていた。【山吹】の名乗りが見られないのだということに思い当たり、少し残念な気分になる。あんな風に一瞬で雰囲気を変えてみせたのだ、きっと目の前で見る名乗りは格好いいに違いない。
 そんな益体もないことを考えていると、頭上のスピーカーからアラームが鳴り響いた。続くせっぱ詰まったような少女の声。――作法室が【世界征服部】によって征服されました!
 【正義の味方部】を呼ぶ声を聞きながら拳を握った。足に力を込め、床を蹴る。
 作法室とプレートのかかった引き戸を開け、一瞬望美は戸惑った。眼前に広がるのはどこの旅館の一室かと思えるようなそんな空間だったのだ。
 上靴を脱いで上がる場所らしく、廊下から続いている土間に当たる部分には下駄箱のようなものが設置されている。入って正面には膝下くらいの高さの木の廊下が姿を見せ、その向こう側に(ふすま)が並んでいた。襖に沿って視線を横へと向ければ、簡易な台所と大きな和箪笥が並んでいるのが見えた。おそらく主にこの部屋を使用する茶道部や華道部の備品がしまわれている場所だろう。
 戦闘員たちは奥の襖を開け放ち、その中で待機しているようだ。中はそれなりに広い和室で、およそ八畳ほどだと思われた。すべて畳張りだが、見慣れない赤い毛氈(もうせん)が部屋の奥に敷かれていた。その向こう側には一般家庭の和室でも見られるような床の間がある。
 毛氈が敷かれていない一角には正方形に畳に切れ目が入れられており、どこか不自然さを感じさせた。そこにはめ込むために作ったとしか考えられないサイズの畳がかぶせられていることから、わざとそういう造りにしているのだろう。
 それらを一通り確認したあと、望美は土間の部分で上靴を脱いだ。一瞬ためらったあと、手に持って中に上がる。戦闘員たちのいる奥の間に行くと、【山吹】は床の間を背に腕組みして立っていた。
 それを確認し、部屋の真ん中あたりへと向かう。見やすい場所を求めて近づいてくるギャラリーには慣れたものなのだろう、仕方ないと言いたげに戦闘員の一人が場所を空けてくれる。壁際に収まると、戦闘員は彼女の前に立ちはだかった。とはいえ、観戦しやすいように隙間は作ってくれている。
 よくよく観察すると、室内には毛氈を除いてほとんど物がなかった。おそらく戦闘員たちによって壊れそうな物は片づけられているのだろう。
 驚くことに、戦闘員たちも【山吹】も、靴の上からカバーのようなものをつけていた。敷かれた畳を考慮してのことだろうが、滑らないのだろうかと疑問に思う。素直に靴を脱げばいいのに。
 そうこうしているうちに【特殊報道部】と放送を聞きつけた生徒たちがやってきた。彼らもまた、土間の部分で履き物を脱いできたようだった。生徒の大半は手に上靴を持っている。
 何度目かのアナウンスの後、赤いヒーロースーツを着た人物が現れた。だが今までの【正義の味方部】とは違い、その人物はブーツを履いていなかった。どうやら彼は【世界征服部】と違って靴を脱いで上がってきたらしい。なんて律儀なんだろう、とどうでもいいところに感心する。
「【ジャスティスレッド】参上! これ以上おまえたちの好きにはさせないぞ、【世界征服部】!」
 登場ポーズを決めて叫んだ【ジャスティスレッド】に、【山吹】はハッと息を吐き出すようにして笑った。
「来やがったな、【正義の味方部】! 今日こそはテメエに引導を渡してくれる!」
 叫んで、彼は上着の中に手を差し入れるようにして腰のうしろに両手を回した。取り出されたのは左右の手に一挺ずつ握られた拳銃だ。本物でないことは明らかだが、重厚感のあるその造りに一瞬ドキリとする。
 先に仕掛けたのは【山吹】の方だった。両手の銃を前に向けて同時に引き金を引く。パァン、と弾けるような音がして【ジャスティスレッド】の足元の畳に穴が開いた。だが、それに驚いているのはどうやら望美だけのようだった。【山吹】の周囲に目を走らせるが、銃を撃ったならばあるはずの薬莢は見当たらなかった。エアガンだろうか、と一瞬考えるが、それにしては畳の損壊具合があまりにも激しい。BB弾ではあそこまで大きな穴は開かないだろう。
 ドン、ドン、と続けて発砲音が弾ける。エアガンにしてはどこか本格的な重い音。しかし畳がえぐられるばかりで一向に【ジャスティスレッド】に当たる気配はない。
 舌打ちした【山吹】がやや構えを変える。先ほどまでは左右並べていたのを、右手を上に、左手はやや下にして引き金を引く。それまではほぼ身動きを取ることがなかった【ジャスティスレッド】がそこで初めて大きく動きを見せた。足を抱え、飛び込み前転の要領で弾道の中間へと飛ぶ。だが、それこそが【山吹】の狙いだった。ふたたび左右同じ高さに合わせ、続けて引き金を引く。
 滞空中を狙った銃撃。普通に考えれば避けられるはずもない必殺の攻撃だが、あろうことかジャスティスレッドは何もない空中を踏み込んで飛び上がった。それを追った銃撃を更なる跳躍で回避。
「いつもながらありえねぇ……何だよ、空中二段ジャンプって」
 思わずと言った様子で漏れたギャラリーからのつぶやきに全力で同意する。ゲームやアニメならまだしも、現実として足場のない空中でどうやって跳んでいるのだろう。
 さらなる追撃を行うかと思われた【山吹】だったが、何を思ったか彼は左手の銃を空中に投げ上げた。残った銃のグリップ部分に左手を当てたかと思うと、瞬時に何かを抜き去った。そのまま左手を腰の後ろにやり、また右手の銃のグリップへと戻して何かをはめ込む。まばたきするほどの間の一瞬の出来事。銃の構造になんて詳しくはないが、おそらく弾倉を交換したのであろうと推測できた。
 落ちてきた銃をジャグリングの要領で右手の銃と入れ替えると、先ほどと同じアクションで弾倉を交換する。常人にはまばたきするほどの刹那、だが彼にとっては隙だらけのその瞬間を見逃す【ジャスティスレッド】ではなかった。着地した勢いのまま低い姿勢から殴りかかる。しかし【山吹】はあわてず騒がずまっすぐ上に飛んでそれをかわすと銃を左手でキャッチした。勢いのままに前にのめり込んだ【ジャスティスレッド】の肩を足場に利用して方向転換、左右の銃を連射した。
 背後からの銃撃、しかも踏まれたことによって体勢を崩したせいで避けることもままならず、【ジャスティスレッド】は一斉射撃を受ける羽目になった。
 うめきながらもどうにか体勢を整え、【ジャスティスレッド】はふたたび身構える。その目の前で【山吹】はまたもジャグリングめいた動きで弾倉を交換(リロード)する。
「降伏するなら見逃してやってもいいぜ?」
 もてあそぶようにくるりくるりと左の銃を回転させながら【山吹】が問いかけた。当然ながら、右手の銃は【ジャスティスレッド】に狙いを定めている。
「誰がおまえなどに降伏するものか! 正義の名にかけて、僕は負けるわけにはいかない!!」
 強気なその言葉に【山吹】は片目を眇めた。左の銃を構え直し、【ジャスティスレッド】に照準する。
「そうかよ、じゃあ死にな」
 言葉と共に銃弾の嵐が荒れ狂う。あるものはかわし、あるものは腕で防御しながら【ジャスティスレッド】は耐えた。いずれ勝機がやって来ると信じて。
 そうして、その時は来た。カチリ、と引かれた引き金が空虚な音を立てる。弾切れだ。
 それと察した【ジャスティスレッド】が防御態勢から攻撃へと転じる。踏み込みからの鋭い一撃。
 対する【山吹】も再装填をあきらめたのか、銃を投げ捨てて拳を握る。
 踏み込みの速度は同じ。構えられた拳が互いの顔面へと迫る――。
 その刹那、ずぼっと間の抜けた音がした。
「おわっ!?」
 【山吹】の悲鳴を追いかけるようにして、バシン、と痛そうな音がした。あの不自然な正方形の畳が踏み抜かれて舞い上がり、【山吹】の顔面にヒットしたのである。同時にスピーカーからチャイムが鳴り響く。予鈴(戦闘終了)だ。
 状況が理解できてはいるが勢いは止められなかったのだろう。【ジャスティスレッド】の拳が畳越しに【山吹】にヒットし、ぐらりと【山吹】の体がうしろに流れる。
「あ、ごめん」
 思わずだろう、漏れたつぶやきに、
「謝るなら殴るんじゃねーよ」
 連撃を喰らった形となる顔を抑えながら、うずくまった【山吹】がうめく。
 そこでようやく状況を掴めたのだろう、我に返ったリポーターがマイクを握り直す。
時間切れ(タイムアウト)! 時間切れ(タイムアウト)により勝者は【ジャスティスレッド】! 見事防衛成功であります!!」
 高らかな勝利宣告に、ハッと我に返ったのだろう、【ジャスティスレッド】が勝利のポーズを決める。
「僕たちがいる限り、【世界征服部】の好きにはさせない!」
 高らかに叫んで背を向けると、割れた人垣を縫って歩き出す。土間の部分でブーツを履くと、彼は軽やかに駆け出して行った。
 呆然とそれを見送っていた【山吹】だったが、自分の役割を思い出したのだろう、よろめきながらも立ち上がり、投げ捨てた銃を回収する。
「これで勝ったと思うなよ!」
 撤収だ、と戦闘員たちに叫ぶとくるりと反転して足を踏み出す。が、その足元には毛氈があった。靴にかけていたビニールカバーの存在も影響したのか、足を滑らせた【山吹】は見事に背中からすっころんだ。
 未だカメラを回していた【特殊報道部】も、片付けを開始しようとしていた戦闘員たちも、帰りかけていた生徒たちですら動きを止めた。ツッコミを入れるに入れられず、かと言って一度動きを止めてしまった以上見なかったふりもできない。
 いたたまれない静寂が作法室を支配する。どうするよ、誰かどうにかして、そんな心の声が聞こえてくるかのようだった。
「大丈夫ですか?」
 凍り付いた作法室の空気を打ち破ったのは望美だった。案じるようなその声に救いを見出したのは【山吹】も同じだったのだろう。
「……おう、どうにかな」
 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうにそう答えると彼はゆっくりと立ち上がった。今度は毛氈を踏まないように注意して歩き出す。土間のところでカバーを外すと、それをポケットに突っ込んで駆け出した。それで呪縛が解けたのだろう、ほかの面々も各々撤収を始める。手早く片付けを始めだした戦闘員の一人が望美の肩を叩き、時計を示す。それにありがとうございますと律儀に頭を下げると、望美もまた教室目指して走り出した。


 ホームルームが終わるや否や、望美は友人への挨拶もそこそこに教室を飛び出した。六時間目が長引いたため、その分ホームルームが終わる時間がずれ込んだのだ。全力で廊下を駆け抜けて生徒会室へたどり着くと、ブレザーの胸ポケットから学生証を取り出してカードリーダーへと通す。ピッと小さな電子音がしてロックが外れたことを示した。
「すみません、遅くなりました」
 そう声をかけながら室内に入ると、予想通りほかのメンバーはすでに揃っていた。
「あらあら、そんなにあわてて来なくても大丈夫ですのに」
 息を切らしている望美を見やり、詩織がおっとりと笑った。少々遅れても誰も怒りませんわ? ほかの面々も同様に笑みを浮かべてうなずいている。
 それにうなずきで応えながら、望美は空いている席へと腰を下ろした。今日は何をするのだろうかと考えながら机の上を見やると、ダブルクリップで束ねられた書類とA4封筒が山のように積まれていた。
「今日はこれをチェックするのですか?」
 たしか昨日は同好会の活動報告書をチェックして、存続の可否を決定していたと思い出しながら問いかける。
「そう、文芸部と写真部の発行物チェック。だけど写真部は難易度が高いから、在原ちゃんには文芸部の方をお願いしよっかな」
 望美の問いかけに答えながら、薫が手を伸ばして書類をいくつか引き寄せて望美の前に置いた。
「発行予定の部誌なんだけど、内容に不適切なものがないかをチェックしてほしいの。具体的に言うと、内容が健全かどうか」
 具体的にと言うが、充分すぎるほどに抽象的なオーダーだった。
「ああ、言いたいことは大体わかるんだがなぁ……。妙なエロだのグロだのがあればチェック入れてくれ。あと、あからさまに実在の人物を題材としたようなものとか」
 表情から察したのだろう、恭二が補足を入れてくる。それでおおよそ何を求められているのか理解した。青少年が見るには少々刺激が強すぎるものや個人のプライバシーに関するものなどは省け、ということだろう。
「……把握しました」
 うなずいて目の前の書類を一部手に取り広げる。文章を目で追いだした望美に、恭二と薫もまた作業を再開し、自身の前に積まれた写真の山へと視線を落とした。
 しばらくそうやってチェック作業に没頭していた時だった。不意にコンコンとドアをノックする音がして顔を上げると、封筒を手にした忍足が室内にいた。生徒会メンバーの注目を引くためにわざと叩いたのだろう、握った拳がドアに当てられている。
 この間も気づいたら室内にいたな、と思いながら、忍足はどうやって入室したのだろうとふと疑問に思った。生徒会室には関係者しか入れないようロックがかかっているはずなのに、と考えたところで桐生の言葉を思い出した。もしかして、彼女の言っていた裏技、関係者のカードを借りてきたのだろうか?
 室内の人間の注目が集まったのを確認すると、忍足は手を下ろしてこちらに向き直った。近づいてきて、手にしていた封筒を机の上に置く。
「この間言っていた人質に関するルール、確認してきたから」
 それだけを言い置くときびすを返して生徒会室を出て行く。
 しばし全員で封筒を凝視していたが、やがて詩織が代表するように封筒に手を伸ばした。ちらりと見えた裏面には何やらハンコのようなものが押されていた。
 厳重に封がされていたらしい、ペンケースからカッターナイフを取り出して封を切ると、詩織は中から一枚の便箋を取り出した。視線を落とすが、なぜだかすぐにそらされる。彼女はそのまま向かいの席に座る恭二へと便箋を差し出した。受け取った恭二の口から乾いた笑いが漏れる。彼もまた視線をあさっての方へと向けた。薫、悠と次々に回されるが、反応はどれも似たり寄ったりであった。
 回ってきた便箋へと視線を向け、望美は目を瞠る。
「……これは」
 そこにはただ一言、こう書かれていた。
『人質、ダメ、絶対』
 標語か何かかと突っ込みたくなる一文は、やたらと流麗な筆致で墨書きされていた。その右下には【コンクエスト審議会】と印が押されている。おそらく【審議会】による公式文書なのだろう。
 ふと顔を上げれば、正面に座る悠が頭痛をこらえるかのように難しい顔をしてこめかみを押さえていた。小さくうめく。何なんですか、これ。
「何って、【審議会】の公式文書でしょ」
 さほど衝撃を受けていなかったのだろう、あっさりと薫が言い放つ。それに悠が噛みついた。
「こんな適当なものが公式文書ですか!? まぁ、百歩譲ってこれが【審議会】の公式文書だとして、そんなものをなぜ忍足先生が持ってくるんです!?」
 悠の訴えももっともだったので、望美もうなずいて同意を表した。たしかに公式文書と呼ぶには少々ふざけすぎている感があるし、それを忍足が持ってきたということも疑問だ。まさかとは思うが、彼は【審議会】のメンバーなのだろうか?
 だが驚いているのはどうやら自分たちだけであったらしい。
「いつもこんな適当さじゃなかったか? 【審議会】からのお達し」
「ええ、こんなものですわね」
 そう三年生はうなずき合い、
「まあ、瑞貴センセイが文書持ってきたのが疑問って言えば疑問だけど、どうせまた桐生センセイにいいように使われたんじゃないの?」
 そうつぶやいた薫の反応もどこか冷ややかだった。ひょいと望美の手から文書を奪うと、それをあっさりとシュレッダーにかけた。
「そう言えばさぁ、結局ダメじゃん、副会長」
 ぱんぱんと手を払っていた薫が、ふと思い出したように口を開いた。
「相変わらずの呪われっぷりって言うか、むしろドジっ子全開って言うか」
 うん、どっちにしろウケるわ。そう言ってケラケラと指さして笑う薫に、恭二は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「悪かったな」
 つぶやいて、ふいと顔を背けた恭二の横顔があまりにも気まずそうで、思わず横から口を挟んだ。
「あの、作法室の畳、穴が空いてましたが大丈夫なんですか?」
 半ば無理やりな話題転換だったが、薫はそれ以上恭二を追求せずに望美の方を向いた。
「ああ、あれ? 大丈夫だよ。明日には直ってるから」
「それは交換されるという意味でしょうか?」
 首を傾げながら問い返した望美に、そうかもしれないし違うかもしれないと薫は曖昧な言葉を投げた。それに疑問が深まる。
「ええとね、学園七不思議、知らない?」
「いくつかは聞いたことがありますが……」
 うなずきつつも、望美は語尾を濁す。聞いた七不思議は、なぜか特定個人を指したものであったからだ。
「そのうちの一つに数えられてるんだよ。高等部の校舎は特撮映画並に爆破されようと、翌日には跡形もなくキレイに修復されてる謎の仕様なの」
 夜中に工事してるわけでもなし、不思議だよね、と薫が笑う。
「妖精さんの仕業だとか、ナノマシンで修復されてるとかイロイロ言われてるけどねー」
 深く考えたら負けってカンジ? 口元に人差し指を当て、首を傾げた薫がつぶやく。たしかに、そういう仕様だと認識して深くは考えないのが精神衛生上よさそうだった。なるほどとうなずいた望美は、ついでとばかりにもう一つ抱いた疑問もここで投げておくことにした。
「そういえば、黒崎先輩はなぜ武器を銃にしたんですか?」
 詩織の指し棒というのもたいがい意表を突く武器だが、恭二の銃はそれとは別の意味で衝撃的だった。
 望美の問いかけに小さくうめいた恭二は言葉に詰まったように視線をさまよわせ、詩織と薫はどこか意地の悪い笑みを浮かべる。
「あこがれなんだよねー」
 ニヤニヤと笑いながら薫がつぶやき、それに詩織がうなずく。その顔もひどく楽しげだ。
「ええ、そう言っていましたわね?」
「あこがれ、ですか?」
 その言葉に興味を惹かれたのか、悠が身を乗り出した。
「中等部の頃に見たイベント戦闘に出ていた【世界征服部】の部員にあこがれて、ですわ」
「たしかこの辺にその部員のブロマイドが……」
 くすくすと詩織が笑い、薫も笑みを浮かべながら棚を漁り出す。しばらくして目当てのものが見つかったのか、薫は小さなアルバムを差し出した。アルバムを開き、望美は悠と顔を突き合わせるようにしてのぞき込む。そこには仲睦まじそうに寄り添う二人の少女を納めた写真があった。
 高等部の中庭だろうか、ベンチに座って仲良く肩を寄せ合う少女たちだが、その雰囲気はひどく対照的だった。
 一人はえんじ色のブレザーを身にまとう、おとなしそうな少女だ。黒縁の眼鏡をかけ、長い髪を左右で三つ編みにして垂らしている。笑顔を浮かべてはいるものの、彼女の表情はどこかおどおどとしていてぎこちなさがあった。
 もう一人は紺色のブレザーを身にまとう、明るく活発そうな少女。人目を惹くだろう整った顔立ちを覆うやわらかそうな髪。何より最大の魅力は彼女が浮かべるひまわりのような大輪の笑顔だろう。彼女の方がわずかに背が低いのか、甘えるような仕草で隣に座る少女の肩に頭を乗せていた。
 日常を切り取ったワンシーン、そんな風にしか見えない写真だ。これの一体どこに恭二があこがれたのだろうかと首を傾げながらページをめくる。
 次のページにはまた別の写真が収められていた。共通点を探すなら、二人の少女が映っているという点だけだ。
 写真の中では、二人の対照的な少女たちがそれぞれ武器を手にベンチを挟んで対峙していた。
 長い黒髪の少女が決意を秘めた眼差しで見つめる先には、氷のような印象を与える銀髪の少女の姿があった。銀髪の少女の顔には、表情と呼ばれるたぐいのものが一切ない。
 黒髪の少女が身にまとうのは、魔法少女を思わせるデザインの光沢のある銀色のバトルスーツと膝上まであるブーツだ。ふわりと広がるミニスカートに、腰のうしろについた大きなリボン。胸元には大きなキュービックジルコニアがあしらわれたブローチが光っている。
 その手に構えられているのは魔法少女モノのアニメなどで見かけるような、過多とも言えるほどの装飾の施されたバトンだった。
 彼女の正面、銀髪をなびかせる少女はセーラー服を思わせる漆黒の衣装に身を包んでいる。長袖の上衣には左右に飾りボタンが三つずつ並んでおり、丈は普通のセーラー服よりもやや長い。下衣は膝丈のフレアスカートで、足元は黒タイツにショートブーツ。本来セーラー服の胸元を飾るはずのタイもリボンも見当たらないので、もしかすると女子制服ではなく、水兵のセーラー服をイメージしているのかもしれない。
 彼女は冷たい光沢を放つ銃を対峙する少女へと向けていた。引き金にかけられた指は、今まさに引かれようとしているところに見える。
 すっと手を伸ばしてきた薫が写真に写った人物の一人を指さした。
「この黒服銀髪の方が、副会長のあこがれの姫」
「あこがれって、具体的にどのあたりに?」
 よもや一目惚れとか、そういう意味だったりしませんよね? 眉を寄せて問いかけた悠に、ちげーよ、とふてくされたような声で恭二が答える。
「戦闘がカッコよかったんだよ。アクロバティックな動きとか、こう、両手に持った銃をクロスさせて撃つ姿とか」
「それで武器に銃を選ばれたと」
「そうだよ!」
 悪いか、と逆ギレ気味に叫ぶ恭二に、ちっとも悪くありません、と望美はかぶりを振る。
「いいんじゃないですか? 【コンクエスト】に関わろうと思った理由は人それぞれでしょうし」
 自分みたいに巻き込まれで参加するよりはよっぽどマシな理由だろう。そう思ってほほえみを浮かべるが、伝わらなかったらしい。ふい、と恭二はそっぽを向いてしまった。
「そういえば、もう一ついいものあるんだよ~」
 人の悪い笑みを浮かべたまま、薫は望美に一冊の冊子を差し出した。恭二を放っておいていいのだろうかとは思いつつ、望美は差し出されたそれを手に取る。やや薄いその冊子は、以前渡された【コンクエスト】のガイドブックと同じような造りをしていた。
 黒背景の表紙には、揺れる二本の十字架(ロザリオ)と星形の白い花が踊っている。
「【永久(とこしえ)に咲く墨染めのサザンクロス】……?」
 表紙に書かれた文字を読み上げた瞬間冊子が奪われた。視線を上げると顔を真っ赤にした恭二の姿。その手の中に冊子があるところから、彼が奪っていったのだとわかった。
「何なんだ、お前ら! そんなに俺をいじめて楽しいか!?」
 つついたら泣くんじゃないか、そんな顔で叫ぶ恭二に、さすがにやりすぎたと思ったのだろう。そんなことはない、と詩織と薫がかぶりを振る。
「嘘つけ! だったら何でそんな楽しそうなんだよ!?」
「誤解ですわ? ええ、ですからその冊子をこちらへ渡してくださいませんこと?」
「渡すか! 在原に見せるつもりだろう!」
「やだなー、そんなことしないってばー」
 机を挟んでぐるぐると回る上級生たちを見やり、悠は盛大にため息をついた。
「仕事してください……」
作者:宵月