スクールウォーズ 15

 週の明けた月曜日、いつものように昼休みに生徒会室へと向かうと桐生の姿がそこにあった。おや、と思いつつも、何か通達事項があるのだろうと思って望美は空いた席へと腰を落ち着ける。
 弁当を開き、いただきますと唱和したところで、ふと思い出したように桐生が鞄を漁りだした。
「そうそう、忘れないうちにこれを渡しておくわね」
 言って差し出されたのは、どこか見覚えのある封筒だった。ひっくり返すと、普通差出人の名前が書かれているあたりに【コンクエスト審議会】の印が押されていた。封を切ろうとするも、指を入れる隙間もないほどぴっちりと糊付けされている。これは破るしかないだろうかと思っていると、目の前にカッターナイフが差し出された。
「はい、どうぞ」
 笑顔を浮かべた詩織の言葉に、ありがとうございますと返して望美はカッターナイフを受け取った。中身を破らないように注意しながら、そっと封を切る。
『今日から君も【世界征服部】』
 中から取り出した便箋にはその一言だけが書かれていた。いつかと同じように、ひどく流麗な筆致の墨書き。右下には封筒と同じ【審議会】の印。
 便箋を見つめたまま微動だにしない望美が心配になったのか、何が書いてあったんです? と悠が問いかけてくる。その問いには答えぬまま、望美はそっと手の中の便箋を彼に差し出した。
「何を固まってんだ……って、今回はまた愉快な辞令が来たなぁ、おい」
 望美と同じく便箋に視線を落としたまま沈黙した悠に、恭二が横から便箋をのぞき込んだ。ぶはっと盛大に吹き出す。
「いつもはもう少しマトモだよなぁ、辞令」
 言いながら恭二は悠の手から便箋を奪うと、それをほかのメンバーにも見えるようにかざした。
「『本日付で貴殿を【世界征服部】に迎え入れる』みたいな内容じゃなかったかなぁ、あたしの時」
 フォークでミニトマトを突き刺しながら薫がそうつぶやいた。
「わたくしの時も、渡瀬さんと似たような文面でしたわ」
 そう言って、でしたわよね? と詩織が恭二に水を向ける。
「おう、こんな愉快な文面じゃなかったのはたしかだな」
 うなずいて、何かよっぽど愉快なことでもあったのかね? と恭二は首を傾げる。
「まあ、とにかくこれで在原の【世界征服部】入りが正式に認められたわけだ」
「いつもこういったものが送られてくるのですか?」
 返された便箋を元のように封筒に納めながら問いかけた望美に、そうだな、と恭二がうなずく。
「在原の場合はいろいろ段取りすっ飛ばしてるけど、本当は【コンクエスト審議会】に入部の申請をするんだよ。で、面接やってその場で入部の可否が発表される。俺たちの場合はその時に生徒会入りも申し渡されるわけだ」
 その後に送られてくるのがその辞令ってわけだ、と言いながら恭二は便箋を指さした。
「そろそろいいかしら? もう一つ用件があるんだけど」
 こちらの様子をうかがうように発された言葉に、どうぞ、と言って口をつぐむ。桐生はそれに満足げに笑みを浮かべた。
「在原さんのデビュー戦についてなんだけどね」
 その言葉に望美は思わず姿勢を正した。箸を止めて耳を傾ける。
「追加の戦力を派遣する、という内容の通信をする設定で映像を用意したわ」
 言いながら、桐生は何かを机の上に置いた。手のひらに握り込めるほどの大きさのキーホルダーのようなものだ。真ん中にボタンがあり、車のキーや何かのスイッチのようにも見える。
「このスイッチを押すとその映像が流れるようになってる。とは言え、実際には【特殊報道部】に協力してもらって映像を流してもらう手はずなの。だから【特殊報道部】にわかるようにスイッチを押してね」
 あとの段取りはそちらで決めて、と言うと、話はそれで終わりだとばかりに桐生は口を閉ざした。ひたすらに箸を動かす彼女はひとまず措いておき、生徒会メンバーはスイッチへと視線を向けたあと一様に顔を見合わせた。さて、用意された材料をどう料理したものだろうか?
「追加派遣をする、という内容の映像なんですよね? ということは、誰かの【コンクエスト】に乱入する形を取った方がいいんじゃないですか?」
 考え込むように首を傾げながらの悠の言葉に、ふむ、と全員がうなずいた。
「たしかに、【コンクエスト】に乱入した方が目立つよね……」
「本星からの指令の通達、とも言えますしね。設定としては双方向通信なのですよね? その映像」
「ええ、一応そういうつもりで作ってるから。総帥と監査官が会話しているところに通信が入るって感じかしら?」
 詩織の問いかけに、ごくんと口の中のものを飲み下してから桐生が答える。映像が再生されてから、何度か総帥に呼びかけると臨場感アップかしら? と冗談めかしてつぶやく。
「じゃあそういう方向でいいだろ。で、誰のに乱入するかだが……中須、おまえやれ」
 びしりと箸を突きつけられ、悠はぽかんと口を開けた。
「やれと言われれば異論はないですが……どうして僕なんです?」
「言い出しっぺの法則だ」
 にやりと笑みを浮かべた恭二に、そうですか、と悠は小さく嘆息した。了解です、と答えて望美へと視線を向ける。
「在原さんもそういうことでかまいませんか?」
 問いかけに、問題ないと言ってうなずく。こちらとしても、やれと言われればそれに従うまでである。異論などあるはずもない。
「では【コンクエスト】をいつ起こすかですが……そうですね、今週の木曜日の放課後でいかがですか?」
「大丈夫です」
「わかりました、それでは予告などは僕が出しておきますので、当日はよろしくお願いします」


 そして木曜日の放課後、強化スーツへと着替えた望美に向かい、悠こと【青藍】は声をかけた。
「まず僕が征服宣言をしますので、【特殊報道部】が現場に出動してきたらきみが出てくる手はずでお願いします」
「了解しました」
 うなずいたものの、ふと疑問が沸いた。
「ところで、今日の戦場は渡り廊下なんですよね?」
 廊下にはテレビがありませんが、どうやって映像を流すんでしょうか? ことりと首を傾げてつぶやいた望美に【青藍】がびしりと固まった。特に場所の指定をされなかったので渡り廊下を選択したが、教室を選択すべきだったのかもしれない。だが今更気づいたところでどうしようもない。予告はもう出してしまったのだ。それに桐生が言っていたではないか、【特殊報道部】に協力を仰いでいる、と。場所の情報は流しているのだ、向こうがどうにかしてくれると信じよう。
「おーい、今なら人がいないから、外に出るなら今のうちだぞ」
 外の様子をうかがっていた恭二が振り返って声をかける。それに我に返ると、望美も仮面をつけた。スイッチを持っていることを確認すると、【青藍】に続いて生徒会室をあとにした。
 作法室の前で戦闘員たちと合流する。彼らは【青藍】のうしろに立つ見慣れぬ人影に驚いた様子を見せたが、【青藍】が指示すると慌てたように渡り廊下へと駆けていった。しばらくして上がった奇声に【青藍】がこちらを振り向く。
「では打ち合わせ通りにお願いします」
「了解しました」
 望美の返事を確認すると、彼は小さくうなずきを返して駆けていく。
 しばらく待っているとスピーカーがアラームを発した。
『三階東の渡り廊下が【世界征服部】に征服されました! 【正義の味方部】はただちに出動してください! 繰り返します――』
 流れてきたアナウンスに、望美は上着のポケットからトランシーバーを取り出した。音量を確認し、右耳につけたイヤホンをつけ直す。今回は【特殊報道部】が出てきたのを確認する必要があるため、生徒会室が連絡をくれることになっているのだ。
 不意にイヤホンからザッとノイズが走った。
『在原ちゃん? 【特殊報道部】出てきたよ!』
 薫の声がそう告げる。トランシーバーに向けて了解しましたと返答すると、イヤホンを外してトランシーバーと共にポケットへと突っ込む。壁に立てかけていたピコハンを手に取り、望美は勢いよく駆け出した。


 特別教室の並ぶ北棟側はそうでもないが、一般教室のある南棟側にはそれなりに生徒の姿があった。いつもそうであるように戦闘員たちが壁際に整列し、その背後から生徒たちが首を伸ばすようにして渡り廊下の中央、北棟を背に腕組みして立つ【青藍】を見ている。
 視線を巡らせると、南棟側に【特殊報道部】の一団がいた。カメラマンとリポーター、それから集音マイクなどを抱えた者に、しゃがみ込んでノートパソコンで作業をしている者もいる。
 それらを確認すると、望美は大きく靴音を響かせて渡り廊下へと踏み込んだ。その音に気づいたのだろう、【青藍】が腕組みを解いてこちらを振り返る。
「……何者です?」
 いぶかしげに眉を寄せ、誰何(すいか)の声を発した。それ以上近寄るなという意味だろうか、剣を抜いてこちらへと突きつけてくる。ギャラリーの生徒たちも戸惑い半分、好奇心半分といった様子で互いにささやき合っている。
「わたしは【杜若】、あなたがたの補佐をするようにと言いつかっています」
「補佐、ですって……?」
 【青藍】の声に戸惑いが浮かぶ。それに大きくうなずくと、望美はポケットから例のスイッチを取り出した。観衆に見せつけるようにやや大げさな仕草で手を前へと出し、手のひらの上のスイッチを示した。
「詳しくは総帥から直接お聞きください」
 そう告げてスイッチを押す。するとノートパソコンを抱えていた【特殊報道部】部員がうわっと声を上げた。
「何だ? 急にパソコンが……!」
 悲鳴じみた声で叫び、ほかの部員に示すようにノートパソコンをそちらに向けた。人々の視線とカメラが一斉に画面へと集中する。
 こちらからでは少々遠いが、画面には二人の人物が映っているようだった。和室と思しき部屋の中央に置かれたテーブルを挟み対面している。一人はイスに腰掛け、一人は立ったままだ。座っている方は藤色の着物に柚葉色の袴、立っている方は白い軍服を身にまとっている。机の上にはティーセットと軍帽、そして鞘に収められた日本刀が置かれていた。
「総帥、……総帥?」
 映像なのでこちらの呼びかけに応えたわけでもないだろうに、絶妙のタイミングで軍服の方が振り向いた。おそらくこちらが総帥なのだろう。高く結い上げられた長髪や体つきから女性であろうと推測できた。
『あら、繋がったみたいね?』
 小首を傾げてつぶやくと、総帥は左手を腰に当てた。
『あなたたちがあまりにも不甲斐ないから、ここにいる監査役、【杜若】の秘蔵っ子をそちらへと送り込んだわ』
 笑みを含んだその声に、座っていた方――監査役が手にしていたティーカップを机に置かれたソーサーへと戻した。不思議そうに首を傾げる。
『……あら。彼女、送り込んでしまったんですか? 私、まだ何も教えてませんよ?』
 おっとりと告げられた言葉に、総帥が目を剥いてそちらを振り返った。
『じゃあ何で自分の名前を与えたのよ!? てっきり教育は完了しているものと……!』
 叫びかけ、けれども途中で我に返ったのか総帥は中断した。咳払いしてこちらに向き直る。
『とにかく! 追加戦力として彼女、【杜若】をそちらに派遣するわ。成果を期待している』
 以上、という言葉と共に画面は砂嵐に覆われた。生徒たちのざわめきが一層大きくなる。
 不意にざわめく生徒たちの壁が割れた。その向こうから駆けてきたのは緑のヒーロースーツに身を包んだ人影。
「【ジャスティスグリーン】参上! って、え……?」
 高らかに名乗りを上げた少年の声が戸惑ったように揺れた。【青藍】とそのうしろに立つ望美との間で視線が行き来する。どういうことなの、と言葉にならない声が訴えていた。
 【ジャスティスグリーン】の存在で我に返ったのか、【青藍】が小さくかぶりを振った。望美の方を振り向いて口を開く。
「たしか……【杜若】、でしたか? きみの能力、この場で測らせていただきましょう」
 そう言って【青藍】は未だ混乱の極みにある【ジャスティスグリーン】を剣で示した。
「彼の相手をお願いしましょう。僕に代わって見事この場を征服してみせてください」
 剣を追って【ジャスティスグリーン】を見やると、望美は【青藍】へと視線を戻した。こくりとうなずいてみせる。
「了解しました」
 ピコハンを握り直して前に出ると、入れ替わりに【青藍】がうしろに下がった。
「あなたに恨みはありませんが、倒させていただきます」
 淡々とした宣言に【ジャスティスグリーン】がぎょっとしたように声を上げた。
「え、ちょ、どういう……!?」
「覚悟」
 ピコハンを振りかぶって床を蹴る。一足飛びに間合いを詰めると、望美は全力でそれを振り下ろした。
「うわあっ!?」
 悲鳴を上げて飛び退いた【ジャスティスグリーン】が押しとどめるように両手を上げ、手のひらをこちらへと向ける。
「お、落ち着いて話し合おう! 何がどうしてこうなって……ぎゃあ!?」
 説得するようなその口上を無視し、望美はふたたびピコハンを振りかぶった。スライディングするように前方に飛び込んで逃げる【ジャスティスグリーン】。
 くるりと方向転換すると望美は矢継ぎ早にピコハンを振るった。そのたびに【ジャスティスグリーン】が大げさに悲鳴を上げて逃げ惑う。誰もがその様にぽかんと口を開け、呆けたように成り行きを見守る。逃げてないで戦えよ、グリーン。誰かが漏らしたつぶやきに、驚異の回避率を見せながら【ジャスティスグリーン】が叫んだ。
「女の子相手に戦えるか!」
 その叫びに別の誰かがつぶやく。【真紅】はいいのか?
「あれは論外! なんかもうイロイロと別次元!!」
 本気でそう思っているらしい叫びに、呆れたようなため息が方々から漏らされた。
「戦闘と言うよりはもはや鬼ごっこの様相です! これは新人(ニューフェイス)【杜若】が優勢なのか!?」
 どうにか場を盛り上げねば、という使命感なのだろう。リポーターが必死になって解説するが、それもどこか上滑りだ。当然だろう、彼女の言う通りもはや完全に鬼ごっこなのだから。
 観客の視線がだんだんと冷たいものへと変わってくる。まじめにやれよ、という野次まで飛びだしてくる有様だ。それでも【ジャスティスグリーン】はなぜか応戦せず、逃げることに必死になっている。
 それならば、と望美は考えた。相手が逃げるのならば、逃げられない場所に追いつめるか、意表を突く方法で攻撃して動きを止めてしまえばいい。
 よし、とうなずくと望美はピコハンを持ち直した。とん、と傍らの手すりに飛び乗る。そのまま手すりの上を走ると【ジャスティスグリーン】へと飛びかかった。
「え、ちょ、わあぁぁぁぁっ!?」
 さすがにこれは想定外だったのか、逃げることも忘れて【ジャスティスグリーン】が悲鳴を上げる。顔の上で腕を交差させてピコハンの一撃を防ぐと、反射だろう、弾き飛ばすように一気に腕を払った。
「あ……」
 やったあとで我に返ったのか、小さく声を上げて自分の手を見下ろす【ジャスティスグリーン】。
 一方弾き飛ばされた望美は空中で体勢を整えると手すりの上へと降り立った。しかし足場は不安定な円柱形、それも拳ほどの太さしかない。そこにヒールのあるブーツで着地したのである。当然の帰結として彼女は体勢を崩した。
 ぐるん、と視界が回り、ふわりと放り出される感覚に包まれる。とっさに伸ばした左手が手すりを掴むが、できたのはそれだけだった。全体重をかけられた左肩がぎしりときしむように痛んだ。
 うっかりと見てしまった眼下に体がすくむ。ここは三階、落ちたらきっとただではすまないだろう。嫌な汗が全身ににじみ、手すりを掴んだ手がすべりそうになる。
「――【杜若】!」
 凍り付いた観衆の中、誰よりも早く立ち直った【青藍】が叫びながら駆け寄ってくる。差し伸べられた両手が彼女の手首を掴むと同時に、限界を迎えた左手が手すりから外れた。
「――っ!」
 一気に人一人分の体重がかかり、【青藍】が息を詰めた。前のめりの体勢のまま、どうにか引き上げようと足を踏ん張る。
「ダメです、あなたまで落ちます」
 見上げてそう言ったが、彼はかぶりを振った。
「だからと言って見捨てられると思ってるんですか!?」
 本心からと思われる叫びに、望美はそれ以上何も言えなくなった。
 【青藍】はどうにか引き上げようと苦心するが、下手に動けば体勢を崩して一緒に落ちかねないため現状維持が精一杯のようだった。
「手を……!」
 そこへ駆け寄ってきた【ジャスティスグリーン】が叫んで手を伸ばす。
「何を……わたしはあなたの敵ですよ?」
「バカ! 敵とか味方とか、そういうこと言ってる状況か!? いいから右手出せ!」
 早く、と差し出された手に、おずおずと右手を向けた。望美が握っていたピコハンを受け取って床に投げ出すと、【ジャスティスグリーン】はしっかりと彼女の手を掴んだ。
「合図に併せて引き上げるぞ? いくぞ、いち、にの……さん!」
 【ジャスティスグリーン】のかけ声に併せて望美の体が引き上げられる。そのまま三人もつれ合うように床に転がった。どこからともなく、ほうっと安堵の息が漏れる。
「ケガは!?」
 がばりと立ち上がった【ジャスティスグリーン】が手を触れようとして、相手が少女であることを思いだしてあわてて身を引く。
「大丈夫のようです」
 ぱたぱたと確かめるように体を押さえてうなずくと、はあっと深いため息が二方向から聞こえた。
「よかった……」
「ホントだよ、一時はどうなることかと……」
 【青藍】と【ジャスティスグリーン】が揃って胸を撫で下ろす。それに申し訳ありませんと座り込んだまま望美は頭を下げた。
「あの、【青藍】……」
 遠慮がちに声をかけて視線を向けてくる望美に、【青藍】はわかっていると言いたげにうなずいた。
「この場はきみにお任せしました」
 その言葉にもう一度すみませんと頭を下げると、望美は立ち上がって【ジャスティスグリーン】へと向き直った。
「今日のところはあなたに勝ちを譲りましょう」
「……え?」
 戸惑ったように声を上げてこちらを見つめてくる【ジャスティスグリーン】に、二度言う気はない、と告げる。
「貸しを作ったなどとは思わぬことです」
「行くぞ、撤収だ」
 くるりと背を向けて歩き出した望美を追いかけ、【青藍】もまた渡り廊下をあとにする。戸惑いながらも奇声で応え、戦闘員たちがそれに続く。
 残されたのは、状況を飲み込めていない【ジャスティスグリーン】をはじめとした観客たち。
「え、と……とにかく、勝者は【ジャスティスグリーン】! 【正義の味方部】見事防衛に成功しました!!」
 ぽかんと突っ立っていたリポーターが思いだしたように勝者を告げる。それにようやく事態を理解したのだろう、【ジャスティスグリーン】はあわてて勝利ポーズを決めた。
「オレたちがいる限り、【世界征服部】の好きにはさせない!」
 つっかえながらもどうにか口上を述べ、生徒たちの間を駆け抜けていく。ギャラリーたちもまた口々に今の戦闘について語り合いながら散っていった。


 翌日、生徒たちの話題の大半は前日の【コンクエスト】についてだった。もっぱら内容は【ジャスティスグリーン】のあまりの情けなさと、【世界征服部】側の新人(ニューフェイス)についてである。
「【杜若】だっけ? あの子も結構いいとこまでいったんだけどなぁ……最後に手すりからすべり落ちるとか、どんなドジっ子……」
 休み時間、いつものように望美の席に集まってきた小百合はため息と共にそう告げた。あれさえなければきっと勝てたのに、とひどく残念そうだ。
「でも、助けてもらったから勝ちを譲るなんて潔いよねぇ」
 あははと笑いながら千恵がそう相づちを打つ。
「そうね、その点は評価できるわ。それに比べて【ジャスティスグリーン】の情けなさはないわね……」
「そうだねぇ……いくら女の子相手だからって逃げてばっかりってのもちょっと考え物だよねぇ」
 ほかの部員だったらまた違った勝負になったのかなぁ、と思案げにつぶやく千恵。曲がりなりにも自分が支持している組織である。その構成員が情けない様を衆目に晒したというのが遺憾なのであろう。
「ま、【杜若(かのじょ)】が【世界征服部】の新人だって言うのなら、また【コンクエスト】に出てくるでしょ。その時の対戦カードに期待って感じかしらね」
 誰と当たったら面白いかしら、とつぶやいた小百合に、そうだねぇ、と人差し指をあごに当てながら千恵は天井に視線を向けた。
「【ジャスティスイエロー】とか面白いんじゃないかな?」
「たしかにマトモな戦闘になるだろうけど、【ジャスティスイエロー】相手じゃ勝負にならないんじゃない? 彼、強すぎるでしょ」
 【ジャスティスイエロー】は【正義の味方部】の中でも一、二を争う実力者である。【杜若】の実力が未知数とは言え、さすがに対等な勝負ができるとは思えない、というのが小百合の訴えだった。
「【ジャスティスピンク】あたりだと、結構白熱の試合になるんじゃないかしら。ああ、でもどの対戦カードでも楽しみね」
「そうだねぇ」
 そう言って二人はくすくすと笑い合う。そんな会話は彼女らにとどまらず、休み時間のたびにいたるところで行われていたのだった。


 昼休みになって生徒会室へと向かうと、いつものようにほかのメンバーはすでに揃っていた。大きく手を振って自分の存在をアピールした薫が隣の席を示す。呼ばれるままに薫の隣に腰を下ろすと、望美は鞄の中から弁当を取り出した。
 いただきます、と全員で唱和したところで校内放送を示すチャイムが鳴った。
『【特殊報道部】を通じ、【コンクエスト審議会】より通達をお知らせします。先日の【コンクエスト】中の転落未遂事故により、渡り廊下は永久中立エリアへと変更されました。これによって支配率と支配エリアに多少の変更が出ております。関係各部は明日以降、特設サイトにおいて支配エリアの確認をお願いします。繰り返します――』
 通達事項を繰り返すスピーカーを見やりながら、やっぱりねぇ、と薫がつぶやいた。
「普通に考えたら渡り廊下で戦闘やるの危ないもんねぇ……」
 ようやく【審議会】も気づいたんだ、との言葉に恭二が苦笑を浮かべる。
「ちょっとばかし遅い気もするがなぁ……【ジャスティスピンク】とか普通に飛び降りてるだろ」
「あら、それを言えば初代もたいがいですわ?」
 くすくすと笑いながら詩織が告げる。
「それはそうとして、昨日はお疲れさまでした。初の【コンクエスト】、いかがでした?」
 問われて望美はどうだっただろうかと昨日のことを思い返す。いろいろとハプニングはあった。けれども――。
「楽しかったです」
 ほほえんでそう答えた望美に、詩織は優しくほほえみ返す。
「そうですか、それはようございましたわ」
「でも、負けてしまいました。すみません」
 ぺこりと頭を下げた望美に、気にすることはないと詩織は笑った。
「そうそう、デビュー戦の勝敗なんて気にしなくってもいいんだよ! あそこまで戦えたんだもん、きっと次は勝てるって!」
「今回は別の意味で相手が悪かったからな……」
 ぐっと握り拳で薫が力説し、それに恭二もうなずく。正直、相手がああも逃げ腰だったらどうしようもないだろう。
「そういえば、映像の中に監査役がいたじゃないですか、あれって誰なんです?」
 箸を動かしながら問いかけた悠に、上級生たちは互いに顔を見合わせた。何をわかりきったことを聞くのか、そんな雰囲気だ。
「総帥も言ってただろ? 初代の【杜若】だよ」
「わざわざ呼んできたんですか? あの映像を用意するためだけに?」
「いや、別にわざわざ呼んだわけじゃないだろう、学園内にいるんだし」
 ついでに言うと、高等部の関係者だぞ? きょとんとした様子で首を傾げた恭二に、悠はいぶかしげに眉を寄せる。それにあー、とうめきながら頭をかくと、恭二は詩織と薫を見やった。
「もうバラしてもいいか?」
「……まあ、あのセンパイだったら先にネタバレしてても怒らないだろうから、いいんじゃないの?」
「そうですわねぇ……中途半端に引っ張るよりは、いっそ明らかにしてしまえばいかがでしょう?」
 ためらいを見せながらも、二人は同意を示した。それに、よし、と恭二がうなずく。
「初代はな、瑞貴ちゃんなんだよ」
「……はい?」
 端的な恭二の言葉に、胡乱な眼差しで悠が問い返す。今、何て言いました?
「いや、だから監査役こと初代【杜若】は瑞貴ちゃんだと言った」
 そう繰り返す恭二に、バカ言わないでくださいと悠が鼻で笑う。
「だってあの監査役は女性に見えましたよ? 忍足先生なわけがないでしょう」
 あの人の性別はご存じでしょう、との言葉に、微妙な顔つきで顔を見合わせる上級生たち。
「現物見せちゃえば?」
 それが早いでしょ、と薫がつぶやき、ごそごそと棚を漁っていた詩織がトールケースを取り出して恭二に渡す。
「結局こうなるか……」
 ため息混じりにトールケースを受け取ると、恭二は箸を置いて立ち上がった。パソコンへと向かうと、起動を待つ間にモニターの向きを調整する。
「中須、ちょっとおまえ在原の隣行け」
 そこからだと画面見えないだろ、と言われた悠はおとなしく場所を移動した。それによしとうなずくと、恭二はトレイにDVDをセットして操作する。
 ディスプレイに表示されたのはどうやら【コンクエスト】の映像らしい。青みを帯びた紫色の詰め襟の上着とスカートに身を包んだ少女がどこかの教室に入ってくる。少女は戦闘員によって整えられた教室を見渡すと、ふっと笑みを浮かべた。仮面越しでもわかる、文句のつけようのない美少女のほほえみだ。
『それでは、征服を始めさせてもらいましょう』
 涼やかで凛とした少女の声が響き渡る。声を張り上げているわけではないだろうに、透き通った声はとてもよく通った。
 その征服宣言と同時に、【特殊報道部】による出動判定のアナウンスがなされる。【コンクエスト】お約束のこの流れは今も昔も変わらないらしい。
『征服などさせてたまるかっ』
 しばらくすると、威勢のいい声と共に赤いヒーロースーツに身を包んだ人物が室内に飛び込んできた。
『あら、また負けに来たんですか?』
 冷ややかでもなければ傲慢でもなく、やわらかさの中にわずかなあざけりを含んだ口調で少女が言った。声音も表情もかわいらしいのに、同時に氷の冷たさも感じさせるから不思議である。
『正義は必ず勝つ! このオレ、【ジャスティスレッド】がいる限り、おまえら【世界征服部】の思う通りになんてさせないぞっ! 覚悟してもらおうかっ!』
 ビシリと指を突きつけ、【ジャスティスレッド】が啖呵(たんか)を切った。本物のテレビのヒーローのようにポーズの一つ一つが大きく、格好いいと思わせるだけの貫禄を持っている。
『貴方も懲りない人ですね。私が……この【杜若】が今度こそ貴方を永遠に葬ってあげましょう』
 少女――【杜若】が悠然とほほえんで片手を口元へと添えた。今にも飛びかかりそうな勢いの【ジャスティスレッド】に対して余裕の構えである。
 次の瞬間、【ジャスティスレッド】が矢のごとき早さで【杜若】に襲いかかった。首筋を狙った突き、上段回し蹴り、ふたたび突きと流れるような攻撃は、辛うじて目で追えるかという速度だ。けれども、その猛攻を【杜若】は長い髪をなびかせながら軽やかにかわしていく。
 覚悟! と声を上げながら突進していった【ジャスティスレッド】がふわりと宙を舞った。そのまま思い切り床に叩きつけられる音が響いた時、【特殊報道部】によって勝者が声高に宣言される。
『くっ……。お前、毎回毎回バカにしやがって……』
 地に膝をつくこととなった【ジャスティスレッド】は、自分を投げ飛ばした相手を悔しそうに見上げるとゆっくりと立ち上がった。その言葉から、負け越しているのだと容易に想像がつく。
『貴方程度で私に勝てるなんて、まだそんな夢を見ているんですか?』
 呆れたような表情を浮かべると、やれやれといった様子で【杜若】は敗者を見やった。
『今度こそ必ず勝つ! 最後は必ず正義が勝つという法則を、このオレが絶対に教えてやる!』
 登場時と同じように指を突きつけると【ジャスティスレッド】は憤然と足を踏み出した。【杜若】とすれ違うようにして早足に歩き去る。
 すれ違う瞬間、【杜若】がふっと表情を和らげた。
『次があると信じられるというのは素敵なことですね。……征服は完了です。それでは撤収しましょうか』
 やわらかな笑みを浮かべ、水面の静けさを湛えたように静かに【杜若】は撤収を指示する。その言葉に戦闘員たちは声を揃えて一糸乱れぬ敬礼をすると、ゆっくりと歩き出した【杜若】に従っていずこかへと歩き去っていった。
 そこまで再生して、ぶつりと画面が静止する。
「はい、以上初代【杜若】の【コンクエスト】でした」
 トレイからディスクを取り出してトールケースに納めながら、どうよ、と恭二が問いかける。それに悠はかぶりを振った。
「……たしかに、あの監査役が初代【杜若】と同一人物だということは理解しました。ですが、やはり正体が忍足先生だというのは納得しかねます」
 (がん)として認めないと訴える悠に、そうは言ってもなぁ、と恭二はため息をつく。
「事実なんだからどうしようもないだろう。在原も納得できない口か?」
 水を向けられた望美は首を傾げ、考え込む様子を見せた。正直、どう見ても女性の初代【杜若】ではあるが、それが忍足なのだと言われれば異を唱えるつもりはなかった。何せ薫がいるのだ、見た目の性別が迷子になるような人間がほかにいてもおかしくはない。
「いえ、先輩がたがそうおっしゃるなら、あれは忍足先生なのでしょう」
「納得するんですか!?」
 望美の言葉に思わずと言った様子で叫んだ悠に、何か問題があるだろうかと首を傾げる。不思議そうな視線を向けられた悠は何か言いたげに口を開いたが、結局彼女に向けては何も言わなかった。
「……とにかく! 僕は納得しませんから! あれが忍足先生だというのなら、もっと確実な証拠を見せてください!」
 話はこれで終わりです、と叫ぶと、悠はイスを元の場所に戻して中断していた食事を再開した。
「ま、信じないならそれも自由っしょ」
 肘をつき、手のひらの上にあごを乗せた薫が半眼でつぶやく。どうせそのうち嫌でも現実を思い知るって。
 その言葉に三年生もうなずき、ふたたび箸を動かしたのであった。
作者:宵月