スクールウォーズ 24
昼食を終え、午後からの競技も滞りなく行われ、残る競技は一つとなった。志貴ヶ丘学園高等部体育祭最大のイロモノ競技と呼ばれる、着せかえ競争である。「なぜこの競技を最後に持ってきたし……」
呆れたような小百合のつぶやきに、苦笑混じりに千恵もうなずく。
「普通、リレーとかそういう競技が来そうなものだよね」
それには同感であったので、望美もうなずきで同意を示した。
「着せかえ競争が最後なのは昔からの伝統だそうですよ」
トラックの向こう側に着せかえさせられる教師陣が、こちら側に着せかえさせる生徒たちが準備のために並ぶのを見ながらそんな会話をしていると、不意に悠の声がした。いつの間に隣に来たのだろうか、彼は呆れたような眼差しをグラウンドへと送っている。
「伝統って……そんなに長く続いてるわけ? この競技」
「ええ、少なくとも十年は行われているようですよ」
ため息混じりに答えた悠に、十年……と驚いたように声を漏らす小百合と千恵。
そうこうしているうちにグラウンドでは準備が整ったらしい、ピストルが鳴らされ、生徒たちが着せかえのアイテムを手に一斉に教師へと向かって駆けだしていく。
一組と二組は女性教師、三組は忍足で、四組は遼平だった。
「忍足先生も災難ですね……」
三年の担任だったばっかりに、と同情するように悠がつぶやきを漏らす。それにうなずきながら、遼平おじさんもかわいそうにと望美は胸中でつぶやく。祈るべくは、着せかえが妙なものでないことだけである。
だが、その祈りは通じなかった。
「やっぱり女装か……」
ストッキングが出てきた時点で予想はしてたけど、とつぶやきながら小百合が十字を切った。グラウンドでは、タイトスカートを手に走っていった生徒が遼平にそれを穿かせている。
ほかのクラスの様子を見てみれば、一組はどこか軍服めいた洋装で、二組は和服のようである。三組に目を向ければ、ちょうど女子生徒が忍足に白いブレザーを着させているところだった。
「女子高生かぁ……これも予想の範疇だね」
当然のごとく穿かされているスカートを見て、くすくすと笑いながら千恵がそう言う。
「女性教師はさておいて、男性教師は予想通りの大惨事だけど……一人別の意味で惨事ね」
なんであの人あんなに違和感ないの、と小百合が
完成したらしい着せかえのコンセプトは、志貴ヶ丘学園高等部生徒会役員女子であるようだった。忍足は嫌そうな顔で己の姿を見下ろしている。
「違和感仕事しろ……いや、むしろ僕が疲れてるのかな……」
顔を伏せ、眉間をもみながら悠がうめいた。似合ってるとか、そんなの気のせい。ぶつぶつとそんなことをつぶやいている。
「……ああ、そうだ。ウィッグつけてるからだ。だから女性に見えるだけで……」
ぽん、と納得したように手を打った悠だったが、横からかけられた声にその表情はまた暗くなる。
「時任先生もウィッグをつけていますが、女性には見えませんよ?」
さらりと告げた望美に、なぜそれをツッコむの……と友人たちが頭を抱えた。
しばらくするとほかの教師の着せかえも完了したらしい。一組から順番にコンセプトが発表されていく。3-1、新撰組副長洋装。3-2、新撰組隊士――。
「キャビンアテンダント、か……まぁ、初期コンセプトよりはまだマシかしら」
四組のコンセプトに小百合がつぶやく。あのクラス、当初は
「ナースは、さすがに……」
「ええ、いくらなんでも視覚の暴力……」
それはない、と千恵と悠がうめいた。
そんなことを話している間にトラックの中から教師たちが撤収し、閉会式を行うとの放送が流れた。朝礼台の前に生徒たちが集合する。
優勝クラスが発表され、理事長による閉会の挨拶が行われると生徒たちは三々五々校舎へと向かって歩き出した。
教室でホームルームが行われると、撤収作業を行う体育委員や一部の有志の生徒を除けばあとは帰宅が可能となる。
「あれ、今日も生徒会あるの?」
「はい、放課後は基本的に毎日だと聞いていますので」
問いかけにうなずくと、友人たちは大変ねと目を瞠った。がんばって、と激励を受けながら教室を出ると、階段を上って生徒会室へと向かう。
生徒会室に入ると、そこにはいつものメンバーのほかに二人の人間が存在した。一人はゆるいくせ毛の茶髪の青年、もう一人は忍足だった。だが忍足は先の着せかえ競争でさせられた女子高生の格好のままだ。どういうことなのかと首を傾げていると、ころころと楽しげに詩織が笑って口を開いた。
「白服ですもの、今日は一日生徒会のものですわ」
そう言って彼女は忍足を捕まえた。腕を掴まれた忍足はひどく迷惑そうな表情で顔を背けている。
「あはは、瑞貴クンも愉快なことになってるね?」
それに楽しげに笑ったのは茶髪の青年だった。
「ええ、ですからつい持ってきてしまいましたわ」
「……元の場所に返してきてください、都筑先輩」
まるで捨て猫を拾ってきた子どもに対する母親のようなことをつぶやいた悠に、忍足がうなずいた。
「具体的に、近くの国語科準備室に返してください」
仕事まだ残ってるから、とつぶやいた忍足に、あら、と目を見開いて詩織が問いかけた。
「瑞貴先生、その格好でお仕事なさるおつもりですの?」
言われてようやく自分の格好を思い出したのだろう。女子生徒の制服に身を包んだ自分の体を見下ろし、ああ、と忍足がうなずく。
「着替えてくる。だからそろそろ解放してくれるとありがたいんだけど」
淡々とつぶやかれた言葉に、否やを唱える者は誰もいなかった。
忍足が生徒会室を去ったものの、当然のような顔をしてイスに座っている青年に悠が戸惑ったような視線を向けた。
「それで、こちらの方はどなたなんですか?」
「ボクかい? ボクは
よろしくね、と首を傾けてほほえんだ西條に、え、と声を上げたのは一年生二人だ。
「では、もしや【白亜】ですか?」
確認するように問いかけた望美に、その通り、と西條が大きくうなずいた。
「そのOBの方がいったい何の用で来られたんです?」
イベント戦闘はもう終わったでしょう、と問いかけた悠に、にこりと西條が笑みを浮かべる。
「今日はキミたちに面白いものを見せてあげようと思ってね」
そう言って彼が取り出したのは一枚のトールケースだった。パソコン借りるよ、と言い置いていそいそとデスクへと向かう西條を
やがて準備が整ったのか、西條はパソコンのモニターを長机の方へと向けた。
「さて、それじゃ観賞会と行こうか?」
笑みを含んだ声でそう言ってマウスを操作する。
澄んだ音色が流れ出し、モニターが一面の夜を映し出した。そのまま画面は空から地上へと移り変わり、白英の宮殿のような建物が画面いっぱいに映る。
画面が横にスライドしていけば、映し出されたのは憂いに表情を曇らせた少女の姿。
少女がうつむくのに合わせて画面は白英の建物の床を映し出す。袴からのぞく編み上げブーツの横に人影が映し出され、ブーツがくるりと人影の方へと向き直った。そのまま人影が移動したのを追うようにしてひるがえった袴の裾を最後に、画面の中から人物が消える。
霞むように画面がブレたかと思えば、見慣れた志貴ヶ丘学園高等部の校舎が映し出された。時刻は夕暮れ、夕日に染まる校舎を背に二人の男子生徒が真剣な面持ちで立っている。片方は明るく元気のよさそうな雰囲気の精悍な少年で、もう一人は涼やかな容貌のクールそうな少年だった。
その二人の足元には、正面に立っているだろう人物の影だけが落ちている。少年たちは弾かれたように顔を見合わせると、目配せをし合ってから正面に向き直り決意を込めた強い眼差しで大きくうなずいた。
画面が一気にぼやけて真っ白になると同時に、中央に文字が浮かぶ。
【コンクエスト】
白地に浮かび上がる黒の文字は無機質で、ディスプレイに打ち込まれた文字のごとく文末で
運動部の部員を思わせる活発そうな様子に、野性味のあふれる子どもっぽい笑顔が印象的なその少年を画面の中央から右側に移動させながら表示すると画面下部に白い帯のようなものが引かれて【三年四組・
立ち絵を表示したまま、画面中央から左にかけて空いた部分におそらく彼の日常の様子だろう、友達とじゃれ合っている様子や美術の授業を受けているらしくイーゼルに向かって渋い顔をしている様子などの写真がくるくると表示されていく。そのうちの一枚が大きく画面全面に広がって立ち絵を飲み込んだ瞬間、画面が切り替わった。
次に表示されたのは分厚い本を抱え、白のブレザーをまとった眼鏡の少年の姿。その少年は見るからにおとなしそうで、一見少女かと思うような可愛らしい容貌をしていた。
先ほどと同じようにまるで立ち絵のごとく表示され、画面中央から左側に移動すると今度は画面上部に白い帯は引かれて【三年四組・忍足瑞貴】とテロップが流れる。新田の時と同じように、日常を映したと思われる音楽室でピアノを弾いている様子や教室から窓の外を眺めている様子などの写真がくるくると表示された。
まったく同じ手順で画面が切り替われば、次に映し出されたのはえんじ色のブレザーをまとった姿勢の良い少年だ。涼やかな容貌と年齢よりも大人びて見える印象の少年は新田とは好対照に見える。
新田の時と同じで中央から右側に立ち絵が移動すると、画面下部に引かれた白い帯の上に【三年四組・
瞬間的に画面が暗転し、そこに表示されたのは白い画面に浮かぶ一枚の写真のアップ。写真には三人が教室で仲良く笑い合っているような他愛のない光景が映し出されている。本を広げている瑞貴の左右で、新田と黒島が本をのぞき込むようにしている様子は何とも言えずほほえましい。写真に走り書きされた【Hope】という文字は、明るい未来や楽しい学園生活を想起させる。
映像にノイズが走り、写真を覆った。画面全部をノイズが埋め尽くすと【Ready?】という文字が中央に点滅する。
次の瞬間、同じように一枚の写真の映像が戻ってきたが、黒い画面に浮かび上がった写真に納められていた内容はまったく別の光景だった。
同じ位置に表示された写真に写っていたのは、鮮やかな赤いヒーロースーツの人物と漆黒のヒーロースーツの人物。それからその二人に挟まれるようにして立つ、青紫色の軍服めいたデザインの詰め襟制服を身にまとい、軍帽をかぶった仮面の少女。和やかな雰囲気など欠片もなく、一体どういう状況なのか背後には高く積み上げられて今にも崩れ落ちそうな机とイスが見える。そして写真に走り書きされた文字は【Despair】。
不意に画面が真っ赤に塗りつぶされ、先ほどの新田の立ち絵が映し出される。明るく笑う少年の姿がくるりと反転したかと思えば、それは鮮やかな赤いヒーロースーツの人物へと変わっていた。画面下部の帯に流れるテロップは【正義の味方部・ジャスティスレッド】。日常を写していたはずの写真は、そのいずれもが詰め襟制服を身にまとった仮面の人物と戦っている様子に変わっていた。
【なんで戦う以外方法がないって決めつけんだよ! あるだろ、ほかにも何かがっ!】
大きくカットインした言葉が画面を斜めに流れていき、消える瞬間に画面が真っ赤に変わる。
【あきらめない】
その文字が大きく中央に表示されると同時に、背景ごと画面が切り替わる。順番なのだから次に映し出されたのは当然ながら忍足の立ち絵で、それは新田の時と同じようにくるりと反転した。
立ち絵は細剣を手にした青紫色の懸章付き詰め襟制服を模した上着と膝上丈のプリーツスカートに軍帽という出で立ちの、長い髪を左右で結いあげた少女の姿へと変わる。バサリとマントをひるがえす立ち姿は少女らしい凛としたたたずまいだ。顔の上半分を精緻な仮面で覆った少女は口元に笑みをたたえていた。画面上の帯に流れるテロップは【世界征服部・杜若】の文字。やはり日常を映し出していたはずの写真は、すべてヒーロースーツ姿の人物と対峙していたり戦闘していたりというものに差し替えられている。
【……その甘さがいつか身を滅ぼさないように、気をつけなさい】
カットインしてきた言葉が画面の上を滑らかに流れていった。文字が流れ去ると同時に青みを帯びた紫色が画面を覆う。
【所詮夢物語です】
またもや同様の演出で画面が切り替われば、黒島の立ち絵が表示されてくるりと反転した。漆黒のヒーロースーツ姿の人物が映し出され、画面の下の帯に流れるテロップに【正義の味方部・ジャスティスブラック】と表示されている。ご丁寧に日常シーンの写真はこれまたすべて戦闘シーンに差し替えられていた。
【……悪いが抱えている事情とやらには興味はない。が、間違いは殴ってでも正すさ】
カットインして流れていく言葉が消え、画面が黒く染まる。
【後悔するなよ?】
その言葉が中央に大きく表示されたかと思えば、まるで水面に波紋が広がるようにぼやけていく。
ぼやけた画面に年度を示す四桁の数字が点滅しながら映り、そして消失する。代わりに映し出されたのは全身タイツの集団だ。彼らは統制の取れた動きで歩くと何かを囲むように布陣を完了させ、実に個性的で様々な敬礼のポーズを取った。
その集団に応えるように現れたのは【杜若】で、彼女は悠然と周囲を見渡すとふわりとほほえんだ。その瞬間、流れていた曲が消える。
『それでは、征服を始めさせてもらいましょう』
凛とした少女の声が響く。
『そうはいかないぞ! 征服なんてさせてたまるかっ!』
威勢のいい声と共に全身タイツの集団の中に躍り出たのは【ジャスティスレッド】だった。
『事情は察しないでもないが、悪いがおとなしく引いてもらおうか』
さらには【ジャスティスブラック】までもが姿を見せる。
『二人がかりなら私に勝てる夢でも見ましたか……?』
【杜若】がそう言うなり、【ジャスティスレッド】と【ジャスティスブラック】が同時に飛びかかった。
映像はそこで切り替わると、ふたたび澄んだ音色の音楽が戻ってくる。
昼の校舎を背景に、黄色のヒーロースーツとピンクのヒーロースーツの人物が表示された。そこにはそれぞれ【ジャスティスイエロー】【ジャスティスピンク】というテロップが流れる。
【ボクだって正義の味方だから】
【学園の平和はあたしたちが守るわ】
交互に流れてきた言葉が消えていくのと同時に、画面がくるりと回転するようにねじれて次の映像に切り替わった。
画面に表示されたのは、夕方の校舎を背景にして立つ白い懸章付き詰め襟制服の上着とフレアスカートに軍帽姿のふわふわした印象の少女と、青みの強い緑色の懸章付き詰め襟制服姿に軍帽と言った出で立ちの少年の組み合わせだ。こちらは【
【真珠ちゃん、征服完了デス】
【……僕の邪魔をしないでもらおうか】
流れてきた言葉が途切れて映像が先ほどと逆に回転すると、夜の校舎を背景にライトで浮かび上がったシルエットが二つ並ぶ。片方は軍帽をかぶり長髪を高い位置で一つに結った女性で、もう片方はスラリとした男性のものだ。二つの影は互いに背中合わせにするように立っていた。流れ出したテロップは【世界征服部・総帥】、【正義の味方部・司令官】。
【さぁ、この学園を手に入れ、地球侵略の足掛かりとするのよ!】
斜めに走った文字と共に、軍帽姿の女性のシルエットが大きく手を横に薙いだ。
【何としても彼らの野望を阻止し、学園を守るのです!】
その文字と共に男性のシルエットが大きくうなずく。
二つの影を校舎に浮かび上がらせていたライトが一瞬点滅し、画面を真っ白に変えてしまう。
薄く靄がかかっているかのようなぼやけた画面の中で、かすかに見えるのは学園に続く長い坂道。坂道の途中に三人の生徒のうしろ姿がほのかに浮かび上がり、どこからか飛んできた無数の白い花びらに埋め尽くされるようにしてかき消されていった。
画面が完全に真っ白に切り替わると、制作【特殊報道部】という文字が中央に浮かぶ。続けて、協力、文芸部、放送部、写真部、演劇部、その他関係者各位と表示された。
文字が消えるのと同時に流れていた曲が終わりを迎え、ピタリと映像が止まった。西條がパソコンを操作してトレイからDVDを取り出し、元のようにトールケースにしまう。
どこのアニメやゲームのオープニングかと問いたくなるような、そんな映像に一年生二人は言葉を失う。それに西條はどこか満足げにほほえみを浮かべ、トールケースを振った。
「これが初代の秘蔵映像だよ」
卒業生だけが手に入れられる特別版でね、と口にする彼はとても機嫌がよさそうだ。
「……まさか、本当に初代【杜若】が忍足先生だったなんて……」
愕然とした悠のつぶやきを拾い、おや、と言いたげに西條が眉を上げた。
「もしかして、もう教えていたのかい?」
その声音は純粋な驚きだった。視線を向けられた恭二は苦笑しながら、今年はいろいろあったんですよ、と返す。望美を手で示し、
「そこの在原は転入生なんですがね、【コンクエスト】に関して一切の知識を与えられていなかったんですよ」
そう言って望美が【世界征服部】に入部することとなった経緯や、デビュー戦の演出に初代【杜若】が出張ってきたこと、その関係ですでに正体が忍足であることを教えてしまったことを説明した。
それを聞いた西條は、それはそれは愉快そうに笑った。
「ああ、残念だなぁ。そんな楽しそうなこと、ぜひともこの目で見たかった!」
実に惜しい、と悔しげにつぶやきを漏らすあたり、本気でそう思っていることがうかがえた。
「思っていたよりも反応は悪かったけど、代わりに面白いことを聞けて楽しかったよ」
そう告げて、西條は手にしていたトールケースをリュックサックにしまうとそれを背負った。それじゃあね、と手を振って生徒会室を出ていく。
それをどこかぽかんとして見送っていた一同は、ドアの閉まる音で我に返った。
「いや、相変わらずワケわかんない人だよね……西條センパイ」
机の上に肘をつき、組んだ手にあごを乗せてつぶやいた薫の言葉に全員がうなずいた。
作者:宵月