少年探偵団 2

「たのもう」
どこの道場破りかというような掛け声とともに直人が数学科準備室の扉を叩く。
「おう、どうした?」
道場破りのような第一声に動じることもなく、狙い通りそこにいた副担任の浅井がのんびりとドアを開けてくれる。
「先生、まずはこれをご覧いただきたい」
直人は持ち込んだ数学のノートを開き、浅井に見せる。
当然そのノートには2限目の頭に忍足が解答した内容がそのまま書き写されているわけだ。
「…ほう、よく解いたな。1問目はともかく、2問目は解法まできっちり見つけてくるとは思わなかったぞ」
てっきり数えてくるかと、と浅井は楽しそうな笑顔の中で瞳をキラっと光らせた。
まさかあっさりと解くとは、次はもっと難易度を上げよう、などと考えているのかもしれない。
「残念ながらこれはそれがしが解いたわけではないのだが」
前振りなのか、直人は副担任の興味を煽るようにニヤっと笑みを浮かべる。
「それじゃ、解いたのは黒崎か?」
すぐ後ろに立っていた恭二に浅井の視線が向く。
2人で連れ立ってきたのだからどちらかが解いたと思うのは自然な流れだろう。
「いーや、俺でもないんだ」
恭二の方も、自分が解いたわけではないと肩を(すく)めて見せた。
「だったら誰が解いたんだ?」
お前ら、クラスの中でもかなり優秀な方だろ?
浅井は(いぶか)しむように首を(ひね)る。
その反応はまさしく2人の注文通りの反応だった。
「コレ解いたの、瑞貴ちゃんだぞ」
さらりと恭二が解答者の名前を挙げる。
さぁどんな反応をするだろう、と直人と恭二は浅井の顔色を窺った。
「ああ、瑞貴が解いたのか。なるほど」
国語科の教師が解いたことに驚きもせず、浅井は納得の様子で頷いた。
「瑞貴ならあっさり解くだろうなぁ。在学中も全部解かれたからな」
それなら仕方ないと浅井は笑顔を浮かべる。
あまりにも驚きのない副担任の様子に、むしろ驚いたのは直人と恭二の方だった。
「まぁ、お前らが納得いかないのもわからんでもないが、アイツ、理系側だぞ?」
知らなかったのか、いや、知らないだろうな、と浅井はあっさりとそう告げる。
聞きたかったことを勝手に先回りして答えてくれたというわけだが、別の疑問が浮かぶ。
「それは在学中に理系のクラスだったということですかな?」
忍足瑞貴が実はこの学園の卒業生であり、要するに自分たちの先輩であるというのは既に知れ渡った話である。
直人は在学中の話まで持ち出した担任に確認の意味も込めてそう尋ねた。
「理系クラスのそれもかなりの成績上位者だ」
つーか、アイツ主席だぞ、数学なんて毎回ほぼ満点だ。
大きく頷いて浅井はそうのたまう。
「…何であの先生、国語教師になんかなったんだ…」
いいじゃん、数学で。
呻くように恭二が呟く。
「とにかく瑞貴が解いたんなら合ってるから安心していいぞ?ついでに簡単に解説してくれただろ?」
ていうか、お前ら一体何を聞きにきたんだ?
解答なら瑞貴が教えてくれたんだろ?
浅井はいきなりノート持参で現れた生徒2人に首を傾げる。
解答の意味が分からないのならば教えるのはやぶさかではないが、ノートに書かれた内容を見る限りその必要はないだろうと判断したようだ。
他の生徒ならともかく、この2人ならばそれだけ情報があれば充分だという信頼だろうか。
「あ、いや…。その、何でもないです」
まさか本当に理系出身者かどうかを確かめにきただけとは言えず、恭二が適当に言葉を濁す。
「ま、一見畑違いに思えるヤツにあっさり解答されたら真偽を疑いたくなる気持ちはわからんでもないがな」
ちゃんと解答は合ってるから安心して教室に戻っていいぞ、と浅井は2人をあっさりと数学科準備室から追い出した。
数学科準備室から追い出された直人と恭二はどちらからともなく顔を見合わせる。
「ところでご隠居よ。ご隠居が気にしてるのは、瑞貴ちゃんがさっきの問題を解いたことじゃなくて昨日の戦闘に介入してきた部分じゃねーの?」
自分から最初のウワサとして元々理系畑の人間だと言った割には、恭二はいきなりそんなことを訊いた。
「うむ。そうであるが?」
まず最初のウワサとして副担任に確認をしに行ったものの、順番に(しらみ)潰しに確認をしていくつもりだ。
直人はそれがどうかしたのかと恭二を振り返る。
「だったら、親しそうな人間に聞いてみるのが1番じゃないかと思うんだが」
親しそうな、と言いながら恭二が示したのは、数学科準備室の隣、国語科準備室だった。
確かに現国語科の教師であるとことからして、親しいと判断出来るだろう。
「ええと、国語科準備室に何か用ですか~?」
そこへ廊下の反対側から国語科の教師が姿を見せた。
のんびりとした口調で現れたのは、主に1年生の授業を担当している土屋(つちや)雅臣(まさおみ)だ。
あまり親しくはないが、一見ぼんやりとしていて頼りない印象を与える教師なのだが、憎めないキャラであるという認識だった。
こちらも何故国語教師になったのか疑問を感じるくらい色々あるのだが、さすがに一般の人間の範疇(はんちゅう)には収まってくれているので今は気にしないことにしようと直人はこっそり自分に言い聞かせる。
「…つっちーって、確か瑞貴ちゃんと同じ大学の同期だっけ」
確かそんな話を聞いたことがある、と恭二が土屋に話しかける。
「ええ、そうですよ。瑞貴さんがどうかしたんですか?」
にこっと人当りの良さそうな笑みを浮かべ、土屋は直人と恭二の目の前までやってくると小さく首を傾げてみせた。
用事なら呼びましょうか?たぶんこの時間は準備室にはいないと思いますから。
授業のコマを完全に把握しているのか、土屋は笑顔のままそう問いかける。
「いや、そうではない。我らはあの御仁に関する情報を集めていただけゆえ」
呼ばれても困ると、直人が即座に否定した。
土屋先生殿の知る忍足先生殿とは、一体どんな人物なのか参考までに教えてもらえぬだろうかとそのままの流れで問いかける。
「え?瑞貴さんですか…?そうですね、すごく頭が良くて、何でも知ってる人ですね。仕事も早いですし、ものすごく尊敬してます。でも、目を離すと危なっかしいというか、色々心配というか…」
1人にしておきたくない、思わず守ってあげたくなるような?と土屋は何故か疑問形で締めくくる。
確かに見た目だけならばその印象に納得だと直人は感じていた。
少なくとも、昨日の出来事さえなければここであっさり引き下がるくらいの内容だ。
けれど【ジャスティスイエロー】と【真紅】の戦闘に介入したのを見た後では、はいそうですかと頷くことは出来ない。
「土屋先生殿は、昨日の【コンクエスト】の内容をご存じか?」
異を唱えようにも、そもそも土屋が事の成り行きを知らなければ話にならないと直人は控えめに問いかける。
「はい、知ってますよ。急遽職員会議が入ったので、引き分けになったんでしょう?すごいタイミングでしたけど、問題もなく中断できて良かったと思ってます。ぼくはちょうど会議の準備をしていたので、戦闘そのものは見てないんですけどね」
「つっちー、問題なく中断されたワケじゃなくて、瑞貴ちゃんが止めに来たんだぞ?見事な武力介入というか実力行使だったんだけど、見てなかったのかー」
笑顔で答えた土屋に、恭二が事のあらましを簡単に口にした。
名前で呼び合う仲の土屋と忍足は同期ということもあって特別仲が良いという印象だ。
それなのに顛末(てんまつ)を知らなかったとは、と恭二は微かに驚いたようだ。
「え?瑞貴さんが実力行使ですか…?……冗談ですよね、それ」
絶対無理に決まってますよ、そもそもあんな激しくて速い戦闘に介入出来る人なんて、体育教師でも無理じゃないですかね。
少なくともぼくは出来れば介入したくないです。
土屋の反応は、これである。
あはは、何冗談言ってるんですかとあっさり笑い飛ばされてしまう。
「何を廊下で騒いでるんですか?そろそろ次の授業が始まりますよ」
騒がしくしたわけではないのだが、土屋が明るく笑っていたため国語科準備室のドアが開いた。
中から顔を覗かせたのは宇佐見(うさみ)明良(あきら)先生で、当然ながら彼の担当は国語科である。
「あ、宇佐見先生、聞いてくださいよ。彼らが面白いこと言うんですよ」
あの瑞貴さんが【コンクエスト】を実力行使で止めたって言うんです、信じられます?と土屋は驚きを共有しようと宇佐見を振り返った。
「…土屋くん、そんな話をしていたら次の授業遅刻しますよ?空きコマですか?」
宇佐見は呆れ交じりにそう言うと、未だ前の授業から帰還したばかりの土屋にそう言う。
その言葉に、土屋があぁ、そうでしたっと慌てて国語科準備室へと駆け込む。
宇佐見はそんな土屋に軽くため息を零すと、直人と恭二に向き直る。
「信じる信じない以前に間違いなく事実ですからねぇ。瑞貴くんの実力なら、問題なく止めたでしょうね。それが聞きたかったことですか?」
「…あの御仁は何故そのようなことが…?」
何故止められるのか、そして何故宇佐見はそのことをおかしいと感じないのか。
そう疑問を込めて直人は宇佐見に疑惑の視線を向ける。
「在学中も散々見てますしね。詳しい話が聞きたいのなら、桐生(きりゅう)先生あたりに聞いてはいかがですか?」
ただし、そろそろチャイムが鳴るので早く教室に戻るように。
宇佐見はそれだけ言うと国語科準備室へと顔を引っ込めた。
「…桐生先生か」
恭二が納得したように頷いたのを合図に、2人は元来た道を引き返す。
心情としては今すぐ桐生先生を捕まえて事の詳細を問い詰めたいところだが、次の授業が控えているのでそういうワケにもいかない。
走らないギリギリの速さで教室へと急ぐと、ちょうどドアをくぐったところでチャイムが鳴って直人と恭二は慌てて自分の席へと着いた。
次の授業は英語だったが、疑問だけが独り歩きしていたためやはり頭には入って来ない。
新しい単語や例文をノートに書き写しながら、機械的に英和辞書を引いていると、驚くくらいに早く3限目が終了した。
そして次の教科は移動教室、芸術選択の教科である。
直人は書道を選択しているが、恭二は別の教科を選択しているので同じ教室ではない。
「それがしは桐生先生殿を訪ねるつもりだが、お主はどうする?」
次の移動教室の準備を終え、直人は目の前の恭二に問いかけた。
「桐生先生なぁ…。俺はパスかなぁ。というか、生徒会関係以外であんま顔合わせたくないんだよな」
理由は聞くな、と恭二はすっと片手を挙げる。
「そういえば、桐生先生殿は生徒会の顧問であったな」
恭二の言に、直人はふむと軽く頷く。
恭二は生徒会役員なので、桐生との接点は他の生徒よりもよほど多いのだろう。
だからこそ遭遇すれば何やら小言でも貰うのかもしれない、と直人は勝手に納得した。
「そういうワケだから、ご隠居1人で行ってきてくれ」
それに桐生先生が教えてくれそうな内容には予想がつくしな、と恭二は曖昧(あいまい)な笑みを浮かべてさっさと教室を出て行ってしまう。
予想がつくのなら教えてくれても良かろうとは思ったが、こういうのは自分自身で調べなければ意味がないと直人は桐生がいるであろう英語科準備室に向けて廊下を歩く。
幸運なことに英語科準備室まで到達する前に、目的の人物を発見した。
「桐生先生殿」
英語教師の桐生(きりゅう)彩夏(あやか)の姿を見つけるなり、直人は呼び止める。
教科担当でもなければ部活動などでも接点がない直人の呼びかけに、足を止めて振り返った桐生はおや、という表情を浮かべた。
「呼び止めて申し訳ないのだが、教えていただきたい件がある」
「いいわよ?何かしら?授業の事、じゃないわよねぇ」
面白がる様子を隠さず、桐生は笑顔でそう応じる。
一体何を聞きたいのかしら、と目が笑っていた。
「先ほど、国語科準備室で忍足先生殿のことを尋ねたところ、桐生先生殿に聞いてはどうかと言われたのであるが」
直人は迷いのない直球ストレートでそう問いかける。
何故桐生を指定されたのかはわからないが、何かしら理由があってのことだろう。
「…そうねぇ、答えられることなら教えてあげないでもないけど、一体何事かしら?」
一瞬面食らったように目を丸くした桐生だったが、小さく吹き出すとそう請け負った。
「昨日、あの御仁が【コンクエスト】に介入した点なのだが…」
どう考えてもおかしいと思うのだが、介入出来る理由をご存じないだろうか。
「瑞貴くんは生徒会長だったのよ?ソレくらい当然じゃない」
恐る恐る問いかけた直人の疑問を、桐生は明るい笑顔でそう一蹴した。
生徒会長だったなら何故当然に繋がるのかさっぱり理解出来ないが、どうやら桐生も介入出来たことがおかしいとは微塵(みじん)も感じていないようだ。
「それはつまり、それくらい出来てもおかしくはない運動神経や反射神経を持っているということで間違いござらぬか」
「さぁ?さすがにソコまでは。あたし、担任だったことないからわかんないわ。そういう疑問だったら、体育担当の時任(ときとう)先生か担任だったことのある広瀬(ひろせ)先生に聞くのがいいんじゃないかしら?」
知ってるのはせいぜい生徒会活動に関わる部分くらいよ、と桐生はバッサリと切り捨てる。
先ほどの口調だと昨日の出来事は当然だと思っているようではあるのに、何故か分からないと言われた直人は余計に混乱した。
生徒会長だったから介入出来て当然という論法がまずよくわからないのだがそれは後で恭二か誰かに聞こうと一旦保留にする。
「ふむ…。どうも、ご教示かたじけない」
取りあえずは礼だけを言って、直人は軽く頭を下げた。
あまり親しくない教師を一方的に止めたのだから、自然と頭も下がると言うものだ。
「もういいのかしら?それじゃ、行くわね」
くるりと(きびす)を返し、桐生はさっさと歩き去ってしまう。
これ以上重ねて問いかけたところで答えは得られないとわかった以上、この場に長居は無用だった。
そのまま次の授業のために直人は書道室へと足を向ける。
書道室の自分の席に着くと、直人は無言で授業の準備を始めた。
チャイムが鳴るまでに墨を()らねばならないのだ。
「ご隠居、さっき桐生先生に話しかけてたけど何の用だったんだ?」
隣の席の割と親しい友人がからかうような口調で直人に話しかけて来た。
どうやらさっきの一幕を見ていたようだ。
「うむ、忍足先生殿について尋ねていただけなのだが」
それがどうかしたのか、と墨を磨る手を止めず直人は答える。
「…何だって」
同じように墨を磨っていた手をとめ、ぎぎぎという効果音が似合いそうな動きで彼は直人を振り返るとまじまじとした視線を向けた。
「ご隠居…もしやウワサの真偽を確かめに行ったのか…?」
それは猛者すぎる、と男子生徒は表情を引き()らせる。
「何のウワサであろうか。それがしが知りたかったのは、恐らくそのウワサとは無関係と思われるが」
そもそも何の情報もないからこそ情報を知ってそうな相手を当たっているのだから、信憑性(しんぴょうせい)の有無に関わらず直人は忍足に関するウワサ自体を全く知らないのである。
心当たりのまるでない直人は、ただ何のことかと首を傾げる以外なかった。
「忍足先生って生徒会関係ないのによく生徒会室に行ってるの、知らないのか?…あのな、ここだけの話、桐生先生と忍足先生って付き合ってるっていうウワサがあるんだぞ?」
ソレを知らずにその人選なのか、と大きくため息を零す。
知らぬが仏ってヤツかもなという言葉と共に、彼は再び何事もなかったかのように墨を磨り始めた。
もしかすると、関わらない方が吉と判断したのかもしれない。
「…それは、また…」
何とも言えない表情で直人は墨を磨る手を止めた。
もしかすると恭二はそのウワサを知っていたから同行しなかったのだろうか。
そう思った直人はこの4限目が終わった後にでも詳細を確認しようと心に決め、墨を磨る作業を再開した。
教師同士の恋愛の可能性という、調べていたことには全く関係ないが驚きのウワサを知り、なるべく考えないようにと無心を心がける。
それでもなかなか頭から離れず、直人は割と現実逃避気味に頭の中で周期表の暗唱をしながらチャイムが鳴るまでひたすらしゃこしゃこと墨を磨ったのであった。
4限目の書道は、未だかつてないほどに雑念が入りまくった書しか書くことが出来なかったのだが、これも当然かもしれぬと直人は出来上がった書を眺めて嘆息する。
今日の課題の書は何故か平常心。
書道の教師が何故そんな文言を課題にしたのか理解に苦しまないでもないが、今日の直人にとっては余計に雑念が混ざってしまう課題であったのは間違いないだろう。
昼休みの到来を告げるチャイムが鳴ると同時に書道室を後にし、急いで教室へと戻った。
心情的には駆け戻りたいのは山々なのだが、どうしても廊下を走ることだけは出来ない。
ルールと名の付くものは遵守(じゅんしゅ)すべきだと考えているからだ。
教室へ戻ると、恭二の鞄がまだあることに安堵した。
今日は恐らく生徒会室へ顔を出すはずだ。
その前に捕まえて、先ほどのウワサを知っていて同行しなかったというのであれば一言苦情を申したいと思っても仕方ないだろう。
「黒崎殿、少々よろしいか」
4限目の授業を終え、教室へ戻ってきた恭二を直人が呼び止めた。
「ん?どうした、ご隠居」
何か進展したのか、と興味深そうに問いかけてくる恭二の肩に直人が手を置く。
「…お主、桐生先生殿と忍足先生殿が恋仲であるというウワサをよもや知っていたわけではあるまいな?」
内容が内容だけに、周囲に聞こえないように声を落として直人はジト目で問いかけた。
「…へ?」
その問いに、恭二は一瞬何を言われたのか理解出来ていないほどの様子で目を瞬かせる。
すぐに何だそれ、初耳だとでも言いたげに訝しげな表情に変わった。
「…知らなかったのであればよい。呼び止めてすまなかった」
知らなかったのであれば何故同行しなかったのかと疑問に思わないでもないが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされたので直人は無罪放免と決めたようだ。
これから生徒会室へ向かうだろう恭二を見送るように肩に置いた手で軽くポンと叩く。
「…ご隠居…まさか、ソレ、本人には言ってないよな?」
眉を(ひそ)め、小声で恭二がぽそりと呟く。
「…当然だ」
そもそも会話を終えてから聞いた内容なのだから、本人に確認のしようもない。
直人は深く頷くことで言っていないことを示した。
「…ソレだけは絶対ないから安心してイイぞ。っていうか、ドコからそんなトンデモなウワサが出て来たんだ…」
絶対にない、と恭二はきっぱり断定する。
あまりの断定っぷりに、そこまで言える絶対の根拠でもあるのかと直人の方が不思議に感じるくらいだ。
「まぁ、アレだ。桐生先生にとっての瑞貴ちゃんは、気心知れた元教え子でしかないと思うぞ?ほら、瑞貴ちゃん元生徒会長なんだし…桐生先生はその頃から生徒会の顧問なワケだし?」
きっぱり断定した割には、恭二は言葉を選ぶように視線を彷徨(さまよ)わせる。
「…しょっちゅう生徒会室に(おもむ)いていると聞いたが。今は生徒会には無関係であろう?」
「…ぅ…ソレは否定しない。現生徒会役員として否定はしないが、理由はさっきのウワサなんかではない。ソレは断じて違う」
コレ以上は業務上の秘密だ、と恭二は逃げるように教室を後にした。
残された直人は不可解だと感じはしたものの、生徒会役員が断じて違うと言うからには別の根拠があるんだろうと取りあえず納得する。
業務上の秘密と言われてしまえば、生徒会に関わりのない人間がそれ以上詮索出来ないのだから仕方ないだろう。
直人は現時点でのこれ以上の追及を諦め、昼食を摂るべく学食へ向かった。
今日はそこで双子の兄、浩明(ひろあき)と待ち合わせをしているのだ。
直人が学食へ着くと先に着いていたらしい浩明が2人掛けのテーブルで軽く手を挙げて迎えてくれた。
「待たせてしまったか?」
どうやら授業が終わってから恭二と話し込んでいた分だけ遅くなっていたようだ。
そんな些細(ささい)なことを気にする兄ではないが、直人は当然にようにそう問いかける。
「いつもは僕の方が待たせてるだろ?気にしなくてもいいよ」
異性に向けたのであれば思わずうっとりと見てしまうだろう柔らかい笑みを浮かべ、浩明は直人に席につくようテーブルを示した。
「それがしが買ってくるが?」
恐らく直人が席についたら2人分の食事を求めに浩明が席を立つと理解しているため、直人は先回りしてそう告げる。
どうせ購入するのはいつも日替わりのメニューだ。
どちらが行っても構わないのだから、それでいいだろう、と視線で問いかける。
「直人に任せると、余計な物もついてくると思うんだけど、まあいいか」
それじゃよろしくと浩明は頷いた。
それを確認すると、直人は行ってくると言葉を残して食券を買うために券売機へと向かう。
ポケットから財布を取り出し、2人分の日替わりランチの食券を購入する。
ふと目に留まったので、ついでにサイドメニューのから揚げ6個とカレーまん2個を追加した。
そのまま人波に流されるようにして商品引き換え口へと向かう。
いつも不思議に思うのだが、この学園の食堂で働いているいわゆる食堂のおばちゃんたちは一体どんな早業スキルを習得しているのかというレベルの速さで食事を提供してくれる。
そのため食堂の商品受け渡し口が混雑することはあまりない。
食券を渡す際に、ライス大盛りでと言ったところ、はいよと快く応じてくれる。
こういう気さくなところや融通が利くところが購買の商品も充実しているのに食堂を利用する生徒が多い理由なのかもしれない。
はいよ、お待たせと全く待ってもいないのに笑顔で商品をトレイに乗せておばちゃんが用意してくれた。
「かたじけない」
直人はいつも通り丁寧に礼を述べ、2人分の日替わりランチを片手に1つずつ持つと浩明が待つテーブルへと戻って行った。
テーブルにランチを置くなり、やっぱり追加メニュー増えてるじゃないか、と浩明が苦笑する。
「うむ、目についたのでな。一緒に食べようと思って追加したのだ」
「僕は直人と違って四次元な胃袋はしてないぞ?」
からかうような口調で答えながらも、浩明は普段通りの笑顔だった。
「それじゃ、いただきます」
直人が椅子に腰を下ろすと、2人は揃って行儀よく手を合わせる。
どうやら今日の日替わりランチは大振りの煮込みハンバーグと大きなエビフライが2尾、それにポテトサラダと野菜たっぷりのコンソメスープ、それから直人の要望通り大盛りになったライスとオレンジが2切れにゼリーが添えられている。
まるでファミリーレストランのようなメニューだが、これがワンコインなのである。
絶対赤字だと思うのだが、食堂は驚くべき良心的すぎる値段設定だった。
「そういえば、昨日の夜から難しい顔してるけど何か悩んでるのか?」
ふと思い出したように箸を止めると、浩明は気遣わしげにそう首を傾げる。
同じ屋根の下で暮らす双子の兄弟同士、他人が気付かなくとも些細な変化には気付くものである。
「実は…昨日の介入の件で、少しな…」
兄を相手に隠したところで全くの無駄である。
面倒見が良く、人当りも良く、後輩同輩問わず頼られる存在の兄に下手に隠したって良いことは何もなく、むしろ余計な心配をかけてしまう。
直人はあっさりと懸案(けんあん)事項を暴露した。
他の人間ならいざ知らず、兄は同じ【正義の味方部】に所属する【正義の味方部】のリーダー、【ジャスティスレッド】なのである。
他の人間よりもよほどスムーズに自分の感じた不可解な気持ちに共感してくれるものと思って直人は一般人に攻撃を(はば)まれたことのみならず気付かれずに近づかれてしまったことなどを口にした。
一応周囲の目と耳を(はばか)って自分たちの正体がバレるような言い方はしなかったが、浩明には何が言いたいか正確に伝わったという自信がある。
「成程ね。それで、色々調べてるってわけか」
直人の様子に納得がいったらしく、浩明は取りあえず昼食を再開した。
軽く何かを考えるような表情だがそれ以上言葉を続けることなく目先のことから片付けることにしたらしい。
その後2人はしばらく無言で箸を進め、直人が追加購入した分も含めてきっちり完食した。
余談ではあるが、カレーまんに関してのみ2つとも直人の胃袋へと納まったのである。
「さて、と。ソレじゃ、僕も知ってるウワサを教えておこうかな」
食後にセルフサービスのお茶を2つ取ってきた浩明が、1つを直人の前に置くとそう言って笑顔を見せた。
「何か知っているのか?」
兄が知っていて自分が知らない情報があったのか、と直人は軽く首を捻る。
「まあね。うちの部の初代って言ったら、直人は誰かわかる?」
浩明の言うところのうちの部というのが、【正義の味方部】を指すのかはたまた科学部を指すのかまでは分からないが、直人は取りあえず頷いた。
どちらを指していたとしても、該当するのは同じ人間だ。
いや、初代という言い方であれば、【正義の味方部】を指すと考えるべきだろう。
新田(にった)先輩殿と黒島(くろしま)先輩殿であるな。あの御仁たちは、確か隣の大学部に在籍されているのではなかったか?」
正確には、大学そのものは卒業して現在は大学院生のはずだ。
直人は記憶を辿りながらそう答える。
「さすがに先輩方本人には確認はしてないんだけど、その2人と忍足先生はどうやら同じクラスだったらしくてね」
浩明は直人の言葉に大きく頷くと、そんな情報を教えてくれた。
根っからのバリバリの理系人間、白衣を着て闊歩(かっぽ)しているのを見たという情報の絶えない2人組が当然理系クラスの出身であるのは知っている。
午前中に実は忍足が理系の人間だったという驚きの情報を得ていなければここで首を傾げるところだ。
「仲が良かったのか?」
不良というワケではなかったハズだが、挑戦者は拒まないスタイルの喧嘩っ早さを誇る新田黒島両名を知っている直人は不思議そうに問い返した。
駅前などで他校生に待ち構えられ、10人以上でも丁重にお帰り願ったという武勇伝を筆頭にかなりの猛者であったと聞いている。
在学当時彼らに勝てた武道関係の部は1つもなく、何故科学部なんだと惜しまれていたとすら言われていた。
実際、【コンクエスト】の資料として見た初代の映像ではその2人の戦闘力の高さに感嘆したくらいなのだ。
一体その2人と一見対極に見える大人しげな忍足にどんな接点があったのかと疑問に思うしかなかった。
「とても仲が良かったらしい。どうやら1年生の頃からずっと同じクラスだったらしいよ?」
「それは少々意外な気もするが…」
「そうでもないんじゃないかな。ウワサでは、保護者と化してたらしいから」
正義の味方に憧れたまま成長し、テレビから抜け出してきた本物のヒーローのような性格をしていたと言われている新田。
そしてその新田の相方として常に行動を共にし、大抵の場合一緒になって暴れるのだが基本的には面倒を見る立場であると言われている黒島。
歩く中二病と揶揄(やゆ)されてはいるが、彼らは別に変な人でも悪い人でもない。
どちらにも共通して言えることは、ずば抜けた戦闘力と正義を愛し弱きを助ける精神だろうか。
そういう意味では、品行方正の見本というか知的で冷静なこの学園において常識人に分類されるだろう忍足は割と彼らの好みに合致していると言えなくもない。
本日知った情報によれば、在学当時は生徒会長までやっていたそうだからその頃から常識人だったのだろう。
「保護者、であるか…?」
しかし保護者という響きが些か不思議で、直人は軽く眉を顰めた。
直人の知る忍足という人物は、基本的に冷静で常識的でしっかりしたまともな教師なのである。
割とテンションの高い教師の多いこの学園では、年齢の割に落ち着いてすら見える。
昨日の出来事さえなければ、その印象は欠片も揺るがなかったはずだ。
いや、昨日の出来事を加味したところで、その印象そのものは(くつがえ)らない。
強いて別の要素が加わるかもしれないというだけである。
「その事情は実はよく知らないんだけど…。聞いた話によれば割と休みがち?だったとかなんとか?」
実は僕も詳細は知らないんだ、と浩明は苦笑した。
「ふむ…。では、それも含めてもう少し調べてみることにしよう」
何だか謎が増えただけのような気もするが、直人はそう結論付ける。
要するに納得できるまで調べればいいのだ。
調べていくうちに何かしら納得のいく答えが得られるだろう、と前向きに考える。
いつまでも食堂を占拠しているのも申し訳ないと感じたのか、兄弟はどちらからともなく席を立った。
混雑しているわけではないが、食事を終えたらいつまでも居座るべきではないというのが彼らの心情だ。
「あ、そうだ。直人、何かわかったら僕にも教えてね?」
別れ際、浩明は笑顔でそんなことを言って教室へと戻って行った。
「了解した」
元より何かわかるまで徹底的に調べるつもりだった直人はそう応じて兄を見送る。
同じ階に教室はあるが、一緒に戻らないのはいつものことだった。
直人はたいてい食堂で昼食を摂った後、購買へ足を運ぶからである。
昼食を終えたばかりだが、それだけでは足らないと購買へ足を向けた直人の耳に女子生徒の声が飛び込んできて、思わずそちらを盗み見た。
普段であれば気にも留めないのだが、今日だけは別だ。
女子生徒たちの会話の中に、瑞貴先生という単語が聞こえたからである。
女子生徒たちは購買で菓子類を物色しながら会話を交わしているようだった。
「さっきの授業、アレはちょっとびっくりだったよね」
「うんうん。瑞貴ちゃん、楽譜読めるんだねぇ」
怪しまれないように自身も購買の商品を物色していた直人は、女子生徒の言葉にピタリと手を止める。
何者だあの教師。
昨日から通算何度目になるかわからない問いが頭に浮かぶ。
そのままこそっと聞き耳を立てながら、目についたカレーパンとカレー煎餅をひっつかんでレジに向かった。
購買のおばちゃんに言われるまま合計金額を支払って商品を受け取ると、直人はなおも女子生徒たちの会話に耳を傾ける。
「でもさ、演劇部のOBが言うには、ピアノも弾けるらしいよ?」
「そうなの?意外…でもないか。一見、深窓の令嬢だよね」
「もー、文芸部って何でもそういうフィルターかけるんだから」
「仕方ないでしょー文芸部は顧問からしてそういうネタばら撒いてくれるんだし」
「ぁぁ、顧問がまーくんじゃ仕方ないんじゃない?」
すぐに話題は切り替わってしまったようで、詳しくは分からず仕舞いだ。
それでも、直人の中にある疑念はますます大きく広がっていく。
無意識的に廊下を歩きながらカレーパンを(かじ)った直人は女子生徒たちの言葉の一部を反芻(はんすう)していた。
「あらあら、いくら空腹でも食べ歩きはダメよ?」
そんな直人を現実に引き戻したのは、呆れるように紡がれた可愛らしい女性の声だ。
いくら何でも行儀悪いわよと苦笑しているのは、科学教師の広瀬(ひろせ)瑠衣(るい)だった。
「……おっと、これはかたじけない」
全くの無意識であった直人は残りひと欠となった食べかけのカレーパンを慌てて口に押し込んで嚥下(えんげ)し、広瀬に頭を下げた。
後輩の模範(もはん)となるべき3年生がみっともない真似をしてしまったと反省する。
「上の空だったようだけど、何か悩み事かしら?」
どうかしたの、と広瀬が首を傾げて見せた。
その言葉に直人ははっと顔を上げる。
悩み事とは違うが、確かに聞きたいことはあるのだ。
「実は、教えていただきたいことがあるのだが」
そう前置きすると、直人は既に今日何度口にしたかわからない問いを広瀬にぶつけた。
即ち昨日の出来事とそれを行った人物について、だ。
「…なるほど。その疑問はもっともね」
こっくりと広瀬は大きく頷いた。
やっと話の通じる相手に巡り合えたと感じた直人だったが、広瀬はひとしきり頷いた後にっこりと笑顔を浮かべる。
「確かに、知らない子が不思議に思うのも無理ないわよね。そうよね、やっぱり教えてあげるべきよね」
広瀬は直人が変なことを聞いてしまったのではないかと思うくらい楽しそうな笑顔でひとり何やら納得しているらしい。
しかもその口ぶりは、疑問に思う事に対して理解と共感を示しつつも、どうやら昨日の出来事そのものがおかしいとは微塵も思っていないようである。
強化スーツを作った張本人すら昨日の出来事をおかしいと思えないのか、と直人はますます不可解な気持ちで首を傾げた。
「仕方ないわね。後で教えてあげるから、放課後科学準備室に来てちょうだい」
待ってるわ、と広瀬はどこまでも楽しそうである。
そんな楽しそうな様子に、直人は押し切られるようにして放課後行くことを了承した。
それじゃあね、と明るく去っていく広瀬を見送り、どうしてこうなったのだろうと直人は首を傾げながら教室へと向かうべく歩き出す。
それにしても一体…と疑問ばかりが大きくなっていく気がしたが、少なくとも放課後になれば広瀬が何等かの納得のいく回答をくれるだろうと前向きに考える。
そのまま教室に戻ると、まだ恭二は教室に戻っていないようだった。
色々と話したいことがあったのだが仕方ないと直人は大人しく5限目の準備を始める。
5限目は日本史。
理系クラスなのに何故に歴史など学ばなくてはならないのかと思わなくもないのだが、伊達にエリート校の看板を背負っているワケではないらしく、無謀なまでに全教科がしっかり埋め込まれているのである。
このカリキュラムで詰め込まれてモノに出来るのであれば、有名大学への合格率も納得だろう。
そう前向きに思い直し、直人は授業を受けられるようにと準備する手を速めたのだった。
製作者:月森彩葉