少年探偵団 3

結局、恭二は5限目開始ギリギリに教室に駈け込んで来たために昼休み中には話をすることが出来ないまま授業へと突入してしまった。
目の前で授業を受ける恭二を視界の隅に収めながら直人は授業を上の空で聞いている。
5限目の日本史では、何故か授業が脱線して織田信長が双子の姉弟が入れ替わっていた説や実は女性で森蘭丸が正体であの暴君は影武者だという説をはじめとする信憑性(しんぴょうせい)のない諸説を延々講じるという内容となってしまった。
実際その説の通りだったら面白いだろうなと思いもしたが、いくら何でも突拍子もない説ばかりに聞き流していた直人は正直それはないと断定する。
5限目が終わると同時に、直人は待ってましたとばかりの前の席の恭二を捕まえた。
「黒崎殿、お主、他にウワサや情報は持っておらぬか?」
自分よりも接点が多いはずの相手に、直人はそう問いかける。
「瑞貴ちゃんの?…そうだなぁ、仕入れたての情報があるぞ」
恭二は一瞬面食らったように目を丸くしたが、ニヤリと笑ってそう告げた。
「仕入れたてとは、一体どんな情報だ?」
まさか自分同様にウワサでも検証して回ったのだろうかと直人は情報を催促する。
「や、4限目さ、芸術じゃん?俺、選択は音楽なんだけどさ」
「それは知っている。お主、1番楽そうだからと言って音楽を選んで後悔していたではないか」
芸術の選択は書道、美術、音楽の3種類のうちどれか1つを選ぶ。
直人は書道を選んでいるが、恭二が選んでいるのは音楽だ。
2年の頃はクラシック音楽鑑賞が多く、実技的な内容が少なかったらしく、恭二は3年になっても楽だからと言って同じ教科を選択し、急激に実技が増えて後悔していた。
どうやら楽譜を読むだけで一苦労なのだそうだ。
授業の方向性が急に変わったのは音楽の教師が変わったからでもなんでもなく、教師の気まぐれである。
そのせいで合奏や合唱をさせられる生徒たちのうち、大半は楽しんでいるようだが一部は恭二のように苦心しているという。
因みに今は楽器が出来る生徒ややりたい生徒が様々な楽器を演奏し、それ以外の生徒が歌うという音楽コンクールばりの練習をしているそうだ。
「いや、ソレがさ?米倉先生ってば何を思ったのか練習をパートごとに分けてやらせたくなったらしくてさ…」
そのために音楽室は軽く騒然となったのだと恭二は呆れたように肩を竦めた。
「それが一体どう新しい情報に繋がるのだ…?」
音楽の授業は全く関係ないだろう、と直人は恭二の真意が掴めず首を傾げる。
「まぁまぁ、ご隠居、話は最後まで聞けって。そんで、やってみようってなってから驚きの事実が発覚したんだぜ?合唱パート、つまり歌う生徒たちって俺をはじめ楽譜が読めない生徒が大半なワケだ。当然楽器も出来ないんだぜ?」
どうなったと思うよ?と恭二はさもおかしそうな笑顔を浮かべる。
「それは災難であるが、そこは教師がついてピアノ伴奏なりすれば事足りるのではないか?」
初めから楽器を演奏できる生徒や楽器を演奏したいと思う生徒は当然楽譜くらい読めるのだろう。
それならば教師が合唱パートにつけばいい、と直人はあっさり応じる。
「楽器だってほったらかしには出来ねーよ、さすがに。そんなワケで、しばらく米倉先生も頭を抱えてたんだけどな。何を思ったか、急に瑞貴ちゃんを連れて戻ってきたんだわ」
で、ここからが本題だと恭二はニヤリと笑う。
それはどういうことかと問い返そうとした直人の脳裏に、昼休みに購買で聞いた女子生徒の会話が再生された。
確か、例の御仁は楽譜が読めるとか何とか聞いたような気がする。
ピアノが弾けるという説もあったような気がする。
「…まさか…」
直人は表情を引き攣らせて、小さく呻いた。
いくら何でもそれはない、と思いたい。
「いんや、そのまさか。割と難しい曲だったと思うんだけどなぁ。初見でピアノ伴奏弾いてくれたぞ」
もちろんちゃんと両手で。
どうだ、驚くだろう、と恭二が言う。
「いやもう、本当に何者なのだ、あの御仁は…」
もはや呻くしか出来なくなった直人に、恭二はだよなぁと軽く応じる。
そんな2人の様子に、何事かと隣の席の女子生徒が視線を向けた。
「朝から一体何を…?どうしたのよ、ご隠居…」
女子生徒にとって、朝からの2人の、とりわけ直人の様子は気にかかっていたらしい。
珍しく途方に暮れた様子の直人に、ついに黙っていられなくなったのか声をかけてきた。
「…いや、忍足先生殿は一体どういう人なのかと…」
最初は昨日の介入だけが疑問だったのだが、調べれば調べるほど謎が深まる人物像で直人はそうとしか言えない心境だ。
「瑞貴先生?」
直人の言葉に女子生徒は首を傾げると鸚鵡(おうむ)返しに訊いてきた。
そうだ、と直人が頷けば、何やら考え込む素振りを見せる。
「あの先生、T大理系の入試問題、あっさり解いたって聞いたけど…」
女子生徒のその言葉に、声が聞こえていたらしい仲の良い女子生徒が近寄ってきた。
何なに?何の話?と楽しそうに訊いてきた相手に、彼女は忍足の話だと告げる。
「あー。確か実はすっごいお金持ちっていうウワサもあるよ」
「英才教育っていうんだっけ、なんかそういうの受けてたっていう説もあるよね」
「他校生に性別間違われて告白されたって話も聞いたことあるけど」
「いや、ソレは去年の卒業生の話じゃないの?」
「在学中は親衛隊まで結成されてたってウワサだよ?」
「えー?ソレは知らないけど、体育の授業に出たことないって話なら聞いたかな」
女子生徒の声がよく通ったせいか、周囲にはいつの間にか人だかりが出来て勝手に話が盛り上がっていく。
よくもまあこれだけ謎のウワサが次から次へと出てくるものだと感心しながらも、直人は聞き捨てならない言葉に首を傾げる。
「体育の授業に出ないなど、普通は無理ではないか…」
思わずポロっと疑問を口にした。
「確か高校の頃って結構欠席してたらしいんだよね」
要するにドクターストップらしい、と直人の疑問に女子生徒が振り返った。
「そうそう。なんか、病院通ってたって聞いたけど。今はもう大丈夫なのかな」
「どうなんだろう。でも、何か薬は飲んでるよね?」
「あぁ、うん。でも、何ていうか、そういうの似合うよね、見た目的に」
「あ、わかるわかる。黙ってたら病弱少女で通りそうだよね。高校の頃とか特に。写真見たことある?」
女子生徒たちのウワサは止まることを知らずにどんどん膨れ上がっていく。
途中から脱線してはいったものの、直人と恭二を固まらせるのには充分すぎる情報であった。
2人は思わずあり得ないといった表情で顔を見合わせる。
「…いや、ソレはオカシイだろ」
恭二の口から乾いた呟きが零れ落ちた。
信じられない、いやむしろ信じない。
100歩譲って他の話は信じてもいいがソレだけは信じない、と恭二は表情を引き攣らせた。
「ぉぉーぃ、ご隠居、副会長、6限目体育だぞー?」
男子はグラウンドだから急げよ、と廊下から声がする。
「あ、やべ。忘れてた」
その言葉に、はっと我に返ったように恭二は呟くと、ジャージの入った鞄をひっつかんで廊下へと飛び出した。
「うむ、急がねば」
取りあえず懸案(けんあん)事項の山は思考の端に追いやり、直人も授業に遅刻しないために大急ぎで恭二に倣う。
大股で廊下を歩き、階段を下り、更衣室に飛び込んでいそいそと着替える。
2人を急かしてくれた生徒と共に外へ出て、グラウンドへ続く階段を一足飛びで降り切ったところでチャイムが鳴った。
「あ、お前ら遅かったな。ほら、さっさと整列しろよー」
暢気(のんき)にそう出迎えてくれたのは、担任である体育教師の時任遼平だ。
言われるままに整列したところで、体育委員が前に出て準備運動のストレッチが始まった。
準備体操が終わり授業に突入すると、真剣勝負に忙しい生徒とそうでない生徒が出てくる。
今日の授業内容は、フットサルだ。
1チーム5人で合計10人がフィールドに出るが、それ以外の生徒は入れ替えの時間まで見学である。
別に勝っても負けての関係のないただの授業なので、プレー中の生徒も応援側の生徒もどこかダレ気味だった。
6限目ということもあるかもしれない。
音楽室の窓が開いているのか、そこから伸びやかな旋律が響いてきて思わず聞き惚れる。
記憶違いでなければ恐らくバイオリンの音だが、一体誰が弾いているんだろうか。
確か音楽の教師の専門は声楽だったはず、とどうでもいいことをとりとめなく考えながら直人は何となくグラウンドから視線を逸らす。
授業の一環で審判も生徒にさせているため、監督役の時任も割と暇そうだった。
そんな時任をちらりと眺めていた直人だったが、情報量が多すぎて混乱する頭を整理している間に桐生に時任に聞いてみろと言われていたのを思い出す。
それに、先ほど教室で聞いたばかりの内容も、時任なら知っているはずだ。
「先生殿、少しよろしいか?」
そう前置きして、直人は時任に話しかけた。
「いくつかお尋ねしたいことがあるのだが…」
「おう、どうした?」
雰囲気で授業に関係のない質問だろうと予想はついただろうが、時任は気にした様子もなく直人に笑顔を向ける。
「昨日の【コンクエスト】に関してなのだが、何故戦闘を止めに現れたのが時任先生ではなかったのだろうか」
今まで直球で尋ねすぎたという自覚のある直人は、あえて婉曲な言い回しを選んでそう問いかけた。
恐らく普通に考えたならば【コンクエスト】における戦闘を唯一止められるであろう教師である。
何故その時任が止めに来なかったのか。
もう少し言えば、どうして止めに来たのが忍足だったのか、という疑問を直人は視線でぶつける。
「あぁ、昨日の職員会議で中断させたやつか?」
別に俺が行かなくても止まっただろ?と時任は気にした様子もない。
その様子から、どうやら時任も昨日の出来事をおかしいと感じていない人間なのだと察しがついた。
「では、時任先生殿も忍足先生殿が介入出来たことを疑問に思わぬのであるか?」
「そりゃ瑞貴だしなぁ。俺が止めるよりよっぽどスムーズに止まると思うが」
念のために訊いてみた直人の問いは、時任にあっさり肯定されてしまう。
「そんな信頼出来るような技量があの御仁にはあるとおっしゃる?」
既に今日1日をかけて散々確認した内容なのだが、それでもまだ信じきれない直人は婉曲な表現を諦めて直球で問いかける。
「そりゃ在学中に散々見てるからなぁ。鮮やかだったろ?」
からりと笑って時任は太鼓判を押した。
「…文武両道というわけか…。(にわ)かには信じがたいが、その信頼はやはり授業で?」
他の教師と違って時任の担当は体育である。
目の前で身体能力の高さを見ていたのであればそういう結論に繋がるのだろう、と直人は無理やり納得すべくそう話を振った。
今度こそ何かしら納得のいく結論が聞きたいと思う。
「あ、いや…。言っていいかは微妙だが、瑞貴は体育の授業に出たことはないんだ」
直人の期待を打ち砕くように、時任はそんなことを言った。
「何っ!!?ソレってマジだったのか!」
直人が何かを言う前に、どうやら聞き耳を立てていたらしい恭二ががばっと時任を振り仰ぐ。
「マジって…俺が嘘ついてどうするんだ」
心底驚いている様子の恭二に、時任が苦笑する。
確かに、この話題に置いて時任が嘘をつく必要性は欠片もない。
「えっと、ソレってもしやサボリというやつ…?」
一縷(いちる)の望みをかけ、恭二が乾いた笑顔でそう問いかけた。
間違っても教室で聞いた話は信じたくないとでも言いたげな必死な様子である。
今日1日、割と一緒になってウワサの検証をしてきた恭二だが、面白がる様子を崩さなかった彼がこんな真剣な様子なのは意外だと直人は目を瞬かせた。
それでも直人の心境は恭二と同じである。
「いや、理事長が許可を出したんだ。たぶんドクターストップとかそういう話だと思うぞ」
仮にも生徒会長までやった瑞貴がサボリとか、ないだろ。
そもそもそういう性格じゃないのは知ってるだろ、とまで言われてしまう。
そこまで言われてしまっては、そうだと納得するより他はなかった。
嘘だろと言いたいのに、嘘だと思っているのに、肯定してくれる相手がどこにもいない。
その後6限目の体育フットサルでは、この衝撃から立ち直れなかった直人と恭二がやけくそのようにゴールを決めまくったところでチャイムが鳴った。
そのまま着替えて疲れた様子で2人が教室に戻ると、機械的にHRが開始される。
例によって6限目の後片付けがあるとかで教室にやってきたのは副担任の浅井の方だった。
オマケのように今日は職員会議はないので思う存分部活動に励むようにと言われ、直人は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「…俺、生徒会室行くわ…」
正直、今日は行きたくないけどな。
そう言いながら、恭二は教室を出て行った。
万が一何かあったら呼びに来てくれと言われたが、恐らくただの挨拶だろう。
直人も科学部の活動のために部室である科学室へ直行しようと思ったが、その前に準備室へと呼ばれていたことを思い出す。
今度こそ何としてでも納得のいく答えを手に入れたい。
ただそれだけの願いで呼び出された通り直人は科学準備室へと向かった。
製作者:月森彩葉