異世界召喚されずに乙女ゲーに組み込まれたようです 3

―――夢。
夢を見ている。
正しくは、夢だと確信するしかない状況に、自分でも驚くくらい酷く困惑していた。
いつも夢だと理解出来るのは、記憶として正しく残っているかは横に置いておくとしても、幼い頃の自分を俯瞰的(ふかんてき)に見ているからだ。
それなのに、今のこの夢は、幼い頃の自分を見ている光景とはかけ離れている。
それに、少しばかりシュールでファンタジーな夢だった。
まず、何処にでもありそうなちょっと周囲を木々に囲まれた公園とでも言えるような場所。それ自体は、別に夢の世界で不思議でもないのだが、そこに存在している登場人物(キャラクター)が実にファンタジーなのである。
「おい、手前、何手抜きしてんだよ。ったく…余計なもん巻き込みやがって」
呆れと苛立ちを(にじ)ませた、若い青年の声だ。やれやれと肩を(すく)めるような、そんな気配を感じさせる低く深い声。大学生よりは少し上くらいの、知性と粗暴さを感じさせる不思議な雰囲気だったが、その声の主はふかふかした愛らしい外見の、やたら目つきの悪い黒猫から発せられているのだ。不機嫌そうにピシリと打たれる尻尾が、言葉に合わせて揺れていた。
「えぇ?私の所為(せい)なのかい?この場を囲ったのは私じゃなくて奏多(かなた)くんだよぉ」
黒猫から言葉が発せられる事に違和感を覚えなかったのか、ひょろりと細い体躯の整った顔立ちの青年が笑い交じりに応えている。青年は青年で、何故か真っ黒のスーツに真っ黒のネクタイというまるで弔問帰りか何かのような出で立ちに、砂色の薄手のコートを羽織っていた。これでコートまで黒ければ、アメリカ映画のマフィアを連想するところだ。しかし、そんな服装よりも気になるのが、服の袖から覗く男の割には細い両手首に真っ白な包帯が覗いている事だろう。
「…ったく、手ぇ抜いたのは彼奴(あいつ)かよ…」
黒猫は心底呆れたと言わんばかりの口調で今度こそ深く溜息を吐いた。猫の声帯で一体どうやってこんな落ち着いた青年の声を発しているのかは不明だが、だからこそこの光景が夢だろうと一蹴出来てしまう。
「んで、その奏多は何処いきやがったんだ?」
叱る心算なのか何なのか、黒猫は傍らの青年にチラリと視線を向ける。青年はただ悠然と立って腕を組んでいるので、思い切り見上げる形だ。
「奏多くんなら、今獲物を追い立ててるはずだけれど?上手く誘導してこれれば、もう戻ってくるんじゃないかなぁ」
そう言いながら、青年はふと何かを思い出したかのようにガサガサとコートのポケットやスーツのポケットを漁る。最後にスラックスのポケットから目当ての物を見つけ出したらしく、煙草の箱を取り出したが、中身は空のようだ。青年は小さく苦笑すると、手の中で空の箱をぐしゃりと潰した。
「手前、禁煙中じゃなかったのかよ…」
再び呆れたような声が黒猫から青年に向けられる。元々悪い目つきがさらに一層悪くなったように感じられた。
「そりゃ普段は禁煙しているけどね?高校生(おこさま)たちに悪影響だからねぇ。でも私は別に長生きがしたい訳じゃないからねぇ」
ひらひらと両手を挙げて、青年はあっさりとそう言って、ふっと(かげ)のある笑みを浮かべる。それに、傍らの黒猫は何かを言いたそうに口を開いたが、声を発する前に何か得体のしれない物が這いずり回るような音が猛スピードで近づいてくるのが聴こえた。
程なくして、日本のホラー映画で見るような、何とも表現しがたい化け物が姿を現す。下半身は蛇か魚のような鱗で覆われ足ではなく大きな蜥蜴の尻尾のようになっており、上半身は胸元まで鱗に覆われた人間の女性のような姿をしていた。長く乱れた髪は濡れており、眼窩(がんか)は落ちくぼみ、皮膚は不気味に青白い。普通の人間の女性と比べればやや長い腕に、鋭く伸びた爪だけが艶やかに赤かった。恐らく妖怪の類だと瞬時に理解は出来るが、こんな不気味な外見に今迄お目にかかった事はなく、正直悲鳴をあげそうになった程だ。
悲鳴を飲み込むのに成功した理由は、その化け物を追いかけて来た影の正体に、思わず目が点になったからだった。
追いかけて来たのは、最近ゆるい怠惰系マスコットキャラとして一定の地位を確立した生物、温泉に浸かっている写真くらいでしか実物を見た事のない、カピバラである。
体長1メートルくらいの比較的大きなカピバラが、原動機付自転車法定速度よりも速い猛ダッシュで化け物を追いかけてくる光景は、実にシュールで、猫が話すよりも衝撃(インパクト)は強かった。視界に近づいてくる化け物に悲鳴を上げずに済んだのは、つまり癒し系草食動物であるカピバラがもの凄いスピードで迫って来たからに他ならない。
そこで、ふと冷静になった。
この夢の世界で、迫ってきたと感じた理由。
妖怪の類の化け物は、待ち構えていたのであろう青年や黒猫目掛けてではなく、何故か傍観者のように中空に漂っている意識体のような自分を目掛けて突進しようとしているからだった。
この夢の世界で、果たして自分はどうなっているのかと、迫ってくる化け物とそれを追うカピバラから意識を無理やり逸らし、視線を真下に落とす。不思議な事に、現在通っている志貴ヶ丘学園高等部の制服姿で、何故か宙に浮いていた。成程、化け物からしたら青年よりも女子高生外見の方が美味しそうにでも見えるのだろうか、とやや現実逃避気味に考えた辺りで、化け物の影はすぐ近くまで迫っていた。
夢の中で化け物に襲われたとして、現実ではどうなるのだろうか、やはりそれに見合う損傷を受けるのだろうか、などと暢気に考えながらも迫る影にどう対処しようかと考えた瞬間、いきなり視界が真っ黒になる。
「!!?」
声にならない驚きの悲鳴を上げ、思わず声を出さないようにと手で口を覆った。
眼前の化け物と自分の間に、真っ黒いふかふかした何かが飛び込んで来たのだから、驚きもするだろう。勿論そのふかふかの正体は、青年を会話をしていたあの黒猫である。
尻尾の先が頬を撫でかけた瞬間、小さな爆発音のような音が響いて、視界が白い光に包まれる。
「ったく…何で結界内に部外者が入れんだよ」
心底呆れた声と共に、黒猫の姿が消え、代わりにすらりと背の高い青年の後ろ姿がそこに在った。片手で化け物の頭を鷲掴みにし、その動きを完全に封じている。声は先ほどの黒猫のままだが、姿形は何処からどう見ても青年だった。猫耳も無ければ尻尾もないが、本能的に同一の存在だと認識できる。
「黒くん、ご苦労様ぁ」
頭を掴まれて動けなくなった化け物の横から、黒スーツの青年がひょいっと顔を覗かせた。
「ごめんねぇ?奏多くんが手抜きした所為で、巻き込んじゃったみたいだねぇ」
あははと笑いながら、青年は自分の方へと近づいてきて、何故かピタリと動きを止める。
「…あれ…きみ……」
貼りつけられていた笑顔が剥がれ、青年は此方(こちら)を見ながら茫然と目を見開いたまま固まった。
「オレはちゃんと結界張ったケド…?っていうか、しゅーも見てたじゃん」
もはやカピバラが声を発した所で驚きも出来ない。不機嫌そうな青年の声が、のんびりした外見の草食動物から漏れたが、今更その程度では動じられず、こちらを見つめたまま固まっている青年の視線に晒され居心地の悪さを感じるだけだった。
「つか、この制服……」
化け物の頭を掴んだまま、くるりと元黒猫現青年が頭だけで振り返る。
「…おにいちゃん…」
その外見に、思わず小さく声を発してしまった。血の繋がった実の兄とは欠片も似ても似つかないのだが、幼い自分が『おにいちゃん』と呼んで懐いていた青年にとてもよく似ていたのである。基本的に斜に構えたような雰囲気の、とても優しく面倒見の良い青年だった。
その姿にあまりにも似ていた所為(せい)で、ポツリと声を発してしまったのである。
そして黒い青年も驚いたように目を見開いて、次に口を開いた。
しかし、無理やり引っ張られるような感覚に、青年の声を聞きとる事は出来ず、そのまま夢の世界から現実へと覚醒させられる。

「あ。起きました?」
唯音が目を覚ますと、目の前にかなりアップの小太郎の顔があり、相変わらずの無表情で覗きこまれている所だった。
「…ぅゎぁ…」
唯音は、思わず目を瞬かせながら、無感情にそう呟く。何だったんだ、今の夢は、と内心自問自答しながら、状況を把握しようと頭を働かせる。
「随分と寝てましたけど、昼休みですよ?」
唯音が状況を把握する前に、小太郎はあっさりと現在時刻と状況を告げた。1限目から4限目まで、バッチリ熟睡してしまったのだと、唯音はその台詞に少しばかり驚きつつよく今迄誰も起こさなかったものだと妙な感心をしてしまう。この放任っぷりこそ、この学園の持ち味なのだと理解していても、本当にここは進学校なのだろうかと首を傾げずにはいられなかった。
「俺は今日、部室で昼にしますけど。佐倉さんはどうしますか」
鞄を手に、小太郎はそう言って無表情のまま小さく首を傾げる。解りづらいが、良ければ一緒にどうか、と誘っているらしい。
「あ、行くよぉ…」
どうせ同じ部活の1年生2人にも、昨日のトンデモ車の弁明をしなければならないのだ、面倒な事は早く済ませるに限ると、唯音は一緒に部室に行く旨を伝え、席を立った。朝から昼までずっと寝ていた所為で固まった身体を解すように、1度大きく伸びをする。
「イオちゃーん、小太郎君とご飯ー?食べてすぐ寝たら牛さんになるから、5限目は起きてなよー」
普段、一緒にお昼ご飯を食べているクラスメイトの女子に目敏く見つけられ、そんな声が掛けられた。小太郎と連れだって教室を出て行く様子に、2人の仲を冷やかすような雰囲気はなく、そんな関係に発展するとは誰も思っていないようだ。
「うぅー…すっごく眠いんだよぅ。5限目は…うん、頑張って起きるよぉ」
起きていても寝ていても、正直に言えば唯音の成績に何の影響も及ぼさない。普通ならばそんな既に突出した学力を持っていれば異端扱いされたり奇異の目を向けられるハズだろうが、この学園に於いては誰も気にしないのだから、やはり何処か世間からかけ離れた学園であることは間違いなかった。
「睡眠学習を実践する人、ナマで初めてみたよー」
楽しそうに笑って、クラスメイトの女子たちは唯音と小太郎に手を振って見送る。因みに小太郎は部室と称したが、実際に彼らは同好会に在籍しているので専用の部室など存在しない。ほぼ私物化している社会科教室という北棟3階にある教室で勝手に昼食を摂るというだけだった。2年4組の教室も同じ北棟の2階なので距離は近い。
特に会話もなく唯音と小太郎は私物化されつつある社会科教室へと向かった。
ガラリと社会科教室のドアを開ければ、既に机や椅子はまとめて教室の後ろの方へ下げられており、何故だか教室に茣蓙(ござ)が敷かれているという光景が広がっている。
この茣蓙(ござ)は民俗学研究同好会の所有する備品の1つで、他にもすでに電気ケトルから湯気が立ち上っていたり、急須と人数分の湯呑が小さな盆の上に並べられたりしていた。どうやら1年生2人が先に来て細々と用意をしてくれていたらしい。
「お2人共、どうぞお座りください」
きっちり正座をした状態で、茣蓙(ござ)の上に風呂敷を広げながら綾香は淡々とした口調で遅れて来た2年生に声を掛ける。風呂敷の上には、女子高生らしい可愛いお弁当箱が2人分、鎮座していた。
「お邪魔しまぁすっと。1年生の方が教室から遠いのに…準備がイイなぁ」
時計を見れば昼休みが始まってまだ10分も経過していない。決して寝ていた所為で遅くなったワケではないハズなのだが、という疑問を脳裏に浮かべながら、唯音は小さく苦笑する。後輩2人に倣って、大人しく茣蓙(ござ)の上に正座をすると、鞄から小さな包みを取り出して目の前に置いた。
「たまたま授業が早く終わったんですよ。それで、用意も早く終わりました」
綾香の横で同じように正座をしている陽菜が、早かった理由を笑顔で語る。彼女たちの方が早かった理由は、単に教科担任の気紛れらしかった。
「成程…」
手慣れた様子で急須に湯を注ぐ綾香を尻目に、小太郎はそれだけ言って同じように茣蓙(ござ)の上に収まる。きちっと正座をする辺り、この民俗学研究同好会の面々は何気に育ちが良いんだなぁ、と唯音はいつもの事ながら勝手に解釈していた。
小太郎も鞄からやや可愛らしい巾着袋を取り出し、それを置いたところで、綾香が全員にお茶を配る。
それぞれが弁当箱の蓋を開けたところで、陽菜が行儀よく「いただきます」と手を合わせた。それにつられるように、残りの3人も行儀よく手を合わせる。
「あれ?お弁当、一緒なんだねぇ」
一緒に暮らしているワケではなく、小さい頃からの幼馴染で親友同士だと聞かされていた唯音は、陽菜と綾香のお弁当の中身がまるっきり同一である事に、小さな驚きの声を上げた。オムライスにミートボール、ナポリタンスパゲッティに鶏の唐揚げ、タコさんウィンナー、それからポテトサラダとミニトマトやブロッコリー、インゲンのハム巻といった豊富なおかずだけでなく、キャラ弁風にオムライスやミートボールは海苔にチーズといった食材でデコレーションされている。奇しくも弁当箱の中で描かれたキャラクターは、ゆるきゃらの一隅(いちぐう)、カピバラシリーズのキャラクター、通称温泉カピバラの柚子さんだった。海苔でゆるっとした目や鼻が描かれ、トレードマークの頭に乗せた柚子はチーズで再現されている。ミートボールの方は、真っ黒くろすけの名で親しまれている妖怪、スス渡りを模したキャラクターに仕上がっていた。その再現のされ方まで、陽菜と綾香の弁当箱の中身はまったく同じである。
「あ、はい。ええと、その、昨日は泊まりだったので」
陽菜は素直に中身が同じである事実を認め、その理由を明らかにした。どちらかの家に泊まったのか、更に第三者の家に泊まったのかは定かではないが、それならば弁当箱の中身が同じでも別におかしな事ではない。
「そうなんだぁ。いいなぁ、お泊り。楽しそう。私も一緒にしてみたいなぁ」
編入して日が浅いという理由以外に、そういった誘いを受けても基本的に承諾できない個人的な理由のある唯音は、仕方がないと割り切ってはいるものの、やはり少し羨ましいのかふわりと笑ってそう言った。
「…いえ、あれは楽しいお泊り会などではありませんので、唯音さんは参加されない方が良いと思います」
そこに、綾香がかなり本気の口調でそう告げる。一体何を思い出したのか、やや表情が引き()っているので、もしかすると強化勉強会のような楽しくない合宿だったのかもしれない。
「今日のお弁当、作ったのカナタですか。相変わらず器用ですね」
そんな少女たちの微笑ましい会話の横から、小太郎がさらりと口を挟んだ。話しかけたというよりも、独り言の意味合いが強い完結するような口調だったが、言葉はしっかりと周囲に聞こえていた。
「はい!そうなんですよ!器用ですよね!とても美味しいです。でも、こたさん、よく解りましたね?他にも上手い人、いっぱいいるじゃないですか」
言い当てられた方の陽菜は、嬉々とした様子で肯定した後、言い当てられた事に不思議そうに首を傾げる。
「カピバラなので」
小太郎はオムライスで作られたキャラクターを指し、言い当てた理由を暴露した。唯音には到底考えの及ばない内容なのだが、小太郎はどうやら1年生コンビの外泊先というか、弁当の作り手を知っているのだろう。
「ええ、カピバラですからね。むしろ、これで解らない身内はいないかと」
感心する陽菜の横で、対称的に綾香は当然とばかりに淡々とお茶を啜っている。綾香からすれば、小太郎に言い当てられたのは当然の帰結らしく、大して気にも留めていないようだった。
「温泉カピバラ可愛いよねぇ。一緒に温泉入りたいなぁ」
唯音は通学の鞄に揺れるふかふかしたキーホルダーに視線を向け、ほわっとした笑みを見せる。カピバラシリーズにはそれなりの種類が存在するのだが、唯音が一番気に入っているのは、たまたまオムライスに描かれた温泉担当の柚子さんであり、鞄のキーホルダーもまた柚子さんだった。
「カピバラ、好きなんですか?」
そんな様子に、小太郎はこてんと首を傾げて、唯音に問いかける。女子は可愛い物に目が無いと言うが、カピバラシリーズは可愛いというよりゆるさが売りのシリーズなので、好きなキャラクターランキングではあくまでも中堅どころの順位だ。
「うん、好きだよぉ。もふもふした生物は全部好きだけどねぇ」
「そうですか。カナタが聞いたら喜びます」
幼い笑みを見せて肯定する唯音に、小太郎はあくまでも普段通りの表情でそう頷いた。話の流れから察するに、小太郎がカナタと呼ぶ人物は、柚子さんキャラ弁を作った人物の事だろう。つまり、同好の士という意味で喜ぶという事だろうかと唯音はこっそり考える。
「唯音さんのお弁当も、いつも可愛らしいですよね。自分で作るんですか?」
ふと、手を止めたままの唯音の弁当箱の中身を見て、陽菜が感嘆の声をあげた。唯音の弁当箱の中身は、スモークサーモンのマリネとタマネギ、ベーコンにトマトとレタス、それからチーズと生ハムといったバケットサンド3種、付け合わせには小さなサイズのハッシュドポテト、カイワレ大根とツナの冷製サラダスパゲッティ、トマトやパプリカの入ったスパニッシュオムレツ、それにフルーツの盛り合わせが別に添えられていた。可愛らしさを重視した1年生コンビのお弁当とは対照的に、カフェご飯を彷彿させるお洒落な雰囲気のカジュアルなお弁当で、保温ポットにコンソメスープまで用意された徹底ぶりである。
「んーん、お弁当はオカンが作ってくれるんだよぉ」
朝からこんな手の込んだ真似は無理だと、唯音は笑って否定した。
「オカンさん…ええと、お母さんですか?」
唯音の言葉に、確か家族と離れてシェアハウスで暮らしていると聞いていた陽菜は、不思議そうに目を瞬かせる。母親が同居しているのなら、シェアハウスではないのでは、と思ったのだろう。
「んっと、オカンって呼んでるだけだよ?作ってるのはれっきとした成人男性でっす」
シェアハウスで趣味と実益を兼ねて家事の一切を引き受けている青年を思い浮かべ、唯音は可笑しそうにくすくす笑った。一見家事とは無縁そうに見えるしっかりとした身体つきに無口で無表情といった、柔道でもやってそうな雰囲気の外見の同居人、シェアハウス内最年長に見られがちだが、実は年齢的には年中組と呼ばれる中間地点の青年がこんなお洒落な弁当を用意するなど、見慣れている唯音自身もたまに不思議で仕方がない。
「かなさんといい、オカンさんといい、最近は料理の出来る男性が流行なんですかね」
自身の弁当箱と、唯音の弁当箱を交互に眺め、陽菜がきょとんとした表情でそう総括的な感想を述べた。そのまま、ひょいっと小太郎の弁当箱も覗きこむ。
炊き込みご飯と白米それぞれのおにぎりに、蓮根と牛蒡に人参の金平、竹輪とピーマンの炒め物、サワラの西京焼き、ほうれん草の胡麻和え、茄子の挟み揚げ、それにひじきの五目煮という、完全に定番和食のお弁当だった。一緒になって覗きこんだ唯音も、小太郎が爺を自称するだけはあるなと納得する程渋いという感想が浮かぶ。
「こたさん、それ、自分で作りました?」
男子高校生らしからぬ渋い弁当を前に、陽菜が小さく首を傾げて問いかける。言葉は問いかけではあるが、ソコにはある種の確信を持っているようで、感心しきった様子で覗いていた。
「今日は、たまたま」
小太郎は肯定の意を込めて頷いて見せた後、食べる?と弁当箱を差し出す。彩りという意味では地味だが、素朴で味わいのある和食が並んでいて、とても美味しそうだった。
「今度、シェア用にお弁当持って来たら楽しいかもしれませんね」
それぞれに美味しそうな弁当の中身を披露しあった後、陽菜が楽しそうにそう言ったので、後日改めてみんなでシェア用のお弁当を持ち寄ろうという話になり、それはそれで楽しそうだと笑いあう。
部員数たった4名の民俗学研究同好会は、基本的に仲良しで、そして部室と化している教室の私物化にも余念がない。茣蓙(ござ)にお茶道具一式だけでなく、まだまだ何か隠されているらしいが、加入して日の浅い唯音はまだ他の備品を見た事はなかった。
お弁当披露が一通り終わった所で、陽菜と綾香が唯音に昨日の車の件を問い、それに唯音は教室で答えたのとほぼ同じ内容を解答したが、いわゆる逆ハーレムという状態に対し、1年生2人は大して興味を覚えなかったらしい。
「そういえば、今日は部活禁止の日ですね。何かご予定はおありですか?」
お弁当箱の中身を空にし、一心地ついた辺りで綾香がそう切り出した。綾香が質問を向けた相手は唯音で、綾香の隣で陽菜も問う様な視線を向けている。
「今日は一応完全オフの予定だよぉ?」
正確には、1件バイトのようなモノが入ってはいるのだが、それを公に出来ない理由のある唯音は、にっこりと笑って暇だと宣言した。バイトのようなモノと呼称するしか出来ないその仕事は、説明しても理解を得られるモノだとも思えないし、そもそも守秘義務が課せられている内容でもある。
「それじゃ、皆で駅前のカフェ寄りましょう!こたさんも!」
オフだと聞いて、陽菜は嬉しそうにそう誘いをかけた。小太郎の予定をわざわざ聞かなかったのは、付き合いが長いから予定を把握しているからなのか、聞き忘れたからなのかは解らないが、とにかく4人で行こうという趣旨らしい。
「俺は行っても構いませんが。どうせ夜まで暇ですし」
小太郎はそう言って、問題ないと頷いた。
「じゃあ西山君の予定に間に合う時間までだねぇ。駅前のカフェってすごく雰囲気イイよねぇ」
「そうなんですよ!ちょっと入るの躊躇(ためら)うくらい素敵なトコですよね!」
駅前に最近出来たらしいカフェを思い浮かべ、同行の意を示した唯音に、陽菜も大きく頷いてカフェの魅力に対して同意を表わす。
「上品かつ高級感溢れる雰囲気の割には、値段は手頃に設定されているらしいですね」
途中から、綾香も加わって、女性陣3人はカフェの前情報について積極的な意見交換を始めた。女三人寄れば姦しいとは言うが、小太郎はそんな少女たちを気にする様子もなく残りの昼休みものんびりとお茶を片手に過ごしていた。
昼休みも終わりに近づき、放課後居残り禁止なので校門前で待ち合わせてカフェに行こうと約束し、それぞれ自分の教室へと戻っていく。
残り1時間、せめてこの授業くらいは真面目に受けようと、唯音は机に伏せずにひたすら黒板を睨み続け、欠伸をひたすら噛み殺して耐えたのだった。
製作者:月森彩葉