異世界召喚されずに乙女ゲーに組み込まれたようです 8

―――夢。
夢を見ている。
小高い丘の上の、小さな公園。
周囲をぐるりとクスノキやマテバシイなどの背の高い木やクチナシやツツジのような低い木などで囲まれた、まるで日常から切り取られたような空間。
雑草のないきちんと整備された敷地に、遊具はブランコに滑り台に鉄棒といった、本当に小さな小さな公園だった。
またいつもの夢だと認識するのに、時間は掛からない。
幼い頃の自分は、その日もその公園で遊んでいた。
季節は秋頃だろうか、どこからか降ってくる黄金色の銀杏(イチョウ)の葉が綺麗で、その落ち葉を集めて花のようにして遊んでいるのだ。見渡す限り、周囲には誰もいない。誰もいない筈はないと思う反面、確かにこの日は1人で遊んでいたとも思う。
その日、いつもは公園で一緒に遊んでくれている兄は家の用事で出掛けていた。
本当なら一緒に出掛けられるようにと着せ替えられたのに、自分は何故か行きたくないと駄々を()ねて勝手に家を飛び出してきたのだから、誰も居なくて当然だ。
黒地に赤の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)をあしらった意匠の、幼い外見には不釣り合いな色彩の着物に、金糸の縫い取りがある帯は、確かに余所行き仕様だと覚えている。まだ肩くらいだった長さの髪を何とか結い上げ、赤い組み紐を2本、蝶の羽根のように形作っていた。いつも身に着けている鈍い色の鈴がその先でゆらゆらと揺れている。
「あはりや、あそばすともうさぬ、あさくらに。…わたしのかみさま…おりましませ…?」
覚えたばかりの降神詞(かみおろし)を、意味も解らないまま、ただ暗唱するように呟きながら、手の中でくるくると銀杏(イチョウ)の葉を(おど)らせた。本来なら神籬(ひもろぎ)依代(よりしろ)も何もないこんな公園で、正しく奏じたところで降ろせる筈もない。しかし幼い頃の自分は、言葉の意味を知らずに、ただ教えられた通りの言葉を、忘れてしまわないように口ずさんでいただけだった。
今になって考えれば、よくもこんな間抜けな子供が(なが)らえたものだと関心を通り越して呆れてしまうような軽率さだ。せめてもの救いは、神を特定していない為、まともな神に声は届かないだろうという事くらいかもしれない。
ひらひら、くるくる、降り積もる銀杏(イチョウ)の葉に手を伸ばし、次の一葉を手にしようとした瞬間。一際強い風が吹いて、幼い自分は思わず顔を庇うように袂で覆う。
突風が止んだ時、何処から現れたのか幼い自分の目の前に佇む影が現れていた。
「…思いっきり間違ってるケド」
見るに見かねてという風情で、銀杏の葉と同じ髪の色をした青年が呆れたように幼い自分を見下ろしている。
「あぶらあげっ!」
黄金色の髪をした青年に、幼い自分はそう言って嬉しそうに飛びついた。光を弾く金色の髪、きらきらとした陽の光のような瞳の青年は飛びついてくる子供を邪険にせず、しっかりと受け止める。
「何度も言うケド、せめて稲荷って言ってくれナイ…?」
そう言った青年には、ふさふさした尻尾が9本生えており、頭にはぴこぴこと動く髪を同じ色の耳も生えていた。尻尾や耳の形はどう見ても狐のソレであり、成程、稲荷とはよく言ったものだと思う。
適当に(まと)った和服は乱れているというより粋に着崩されており、純粋に美しいとか似合っているとか、肯定的な感想ばかり浮かぶ。
そんな事を考えながら、幼い自分と神の末席だか徳の高い高位の妖怪だかの微笑ましいやり取りを見守っていたが、こんな光景は知らないと頭の奥がチクリと痛むような感覚だった。
「あってるよっ」
幼い自分が、青年に抱き着いてすり寄りながら嬉しそうに笑っている。
「あってる…?」
幼子をあやすように髪を梳きながら、青年は飛びついてきた子供が言う言葉を真面目に聞き返す。
「うん!だって、カミサマを呼ぶ言葉だもん!あぶらあげ、来てくれたもん」
ふさふさの尻尾に手を伸ばしながら、幼い自分は満面の笑みで見下ろしてくる綺麗な顔に向けてそう言った。
「オレ、カミサマじゃないケド。アトどうせなら油揚げじゃなくて稲荷って言ってよ」
言葉では油揚げ発言を拒否しながらも、青年の瞳は優しい。透明感のある声は、まるで陽だまりのように温かかった。
「えへへ。ふかふか、もふもふっ」
こんな幼い頃から、自分はふかふかもふもふした生物が好きだったのかと思う程、嬉しそうな(とろ)けた表情で尻尾に触れている。普通なら怒られそうなものなのだが、この九尾の半妖姿の青年は、何故かしたいようにさせてくれていた。
「いつも言うケド、覚えてられないのに、楽しい?」
青年は何処か淋しそうな、少しだけ遠くを見るような瞳で、幼子の髪を梳き続ける。
「むずかしいことはわかんない。でも、あぶらあげはすき」
ふわふわと笑って、幼子はにっこりと青年を見上げた。無垢で真っ直ぐな瞳は、(おそ)れを知らない子供特有の強い光を宿している。もう、そんな無垢さは失って久しいと思いながら、過去の自分を見ているはずなのに、居た堪れないと感じてしまう。
「…そうだった。コレ返さなきゃ」
ごそごそと懐を漁り、青年は大きな手のひらの上にころんと何かを乗せて幼子に差し出した。それは、失くしたはずの鈴の1つで、何故こんな所にと夢だと言うのに声を上げそうになってしまう。
「…むぅ。それはあぶらあげにあげたのっ!」
そう不満そうに言うなり、幼子は青年の手から鈴を拾い上げると、自分の髪を結っている組紐をぐいっと引っ張った。そして、鈴に組紐を通すと、にんまりと笑う。
「あぶらあげ、ちょっと」
幼子と青年では、身長差がありすぎて、手を伸ばしても触れたい場所に届かない。幼い自分は、青年を手招いて、屈むようにとせがむ。
「あ、耳?スキだね」
ふわふわの耳に触れたいのだろうかと、青年はひょいっと幼子を抱き上げた。屈むより、その方が楽なのだろう。兄と妹には見えないが2人を包む空気は気安く、穏やかだ。近い距離感から、それなり以上に親しいのではと窺わせる。もしかすると、覚えていないだけで、もう何度も何度も逢った相手なのかもしれない。
「…んっと…これでおそろい…っ」
幼い自分は耳に触れるのではなく、組紐に通した鈴を、青年の首にくるりと巻き付けた。まるでチョーカーのように、首元で鈴が揺れる。幼い手で、何とか結んだ蝶々結びは、不恰好な縦結びになっていた。
「ダメだってば。オレなんかと契約しちゃ…!」
慌てて青年が駄目だと首を振るが、首に手を回ししっかりと抱き着く幼子を振り落とすわけにもいかなかったのだろう、結局、組紐を解くには至らない。
「あぶらあげ、だいすき。きれいなふかふか…っ」
ぎゅぅ…と擬音が目に見えそうなくらい嬉しそうに抱き着く幼子に、青年は何とも言えない表情で抱き上げて支えていない方の手を所在無げに彷徨(さまよ)わせてから、結局、抱き返すように腕を回した。
「…オレは…―――」
青年が何かを告げようと口を開いたが、一際強い風が吹いてその言葉を(さら)って行く。まるで竜巻のように、くるくると銀杏(イチョウ)の葉を巻き上げて天に昇って行くのを思わず見つめた。
幼い頃の記憶を見ている夢の中でしかないという事を一瞬忘れ、それはまるで夢のような、ただひたすらに美しい光景だったと思ってしまう。
再び、公園の中に視線を戻そうと首を巡らせようとして、気付けば銀杏(イチョウ)の葉と共に意識する自分の身体も巻き込まれてくるくると飲み込まれていった。

…チリンと小さな鈴の音が静かな部屋に落ちる。
「…ゆいね…?」
唯音が目を覚ました時、最初に目にしたのは真っ直ぐに心配そうな表情で覗きこんでくる美しい金色の瞳だった。
「………あれ」
いきなり至近距離に整った顔があった所為(せい)で、唯音はそれだけで頭が真っ白になりながらも、状況把握に努めようと何とか首を巡らせてここが何処かを確認する。見慣れない和室だったが、ちらりと視界に入った掛け軸は奏多の部屋で見たものと相違ない。
「……ヨカッタ…。ダイジョーブ?ドコか痛い?」
心底ほっとしたような、今にも泣きそうな表情で覗きこんでくる奏多に、唯音は状況が飲み込めず、何とか起き上がろうとして、そもそも自分が今まで眠っていたという事実に気付いた。
「ん…?あれ…?何で?ココ、タワシちゃんの部屋だよね」
確か夜の公園で、彼らが闇と呼称する何かと対峙していたはずだと、唯音は記憶を辿る。囲われて一般人の現実から切り離され閉ざされた結界の中で、奏多が闇を殲滅するのを、ただ眺めていたはずだった。視えなくとも、隣で真剣にナニカと対峙する奏多の気配で、何かが起こっている事を肌で感じる事は出来たのだ。邪魔をしないように、少しでも助けになるようにと願いながら、静かに立っていたはずだった。しかし、今、この部屋は人工的な灯り以外の明るさに包まれている。という事は、少なくとも夜は明けたという事だ。
「オレが気を抜いたから…ゴメンナサイ」
奏多は消沈しきった様子でそう項垂れながらも、唯音が起き上がるのに手を貸してやる。万が一、何か取返しのつかない後遺症でも残ってしまったらと、不安と申し訳なさで手が震えていた。
「やっぱり予備知識なしじゃ、邪魔しちゃうだけだったね。無事終わったの?」
唯音は心配させないように殊更(ことさら)軽い調子で言うと、身体に不具合はないか、軽く動かして見せる。不具合などあるはずもないと唯音自身はしっかりと理解しているが、傍から見れば眠っていたのだから、心配にもなるのだろうと寝起きの身体に鞭打って立ち上がった。
それなりに長い時間眠っていたのか、いきなり立ち上がれば、くらりと軽い立ち眩みに襲われる。
「わっ!危ない!ダイジョーブっ!?」
(かし)ぐ身体を慌てて抱き止め、奏多は悲鳴に近い声をあげた。
「低血圧なんだよぉー。身体は平気」
へらりと笑って、唯音はひらひらと片手を振って見せる。身体に異常は認められないのは事実なので、こんなに落ち込んだ表情をされるのは申し訳ない気持ちにすらなった。
「デモ…オレがちゃんと護らなきゃいけなかったのに…」
泣きだしそうな表情で、奏多は俯いてきつく手を握りしめる。あまりにも強く握りしめる所為で、爪が手のひらに食い込んでいた。
「私は、平気だよ?」
俯いた奏多に視線を合わせるように、唯音は寝かされていた布団の上にぽすっと座り込むとそう言って奏多の強張った手に触れる。本当なら、護られるほど、弱くなどないと言いたいところだが、さすがにこの場でそれを言うのは(はばか)られた。唯音は優しく手を包み込むと、握りしめた手を少しずつ(ほど)いていく。食い込んで血の(にじ)む手のひらに、奏多がしたようにそっと舌を這わせた。
「ちょ…っ!?ナニするの!?」
これには奏多も驚いたらしく、飛び退いて目をぱちぱちと瞬いて驚きを露わにする。
「痛そうだったからぁ。ほら、タワシちゃんもしてくれたでしょ?」
くすくすと笑って、唯音は本当に何事もないのだと示すように明るく言った。
「アレは…っ!」
先に自分がやった手前、奏多は強く言い返せずにしどろもどろになりながら何故か後ろに下がって行く。
「タワシちゃんの血は甘いんだねぇ…?」
ニヤリと笑って、唯音は悪戯を思いついた子供のような瞳で、奏多を壁際まで追い詰めるように距離を詰めた。
「ちょっと…っ!」
無理に引き剥がす事はしたくないが、この距離はマズイと本能的に感じ、奏多は少しでも距離を開けようと壁にぴったりとくっついて限界まで後ろに下がる。
「…何やってんだ、手前ら」
スパン…と襖が開く音と共に、黒が顔を覗かせたかと思えば、開口一番呆れたような声でそう言った。
「ぁ、おはようございます」
唯音はいきなり現れた黒の存在に驚きもせず、振り返ってきちんと正座をすると深々と頭を下げる。
「…おう。何ともないか?一応うちの専属の医者には診せたんだが。変態だが腕は良いぞ?変態だが」
黒は一瞬だけ面食らいながらも、何とか持ち直し、唯音を上から下まで眺めながらそう言った。何故か変態を強調されているが、腕を信頼しているのが口調から察せられる。検査結果は良好だ。闇の直撃を受けて昏倒した唯音を連れて帰り、奏多の部屋に隠すように運び込んで、直ぐに専門医の診察を受けさせたのだが、結果は至って良好、何の影響も後遺症もなしという診断が下されている。見る限り、本当に何の影響も受けていないようで、黒はほっとすると同時に、不思議で仕方がないと思っていた。
「ええと、どうやらご迷惑をお掛けしたようで…。ごめんなさい」
何があったのか覚えていない様子で、唯音は申し訳なさそうに頭を下げる。経験不足だから足を引っ張ったとでも思っているように見える様子だった。
「いや、手前は何も悪くねえよ。奏多が集中力切らしただけだ」
安心させるようにそう言って、黒はそこで一旦言葉を区切る。
「だが、ますます手前は帝都観光の監視下っつーか、奏多と一緒に居て貰う必要が出て来たがな」
続けてそう告げると、昨夜の一件からの話をはじめた。
囲った空間に入れる事。闇に対して視認はおろか、知覚している様子すら見出せなかった点から単独で闇への接触は危険だと判断された事。それから、闇の攻撃を受けても身体に何ら影響が出なかった特異な点。気を失ったのは、闇の攻撃で毀損(きそん)を受けたからではなく、防御反応の一種である可能性が高いという事。闇というより、オカルト全般と妙に親和性が高く、闇だろうと光だろうと、人外だろうと何でもホイホイの状態に近いという事も教えられた。
そして、僅かな量しか奏多に血を与えておらず、急造で信頼関係などまだないコンビだと言うのに、奏多が本領に近いレベルで力を行使で来たという事が、帝都観光にとってかなり重要であるらしい。
今後も、奏多の(かたがえ)として帝都観光に協力して欲しいというのが、帝都観光側からの申し出だった。扱い上は帝都観光のバイトで、肩書だけなら陽菜や綾香と同じだと説明され、そして危険な仕事をさせるのだから破格の待遇でバイト代は支払われるという事も重ねて説明される。ただ、言葉の上では協力を求めているという状況だが、実際は帝都観光の実体を知ってしまい、帝都観光の保有する人外の中でも、その潜在能力はかなり高ランクに位置する奏多と契約を結んでしまった以上、嫌だと言われても、はいそうですかと今まで通りの生活に戻す事は出来ないと半ば脅しのように告げられた。
「…新しく、タワシちゃんが別の誰かと契約をし直すっていうのは、無理なんですかぁ?」
一連の説明を受け、唯音はその中で唯一疑問だった事をそう口にする。ここまで来たらもう乗りかかった船というやつで、今更降りようとは思わない。けれど、事故のように契約してしまった相手の心情を(おもんばか)る程度はと思い、そう訊いた。
「一度本契約しちまうと、相手が死ぬまで契約は切れねえんだよ」
だから、どうしても嫌だってんなら、死ぬ以外にないと、黒は重々しく告げる。(かたがえ)が消える時は、そのどちらかが死ぬときというのは、ある意味ロマンチックではあるが、それではあまりにも可哀相だというのが、唯音に生まれた感情だった。
「…そっか。じゃあ、タワシちゃんが私との契約が嫌なら、私を殺すしかないってコトなんだねぇ…」
少しだけ困ったように笑うと、唯音は奏多に視線を向ける。
「…イヤなら、オレを殺してもイイケド…?」
視線を合そうとはせずに、奏多はポツリとそう言った。こんな事に巻き込んで、同意も(ろく)に得ないまま危険な目に遭わせたのだ。拒絶されても何も言えない。むしろ、中途半端に(ゆる)される方が、申し訳なくてどうしようもなかった。
「んーん、そうじゃなくって。偶然で私なんかと契約しちゃって、タワシちゃん可哀相だなぁって。どうせなら百戦錬磨の達人さんとかと契約したいでしょ、こういう場合」
唯音は、あくまでも自分は嫌ではないのだと、正しく伝わるように柔らかい声でそう告げる。色々と順序入れ替わったり偶然が重なってとんでもない事になりはしたが、唯音としてはこの状況は決して悪い状況ではなかった。それをここで暴露すると誤解を招きそうなので黙っているしかないが、とにかく唯音はこの状況を欠片も悲観してなどいないのだ。
「…アリガト。…オレは、ゆいねでヨカッタと思ってる」
少しだけ迷うように、言葉を探すように奏多は小さく言った。奏多の心に残る、幼い子供との大切な契約。その契約は、まだ切れてはいない。それでも今は唯音との契約も、不思議と大事な繋がりのように感じていた。
「んじゃ…予定よりだいぶ遅くなっちまったが…手前を家まで送ってく。家族には、奏多の事は何か適当に言って、可能な限り離れんなよ」
そう言って、黒はついてこいと顎で示す。唯音は視線を巡らせ、眠っていた布団のすぐ傍に置かれた鞄に手を伸ばした。
「…あちゃー…学校サボっちゃったぁ」
通学鞄のポケットで新着アリの点滅をしているスマートフォンを手に取り時間を見れば、記憶にある時間から軽く12時間は経過している。手早くロックを解除して新着の内容を確認すれば、トークアプリのLINEでシェアハウスの同居人からの『学校サボんな不良高校生』というメッセージが存在感を主張していた。恐らく、無断欠席扱いで連絡が入ったのだろう。
「悪かった。小太郎に連絡させようかと思ったが余計な詮索招くだろ?家族への言訳は俺らが適当に考えてやるよ」
唯音の学校での不真面目な態度を知らない黒は、申し訳なさそうに言って頭を掻く。確かに、ただのクラスメイトであって概ね無関係のはずの小太郎が欠席の連絡をした場合、様々な要らぬ詮索を招く。ついでに余計な誤解も招くだろう。
「ええとー…ソレは大丈夫なんだけどねぇ…」
まさか授業の9割を寝て過ごしていると堂々と言える訳もなく、唯音はさてどう乗り切ったものかと苦笑した。別に学校をサボったからと言って、成績が落ちる訳ではない。シェアハウスの同居人たちもそれは熟知しているので、サボんなというメッセージは単なる揶揄(からか)いであるのは明白だった。しかし、それを黒に言ったところで、理解を得られるとは思えないのも確かだ。
「とりあえず、タワシちゃん、着いてくるんだよね。家の中まで?」
ココでイエスと言われると、唯音としては非常に困る。別に今更同居人に男性が1人増えようが、それが人外だろうがソコは気にしない。問題はもっと別の所にあるのだが、そもそも奏多が入居審査にパスするハズがないのだ。
「うん。ダメなら、毎朝迎えに行って、毎日送って行く」
キッパリと言い切って、奏多は大きく頷いた。外を1人で歩くのは、いつ闇の側に引っ張られるか解らない危険性がある程、親和性が高い事が判明してしまった今、奏多や帝都観光側が唯音を1人で出歩かせるという選択肢は用意出来ないのだ。
「…だよねぇ。…なんて言って誤魔化そうなかな…。正直に帝都観光で人外と仲良く一緒に闇退治します、なぁんて言えるワケないもんねぇ」
乾いた笑みを浮かべながら、唯音はやれやれと小さく溜息を零す。いっそ言えたら楽なのにと思いはするが、言えない事情は理解している。
「それも車の中で考えろ。手前が嫌じゃねえんなら彼氏とでも言っとけ。最近は尽くしてくれる系男子もそれなりに需要あんじゃねえの?だったら送迎くらいそれで誤魔化せんだろ」
さらりととんでもない事を言いながら、黒はさっさと行くぞと2人を促した。
「にーさん!?何言ってんの!?」
「あー…言い訳としてはアリかぁ」
黒のとんでも発言に、奏多と唯音は双方同時に全く真逆くらいの温度差でそう言い合った後、互いに顔を見合わせる。
「…タワシちゃん、やっぱり嫌かなぁ?」
「ゆいね、イヤじゃないの…?」
そして今度も同時に、互いに同時にそう言った。
「ふはっ。手前ら、相性バッチリじゃねえか」
その遣り取りに、黒は思わず吹き出して可笑しそうにそう笑う。急造ペアだろうが事故で契約だろうが、この様子を見る限り最悪のケースにはなら無さそうだと、黒は内心で少しだけ安心する。
「んじゃさっさと行くぞ」
そう言って急きたてれば、2人は互いに顔を見合わせながらも慌てて黒の後を追いかけていく。
帝都観光の地下駐車場までエレベーターで降り、そこで黒はつかつかと1台の車の前に立った。ダークブルーのクラウンで、企業役員などが運転手付きで使う車としてよく見かける車種だ。恐らくこの周辺の企業ではベンツと並ぶくらいそういう用途で走っているだろう。
「んじゃ乗れ」
黒のに促されるままに後部座席に乗り込み、唯音は反対側から乗り込んでくる奏多をそっと窺う。どこか緊張した面持ちなのは、これから唯音の家に向かうからだろうか。家と言ってもシェアハウスで、同居人は仲の良い間柄とは言っても全員他人なのだが。
そんな事を考えながら、唯音は黒に求められるままに、シェアハウスまでの道のり案内を始める。帝都観光の建物から、最短距離で30分程の距離にあるシェアハウスだが、平日の昼間という車通りの少ない時間のお蔭か、黒のドライビングテクニックの賜物か、僅か20分程で着いてしまった。
車がシェアハウスの敷地の外に停められ、先に降りた黒が運転手よろしくドアを開ける。
「着いたぞ」
そもそもナビゲートしたのは唯音なので、言葉で着いたなどと言う必要はない。それでも黒はニヤリと笑みを浮かべてそう言った。これはつまり、頑張って家族を言いくるめろよという合図の代わりだろう。
「…送ってくれてありがと」
20分で着いてしまった為、大してまともな言い訳を用意していないが、何とかするしかないという心境で唯音はシェアハウスの敷地内に足を踏み入れた。
「あー!学校サボったろ!連絡来たんだぞ!」
シェアハウスの敷地の奥、駐車場の更に向こうにある庭のような所から明るく快活そうな少年か青年か迷うような声が響く。声と共に姿を見せたのは、唯音と大して年が変わらないか僅かに上と思わせる、やや小柄な青年だった。一瞬、青年と呼ぶのを躊躇(ためら)うような、元気いっぱいの少年といった雰囲気で、何かトレーニングでもしていたのかスポーツタオルを首から掛けている。服装もラフで、長袖と半袖の重ね着Tシャツにダボっとしたカーゴパンツ姿だ。スポーツ少年といった雰囲気ではあるが、髪は短く刈られているわけでもなく、女の子が憧れる2次元のスポーツ少年の雰囲気に近い。青年の名前は、島崎(しまざき)(あきら)と言って、このシェアハウスに暮らす大学生だが、たまたま講義が入っていないのか庭先に居たのだろう。
「りょーちゃん、ただいまぁ…」
しまった見つかった、というような僅かに引いた雰囲気で、唯音はおずおずと片手を挙げる。
「お前な、無断欠席は内申に響くだろ?別に怒ってねえけど、次からせめて連絡入れろよな」
自然な様子で歩いて近づいてくると、亮はポンと唯音の頭に片手を置いて安心させるように言った。近くで見れば、亮は唯音と比べると背は高いのだが、黒や奏多と比べればだいぶ小柄に見える。しかし、服の隙間から見える身体付きから、しっかりと鍛えられているのが伝わってくる所為(せい)か、小さくても弱々しい印象は欠片もなかった。
「…不可抗力だし」
唯音はそう言って、ジトっと亮を見上げる。
「あ、紹介するね。この家で一緒に暮らしてるりょーちゃんだよ。りょーちゃん、あっちの背の高い方が黒お兄さん、金色のがかなたん、色々あって送って貰っちゃった」
気を取り直したようにくるりと回って、唯音はかなり適当に双方を紹介した。
「おい。俺の名前はリョウじゃなくてアキラって読むって何度も教えてんだろ!あと、送って貰ったのにんな適当な紹介すんなよ!」
絵に描いたような華麗な即突っ込みで、亮は初対面の前だと言うのに声を荒げる。本気で怒っているのではなく、単なるポーズだと知れる程度だが、拳を振り上げているのは僅かに本気かもしれないと思うくらい勢いがあった。
「あははっ、りょーちゃんの方が呼びやすいんだよねぇ」
楽しそうに笑って、振り上げられた拳を大袈裟にきゃーと言って避けるようにしながら、唯音は数歩下がるようにステップを踏んだ。
「嫁入り前の女の子が無断外泊って、怒られる覚悟出来てるー?」
不意に、玄関が開いたかと思えば、中から垂れ目の軽薄さと知的さを混ぜたような不思議な雰囲気の青年が顔を覗かせる。
「オレ、一応保護者代理なんだけどさー?そのオレに無断でってコトは、さぞかしマトモな理由なんだろうねー?」
口調も声も軽やかで、人好きのする雰囲気の青年ではあるが、目は笑っていない。まるで職業は私立探偵か何かかと思わせるようなラフなシャツとジャケットにスラックスといった出で立ちで、年齢としては1番近いと思わせるのが修治だろうか。腕を組んで玄関に(もた)れかかる様子は様になっており、高身長でも低身長でもない、奏多と大して変わらない身長で、やけに瞳に宿る光の強い軽薄垂れ目といった雰囲気だった。名前は神崎(かんざき)(まなぶ)、そうは見えなくともこのシェアハウスの中では最年長コンビの片割れ、今年から新社会人として真面目に働いているはずの青年である。
「ぅゎぁ…神ちゃん…。ありゃー…お仕事じゃなかったんだぁ」
見つかってはいけない相手に見つかったとばかりに、唯音は深く溜息を吐いた。
「誰かさんが無断外泊の挙句無断欠席なんて連絡が入ったんだしー?保護者代表としては、お仕事なんてやってられないんだよねー?解るー?」
「…ぅ。タイヘンモウシワケゴザイマセンデシタ」
笑顔のまま責めてくる保護者を前に、お手本のような棒読みでそう言うと、唯音は再びため息を吐く。
「んで、そっちの人、悪いんだけど今日はお引き取り願えるー?うちのサクラが迷惑を掛けた謝罪なのか、それとも逆なのかは、悪いんだけど後日改めてー」
にっこりと、有無を言わせない迫力で、学は車の側に立ったまま、急展開すぎる成り行きを眺めているしか出来なかった黒と奏多に声を掛けた。
「え、ちょっと!それはっ」
諸般の事情で、いきなり引き離されるのはマズイと感じたのか、唯音が慌てたように学ぶに声を掛ける。
「サクラは黙っててくれるー?っていうか、玲一に診て貰ってねー?数日前倒れたトコでしょー」
やれやれと肩を竦めるポーズで、学はまだ言い募ろうとする唯音を黙らせた。厳密に言えば倒れた訳ではないだとか、診て貰うというなら直近で帝都観光の医者に診て貰っただとか言いたい事が無い訳ではないのだが、言ったら余計(こじ)れるというのは火を見るよりも明らかだ。
「…あー…んじゃ、明日学校行けそうなら、連絡寄越せ。奏多を迎えに寄越すから」
言外に、くれぐれもそれまで外には出るなと視線で語り、黒はあっさりと白旗を掲げた。
「…じゃ、またね。ムリ、しないで?」
他に言いたい事は沢山あるようだが、奏多もそれだけ言って、黒に追従する。ここで拗れさせてしまうと、最悪のケース、契約を継続させられないという事態に陥ってしまう。そうなった場合、どちらか片方を亡き者にしなければならない可能性だってゼロではないのだ。勝手な都合で巻き込んだ側だという自覚のある黒と奏多は、この場はそれ以上何もいう事が出来ず、唯音の同居人たちに気圧されるようにその場を後にするしかなかった。
製作者:月森彩葉