俺が異世界に飛ばされたらツインテールの美少女になっていた件 3

あの後、俺は、自分がドコの誰であるかを、滾々(こんこん)と話して聞かせるハメになった。
勿論このSFファンタジーな世界の住人である彼らに、日本だの高校だのと言っても理解出来ないだろうから、ザックリとその説明から入ったのだが、その説明だけで割と大変だったのは言うまでもない。
唯一の救いは、彼らにとっては荒唐無稽な話をしているだろう俺の話を、馬鹿げていると一蹴することなく要領を得ない説明だろうに一心に聞いて彼らなりに理解してくれようとしたことだろうか。
ただ、俺が名乗ろうとした時、オルフェ以外の名はこの世界では名乗ってはいけないと厳命されてしまったので、結局、本当の名前は未だに教えるコトが出来ていない。
傾向と対策、というワケではないが、夢でないのなら本来の在るべき場所に還れるまでということで、俺はそのまま彼らの元に身を寄せることになった。
ココまでが、ほんの1時間くらい前の話だ。
そして今。
しばらくこのSFな世界で生きなければいけなくなった俺は、自分用として1部屋を貰ったためにソコにいた。
初対面の上に、たまたま友人と重ねてしまって放っておけなくなった少女を保護しただけの俺に、彼らが何故ここまで世話を焼いてくれるのかは不明だが、他に寄る辺のない俺は、その好意に甘えるしか出来ない。
せめて、少しでも早くこのSF世界に慣れて、更に少しでも早く現代日本に戻ることが、俺に出来る全てだと思う。
俺用にと与えられた部屋は、6畳くらいの広さで、ベッドとクローゼット、ソレにデスクとイスが初めから置かれていた。
キッチンのような設備はなく、専用のシャワールームが付いている。
まるで、寮の1室を思わせるその造りだが、普段俺が生活している寮はぶっちゃけるならもっと広い上にキッチンやバスルーム完備の寝室とダイニングが別になっているという破格の待遇なので、手狭に感じてしまう。
それでも、こうやって場所を与え、保護までしてくれる彼らに、恩こそ感じはしても、文句は何も出てこなかった。
因みに、今は手が離せない状況なので後で紹介すると言われた、この場を拠点とするメンバーがあと1人いるというコトと、自室を与えられてはいるが、厳密にはアイリスも俺と同じように正規のメンバーではないという事実もついでのように教えられている。
何でも、本来の保護者は別にいるらしいのだが、可愛い子には旅をさせよの理論なのか何なのか、とにかく今は殆どココで一緒に生活しているらしい。
彼らは俺にどれだけ親切にすれば気が済むのか、後で必要な物くらいは全部買い揃えるとまで言ってくれた。
最低限の家具は既に揃っているので、一体他に何が必要なのだろうと思わなくもないのだが、生活必需品という意味で考えれば、衣類やら細々したものは確かに足りていない。
着の身着のままとは少し違うが、俺はこの世界に何も持たずに飛ばされてしまったのだから、それも仕方のないコトだろう。
不意に、分厚いドアの向こうから呼び出しのブザーの音か聞こえた。
教えて貰った通りに、俺はドア付近のビジフォンに近づくと、応答ボタンを押す。
「何だ?」
この場所は、そもそも彼らの許可を得た人間しか入るコトが出来ず、現時点でまだ引き合わされていない1人と、ジーク、ローゲ、アイリス、それに俺しか居住していないと聞いていた。
訪れるだけなら、他に許可を得ている人間が別に3名程いるらしいのだが、いずれもアイリスの保護者的存在だと簡単な説明を貰っている。
だから、誰がベルを鳴らそうとも、少なくとも顔見知りの3人かその3人と懇意の人間しかいない。
要するに、俺にとっても、身柄を保護してくれている集団の誰かというワケだ。
従って、誰だ?という警戒ではなく、何だ?という気安い応答になった。
「…えっと、大体の荷物の整理は、終わったかなって…」
ビジフォンの向こうで、カメラを覗きこむようにして問いかけるアイリスの姿がモニターに映し出される。
「…整理するも何も、俺は何も持ってきていないんだぞ」
一体何を整理しろと言うのかと、俺は苦笑交じりにそう応えると、教わった通りにドアを開いた。
「…お邪魔します…」
律儀にそう言って、アイリスは俺に与えられた部屋へと足を踏み入れる。
部屋に入るなり、ざっと周囲を見渡して小さく首を傾げてみせたが、俺には当然理由が解らない。
「ソレで、どうかしたのか?」
俺に何の用だろうかと、問いかけながら、俺は改めてアイリスの姿を上から下まで確認した。
光の具合で銀にも淡い紫にも見える真っ直ぐで長い髪はサラサラとしていて、何となく夜の月を思わせる。
大きな瞳は、宝石のアメジストのような色合いで、深くて吸い込まれそうな印象を受けた。
そして、驚くくらいに白い、生きた人間というより、言葉は悪いが雪女を思わせるようなくらいに色素の薄い肌。
元々、現代日本で目にしないような髪や目の色と相まって、人形だと言われた方が納得できるくらいに淡い色彩の少女だった。
顔立ちも整いすぎているというくらいに文句のつけようのない美少女ぶりで、普通なら将来が楽しみとい言うべきところ、この少女に関しては既に完成された作品のような可憐さで、今のままでも充分過ぎるくらいである。
それに、(くるぶし)くらいまでの長さの、純白のケープ付コートを羽織っているのだから、冬の妖精とでも表現すればしっくりくるだろう。
そんな少女が、何故あんな場所に1人でいたのか。
何度考えても答は出なかった。
「あの…もし、オルフェが良ければ…だけど…」
アイリスは、一瞬だけ俺の顔色を窺うように上目遣いに視線を向けた後、言葉を途切れさせる。
邪魔だと言われるのを恐れているのか、それとも言葉が見つからなかったのか、どちらにせよ、俺は少なからず警戒されているのかと、逆に身を固くした。
俺は、少なくとも目の前の少女を害する意思は欠片もないのだ。
「…ショップエリアに、必要な物を買いに行くよね…。アイリスが案内してもいいかなって…」
俺の危惧とは別に、アイリスはどうやら俺を誘いに来たらしい。
必要な物を買わなければいけないという話を聞いていたからなのか、同行を申し出るためにわざわざこの部屋まで来たのかと思うと、微笑ましいと思える自分に自分で驚いた。
「ジークかローゲの方が、安心できるかもしれないけど…。オルフェが嫌じゃなければ、アイリスが一緒に行きたいなって…」
俺が何も言わないままだったからなのか、アイリスは重ねてそう言って、俺を覗きこんだ。
ほんの少しだけ、拒絶されるのを恐れているような、そっと窺うような視線が、何故か居た堪れない。
まだ10才にもなっていないだろう幼い外見の少女が、既に他人の顔色を窺って、言葉や行動を選ぶようになっている。
一体アイリスがどんな環境で育ってきたのかは知らないが、無性に哀しいと思ってしまった。
だから、俺は、俺に出来る限り優しい笑顔を浮かべてみせる。
「いいのか?俺に付き合って、案内までしてくれるのは嬉しいが、アイリスは他にやることとか、ないのか?」
素直に嬉しいと、普段の俺なら絶対に言うことはない。
それでも、この目の前の少女にだけは、素直に感情を伝えてやるべきだと感じた。
普段の俺なら、余計なお世話だと、つい憎まれ口を叩いてしまう。
けれど、そう言ってしまったら、この幼い少女を傷つけてしまいそうで、言えなかった。
「…大丈夫…。何か、出来る事があるならいいんだけど…何もないから。だから、せめて案内くらいアイリスにさせて欲しいんだ…」
ふわりと、柔らかく微笑んで、アイリスは俺に手を差し出す。
その仕草が、年齢よりもだいぶ大人びていて、けれど同時に手をつなぐという行為が年相応に見えて、何だか妙で可笑しくなった俺は自然を笑顔になっていた。
「それなら、悪いが案内は任せたぞ。というか、俺はそもそもココの通貨を持ち合わせていないから、ウィンドーショピングだけだぞ」
「アイリスが買ってあげるね。オルフェに似合いそうな服とか…あと、色々」
俺が手を差し出し返せば、アイリスはその手を嬉しそうに取って、今度こそ年相応の笑顔で笑う。
「流石に子供の小遣い程度で、色々は買えないんじゃないか?」
気持ちは嬉しいが、俺は思わず苦笑を浮かべてそう言った。
妙に張り切っているアイリスには申し訳ないが、子供の小遣い程度で必需品が揃うワケはないだろう。
「心配しなくても、アイリスはジークやローゲよりもお金持ってるから大丈夫だよ」
だから、何でも買ってあげる、とまるで年齢が逆になったかのようなことを言って、アイリスは俺に自信ありげな笑みを見せた。
小さな子供が、大人ぶっているようなその様子が可愛いと素直に思える、そんな様子だ。
「…そもそも、この世界ではどうやって金を稼ぐんだ…?小遣いであいつらより持ってても、ソレはアイリスの金じゃないだろ」
ソレは、保護者の物だ。
いくら小遣いとして与えられているとはいえ、そこから出してもらうのはいくらなんでも申し訳がないと、俺は諭すように言った。
「えっとね…【オーダー】って言われる依頼を受けて、達成したら報酬としてお金とオーダーに合わせて色々貰えるんだよ。オルフェは、予科生としてこの世界に飛ばされたんだから、まだ自分の【クラス】とか、装備可能な武器とか、知らないんだよね」
ついでだから、ショップエリアで全部教えてあげるね、とアイリスは自信たっぷりの余裕の笑みで太鼓判を押す。
お金の稼ぎ方、この世界での生き方、それから拠点となる場所の説明。
どれも今の俺にとって必要不可欠な情報だが、ソレをこんなに幼い少女に教わるというのも変な感じだ。
このままアイリスに連れられ、俺は拠点となる場所を飛び出した。
一見すると、幼い少女に手を引かれている図は、無邪気な子供に振り回されている保護者のように見えるだろう。
実際は、俺が手とり足とりこの世界のことを教えて貰うだけなのが、少し歯痒い。
ざっくりと教えられたのは、中枢シップと呼ばれる大型の拠点、最初にこの場所に転送された時にジークが言っていた【ゲーティア】と呼ばれるこの場所には、大きく分けて5つの階層が存在するというコト。
まず、本当に中枢の名に相応しく【ユスティティア】と呼ばれる集団の中枢機関が存在する第1階層があるらしい。
ただ、その場所に入れるのは、【ユスティティア】の中でも生え抜きというか、特別な存在である天使の名を冠した特別な武器の所有者と、その武器の所有者たちを統括する上層部のみで、一般の【ユスティティア】構成員はそういう場所があるというコトしか知らされていないのだという。
天使の名という単語で、思わず俺の知っている名前と共通しているのだろうかと気になったが、話の腰を折るのもと思ったので機会があったら聞いてみるコトにしようと思うに留まった。
次の第2階層は、通称ゲートエリアと呼ばれる、俺がジークに連れられて最初に現れた場所のことらしい。
ソコは様々な場所へ赴くためのエリアで、他のシップ、例えば学都【レメゲトン】に向かったりも出来るし、任務を請け負って各地へと飛んでいく移動用のシップの発着口もある。
俺が最初に飛ばされた【惑星ネビロス】へ行く場合も、この場所から移動用のシップを経由しなければ行けないという。
そして今から向かう先が、第3階層、通称ショップエリアと呼ばれる、あらゆる店が立ち並ぶ場所らしい。
アイリスに言わせれば、巨大なショッピングモールで、日用品から武器まで揃わないモノは何もないというくらいの広さとのことだ。
そして第4階層が、アミューズメントエリアとなっているらしく、幅広い娯楽施設が所せましと並んでいるらしい。
最後の5階層は、秘密だとドコか謎めいた笑顔で教えられた。
どうやら知らなくても良い場所らしく、アイリス自身も詳しくは知らないと言っていた。
「オルフェは、どんなもの買いたい?何でも言ってみて」
ショップエリアに到着するなり、アイリスは楽しそうな笑顔で俺に聞いてくる。
危険な【惑星ネビロス】にいるよりも、ショップエリアではしゃいでいる方が、余程年相応で見た目に合っていて、俺は素直に微笑ましいと感じていた。
「そうだな…最低限、衣類やリネン類……あと……バイオリン…」
俺は言われた通りに何が欲しいかと首を捻り、服やら、タオル類やら、必要そうな物を考えていたが、ふと頭を過ったのは何よりも日常に欠かせない楽器のコトだ。
この世界に存在するかは分からないが、本当なら片時も練習の手を止めたくない。
少しでも早く、俺は俺がミューズと仰ぐ相手に、追いつかなければならないのだから。
「じゃあ、買いに行かないとね」
アイリスは、俺の言葉に何の疑問も抱かなかったのか、ふわりと花のように笑うと、俺の手を引く。
「あ、おいっ。そんなに引っ張るな!」
急かすように俺の手を引くアイリスにそう言いながら、俺は先導されるままにショップエリアを移動した。
知らない世界で、初めての場所で、こんな子供に手を引かれているというのに、少しも嫌だと思わない。
それどころか、少しだけ楽しいと感じている自分がいた。
むしろ、アイリスが自分と同年代の少女でなくて良かったとすら思える。
もし、これだけ整った外見で、俺と同じくらいの年恰好ならば、間違いなく俺は1番大事な相手を思い浮かべてしまう。
そうなれば、こうやって手を引かれると、俺は間違いなく照れてしまう自信があった。
「オルフェの服、いくつかアイリスが選んでもいい?」
俺を振り返り、アイリスが楽しそうに笑っている。
その楽しそうな笑顔が、やはり大事な相手を少しだけ思い出させて、ますますアイリスが幼い外見で良かったと思う。
それに、俺の見た目が何であれ、間違いなく男子高校生だと自認している俺としては、アイリスの年齢が俺に近ければ間違いなくデートのようだと意識してしまって、受け答えが残念になりかねないという懸念もあった。
「…俺に女の服はあまり解らんからな…。好きなのを選んで構わんぞ。常識が許す範囲でならな」
楽しそうな相手に(ほだ)されながら、俺は導かれるままに進んで行く。
何処に何の店があるのかもさっぱりわからないし、ソレだけじゃなく、アイリスの好きにさせてやりたいと思ってしまったからだ。
「アイリスもあまり詳しくないけど、ちゃんとしたのを選ぶから大丈夫だよ」
そう言って、俺を先導するアイリスは、一体ドコまで行くつもりなのか、エリアの奥へ奥へと進んで行く。
すれ違う人々から、やたらと視線を向けられるのは、俺たちが一切武器を携行していないからかもしれない。
ショップエリアですれ違う人たちは、見た目は様々だけれど、武器を携行している人間が圧倒的に多かった。
その中には、勿論、最初にゲートエリアを訪れた時に見かけた、どう見てもロボットのような外見の人も含まれている。
それとなく聞いたら、そういう種族で、見た目が機械に近いだけで人と変わらないと説明を受けた。
それだけで、ますますココは知らない世界なんだと実感が沸いてくる。
アイリスに連れられるまま、辿り着いた場所は、本当にショップエリアの奥の奥。
こんな端の方に、目立たないように建っている店のドアを、アイリスは躊躇なく押し開けた。
「…いらっしゃい」
店に居たのは、落ち着いた佇まいの老紳士で、アイリスの姿を認めるなり、驚いた様子も見せずに穏やかな口調で出迎えてくれる。
「…ココは…」
手を引かれるままに店に足を踏み入れた俺は、思わず言葉を失うくらいに驚いて、目の前に広がる光景に釘付けになった。
店の中には、たくさんの楽器が並んでいる。
奥の方に目立たなく建ってるワケだ。
少なくとも、モンスターを倒して素材や資金を稼ぐことを生業とするこの世界では、はっきり言って不要ではないかと思われるような物だろう。
店は、独特の埃っぽいような年季を感じさせる温かな香りに包まれていて、何だか懐かしいような気持ちにさせてくれる。
「珍しいんじゃないかい?アイリスが、ビフレスト以外の人間とこの店に来るなんて、初めてだろう」
恐らく店主である老紳士は、アイリスに向けて柔らかく声を掛けた。
それだけで、この老紳士と少女が既知なのだと知れる。
「えっと…今日はオルフェに合うバイオリンを探しに来たんだ」
店のカウンターに手をついて、アイリスはどこか楽しそうな声で老紳士にそう告げた。
「…ほう」
老紳士は、アイリスの言葉に一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた後、俺を正面から見つめる。
「成程、君は、バイオリンを弾けるのかい?」
そのまま、俺に向けてそう問いかけた。
優しい瞳に試すような色を浮かべ、力量を計るような視線を向けられる。
その視線と雰囲気は、俺のバイオリンの師を連想させた。
「…一応…」
堂々とプロを目指してますと言いたいところだが、ここは俺が生まれ育った世界とは違う。
そもそも、俺の身体は、馴染んだ普段の物とかけ離れている。
性別すら変わってしまっているので、普段通り弾きこなせるかは、実のところ少しばかり自信がなかった。
「…どれでもいい。好きな楽器を選んで、弾いてみなさい」
試すような視線のまま、老紳士は穏やかにそう言うと、俺からそっと視線を逸らす。
「アイリスも、オルフェの演奏、聞きたい」
カウンターの前で振り返ると、アイリスはキラキラとした瞳を俺に向けた。
「…弾いてみて…いいのか?」
売り物だろう楽器を、勝手に触っていいのだろうかと、俺は重ねて問うように店主に問いかける。
「構わんよ。好きな楽器を選ぶといい。もし、その楽器に選ばれるだけの腕を持っているのなら、腕に見合うだけの値引きをしよう」
老紳士はそう言うと、後は勝手にしろとばかりに、カウンターの奥の安楽椅子に深く腰掛け、読みかけだっただろう分厚い本を手に取った。
「…今まで、その条件で、値引きされたヤツはいるのか…?」
俺は好奇心と興味から、老紳士にそう尋ねる。
老紳士は分厚い本を手に、少しだけ意外そうな表情を浮かべると、俺とアイリスに視線を向けた。
「値引きというか、過去に2人ほど、まさしく楽器に選ばれたと思われるような人間に、それぞれ楽器を託したことはあったかな」
懐かしむように、老紳士は深い笑みを浮かべてそう教えてくれる。
「1人は、君が探しているのと同じ、バイオリンを託したよ」
老紳士はそれだけ付け加えると、今度こそ勝手にしろとばかりに分厚い本の表紙を繰った。
「…過去2人…」
とんでもなく敷居が高そうだと、俺は店中の楽器たちを見渡しながら、深く息を吸う。
是が非でも、認めて貰いたい。
承認欲求とは少し違うが、コレでも元の世界では、将来を嘱望(しょくぼう)されているバイオリニストなのだ。
誰よりも俺の奏でる音色を肯定してるミューズが居る限り、心の中で微笑んでいてくれる限り、俺は常に1番でなければならない。
誰よりも有名で、誰よりも上手いプロになると、約束したのだから。
だから、たとえ、別の世界だろうと、揺らぐわけにはいかなかった。
さて、どの楽器を手にすればいいのか。
たくさん並ぶ楽器たち、当然、バイオリンも何挺も並んでいる。
好きな楽器を弾いてみて良いと言われても、どう選べばよいのか。
「オルフェが憧れる楽器って、どんな音?」
悩む俺に、アイリスが軽く首を傾げて訊いてきた。
純粋に好奇心なのだろう、どこか楽し気な表情をしている。
「…楽器というか…俺が憧れる、俺だけのミューズが奏でる音が、1番の憧れだ。…まぁ、俺では到底、あんな虹の音色は出せないが…」
俺が憧れるのは、楽器そのものではない。
強いて挙げるのなら、俺にとってたった1人のミューズの半身でもある、眠り姫の名を冠した楽器に憧れないでもないが、あの楽器はアイツの手の中にこそ相応しいのだ。
「ソレじゃ、解らないよ…」
少しだけ困ったような微笑みを浮かべ、アイリスはそう言うと店の中を歩き出した。
何をする気なのだろうと見守る俺を他所に、アイリスが視線を向けているのはバイオリンだ。
「あのね、オルフェ。ここに置いてある楽器には、全部名前が付いてるんだよ。素敵でしょ?」
ひとつひとつ、触れないまでも目でその感触を確かめるように、慈しむような視線を向けながら、アイリスは振り返らずにそう言った。
まだ年端もいかない少女の外見なのに、その様子に違和感を覚えることはなく、当然のようにこの空間に溶け込んでいるというか、まるで楽器に囲まれているのが当たり前のような雰囲気に、俺が飲まれそうだ。
「…名前…?」
一部の特別な楽器に愛称があることくらい俺でも知っている。
現に、俺の想い人とも言える相手が持っている楽器の愛称が、スリーピングビューティだ。
「例えば、眠り姫とか、か?」
他にぱっと思いつく名前もなく、俺はそう訊き返す。
「…ほぅ、知っている名前があったか。まぁ、その名を冠する楽器は、今はもうこの場所にはないがな。楽器が主を選んだのだからな」
俺の言葉に反応したのは、アイリスではなく、店主の老紳士の方だった。
驚いたように本から顔を上げ、俺を真っ直ぐに見てそう言うと、穏やかな微笑みでどこか遠くを見つめている。
「…どんなヤツが、選ばれたんだ…?」
その名の楽器に相応しい人間は、俺は1人しか知らない。
他の人間に似合うとも思えない。
だから、気になった。
「…そうだな、君は、童話の茨姫を知っているかい?まさしくあの姫のように、あらゆる物に恵まれた、妖精のような人物が所有者だ。そして、哀しいかな…童話の姫のように、たった1つの解けない呪いがかけられているのさ」
老紳士は、どこか遠くを見つめたまま、少しだけ表情を翳らせる。
恐らく、解けない呪いとやらが、彼の表情を曇らせた原因だろう。
そして、俺は、その気持ちが誰よりもよく理解出来た。
聞かなければ良かった、と思う。
同じ想いで、胸が締め付けられるような、何よりも哀しくて悔しくて、やるせない。
そんな気持ちを、思い出すくらいなら。
他の人に、その気持ちを思い出させるくらいなら。
俺は、知らず、唇を強く噛みしめていた。
「…君も、知っているのか」
老紳士は、俺を見て、成程、合点がいったとばかりに笑みを深くする。
本当は、老紳士と俺が思い浮かべている人物は全く違うハズなのだが、重ねる想いが似通っているせいで、俺がその人物を知っていると錯覚したのだろう。
逆の立場なら、俺でもそう思ったに違いない。
「…オルフェ、何だか痛そうな顔してるね…」
俺の様子に、アイリスが心配そうな表情で覗きこんできた。
何故か、その手には1挺のバイオリンが持たれている。
「…いや、何でもない。…その楽器は、まさか弾くのか?」
幼い子供に心配させてしまったと、俺は微かな笑みを作って頭を振った。
彼女の持っている楽器の意図が解らず、尋ねてみる。
「…弾いてみて欲しいなって」
はい、とアイリスは俺に楽器を差し出す。
「…あ、あぁ…」
どんな基準で楽器を選んだのかは不明だが、どちらにせよ1度は弾いて見せなければいけないのだ。
俺は、俺のミューズに重なる面影を持つ少女の選んだ楽器を、信じるコトにした。
受け取って、その感触を確かめる。
不思議と手に馴染む気がして、弾いてもいいのかと、老紳士を仰ぐ。
目が合った老紳士は、深く頷いて、俺に弾いて見せろと声なき声で告げてくれた。
いつものように楽器を構え、大きく息を吸う。
「…我が音楽は、ミューズと共に…」
集中するための、いつもの呪文を唱える。
すっと弓を躍らせれば、まるで弾きなれた愛器のように、力強い音色が店に響いた。
弾いたのは、マスネのタイスの瞑想曲。
1度、俺のミューズの演奏を聞いてから、何度も何度も練習に練習を重ね、どうしてもあの繊細な音が出せずに苦心をしている、俺にとっての難曲だ。
本当なら、得意なパガニーニのカプリースや、ヴィヴァルディの冬なんかを弾く方が性に合っているのだが、ソレでも俺が選んだのはこの曲だった。
理由は、今の気持ちに合っているのが、この曲だったから。
届けたい相手に、せめて想いの欠片だけでも届くようにと願いを込めた。
本当なら、1番喜ばれるのは、たぶん、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌだ。
最初に、好きだからと請われた曲。
けれど、どうしても、あの曲だけはもう弾きたくないと思ったから。
「…驚いた…」
1曲を弾き終わるなり、老紳士が目を丸くして、俺をまじまじと見た後、アイリスに問いかけるような視線を向けた。
「アイリス、あの楽器は…」
声に驚愕を滲ませ、老紳士はアイリスに向けて確認するように問いかける。
「…メサイア」
アイリスの応えは、短かった。
たった一言、恐らくは、俺に弾いて欲しいと渡した楽器の名前を答えただけだ。
「…成程…」
けれど、その短い一言で、老紳士は何かを察したらしい。
少しだけ考え込むように、難しい顔で腕を組んだ。
「…もう1曲、弾いて?今度は、もっと明るい曲がいいんだけど…」
幼い少女には、この重苦しい気持ちの曲は理解が出来なかったのか、アイリスは俺の方を向くと、今度はそんな注文を出してきた。
やはり、この少女の様子は、俺の想い人を思わせる。
きっと、俺の大事な相手も、俺がこの曲を弾いたなら、似合わないだとからしくないだとか、言い出すのだ。
「…どんな曲がイイんだ?」
ふと、小さな悪戯心で、俺はアイリスにそう問いかけた。
まるで、自分のミューズに、次は何が聞きたいんだと、問いかけるように。
もし、同じような答が返ってきたなら。
俺は、この、右も左もわからない世界の中でも、自分を見失わずにいられるだろうと、賭けにも似た気持ちで、運命に挑むような気持ちで。
どこか挑戦的な俺の言葉に、アイリスは一瞬だけ驚いたように目を丸くした。
「…何でもイイの?」
期待するような視線を向けるアイリスは、既に曲目を決めているような、それでいて、本当にソレを言ってもいいのかと思っているような様子に見える。
「ああ。…もっとも、俺が知っている曲名なら、だけどな」
よくよく考えてみれば、ここは異世界だ。
だから、俺がよく知る楽曲がこの世界に存在しているとは考え辛い。
まぁ、普通に日本語が通じている時点で、本当にラノベか何かでよくある平行世界だとか、未来だとか、ある意味ご都合主義の世界なんだろうと思うので、可能性がゼロというワケではないが。
「…ソレじゃあ……パヴァーヌ……は、ダメだよね…流石に。アイリスが明るいって言ったんだし…。ええと、じゃあ…ラ・カンパネラでどうかな」
アイリスが控えめに言った言葉は、俺の予想のある意味斜め上で、同時に俺の理想そのものだった。
「…いいだろう、弾いてやる」
俺のその言葉に、アイリスは嬉しそうに破顔する。
その表情は、本当に心の底から喜んでいるような、倖せそうな笑顔だった。
弓を弦に滑らせながら、俺は思う。
まるで、コレじゃあ、俺のミューズそのものじゃないかと。
俺と同じように異世界に飛ばされて、しかも性別どころか年齢までも変えられて、という注釈が付くが、本人だと言われても、納得出来てしまう。
それくらいに、アイリスの言葉は、俺の心に真っ直ぐに響いた。
以前、俺は俺のミューズに、とても似た台詞を言われたのだ。
あの時は、確か、ヴォカリーズ…は可哀相だから剣の舞で、と言われた。
普通なら可哀相なのは逆だろうと言い返したら、俺に似合うのは後者だから、と。
俺に儚げな曲や繊細な曲は可哀相だと、大変失礼かつ的を射た指摘をしてくれやがったのだ。
まるで、アイリスに全く同じことを言われた気がした。
弾き終えた後、俺はしまった、と恐る恐る、老紳士を窺う。
無邪気に喜んでぱちぱちと小さな手を打ち鳴らすアイリスには癒されるが、勝手に2曲目まで弾いて良かったのだろうかと、弾き終えてから不安になった。
「…メサイア、か。成程、救世主とはよく言ったものだ」
俺の不安を他所に、独り言のように呟かれた老紳士の声は、温かく深い。
「君に、その楽器を託そう。どうやら、君は、その楽器に選ばれたようだからね」
続けて告げられた言葉に、俺は目を丸くする。
認められた、ということだと理解するまでに、少しばかり時間を要し、理解した時には俺はまじまじと手にした楽器を見つめていた。
「良かったね」
まるで予定調和のように、アイリスがすぐ隣で笑みを見せている。
楽器が俺を選んだというよりは、アイリスが俺に合う物を見出したというべきだろうし、もう少し言うならば、才能を見出されたのはむしろ俺の方かもしれない。
「それじゃ、他に必要な物、揃えに行こう?」
目的の大半はこれで完了したけれど、とアイリスは可笑しそうに笑って俺を手招く。
「2人共、またこの店においで」
バイオリンのケースを差し出し、そのまま持っていけとでも言うように老紳士は俺たちを見送ってくれた。
本当に持って行って良かったのだろうかと思うが、俺の奏でる音を聴いた時の、老紳士の驚いた表情を思い出す。
「その楽器を、大切にしてやってくれ」
もう、店主である老紳士の中では、今俺の手の中にある楽器は俺の所有物のような扱いなのだろう。
子供を送り出すような面持ちで、楽器を優しく見つめていた。
「…当然だ」
俺はそう言うと、この世界での俺の半身を手に入れた実感を噛みしめる。
それから、俺は、認められたという意味での興奮から覚めないまま、アイリスに連れられて様々な必需品を買いに走ることになった。
衣服に始まり、マグカップなど部屋で使えるティーセット、それからソファに置くクッション、譜面台、鏡台に髪や肌の手入れに必要な物。
買い物を進めながら、俺はこっそり世の中の女性を尊敬した。
必需品の数が、とにかく多い。
そして、それぞれに細かい種類があって、選ぶだけでも一苦労だ。
今更だが、ジークやローゲでなく、アイリスが同行してくれて良かったと本気で思う。
俺では、正直、化粧水だ何だと言われても、さっぱりわからないからだ。
だから、俺に合う物をと色々考えて、時には店の従業員に相談しながら、あれやこれやと選んでくれたアイリスには、頭が下がる。
アイリスから、最低限の買い物が終わったから、少しお茶でもしていこうと誘われたのは、買い物を開始してから体感で軽く数時間が経過してからだった。
因みに、恐らく相当な額になっているだろう金銭的な面も、アイリスがあっさりと支払ってくれて、ますます申し訳ないと気持ちになってしまう。
「本当に…何から何まで、全部、申し訳ないな…」
休憩として訪れた洒落たオープンカフェでドリンクを前に、俺はその気持ちを正直に相手に伝えた。
俺の前には、アイスコーヒーが置かれている。
これも当然、アイリスが自分のポケットマネーとやらで購入してくれたものだ。
「そんな風に恐縮されたら、逆にこっちが申し訳ないよ。アイリスは、自分がしたいことをしてるだけなんだから」
アイスの、たぶんアールグレイの紅茶をストローで軽く混ぜるようにしながら、アイリスは俺の正面で苦笑した。
「でも、ここでアイリスに言うのも変な話だが、俺は、元の世界でも、大事な相手の世話になりっぱなしだったんだ」
だから、せめてこの世界では自分の力だけで頑張ろうと思うのだが、右も左もわからない上に、何も持っていなかったのだからどうしようもなく、結局世話になっている。
それも、大事な人の面影を感じさせる、幼い少女に。
「ソレを、相手の人は、嫌だって言ったの?」
アイリスは、俺の心境を見透かしているかのように、言葉だけは問いかける形をとりながらも、その実、俺に本当は理解しているのだろうと語り掛けるような、柔らかい口調で言う。
年端もいかない幼い少女だというのに、不思議なほど大人びて見える時があって、その瞬間に俺は頭から離れない大事な相手の面影を見る。
「…いや…。むしろ、そうやって、こっそり色々とフォローをしてくれるのを、アイツは楽しんでいるようにすら、見えたが…」
いつだって、仄かな笑みを絶やさず、俺の背をそっと押してくれるような相手を想い、自然と笑みが零れた。
「だったら、アイリスも同じだよって言ったら、信じてくれる?」
そう告げられた言葉に、否を唱えるコトなど俺には出来ない。
だから、俺は頷いて見せた。
それを見て、アイリスは嬉しそうに笑う。
「…でも、もし、オルフェが、自分に出来る何かで返したいって思ってくれるなら…。アイリスのために、その楽器を弾いて?」
そっと瞼を伏せ、アイリスは囁くようにそう言った。
独り言のような、小さな声で。
ともずれば喧騒に飲み込まれて消えてしまいそうな、そんな小さな呟きのような声。
「…あぁ…。俺は、この世界に居る間、アイリスのために、曲を奏でよう。元の世界で、俺が俺の音楽のすべてをミューズに捧げたように」
何故か、俺の口から自然に滑り落ちたのは、承諾の言葉だった。
それが、アタリマエのことのように、感じられたのだ。
「…いつか、一緒に弾けたら、いいな…」
夢を見るような、現実感のない声で、アイリスはそっと希望を口にする。
それは、今から練習してという意味なのだろうか。
前向きな希望というよりは、叶わない願いのように聞こえて、俺はつい相手を凝視した。
けれど、その言葉の意味を、問う前に、年相応の愛らしい笑みを向けられてしまう。
きっと、どういう意味だと尋ねても、アイリスは答えてくれない。
そんな気がした。
そのまま、少しだけ穏やかな、外界と遮断されたような緩やかな空気に包まれる。
気がついたら異世界に飛ばされていて、その異世界はラノベやマンガよろしくモンスターが闊歩(かっぽ)する世界で、そして俺はソレと戦わなければ生計を立てられない。
そんな緊迫する世界に飛ばされて、もっと混乱しても、嘆いても良かったと思う。
それなのに、俺は、既にこの環境を受け入れ始めていた。
大事な人によく似た儚い微笑みを湛える少女と、一緒にいたいと思っている自分に、自分が1番驚いている。
まだまだ知らない事や解らない事が殆どだが、それでも、少なくとも元の世界に戻るまでは、ここで生き抜く覚悟のようなものは芽生えていた。
きっと、この選択は、間違いじゃないハズだ。
俺は、そう信じている。
製作者:月森彩葉