この空と大地に誓う 終章

 どこまでも広がる青空を、雲よりも白い影が舞うように飛んでいく。影は鳥の形をしていた。ゆったりとしたその動きに、ふと空を見上げた子どもが歓声を上げた。
白凰(はくおう)さまだ!」
 空を指さしたその子どもの叫びに、ほかの子どもたちも次々に空を見上げては嬉しそうに声を上げる。
 薬草を摘んでいたセイディも手を止めて立ち上がった。子どもたちと同じように空を見上げ、眩しさに目を細めながらも大きく手を振る。彼女に気づいたわけでもないだろうに、空を舞う白鳥はまるで手を振り返すかのように旋回した。
「ねえ、セイディおねえちゃん」
 きゅ、と服の裾を引かれて呼びかけられ、セイディは視線を下ろした。薬草摘みのついでに面倒を見ていた子どもたちの一人が、どこか不安そうな顔で彼女を見上げていた。
「どうしたんだい?」
 目線を合わせて問いかけると、子どもはどこかためらうように口を開いては閉じてを繰り返した。やがて意を決したように言葉を発する。
「あのね、白凰さまのおけが、もうなおった?」
 その言葉に一瞬驚いたように目を見開き、セイディは不安そうな子どもに優しく笑いかけた。
「大丈夫さ、帝国の性悪蛇に咬まれたのなんて、フェオンには怪我のうちにも入らないさ」
「ほんとう? 白凰さま、もういたくない?」
「ああ、本当さ」
 重ねてうなずくと、子どもは嬉しそうに笑顔を浮かべた。きゃー、と歓声を上げて飛び跳ねる。
 その様子を笑みを浮かべて見守っていると、不意にすねたようなつぶやきが聞こえた。
「……いいなぁ、セイディおねえちゃんはとくべつで」
 言われた意味がわからずにセイディが首を傾げていると、おなまえ、と言われた。
「白凰さまのこと、ちがうおなまえでよんでる。あたしも白凰さまのこと、おなまえでよびたい」
 半泣きで訴えたその少女を筆頭に自分も自分もと子どもたちが手を挙げ、ちょっとした騒ぎとなった。それに戸惑いつつ、ふっとセイディは笑みを浮かべる。子どもたちがこんな風にフェオンを慕うということは、大人たちがそうであるという証明だ。白凰(フェオン)は草原の民に認められ、必要とされているのだ。
 ぱん、と手を打って子どもたちを静かにさせると、セイディは人差し指を立てた。子どもたちを順番に見やる。
「だったら、今度(びょう)に行った時に直接お願いしてごらん。きっといいよって言ってくれるよ?」
 にっこりと笑ってそう言うと、子どもたちの表情が一斉に明るい笑顔になった。空を見上げ、声を揃えてフェオンを呼ぶ。するとその声が聞こえたのだろうか、応えるように白鳥がくるりと宙返りしてみせた。子どもたちが歓声を上げ、白鳥を追って走り出す。
 それをどこかほほえましそうに見つめると、セイディは薬草摘みを再開した。


 神湖のほとり、一段高くなった場所に築かれたそれは、廟と呼ぶにはあまりにも簡素だった。やや豪華な天幕というのが正しいそれに向かって白鳥はゆっくりと高度を落としていく。
 天幕の屋根ほどの高さに至ったところでフェオンは転化を解いた。少女の姿に戻り、風を切りながら落ちていく。着地を考えてもいないような自由落下の姿勢。だがその体は地面に打ち付けられる前に差し伸べられた腕で受け止められた。
「……フェオン、危ないからそういうことはやめてくださいと何度言わせる気ですか」
 渋面を作って苦言を呈するディーンは無視し、フェオンは彼の腕の中から草原を見渡した。太陽は地平に沈みかけ、空や大地は茜色に染まっている。穏やかに吹き寄せる風に気持ちよさそうに目を細め、フェオンはそっとささやいた。
「良い国だ」
 腕の中のフェオンの視線を追うようにディーンも眼下に広がる大地へと目を向ける。数日前まで血腥(ちなまぐさ)い争いがあったなどとは思えない静かな様子に、彼もまた目を細める。
「貴方が護った国です」
 その言葉に、いいや、とフェオンは(かぶり)を振る。
「皆で護った国だ。ここに住む者すべてで」
「……そうですね。みんなで戦い、護ったんです」
 それに大きくうなずいて、フェオンはもう一度草原へと視線を巡らせた。
「大変なのはこれからだろうが、きっとうまくやっていけるだろう」
 つぶやいて、フェオンはディーンの腕を掴む指に力を込めた。それに気づいたディーンがふっと笑みを浮かべる。
 顔を見合わせて笑みを交わし、二人はまた視線を大地へと向ける。そう、きっと大丈夫。何があっても皆で助け合っていけるだろう。
 ここは草原の国。自由を愛し、互いを思い合う者たちが暮らす場所なのだから。

製作者:篠宮雷歌