スクールウォーズ 21

 待ち合わせまでにはまだいくばくかの時間があったが、今からほかのエリアに移動するのもためらわれたために望美と悠はカフェでほかのメンバーを待つことにした。オープンカフェであるためどこにいても見つけてもらえるだろうとは思ったが、湖沿いの一番遮蔽物(しゃへいぶつ)の少ない席を陣取る。ここならばどこからでも見えるし、椅子の数も多いので全員が座れるだろう。
「僕が注文してきますよ、何がいいですか?」
 注文のために鞄を置いて席を立とうとすると、悠がそれを制して告げた。いいのかと問うような視線を向ければうなずかれたので、言葉に甘えることにして座り直す。
 何がいいだろうかと考えるが、メニューもないのでは思い浮かばない。
「お任せしてもいいですか?」
「ええ、では行ってきますね」
 遠慮がちな望美の言葉に笑顔で答えると、悠は注文のために店内へと向かった。数分して帰ってくるが、その手には何も持っていない。しばらくすると店員がワゴンを押してやってきた。失礼します、と一声かけてテーブルの上に置かれたのは三段重ねのトレイとティーセットだった。トレイには色とりどりのケーキやスコーン、マカロンなどの菓子類やフルーツ、そしてサンドイッチやクロワッサンなどが載っている。
 セッティングを終えると、店員はまた一礼してワゴンを押していった。ぽかんとしてそれを見送ったあと、テーブルの上を見やる。可愛らしいケーキ類は食欲をそそるが、その量が半端ない。どう見ても二人で食べられる量ではなかった。またすごいものを注文してきたものだ。
「どうせしばらくすればほかのみんなも来るでしょうから、少々多くてもいいかなと思って」
 表情から望美の考えていることがわかったのだろう、悠がそんなことを言った。ポットから紅茶を注ぎ分けると、どうぞ、とティーカップを望美の前に差し出す。
 ありがとうございます、と言いながら受け取って、はたと望美は気づいた。これ、いくらくらいするんだろうか。恐る恐る値段を問えば、気にしないでくださいと言われた。
「いえ、そういうわけには……」
 半分お支払いします、と言うものの、悠は(がん)として値段を言おうとしなかった。
「ここは僕に支払わせてください、ね?」
 そうとまで言われては、それ以上言い張ることもできなかった。
「ありがとうございます、ごちそうになります」
 素直にそう言って頭を下げた望美に、悠は嬉しそうに笑ったのだった。


 お茶とケーキを楽しんでいる間に時間となり、ほかのメンバーたちも集まってきた。結果はと言えば、全員クリアできたらしい。
 図書カードゲット、これで海決定、などと談笑しながら残ったケーキを全員で平らげていると、城の庭園に何やら人影が浮かび始めた。その人影は皆一様に黒い礼服――正確にはモーニングに身を包んでおり、城の中から運び出したイスを並べて微妙な位置を調整しているようだった。イスの数が増えるごとに半円形に近い形で並べられ、さながら何かの舞台のようである。イスの数はどんどん増えていき、数えれば八十に達した。
「なになに? 何か始まるの?」
 望美たちの陣取る席のちょうど真正面で始まったそれに気づかないはずもなく、興味深そうに全員そちらへと目を向ける。
 何事かと見守る中、イスのあとから運び出されてきた大きなもので何が起こっているのかが明らかとなった。運び出されてきたのはティンパニ、そして指揮台と大きな譜面台だ。
「あら……もしかしてオーケストラですか?」
 右手を頬に当てて詩織がつぶやく。
 そう、湖の対岸、城の庭に現れたのはオーケストラのための舞台だった。
 次々にパーカッションのパートの楽器が運び出され、コントラバスやチェロも設置されていく。
 その全容が明らかになるにつれて、カフェやその周囲に大勢の人が集まりだした。野次馬と言うよりは観客と呼ぶのが正しいだろうか。コンサート会場特有の熱気に包まれる中、対岸では粛々と準備が進んでいくのが見える。
 準備が整ってくるのに合わせて、設置されたイスには楽器を持った人が次々に座っていく。
「なあ、アレ、あの楽団だろ?」
「ああ、アマチュアだけど下手なプロよりよっぽどすごいっていう……」
「特にコンマスがずば抜けてすごい腕なんだよな」
「今日この場所に来ていてよかったー」
 そんな声が届いてきて、望美はきょとんとして首を傾げた。これから行われるイベントはそんなに有名なのだろうか。そう問えば、恭二がうなずいた。
「聞いたことはあるな。このテーマパークには、日時を明かさずこうやって不定期にコンサートを開く楽団が存在するらしいって。テーマパークを運営している企業のお抱えの楽団だとも、無関係だとも言われている。国営の交響楽団に勝るとも劣らない技量と、彼らに対する情報の少なさから【幻想交響楽団】とか【フェアリーテイル】とか呼ばれてるみたいだな」
 そこで一度言葉を切り、お茶で口を湿す。
「中でもとりわけ第一バイオリンの首席――要するにコンサートマスターの腕前はその辺のプロが裸足(はだし)で逃げだすほどと言われていて、とある大企業から伝説の名器とも言われたストラディバリウスの一器を貸与されてる、なんてウワサまであるくらいだからな」
 そう言って、彼は着々と準備を進める楽団へと視線を向けた。その横顔はどこか嬉しげだ。
「副会長がミーハーなのは知ってるけどさ、そこまで詳しいと引くわー」
 茶化すというよりは本気でそう思っているらしい薫のつぶやきにほっとけと返し、恭二はまた楽団へと視線を注ぐ。
「いや、まさか遭遇するとはな……」
 ラッキーだ、と繰り返しつぶやくが、不意にその顔が曇った。
「あれ? 今日はコンマスいないのか?」
 いぶかしげな声に彼の視線を追えば、指揮者までが姿を現したというのに、指揮台に一番近い左側手前の席が空白となっていた。周囲からも困惑したような声がちらほらと聞こえてくる。
「あら、コンマス不在ならばあの席は最初から置かないか、でなければ次席が座っているはずでしょう?」
 オーケストラに関する知識があるのか、詩織がそう口を挟んだ。彼女の目から見てもあの状況は異常であるらしい。一体どういうことでしょうねぇ? そうつぶやいて詩織は首を傾げる。
 湖のほとりに陣取っている者たちも、一体どういうことか、演奏はいつ始まるのか、とヤジを飛ばしたりしながら楽しみにしている様をアピールしている。
 そんな観客たちが見つめる先で、指揮者である青年はなぜか片手に指揮棒、反対側にはスマートフォンという不思議な状況にあった。
“なぜ指揮者がスマホ持ってるし。しかも通話中……”
 ことりと首を傾げた鈴村がタブレット端末にそう記した。彼の言う通り、指揮者は明らかに誰かと通話している様子だった。ここからでは会話が聞こえるはずもないが、肩をすくめるその様子がどこか滑稽に見えた。

「……だから、充分急いでるってば」

 不意に熱気のかけらも感じられない涼やかな声が聞こえた。どこかで聞いたような声に望美は視線をそちらへと向けるが、混み合う人によって姿は見えない。その声は言葉とは裏腹に必死さのかけらもなく、むしろどことなく眠そうに聞こえるくらいだ。まだ若い、辛うじて少年ではないだろうという程度の澄んだ声は誰かに電話でもしているのか妙な間をあけて、ごめんって、と何度か謝っていた。
 しばらくすると声の主はちょっと通してくださいと言ってどこかへと消えていったようだ。
「あら、来たようですわよ?」
 そう詩織が言うのと同時に、観客席にいる者たちもそれに気づいたのだろう、場が騒がしくなっていく。その言葉通り、ゆっくりとした足取りで城の入口から庭園に向かって歩く青年の姿が見えた。彼は手に黒いケースを持っており、服装は楽団員たちと同じように黒の礼服。歩きながら器用にケースの留め具を外した青年は中からバイオリンを取り出すと、空になったケースを指揮者に向かって放り投げた。ケースを投げられた指揮者は慌てた様子もなく、どこか呆れた様子で難なくケースを受け取るとそれを自分の足元に置いた。
 現れた青年が向かう先は、当然ながらバイオリンの首席が座るべき席。遅刻した上、見るからに楽団で一番若い彼がどうやらコンサートマスターであるらしかった。遅れてきたくせに、彼は実に堂々と、そして当然のようにその空気に溶け込んだ。
 彼が席に着いただけだというのに、楽団を包む空気が瞬時に変わった。緊迫した空気の中、指揮者がタクトをすっと振りかざす。
 振り下ろされた瞬間、力強く優雅な旋律が紡がれた。聞き覚えのあるその曲は、たしか童話を原作としたアニメ映画のテーマソングのはずだった。ゆるやかな旋律に人々がうっとりと聞き惚れる。
 けれど、次の瞬間その旋律は勇壮なものへと変わった。海賊映画のメインテーマだっただろうか。どこか荒々しさすら感じさせる曲調から一転して、また曲は童話アニメのテーマソングへと変わる。そして今度はSF映画のメインテーマ。
「何この選曲……」
 唖然とした様子でつぶやく薫の言葉は、この場にいる人間の大多数の意見だったであろう。すごいけど、どうしてこんなメドレーになった?
 半分ぽかんとしながら見ていた鈴村が、ふと何かに気づいたようにまばたきした。じっと舞台を注視していたが、やがて彼は手にしていたタブレット端末に何かを書きつけた。隣に座る小林の肩を叩いて注意を引き、タブレット端末を彼女の目の前に掲げる。
「『あれ、瑞貴先生』……? どういう意味だ、雪也」
 それだけでは意味がわからんとつぶやいて眉を寄せた彼女に、鈴村はふたたびタブレット端末に何かを書きつけて小林に示した。
「『コンマス(イコール)瑞貴先生』……?」
 書かれた内容を読み上げ、いぶかしげな顔つきのまま彼女はコンサートマスターへと視線を向けた。細められていた瞳が大きく見開かれる。
「何……だと!?」
 信じられないと言いたげに叫んで、小林は確かめるように再度コンサートマスターを見つめた。
「貸せ!」
 未だ自分に突き付けられたままだったタブレット端末を鈴村の手から奪い取る。
「先輩、これを!」
 小声で叫びながら、彼女はそれを隣に座る樋口兄弟に押し付けた。
「小林くん、ほかの人の迷惑になるから静かにね?」
「いいから、これを見てください!」
 浩明の注意をものともせず、小林は再度タブレット端末を押し付ける。首を傾げながら端末に視線を落とした浩明はわずかに目を見開き、舞台へと視線を転じた。
「ああ、なるほど」
 ぽん、と手を打った彼は控えめながらも楽しげな笑い声を上げた。
「……む? どうした浩明」
 兄の様子に疑問を覚えたのか、難しい顔をして考え込んでいた直人が横から端末をのぞき込んだ。その目も大きく見開かれる。
「なんと、そうであったか!」
「どうした、ご隠居も王子も楽しそうだな?」
 それに彼らの隣に座っていた恭二が不思議そうに声をかけた。首を伸ばして端末に視線を向け、一瞬呆気に取られたようにぽかんと口を開ける。次の瞬間、彼は盛大に笑い出した。
「ああ、道理で!」
「楽しそうですわね、どうしました?」
 口元に手を添えた詩織が首を傾げて問いかけ、彼らの手にあるタブレット端末を見やる。舞台とを見比べた彼女は、まぁ、と小さく声を上げて口元を両手で覆った。
「あらあら、まぁまぁ」
 楽しそうに笑う三年生たちに、薫がどこか迷惑そうな表情を浮かべながらそちらを見やった。
「ちょっと、うるさいんですけどー?」
 冷ややかな非難の声に悪いと謝って、恭二は小林からタブレット端末を借り受けるとそれを薫に渡した。
「まぁこれ見てみ」
 言われた薫はさっと画面に視線を走らせ、舞台を確認する。
「ああ、なるほど。たしかにねー」
 あっさりとうなずくと、彼はそれを一年生たちに差し出した。何だ何だとのぞき込んだ三人の目が大きく見開かれる。
「……何と」
「「はぁッ!?」」
 それぞれに声を上げ、三人は一斉に舞台を見やった。なるほど、とうなずく望美とは対照的に、悠と湊はあんぐりと口を開けている。そんなバカな、と言いたげな顔だ。彼らが衝撃から立ち直ったのは、コンセプトが謎なメドレーが終わって場が拍手に包まれる頃であった。
「さて、そろそろ時間もいい頃合いだし、抜けるとするか?」
 恭二の言葉に、ああ、と同意の声を上げたのは薫だった。
「このあとパレードに花火って続くんだっけ? たしかに混むから抜けるなら今のうちだろうねぇ」
 混雑具合を想像したのだろう、嫌そうに顔をしかめる。
「演奏自体はもう少し続くようだし、ここで自由解散ということにしようか」
 見たい人は見ていけばいいし、帰りが心配な人は帰るってことでいいんじゃないかな? 浩明のその言葉にめいめいうなずくと、彼らは帰る準備を始めたのであった。
製作者:篠宮雷歌